序章
4月
神酒井神社の本殿前にユニックの付いた2トントラック1台、それに土砂運搬車が1台、玉砂利を蹴散らして入り込んで来た。トラックや運搬車の側面には『影御崎土木』と書かれている。トラックの上には太い丸太が1本、トラックの後方に先が飛び出した形で載っている。丸太は、直径が50センチ、長さ4メートルはある。本殿前の広場に停まったトラックからは、ニッカボッカ姿の男達が数人降りて来る。
「いやあ、晴れて良かったですな。」
この神社の宮司、榊康親と氏子会のメンバー達が、広場の隅に張られた集会用テントの下から出てきて、ニッカボッカの男達に挨拶をする。宮司は壮年の背の高い男だが、氏子会の顔ぶれは、老年の男達ばかりが目立つ。
「いや、本当に。それでも、3日前に降った雨で、森の中はぬかるんでいると思いますよ。」
ニッカボッカ姿の男達の中でも、ひときわ恰幅の良い男が応対する。影御崎土木の社長だ。
「春は天気が変わり易いですからなぁ。やきもきしますわい。」
「7年前はどうでしたかなぁ。」
「えーと。」
「確か、良い天気だったと思いますよ。」
「いや、あの時も、前日まで雨が降っていて、立てるのに難儀しましたよ。」
氏子会のメンバーは周囲の話などろくに聴かずにてんでに話し出す。社長はその一つ一つに丁寧に対応する。社長が氏子会の者達と世間話を続けている間にも、配下の男達は指図をされなくても作業にとりかかる。トラックのアウトリガを利かせ、ユニックを操作して、荷台の丸太を土砂運搬車の上に移し替える。丸太の方が運搬車よりも長い。前後に飛び出させて載せ、何本ものラッシングベルトで固定していく。
神酒井神社には御柱が立っている。神社の境内の四隅に立てられた長さ4メートルの丸太。1メートル程は土に埋まっているが3メートルは雄々しく天に向けてそそり立っている。これを七年に一度立て直す。春に古い御柱の傍に新しい御柱を立て、冬に古い御柱を倒して取り除く。いつとも知れない太古からこの習わしは続いている。戦前までは全て人手で行なっていた。鎮守の森に丸太を運ぶ道を切り開き、杉の板を敷き詰めて作った運搬路の上を、若い者達が総出で綱を引いて丸太を運んだ。伝統ある行事を機械に頼るようになったのは、豊かになったからではない。若い力を集めようにも、それが望めなくなって久しい。
今日は、境内の東端に御柱を立てる。|予め木を伐採して開いた運搬路を土砂運搬車が丸太を積んでゆっくり入って行く。宮司、氏子会、ニッカボッカの男達の順にその後を付いて行く。
柱を立てる場所には、既にミニユンボが入り込んで穴を掘っている。丸太が現場に到着すると、まずは祝詞があげられる。祝詞が終わると、丸太にはしめ縄が回される。これで、それまでただの丸太だったものが、初めて御柱に成る。此処からが大変だ。運搬車の上の御柱を傷付けない様に扱いながら、穴に入れて垂直に立たせなければならない。ラッシングベルトを外し、ナイロンスリングをいくつも御柱にかけ、ワイヤーロープ、滑車、チェーンブロック、ウインチと、ニッカボッカの男達が四方に散り、社長の指示の元、巻いたり、緩めたりを繰り返しながら、少しずつ穴の中に入れて行く。
それでも、朝始めた作業は、昼前に終了する。戦前の人手作業ならば、夕方までかかった行事だ。男達は一団になって本殿前の作業用テントまで戻って来ると、昼飯を振舞われる。榊家の者達だけでなく、氏子会の女房達が集まり、朝から準備した料理が榊家の台所からテント迄運ばれてくる。
「お疲れ様でした。」「どうぞ、お茶はいかがですか?」
康親の2人の子、美里と丈一郎も給仕を手伝う。
「これで3本立ちましたな。来週最後の1本ですか。」
社長は茶を啜りながら、康親に話し掛ける。
「はい。今年もつつがなく終われるよう願っています。」
立ったままの康親の答えはそつが無い。その気配りの良さも、端正な顔立ちも、彼の子供達に漏れなく受け継がれている。
「大丈夫ですよ。それより、これだけの大きさの材を四本揃えるのは、だいぶ苦労するようになりました。今年が終わったら、もう次回の材を探し始めます。絶やしてしまいたくないですから。」
社長はパイプ椅子に深々と座り、康親を見上げて笑った。