皇太子が暴れる
皇太子の大声、というか奇声の絶叫がホールに響き渡ると、戦っていた者も手を止め、皇太子の方を見た。さっきまで演台に突っ伏していたのに、顔を上げ、こっちを、いやイワンを見ている。目をまん丸に広げるだけ見開いて、頰をブルブル震わせながら、口の端から泡を垂らして、
「クワッ!クワッ!!」
と大声を上げている。宰相が止めようとするのを、振り払い、突き飛ばした。宰相は転がって護衛の列に当たり止まる。
「マズい!兄が壊れた!」
イワンが叫ぶ。
「壊れた?何がマズいんだ?」
「ああなったら、誰も止められないのです!暴れる力が尽きるまで、暴れて周りのモノを見境なく壊して、人でも物でもあたり構わず、とにかく誰も止められないのです!」
イワンの声が聞こえたのかのように、皇太子が余計に暴れ出した。さっきまで、両脇を抱えられて連れて来られた面々は避難したのか、姿は見えず、皇太子は演台を蹴飛ばして舞台上から落下させ、護衛たちに殴りかかる。相手が皇太子だからか、止める者もいない。皇太子は落ちていた剣を掴み、斬りかかる。誰彼構わず、斬っていく。その剣先の速さたるや、とても素人のモノとは思えず、護衛たちも斬られる者が出てきている。誰か止めようとしないのかと思うが、あんな状態だとヨハネでもないと止められないだろう?舞台の上では暴れる皇太子と、皇太子から逃げ回る護衛や関係者がいる。
皇太子が振るった剣で腕が飛ぶ。人が倒れる。舞台上からドンドン人が避難する。遠巻きに皇太子を見て被害が及ばないよう、皇太子が力尽きるのを待っている作戦のようだ。
「マモル、何とかしろ!」
無茶ぶりを大公様に叫ばれるけど、帝国の人間がどうにもできないのをオレにどうせよと言われるのか?でも一つだけ思い付いたことがあるのでやってみよう。
戦いは鬼ごっこと化し、膠着状態になっており、全員が皇太子の動向を注視している。皇太子は時折剣を振りながら舞台から階段を降りて、何かを捜して、コッチを見て歩き出した。オレにとって都合が良いのか悪いのか、とにかくヨハネと共同作戦だ。
「ヨハネ、皇太子を取り押さえるぞ。手伝え!」
「はい、分かりました!でもどうやって?」
「ヨハネなら無手で皇太子を取り押さえられないか?」
「無理、でしょう?皇太子は狂気に染まっています。何をするか分かりません」
何を言ってくれる、私にだってできないことはあります、という思いが口調に滲んでるな。でも、
「さっきも無手で投げていたではないか?」
「さっきの近衛兵より、皇太子の方が剣の扱いが上です。加減というものがなく斬ってくるので、殺していいならできます」
「腕試しのときの、見えない速さを使うのはどうだ?」
「もう使うだけの体力がありません。ヘトヘトです」
「分かった。なら、やっぱり2人で取り押さえよう。何か剣の代わりになるようなモノがないか?」
皇太子を見据えながら、武器になるようなモノを捜す。剣のような明らかな武器を使うわけにはいかないだろう。棒とか、杖とか?
「キェェェェーーーー!!」
武器が見つからないのに、こっちの事情を勘案せず皇太子が斬りかかってきた。ヨハネと左右にごろんと転がって避ける。皇太子は勢い余らず、すぐに止まりオレの方を向いて、斬り下げた剣を下から擦り上げてくる。なんだコイツ!どんだけ剣が速いんだ。オレは逃げるので精一杯だ。皇太子に触ることもできない。避けるのでやっとかっとだ!
擦り上げた剣を躱したら、すぐに踏み込まれて斬り下げられる、円を描くように皇太子から逃げる。皇太子は目をつり上げながら、狂気に染まっているが嬉しそうに笑ってオレを斬ろうとしている。猫がネズミをいたぶっているのと同じではないのだろうか?ヨハネ、早く、早く、何かくれ!
「ハッ!ハッ!キッ!ガッ!」
奇声というのか、気合いというのか分からない声を皇太子は上げている。これだけ剣が使えるというのは大公様の従者の中でもいないんじゃないかって思うくらいの腕前だ。
「マモルさま、これをっ!!」
ヨハネがオレに投げてくれた!それは長さが2mくらいある燭台だった。ただし木製だ。それでもないよりマシである。金属じゃないから、当たり所悪くて万が一死んだとしても、「木製だから」と言い訳が立ちそうな気がする。とにかく落ちてる槍とか投げなかったのは良かった。逃げるうちに、皇太子の剣の速さに目が慣れてきた。剣が振り下ろされるのに合わせて、剣の腹を燭台で払う。衝撃耐久性の悪い剣だったのか、ポキンと剣が折れた。
一瞬、皇太子が唖然とした。チャンス!皇太子に飛びかかろうとしたとき、皇太子は足下の槍を脚に引っかけ、宙に浮かせ手に取る。な、な、なんだとぉぉぉ!どんだけ器用なんだぁぁ!ちゅうか、誰に教わったんだようぉぉ!
しかし、皇太子が槍を構える前に、皇太子の目の前に踏み込み、燭台と槍を合わせる。力と力の押し合いになる。皇太子の目がおかしい。黒目じゃなかった、青目が小さく妖しく光っている。これは魔族が憑依しているとかじゃないよね?舌の先が2つに別れていて、舌が伸びて来て、オレの首を絞めるなんてことはないよね?息が異常に早い。ハァハァハァ、オレを食いそうな息づかいだ。
力が均衡している。このままだと押し切られてしまう。加減を知らない子どもの力に親が負けちゃうのと同じだ、と思ったとき、皇太子の後ろからヨハネが組み付き、羽交い締めした。
「マモル様、今です!」
皇太子の胸に手を当て、
「分かった、やったぜ!『Paralyze』」
唱えると、皇太子の力が抜け、崩れ落ちた。しかし、ビクンビクン、魚が跳ねるように動いている。普通『Paralyze』掛けるとすぐに動かなくなるのに、こんなに動くのって異常だ。それに顔つきがさっきより、もっとおかしい。顔が歪んで壊れそうになっている。
「ミン!来てくれ!」
「はい!」
ミンが駆け寄ってきた。
「ミン、皇太子に斉藤さんがミンに掛けてくれた呪文を掛けてみてくれ。『Cure』では効かないと思う。あれなら効くような気がする」
「はい、やってみます。『Heal』」
ミンは手を皇太子の額に当て、呪文を唱えると、手が光り、その光が皇太子の頭に吸収される。すると皇太子の顔の歪みが少し治った。身体の跳ねも穏やかになった。口から「あっ!あっ!」と声が漏れている。もう少しか?オレが言わなくともミンが、
『Heal』
呪文を唱える。さっきより魔力の量を増やしたのか、皇太子の頭に入り込む光の量が多かった。
暴れていた皇太子が動かなくなり、歪んでいた顔が穏やかな笑顔になった。さっきまでの狂気に歪んだ顔から、人のいい兄ちゃんという感じの表情になった。まだ頰が少し痙攣しているけど、しばらくすれば収まるだろう。




