マウリポリの街中に入る
しばらく馬車の中は沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは、
「あなた、私はもう大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」
横たわっていた病人の女だった。男はハッとして顔を上げ、
「ジャクリーン、本当に大丈夫なのか?黒死病は、なんともないのか?」
黒死病というのは禁句だったと思うが。
「ええ、大丈夫よ。こんなに身体が楽なのはいつぶりだったかしら。ごめんなさい」
ジャクリーンという女の人が言う。男は、
「良かった......良かった」
ジャクリーンさんの手を握って震えている。そしてやっとミワさんの顔を見て、
「ありがとう!ありがとう、妻が助かった」
目から涙を落としながら感謝の言葉を言っている。
このなんとも言えない良い場面を打ち破るバカが来た。
「領主様!そやつらは悪魔の手先!魔女ですぞ!ヤロスラフ王国からやって来た悪魔どもですぞ!騙されてはいけません!どうか目をお覚ましください!!」
絶叫するように神官長がやって来た。いかにも神官という白い服。この服装は前にもギーブで見たのと同じだ。これは正教も真教も変わらないようだ。
また揉めるのかと、げんなりしたが今度は違った。
「オマエたちは、病気を治すこともできないのに、何を言うのか!この者たちを見よ!我が妻を治してくれたではないか!オマエたちは何かと言えば、金ばかりくれというにも関わらず、黒死病が流行れば神に救いを求めるだけで、何一つできはせぬ!もう良い!!オマエたちの顔は見たくない!教会に引っこんどれ!」
領主という男が怒って怒鳴る。烈火のごとくというのがピッタリだ。しかしさすがの神官長、領主の罵声にも臆せず、
「領主様!それは教会に対する冒涜と受け取ってよろしいのでしょうか?教会はあなたを異端者と認定致しますぞ!異端者は教会の庇護を一切受けられなくなりますぞ!キーエフ神の加護がなくなりますぞ!よろしいですかな!」
脅迫まがいのことを言い出す神官長。いや、まがいではなく脅迫そのものだろう。しかし領主は決然と言い放った。
「良い!異端者としてくれ!私と妻は、たった今、キーエフ正教に改宗する!そしてこの町をこの聖女様に救ってもらう!」
周りから、おおおおっ!!という声が上がった。地鳴りのような声というのか、領主の宣言を肯定するような声がする。私も正教に替わる、と言う声。同じキーエフ様でないか、信仰の証しをいただけるなら私も正教に替える、などという声があちこちから聞こえて来た。キーエフ正教とキーエフ真教、大した違いはないと聞いているが、信仰を変えるというのはそんなに大変なのか?などと日本人丸出しのオレは思う。
それを聞いた神官長が、
「な、な、なんという信仰心のない者たちばかりだ!よい!オマエたちはみんな、異端者として認定する。オマエたちは死ぬまで、いや子孫の果てまで異端者として忌み嫌われるのだぞ!心しておけ!」
言うだけ言って、神官長は部下を連れて去って行った。下っ端の何人かは、名残惜しそうにミワさんを見ていた。あれって助けて欲しい人が身近にいるんじゃないだろうか?
領主とその夫人、メイドであろう中年の女が馬車を降りた。そして馬車の前に並び跪く。ミワさんが馬車を降りると、
「聖女様、妻の病気を治していただきありがとうございます。このご恩は一生忘れるものではございません」
深々と頭を下げ感謝の言葉を述べる。ミワさんは戸惑いながら、
「何を言われるのですか。私は自分のやることをやっただけです。他にも病気の方はいらっしゃるのでしょう?早く診てあげたいと思います。病気の方の所に連れて行ってください」
「おぉ!!」
ミワさんの謙虚な姿に、みんなが打たれている。信仰がどうの、とか、金がどうのということを言わない。信仰は納めた金に比例するというどこかの誰かのような言葉が聞かれなかったのが好印象を上書きしている。
「そうか。ではお願いしよう」
領主がお付きの者を呼んで指示を出す。人が散って行き、最初に馬車に付いてきた人間だけが残った。
領主はオレを見て、聞いてきた。
「あなたの名前を聞かせて頂けるか?聖女様との関係は?」
「マモル・タチバナと申します。ヤロスラフ大公国で男爵を拝受しており、ミワは私の妻です」
領主は眉を少し上げた。聖女が妻、聖女が処女でないということにクレームつけられるかと思ったが、違うことがポイントだった。
「大公国から来られたのか?ということは、大公国まで辺境伯領に黒死病の流行が伝わっているのか?」
「はい。伝わっております。大公国では数年前に公都ギーブで黒死病が大流行したことがあったことはご存じだと思います。その時、大公国では黒死病を克服しました。その時の経験を元に、辺境伯領に治療団を派遣すべくオーガの街で待機しております。領主様が要請されればすぐに治療団が参ります。このままではこの街は滅びてしまうと思います。いかがでしょうか?ヤロスラフ大公様に治療団の派遣を要請なさっては?」
「しかし、聖女様がいらっしゃればこの街は救われる。これでもう安心であろうが?」
「聖女様は領都カニフに行くよう命令されております。いつまでもここに留まっているわけには参りません。この先のポルタやチェルニにしてもマウリポリと同様な状況ではないでしょうか?」
「それはそうなのだが......」
領主は言葉を濁す。ノーと即答しないと言うことは、どうすべきか迷っているということだ。
「領主様、ヤロスラフ大公国に支援を頼んだところで、ヤロスラフ大公国の配下になるということではないのです。早く支援を頼まれれば、それだけ被害が少なくて済みます。早くご決断ください!」
「それは分かっている。分かっているが......」
はっきりしない領主の横で奥さまが言う。
「あなた、お願いしましょう。もし何かあっても、私たち2人が責めを負えば良いのよ。いざとなれば大公国に亡命させて頂きましょう。大公国の官吏の席の一つくらい空いているでしょうから、そこで働かせて頂きましょうよ?」
ナイスアシストが出た。
「そうか......それもあるか」
領主はだいぶ心を動かされている。ここでもう一押し!
「大丈夫です、私の村においでください。小さい村ですが、帝国との戦争で未だ復興途上で、人材が足りておりません。いつでもいらっしゃってください!」
「タチバナ男爵の村というのは?」
「ポツン村という村です。クルコフ子爵領内でして......」
「あそこか!聞いている!あの村の領主があなたか!そうか!ではそうしよう、頼むタチバナ男爵、この街を救ってくれ!」
奥さまが背中を押すというのは、こういうことを言うんだってことを目の当たりにした。それとオレの村が意外と知られているのに感心した。
「マモル様、でもどうやって連絡取るのですか?ここからオーガまで馬を走らせると言っても、道中の安全とかあったら、ブラウンさんたちがここに来るのにどれだけかかるか分かりませんよ?少しでも早く来て頂きたいのですが、それまで私たちはここに留まるのでしょうか?」
ミワさんが聞いてくる。確かに今から早馬を飛ばしても、数日はかかりそうだ。途中で補給が期待できないから、マウリポリで準備していかないといけないだろう。それにあの大平原を越えるというのはそれは大変だろう。
「一つだけ、向こうに早く連絡する手段がある。それがあれば半日でブラウンさんの所に連絡が行くと思う」
オレの言葉にミワさん、領主夫妻が驚いた。
「そんな方法、ありますか?」
「たぶん。マウリポリにロマノウ商会の支店か出張所があれば大丈夫だと思います」
オレの言葉に領主の側近が、
「あります!」
即答してくれた。




