治療を始めよう
領主との打合せは、金の話の後、治療に必要な物とか聞かれたので、これはミワさんに丸投げする。必要な物を提供すると領主が言っても、すでに街の中に在庫している治療に必要な物は尽きかけているようだ。塀の向こう側を切り捨てたとこで、医療面の負担の軽減ができたからかな?小さい犠牲で多くの人間を助ける、という考え方?
ミワさんとスティーヴィーが治療をしている間は、オレは何も仕事ないなぁーーと思ってたら、領主のところに教会から例の神官長が大勢の神官を引き連れやってきた。神官長は元気満々なのだが、後ろに付き従う皆さんは、かなりのお疲れモードである。顔がやつれているのが分かる。寝不足なのか、それとも他の何かあるのか。
館を出がけのことであり、オレたちは黙って先に行こうとしたら、
「その者たちを行かせるな!異端者である!!」
夕べの神官長が顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。領主以下街の関係者の方々は、ほとんどの人がろくに食事取れていないんだろうと思うくらいスリムな身体つきなのに、教会関係者はふっくらとされている方が多く、特に神官長の後ろで厳粛な顔で睨みをきかしているのは、かなりの肥満体のように見える。この方もにやついていて、顔が赤い。日本にいたならありとあらゆる成人病を持っていそうなお人である。間違いなく高血圧は持っているだろうな。
神官長が領主に対して、信仰を盾にしてあれやこれや言うのだが領主はもう腹を決めていると見えて(どうも宗旨替えされるという話は本当だったらしい)、まるで神官長の話を聞いていない。柳に風と言うヤツ。人間、腹を決めると強くなるという典型例を目の当たりにしている。
そして領主は、
「私はキーエフ真教を棄て、キーエフ正教の信徒になる!」
と言い切った。領主の部下たちはみんな息を飲んだ。知ってはいたけど、教会のお偉いさんの前で言って良いのか?という顔をしている人が多い。あと、領主は正教に替わって、自分はどうすれば良いのか?と思っている人もいるだろう。
神官長の後ろの太っちょは領主の宗旨替えを聞いていなかったのか、あっけに取られている。そして神官長は赤い顔をさらに耳まで赤くして、
「バカめ!神罰が落ちるぞ!神罰を恐れないものは地獄に落ちるぞ!!」
喚き散らす。領主の顔に唾が降りかかっている?
「すでに神罰は落ちている」
領主の冷静な声が通る。神罰が落ちている、という言葉を聞き、周りの人たち、教会、街の人を問わず動揺している。みんな、どこに神罰が落ちたんだ?と思っているようだ。
「な、なにを言う?」
神官長はうろたえながら聞き返す。それに対し領主は言い切った。
「すでに辺境伯領に神罰は落ちている!この黒死病の大禍を見よ!我らが占領したヤロスラフ王国のギーブが黒死病の発端で、辺境伯領にも広まってきた。長年のヤロスラフ王国との友好関係を踏みにじり、ゴダイ帝国に乗せられて侵略したことが間違いだったのだ。信義を踏みにじる行為に対して神罰が落ちたのだ!この災禍を神罰と言わずしてなんと言うのだ!違うのか?答えられるものなら答えてみよ!!」
領主は言っているうちに、気分が高揚してきて最後は怒鳴った。
「......」
神官長は何も言えない。領主はオレたちを指さして、
「この者たちを見よ!黒死病だけでなく、肺病まで治した!死病である肺病を夕べ治した。それを多くの者たちが見ている!」
領主が吠える。教会関係者の中には結構動揺しているように見える人がいる。中には「私の妻も肺病だ......治るのか?」という声を上げた者もいる。神官長は声のした方を睨む。が何も言わない。
「オマエたちは何かというと、金、金、金と言う。言われるままに寄進してきた。金が信仰の証しのように言うからな!それもこれも、こういう災厄が訪れた時のためのものだ。災厄も教会がなんとかしてくれるのだろうと思い、行ってきたことだ!それなのに黒死病が流行ってもオマエたちは何もしない、できないぞ!それなのになんだ、この者たち(オレたちを指さして言う。口調が厳しくて責められているように聞こえる......)は、悪魔か魔女か私は知らないが、私の妻を治したぞ!黒死病で明日か明後日か間違いなく死ぬと覚悟していた。それを治したのだ!もうオマエたちには頼らない。私は悪魔にでも魔女にでも魂を売る!そしてマウリポリの民を救ってもらうのだ!!」
領主は強く言った。誰も言葉を発せない。神官長と後ろにいる太っちょは顔を真っ赤にして手をブルブルと震わせている。
領主の勢いに圧倒された神官長は、
「あなたはぁ......」
と叫んで言葉が出なくなり、手を領主に向けたまま、グラッと後ろに倒れた。神官長の後ろにいた太っちょは何を考えたのか知らないが、神官長を受け止めずに身体を避けた。当然のことながら、神官長は受け身も取らずそのまま石畳の上に倒れた。
ゴン!という音とともに頭が石畳にぶつかった。口から泡を吹いている。
この光景はオレにもミワさんにも初めてではない。ポツン村でも、ブカヒンでも、ギーブでも目撃している。肥満で血圧が高そうな赤い顔、常に何かにイライラしているような表情で、ちょっとしたことで激高し周りに当たり散らす人というのは、突然倒れる症候群の黄信号が点滅していると思っている。神官長はまさにコレに適合していて、絵に描いたように脳梗塞(推定)を発症した。おまけに倒れたとき、誰も身体を支えず、1番近くにいる太っちょは逃げやがった。という悪いコトは重なるという見本のような事態が目の前に起きている。
「ミワさん、スティーヴィー!」
「はい!」「わかった!」
驚いているけど動かない(きっと動けない)領主や部下たちを尻目にオレたちは神官長に駆け寄る。
「ま、待て!」
太っちょがオレたちを制止しようと声を掛ける。
「うるさい!邪魔をするな!!」
太っちょに睨み返す。こいつが余計なコトをする前に動かないようにしとかないといけない。殺気を込めて睨む。
「な、な、なにを言う。わ、わ、わたしは、だ、だい、ち、ちきょ、う、にゃ......」
太っちょの口調がおかしい。コイツも危ない、というかもう頭の中で出血しているかも知れない。身体がブレてぐらついて、かなり怪しくなってきている。
「そいつを座らせろ!横にして!安静にさせて!そのまま動かすなよ!」
しかし、太っちょの周りのヤツらは、
「大司教!どうされました!大丈夫ですか!」
と叫ぶばかりで、何もしない。仕方ない、神官長の方はミワさんとスティーヴィーに任せて、太っちょの身体を押さえて『Sleep』を掛けた。
その途端に太っちょは、グラリとしてオレに全体重を掛けてきた。意識のない人間というのは途方もなく重いというのを実感して、一緒に倒れそうになるのを、辛うじて踏ん張る!く、くぅ!踏ん張るぅぅぅ!!夕べのスティーヴィーは軽かったのに、いい匂いがしたのに、コイツはオヤジ臭満載だし、身体を持っているのもイヤなのに、手を離して地面に叩き付けたいのに......そっと地面に横たえた。身体中から嫌な汗が出ていた。
神官長の部下たちが二つに分かれて、神官長と太っちょに駆け寄ろうとするから、
「近寄るな!近寄ったら殺すからな!」
殺気を最高レベルにして威嚇したら、部下たちは1歩踏み出した所で止まった。不満そうな顔をして口の中でモゴモゴ言っているけど、聞こえるようには言ってこない。
神官長の方を見るとミワさんとスティーヴィーが真剣な顔をして、神官長の額と心臓に手を当てて治療している。ミワさんは神官長の胸をはだけさせて、胸に手を置いている。ミワさんの手が腐らないか心配になる。
オレの方(太っちょの方)はまだ初期症状だと思うので(素人判断だが)、額に手を当てて微弱な魔力で『Cure』と流してみる。面白いようにオレの魔力が太っちょの中に吸い込まれて行く。普通はつっかえながら魔力は通るモノだ。なのにコイツは魔力の通りがイイ、不思議だ......気持ち悪いが。
「あの」
教会の下っ端の1人が声を掛けてくる。
「うるさい!集中している!邪魔をするな!コイツが死んでしまうぞ!」
「えっ!」
下っ端たちが引く。彼らから見れば、太っちょがグラグラきたところにオレが駆け寄り、太っちょが倒れ込んでオレが支えたように見えたと思う。オレが太っちょを地面に横たえれば、もう意識がなくなっていて、オレが真剣な顔で太っちょの額に手を当てている光景だ。コイツらからすれば、オレも治療しているように見えると思う。オレもそのつもりだから、認識としてはあっているし。
「オマエら、何かできることがあったらやってくれ!」
そう怒鳴ったら、みんな膝まづき祈り始めた。邪魔しないんだから、それでいいか......でも誰に祈っているんだろう?正教?真教?元は同じキーエフ様だから良いのだろう。




