ギレイ様からの依頼
オーガの街に着いてすぐ、領主の館に連れて行かれた。街に着いたなら、1度宿舎に入って、服を着替えたいと娘たちは言っていたのだが、緊急案件ということで聞き入れてもらえず、無理矢理連れて行かれてしまった。
領主の館の執務室は前と同じように書類が山積みになっており、それに隠れてギレイ様が執務を執られていた。この風景は以前とまったく全然変わってない。この人は死ぬまでこれが続くんだろうなあ、と思いつつも、挨拶し妻と娘たちにプラスしてスティーヴィーを紹介する。
「すまん、マモル。見てとおりの有様だ。依頼の詳細についてはアンドレイに聞いてくれ。アンドレイ・ブロヒンだ。覚えているだろう、辺境伯領から来たヤツだ。私の頼みというのではなく、実はアイツの頼みなのだ」
「あぁ、覚えています。ギーブで黒死病が流行った後に、辺境伯の特使として辺境伯の息子を取り返しに来て、無事取り返したのに辺境伯領に入れてもらえなかった人ですよね?」
そして、そもそもオレがあの村に落ちて来たとき、ポリシェン様と一緒にあの村に来たこともあった。よく知っているが、あまり親しくはなかったし、能吏だけど冷たい印象を持っている。
だがギレイ様の頼みなら無下に断ることもできない。
「分かりました。話を聞きます」
「頼む。ブロヒンの部屋に案内させる」
ギレイ様との話はそれで終わり、ブロヒン様の執務室に案内される。ブロヒン様は今やギレイ様の腹心という位置付けのようだ。仕事ができる人という印象があったけど、そういう人はどこでも重宝されるな。
ブロヒン様の部屋に案内され、型どおりの挨拶を交わす。
「タチバナ男爵様、いやもう子爵様となられたでしょうか?私は公国内の人事情報は疎くてね。それに最近は辺境伯領の方に関心が向いていて、あまり知らないのだ。失礼する」
意外と低姿勢で挨拶してくる。この人、上からモノを言ってくる印象があったんだけど、もしかして頼み事と関係しているのか?
「いえ、それは良いですから。マモルとお呼びください」
そう答えると、困った顔をして、
「いや、そんなことを言われても、そうできるはずがない。ではタチバナ様と呼ばせていただこう。それでさっそくだが、依頼と言うのは私の個人的な依頼なのだが、大公様も了解されている」
昔の上から目線はどうした?と聞きたくなってきた。でも今は、依頼内容を聞くのが先だろう。
「ブロヒン様、それで依頼というのはどういうものでしょうか?」
「うむ、実はタチバナ様に辺境伯領の領都に行って、人を1人、連れてきていただきたいのだ。頼む!!」
あのブロヒン様が頭を下げた。頭が机に付かんばかりの勢いで。この人はこんなことをする人ではなかったはず。それなのに、それをさせる人とは誰だ?
「ブロヒン様、その連れてきて欲しいというのは誰でしょうか?」
「それは、これは絶対に誰にも言わないで欲しいのだが、実はマリヤ・リューブ様だ」
「え、マリヤ様?」
辺境伯領のマリヤ様というと、あのおしゃまで好奇心旺盛な美少女のお嬢さまが目に浮かぶ。
「そう。辺境伯領宰相を務めておられたリューブ様の孫娘のマリヤ様だ。タチバナ様も会ったことがあっただろう?」
「はい、何度も。それこそ何度もお話をさせて頂いたことがあります。でもどうしてマリヤ様を連れて来いと言われるのですか?誘拐してこいと言われるのなら私はお断りするだけなのですが?」
「うむ、そう言われると思っていた。その理由を今から話す。実は今、辺境伯領は最悪の状態なのだ。辺境伯領内で黒死病が猛威を振るっている」
「黒死病!?」
オレだけでなく、全員が声を出してしまった。特にスティーヴィーの反応が大きかった。オレたちはギーブで黒死病を制圧した経験があるが、スティーヴィーはないのだろう。だが今は、その経緯をスティーヴィーに説明している時ではない。ブロヒン様との話を進めよう。
「辺境伯領で黒死病が流行っているのは分かりました。ですが、それとマリヤ様を連れて来るのは関係ないのではないでしょうか?」
「うむ。そう思われても当然だ。だから、これからは私の個人的な願いになる。リューブ様が急病で倒れられ、その後、辺境伯領に連れて行かれた。その後、しばらくして亡くなられた。それは知っておられるか?」
「そうでしたか」
ここは言葉を濁しておこう。
「リューブ様は辺境伯様がギーブに進駐されてきたとき、辺境伯様に連れて来られてそのまま占領行政を任されていた。しかし、突然倒れられ領都カニフに送られ亡くなられた。リューブ様が亡くなられたこととは関係ないのだが、辺境伯様のご次男様が辺境伯領に戻られてから、領内で黒死病が広がった。その時期に辺境伯様は占領地を失った。その責任は辺境伯様の次男のマキシム様にあるのだが、辺境伯様はマキシム様に責任を取らせることをためらわれ、表向きはリューブ様の責任とされたのだ」
「なんと......」
呆れて物が言えない。がモァは、
「ありそうな話ね」
と言っている。
ブロヒン様は続ける。
「そうだ、よくある話だ。それでリューブ家は改易されて、リューブ様のご子息様は閉門謹慎となった。ご子息様は、元の家臣の援助で辛うじて暮らしておられた。そこに黒死病が領都に入って来た」
「黒死病は大公国から伝染して行ったと思われている?」
「分からない。辺境伯領ではそのように考える者が多いようだが、黒死病というものは、常にどこかで発生している。その発生の端緒を掴み、叩くことができるかどうかで、流行に繋がるかどうかが決まる」
「叩くとはどのような?」
「黒死病の病人の見つかった地域を封鎖し、病人ごと焼き払う。生きていても丸ごと焼き払う。それしかない。大公国では違うが、辺境伯領では未だそれしか方法がない」
「確かにそうでしょうね」
そう言ったときユィが聞いてきた。
「辺境伯領では『Cure』を使える人がいないの?せめて『Clean』はどうなのかしら?」
そう、辺境伯領の事情を知っているのはブロヒン様とオレだけなのだ。ブロヒン様が首を振り、
「辺境伯領では呪文を使える者はいない。表向きはそうだ。辺境伯領で魔力持ちは異端として処刑される。女は魔女として火あぶりの刑に処せられる。だから辺境伯領では魔力持ちをしらみつぶしに捜して、殺し尽くした。その結果、今は辺境伯領内に魔力持ちはいなくなった」
「えっ!?」
娘たち、ミワさんが絶句している。
「じゃあ、治療する方法がないのですか?」
ユィの問いにブロヒン様は、
「ない。教会に行って祈るか、神父に来てもらい祈ってもらうか、それくらいしかないのだ」
「なんてこと......」
ミワさんが絶句している。
ブロヒン様は続けて、
「すでに辺境伯様は黒死病で亡くなられたという噂がある。そしてリューブ様のご子息様も亡くなられたらしい」
「それではマリヤ様は?」
「よく分からない。ご親戚に預けられたという話もあれば、孤児院に入れられたという話もある」
やっと依頼の内容が分かった。
「それで、土地勘のある私が、マリヤ様をここに連れて来るというのがブロヒン様の依頼ということですか?」
「そうなのだ。無理を言っていることは分かっている!しかし、私はリューブ様に取り立ててもらった身なのだ。そのご恩に報いるのは今しかない!どうか、マリヤ様を連れて来てもらえないだろうか?頼む!」
ブロヒン様はもう一度、頭を机にぶつけんばかりに下げられた。オレとしては、もう仕方がない、という思いがこみ上げてくる。
「ブロヒン様、話は分かったのですが、ブロヒン様の話された辺境伯領の情報が、えらく詳しいのですが、それはどうしてなのでしょう?疑うわけではないのですが、辺境伯領で黒死病が流行しているのなら、大公国との国境は閉鎖されているのでしょう?どういう方法で辺境伯領と連絡を取られているのですか?」
オレが聞くとブロヒン様は顔を上げて、
「それは簡単なことだ。辺境伯領から逃げて来た者たちから話を聞いている」
「えっ、すでに逃げて来た者たちがいるのですか?」
「ああ、いる。それもたくさんいる。何も心配しなくていい。国境の検問している所があっただろう?あそこを拡張して病院と言う物を作り、ブラウン夫妻がいる。辺境伯領から大草原を越えて、検問所に着いた者をブラウン夫妻が検査して、もし黒死病に罹っているなら治療している。そして数日間、その病院に滞在させてから、オーガの街に迎え入れているのだ。あの大草原を越えてこれる者など、平民の金を持っている者に限られる。だから、なまじの貴族より、貴族の間の情報に詳しい。その者たちが、オーガの街入りたさに、辺境伯領の話を事細かに教えてくれる。1人だけの情報では間違っていることもあると思い、数人の話を聞いたのだが内容はほとんど変わらない。だから信用できると思っている。どうだ、行ってくれるだろうか?」
ブロヒン様はオレの顔を覗き込んで迫って来た。




