茂木安左衛門記是弐
義真
永禄3年から永禄12年までの9年間が、後に振り返って、氏真の人生の中では、激動の期間だったと思われる。
氏真は今川家当主としての政務に追われた。指揮系統は自然、氏真が義元在世時に駿河、遠江の領国経営をしていたときのものが使われた。その中心には三浦右衛門佐義鎮がいた。今まで義元に付いて三河、尾張の攻略に当たっていた者たちは、これまた自然とその周辺に追われた。そこには派閥が起きた。
そのとき氏真の補佐役として、誰かがいたら違っていたのかもしれない。師雪斎はおらず父義元もいない。そうした中で、自らが氏真の補佐役たらんとした人物がいた。氏真の母方の祖父武田信虎であった。
「兵を引き連れ義元殿の仇を討つべし。」
彼もそういう論調の一人であった。
「(五月蝿いお人だ…。)」
今日も屋敷へとやってくる信虎に、氏真は辟易していた。ただでさえ政務に忙しいのに。
「(そんなに父の仇が討ちたいのであれば、この人が尾張に乗り込んで信長を討てばよいものを…。)」
このとき氏真は信虎のことをすでに嫌っていた。氏真の母は既に尼となり義元の供養をしている。そんな母のもとへもこの人は何の用があるのかときおり足を運んでいるらしい。
「では。」
政務があるのでと、信虎の話を尻目に氏真は席を立つ。
「信虎様にはお気をつけ下され。」
外で待っていた三浦右衛門佐が言う。氏真はそれには答えずに屋敷を後にした。
「少し出掛ける。」
氏真が向かった先は寿桂尼の屋敷であった。
「信虎殿にはご注意なさいませ。」
尼御台と呼ばれた祖母の寿桂尼も氏真にそう言った。若い頃は今川家を支えた彼女であったが、この頃にはもうそんな力はなかった。
「一、二、三…。」
屋敷の者と氏真は蹴鞠に興じていた。
「四、五、六…。」
そんな時が氏真が唯一、政務を忘れられる時間であった。
「一、二、三…。」
三日月が地面を照らす頃、氏真は一人屋敷の外にいた。
「四、五、六…。」
そのとき、氏真が行っていたものは蹴鞠ではなかった。氏真は太刀を振っていた。月明かりが、刃に反射してキラキラと光っている。氏真の振っている太刀は鎌倉在住新藤五国光作といわれる相州伝来の一振りである。国光作には珍しい長物である。早川殿の腰入れの際に、義父氏康から送られたものであった。
「七、八、九…。」
氏真は一人太刀を振る。それは雪斎が兵法者塚原卜伝から教えてもらったという太刀筋であった。夜半、太刀を振っていると、氏真は昼間とは違った感覚に落ちる。それは、存在するのは世の中に自分一人という感覚である。その中で、太刀を振り、太刀筋を学ぶ。気がつけばそれは何刻にも及んでいた。今川家の当主に就いて後、相変わらず政務は激しく、息抜きとしての蹴鞠や和歌に費やす時間も増えていたが、その一方で、夜半の兵法に費やす時間も増えていた。昼間、氏真は今川家当主として皆をまとめあげる役目を負っている。それは、思い通りにならないことの連続ではあった。それでも決断はしなければならない。地方では、豪族が謀叛の兆しを見せつつある。かつて、雪斎のもとで学んだ徳川家康は三河の地を蹂躙しつつある。そのような中で今川家臣の間もまとまりを見せない。それらはすべて氏真の器量次第とされる。しかし、今、こうして月明かりの下で太刀を振っている間は、氏真個人として存在することができる。そして、さらに昼間とは異なるその個人のことを氏真はやがて、父義元から一字もらい「今川義真」と呼んでいた。かつて、東海地方にその名を轟かせた武士今川義元。その名のように、世界に名を轟かせる存在。それが「今川義真」であり、そんな感覚をこの兵法という魔物は氏真に感じさせていた。
「今日はこのあたりか…。ご苦労であった。安左衛門。」
「は。」
氏真が太刀を納めると、ぱっとひとつの灯火が地面を照らした。
「いつものことではあるが、このことは周囲には内密にな。」
「心得てございまする。」
茂木安左衛門。彼は雪斎の門人であった。彼は兵法者で、各地を流浪する中、京都で雪斎と出会った。雪斎が駿河へ戻ると彼も雪斎に付いて行き、雪斎の下に居ついて、門人となった。彼は雪斎とともに塚原卜伝から太刀を学んだ。小さい頃の氏真に兵法を実際に教えたのはこの安左衛門であった。氏真が今川家当主に成り、夜半、兵法修行をするにあたって改めて安左衛門に教えを請うていたのであった。
屋敷に帰る。屋敷の者たちは寝ているであろう。氏真が夜半に太刀を振っていることを妻の早川殿は知らない。知っているのは氏真自身と安左衛門であった。早川殿や宿直の者には連歌会だと言ってあった。
「お帰りなさいませ。」
「まだ、起きておったのか。」
氏真の意に反して、妻は起きていた。
「連歌会はどうでしたか。」
「あまり良いものは作れなんだ。」
「そうでしたか。」
「そなたももう休むが良い。」
妻は疑っているのではなかった。夫を信頼していた。妻にとっては夫の外出が連歌会であろうとなかろうと良かった。それは氏真にとっては、無償の愛のようではあった。しかし、それは反面、氏真の心に小さな罪悪感と己に対する不信を生み出していた。
信虎追放
「氏真殿は義元殿の仇討ちをするまでもなく、蹴鞠や歌に興じている。」
屋敷の者に氏真の動向を探らせていた信虎は、氏真が自分と別れたあと寿桂尼の屋敷で蹴鞠をしていたことを知った。
「暗愚である。」
信虎はそう決めつけた。彼は氏真の補佐役として、今川家にとって、古の摂政関白のような存在たらんとした。しかし、暗愚な氏真は自分の話を聞こうとしない。
「(ならば放追してしまえばよい。)」
それはかつて自分がされたことであった。そして、自分に都合の良い存在を当主にしてしまえばと。そう思った信虎は、今川家臣の瀬名、葛山、朝比奈らに話を持ちかけた。彼らは義元在世時は重臣として用いられたが、氏真の代になってからは振るわなかった。氏真の近くにはいつも三浦右衛門佐がいた。
「氏真殿は義元殿の仇討ちもしない…。」
いつもと同じ論調であった。
「なるほど…。」
その場に一人の若者がいた。名を朝比奈泰朝。彼は氏真と同年だった。先だって亡くなった父泰煕に変わり、今は遠江掛川城主である。彼は桶狭間にも従軍していた。
「次の当主は如何に。」
「長得殿を還俗させて当主に据える。」
長得は氏真の異母弟である。庶子であったので、彼は幼い頃より寺に入れられて僧になっている。
「長得殿は幼き故、我ら臣下の者が執政を司る。」
我らの中に信虎自身が入っていることに泰朝は内心笑いを押さえていた。
「(この奸臣めが…。)」
いや、信虎は食客であり、今川の臣ではない。
「(野鼠風情が米倉を喰わんとしているか…。)」
「聞いておられるか。」
「ああ。承知した。」
泰朝はその足で氏真の屋敷へ行った。時刻は夜半である。道行く途中見ると、何かが月明かりに煌めいている。
「(はて…。)」
泰朝は刀に手を掛けつつ辺りを見回した。見ると遠くで、誰が刀剣を振っているようである。
「(兵法者か…。)」
泰朝は刀から手を下ろし、先を急いだ。近頃は食い扶持目当てに刀を振るう兵法者も多い。彼らは大抵、目立った格好で人目に触れようとする。そうして、領主の目に留まることを望んでいる。泰朝の領地の掛川城下にもそのような胡乱な者が多い。泰朝はそういった輩を侮蔑の目で見ていた。
「(そのような輩の幾人が実、主に仕えるのだろうか。)」
彼らは技術者であって武士ではない。彼らはあくまで兵法という道具によって雇われてはいるが武士とは違う。泰朝はそう思っていた。氏真の屋敷に着いた。宿直の者に告げると主は今、外出中であるという。
「(こんな夜更けにか…。)」
泰朝は中で待たせてもらうことになった。
「夜分遅くに…。」
氏真の夫人の早川殿が挨拶に来た。朝比奈といえば今川家の中でも重臣にあたる。その当主である泰朝に気を遣ったのであろう。
「こちらこそこんな夜更けに申し訳ございませぬ。」
「主はもう少しでお戻りなさるかと…。」
「お気になさらず。」
この夫人はとても柔和な顔をしている。北条家の人間だというが、北条家の者は皆、このような柔和な顔をしているのであろうかと思った。半刻足らずで氏真は戻って来た。
「泰朝か。」
「(はて…。昼間見ている人とは別人のような。)」
氏真は泰朝が来ていると聞いて急いで来たのであろうか。軽く胸で息をしていた。そして、何か軽い違和感を泰朝は感じた。
「話とは何だ。」
「は。信虎殿が謀叛を企んでおりまする。」
泰朝は、今日あったことを話した。氏真は黙ってそれを聞いていた。ときおり、泰朝でさえも震え上がるような異様な恐怖を氏真から感じた。ただ、それはほんの一瞬のことである。
「しかと分かった。」
しばらく氏真は黙ったままであった。泰朝も黙っていた。氏真は自らの手の甲を唇にあてていた。ときおり何か囁くような声が聞こえる。
「その者は瀬名、葛山と明朝、武田信虎の屋敷を取り囲め。」
「は。」
泰朝は思わず平服した。
「明日、武田信虎を駿河から追放する。」
明朝、武田信虎の屋敷は朝比奈、瀬名、葛山たちの手の者により取り囲まれた。
「彼奴らめが…。」
この事態に気づいた信虎は、そのとき喰ってっていた琵琶の種を噛み砕いた。しかし、そのあとは慣れたように大人しく座敷に座っていた。
「謀叛の咎により国外追放を申し告げる。」
屋敷の外に引き据えられた信虎に氏真はそう告げた。その周りには、朝比奈、瀬名、葛山たちが立っている。信虎は何も語らなかった。その後、朝比奈の手の者に駿河と甲斐の国境まで、屋敷の者たちと共に引き連れられて行き姿を消した。信虎が国を追われるのは二度目のことであった。
飯尾連竜
駿河から信虎を追放してから氏真は変わった。彼自身はより一層、今川家をまとめあげようとした。父義元のようにあろうとした。彼自身そうでなければならないと思っていた。しかし、家中はうまくまとまらなかった。
信虎追放と同年、遠江井伊谷の領主井伊直親が謀叛の弁明に駿府を訪れる途中、掛川で朝比奈泰朝に討たれるということがあった。
「左様か。」
そのことを後で聞いた氏真の言った言葉はそれだけであった。
「(何故、弁明を聞く前に討ったのか。)」
氏真はそう思ったが口には出さなかった。口に出せば、また、家中はまとまらなくなる。そのような氏真の意思に反して起こっていくことが何度もあった。
それには訳があった。氏真の側近であり、氏真のことを義元在世時より知る家臣の三浦右衛門佐が氏真に気を遣い政務を独断で回すようにしていた。
「右衛門。少し出て来る。」
氏真は政務に疲れると、そのように右衛門佐に告げて屋敷を出て行く。行き先は大抵、寿桂尼の屋敷であるが、その間、右衛門佐は独断で政務を片付けていた。彼としては、氏真に対する気遣いであり忠誠であった。雑務は自分が片付け、氏真は大局的な判断だけを担えば良いと彼は思っていた。しかし、そのことにより氏真は孤立した。今川家の実情と氏真の認識が乖離していき、当主と家臣双方に不信と疑心を植えつけた。
そんな折の永禄6年。遠江曳馬の城主飯尾連竜が今川に反旗を翻す行動を取ったことが分かった。
「(放って置くわけにもいかないか。)」
重臣たちも同じ意見だった。遠江曳馬は三河との国境に位置する。すぐ西は今切口と呼ばれる天然の要害である。もとは遠淡海と呼ばれる湖の瀬であったが、70年程前の大地震によって決壊し、今では海とつながっている。徳川家の遠江侵攻は、この今切口とその先に位置する曳馬城によって防がれていた。曳馬城の飯尾連竜が徳川家に味方すれば、家康は容易に今切口を渡ることができるであろう。今は遠淡海の西側山間地域の城砦が今川の手に寄っているので、家康の遠江侵攻はかろうじて防がれているといえる。曳馬城の飯尾連竜を放っておくと、それら遠淡海西側の城砦への補給も覚束なくなる。今川家の曳馬城攻撃が決まった。
「(戦か…。)」
氏真にとっては、今度の戦いが初陣となる。氏真26歳の年であった。
「戦が決まった。」
屋敷に帰り、早川殿にそう言った。
「どこへいかれるのですか。」
「遠江だ。」
近くには、あの燭台の灯りが灯っている。
「浜名の海が見られるかも知れぬ。」
「それは喜ばしい。」
遠淡海は、今では浜名の海と呼ばれている。京都から駿河へ来る道中にあるので、和歌に詠まれたり、公卿から話を聞くことがあった。
「戻って来たらお話をお聞かせ下さいませ。」
それは無事に戻って来いと言っているようであったし、きっと妻はその意味で言っているのだろう。
「ああ。」
氏真は桶狭間で戦死した父のことを思い出していた。あのときもまさか義元が死ぬなどとは思ってもみなかった。当たり前のように無事に戻ってくると思っていた。
「昨日見し人はいかにと驚けどなほ長き夜の夢にぞありける」
氏真は新古今集の慈円の歌を口ずさんだ。
昨日見たばかりの人が亡くなったと聞くと何故かと驚くが、そういう自分もまた生死という長い夢の中にいるのであるというような意味の歌である。虚無的に歌を口ずさむ氏真の傍に早川殿は黙って付いていた。
7月のある日、氏真たち本隊は駿府を立った。曳馬へは4日程で着いた。途中、掛川で朝比奈などの部隊と合流し、その数は1万2000余りとなった。曳馬城の飯尾連竜は城に籠城している。その数は2000余りと思われる。その周りを氏真たち今川の軍勢が包囲している。
「(『孫子』には10倍の兵力があれば城を包囲しろと書いてあるが…。)」
2000の10倍は2万である。父義元が桶狭間に連れて行ったのが2万5000余りであった。
「(今の今川家にそれ程の力はない。)」
あのときは松平家率いる三河衆もいた。今は駿河、遠江のみであり、目の前には飯尾連竜のように謀叛を起こす者もいる。
「城兵たちは家康の援軍を期待しているのでござろう。」
老臣の一人が言った。家康の軍勢は浜名の海西岸の砦で食い止める手筈だった。そのときは砦から狼煙が上がることになっている。
「もたついていては今川家の衰退を家中の者に見せることになりましょう。」
この程度の反乱を抑えられないようならば、更なる反乱を生むかもしれない。
「先陣はこの泰朝が仕りまする。」
明朝、力押しで城を攻めることになった。
「(そこまで急ぐことがあるのだろうか…。)」
急いで力押しに攻めるよりも、確実に曳馬城を落とすことの方が大事なのではないか。氏真はそう思った。しかし、それは戦を知らない者の考えることであり、歴戦の者たちの言うことには、氏真の知らない何かが隠されているのかもしれない。もとより、氏真は重臣たちに逆らうことはできなかった。重臣たちに背かれては我が身や今川家の大事にもつながる。家臣あっての君主である。氏真は鬱屈としながらも、我慢するしかなかった。
「心得た。」
翌朝、今川の軍勢の攻撃が始まった。氏真は遠くの丘からその様子を見ていた。
「(父もこんな気持ちであったのか。)」
遠くから聞こえるざわめきと風の音の中で氏真は思った。この頃、氏真の頭痛は頻繁に起こるようになっていた。
「(痛むな。)」
武田信虎を追放してからその回数は多くなっていた。それに加えて悩むことも増えた。今川家のこと、家臣のこと、我が身のこと、妻のこと。それらはときおり頭の中を勝手やたらに駆け回っては氏真の平穏を脅かす。思考が鈍るその反面、心と熱意だけは止まず、かつての今川家の隆盛や父義元の姿を追っていた。最近は寿桂尼の屋敷へ参ることも少なくなっていた。戦の準備があったからでもある。その分、夜半の兵法に意識や気力を費やしていた。「今川義真」。氏真がそう呼んでいたもう一人の自分が強くなっていくのを感じていた。そして、周りからの孤立感はより強くなっていた。
城は昼を過ぎて夕方になっても落ちなかった。
「(こんなものなのか。)」
氏真は拍子抜けした。重臣たちが味方の被害を報告していく。明朝、また攻撃を仕掛けることになった。次の日も、城は落ちなかった。討ち死の者が一人、二人と増えていく。その後、三日経っても、曳馬城は曲輪のひとつも落ちなかった。今川家の方針は兵糧攻めになった。
「(何だこれは…。)」
城攻めは失敗だった。現在の今川家の力では、謀叛を企てた城ひとつ落とせない。それを知らしめただけであった。8月、今川の軍勢は、曳馬城に対する備えの兵を残して、駿府へ帰還することになった。攻城ひと月ほどで味方の十分の一を失った。
「(俺はこれから何をどうすれば良いと言うのだ…。)」
駿府へ戻る途中、馬の背に乗りながら氏真、いや義真は思った
フウロ
駿府へ戻った氏真は、まず早川殿に謝った。
「浜名の海は見られなかった。」
その代わり、戦場で思い着いた歌をいくつか詠んでみた。
「戦いの最中にそのようなことをして、御家来衆からお叱りなされないのですか…。」
早川殿は氏真と家中の不和を知っていた。彼女は氏真の身を案じていた。しかし、どちらかというと、家臣の不満は三浦右衛門佐に向かっていた。
「良いのだ。あのような下らないものは。」
そのように言い放つ氏真に早川殿はいつもと違う何かを感じた。それは恐れなのか不安なのかは分からなかった。
「それより、俺は大方様のところへ行ってくる。」
寿桂尼のことである。寿桂尼の屋敷へ行くと、氏真は蹴鞠に興じた。
「一、二、三…。」
鞠を蹴った回数を数えていく。
「氏真様は戦から戻り、お変わりなされた。」
寿桂尼が言った。何か心境の変化があったのだろうか。それらは歌を詠うときや鞠を蹴る些細なしぐさに現れていた。
「戦など下らないものでした。」
氏真のその言葉を寿桂尼は「戦よりも風雅の道の方が良い。」という意味に捉えた。
「氏真様にはその方がお似合いにございまする。」
「左様にございまするか…。」
「戦など下らないもの」。氏真の言ったその言葉の真意はそのままであった。家をあげて、家臣総出で、言説に我慢と虚飾を織り交ぜながら、信じようとし、信頼されず、それでも信じようとした挙げ句の果てが、遠くから見た米粒のようなあの景色であった。そして、人が死んだだけで帰ってきた。今まで、氏真が必死に作り上げてきたもの。それが、ただの米粒に過ぎない。それが下らないもの以外の何物であろうか。それは同時に自らのことをも下らないものと言い放っていた。それは静かな怒りに似ていた。
家臣の不和、不信。自らの不信。信じられるものは何一つない。かつての今川家が作り上げてきた栄光はもはや自分の手ではどうすることもできない。氏真はそれを、曳馬城攻めで悟った。おそらく、これから後、今川家は衰退、没落していくだけであろう。350年続く今川家の歴史は自分の代で潰えるであろう。それが氏真には予想できた。
「うう…。」
そのことを感じたとき、氏真は屋敷で一人涙した。かつて師雪斎から、140年前の今川家当主が書いた家訓を見せてもらったことがある。それは写し書きであったが、そのとき、氏真は初めて、自分が今川という家に生まれたのだということを自覚した。その自覚が崩れた瞬間であった。
夜半の稽古は激しさを増した。太刀を手に義真は斬った。己れを、今川を、家臣を、しかし、そのどれもが空を斬っていた。戦から帰った後は、氏真は一人で稽古をするようになっていた。それは義真の姿を安左衛門にさえ見られたくなかったからだとも言えた。ある夜、少し遠出をした。空には月が出ていた。一通り太刀を振ってから帰り道に着いた。あるのは月灯りと義真の持つ弱々しく足下を照らす灯火のみであった。
灯火が足下に異様な光景を写し出した。緑色のうねうねとうねるこんにゃくのような物体がそこにあった。
「(何だこれは。)」
義真はその物体を蹴ってみた。物体はブヨブヨとしてどこかヌメッとしている。義真は次に斬ってみようとした。新藤五国光の太刀を抜いた。すると、おかしなことにその物体の声が義真の頭の中に聞こえた。
「キ、キルな。」
それはそう言っていた。頭を押さえながら、構わず、太刀を振った。こんにゃくを切るような感触がした。と同時に、ものすごい叫び声が頭の中に響いた。
「お前は何物だ…。」
義真はその声に辟易しながらも尋ねた。
「ワが名ハ…フウロなリ。我ハ物ノ怪の類ナリ。サれド、人ニは憑カズ。物の怪にノミ憑ク者ナリ。」
「人に憑かず、物の怪にのみ憑くとは変わったやつだ。」
義真は太刀を納めた。
「ソナタも同じデハないか。人ニハ憑かズ、己れにのみ憑イている。」
「何…。」
次の瞬間、義真はその緑色の物体を真っ二つに斬っていた。叫び声は聞こえなかった。目の前のそのフウロとかいう物の跡はなかった。
「(幻でも見たのだろうか。)」
義真の見たそのフウロが何なのかは分からない。
この小説はフィクションです。