移動する
ポリシェン様はともかく、ブロヒン様は腰が抜けたようで座り込んだまま、何も言わずにいる。村のみんなが嬉々として大鹿の血抜きをして解体して丸太にくくりつけ、担いで運ぼうとするが、2人とも何も言わずにいる。
ポリシェン様も、大鹿に自分の射た矢がまったく効かなかったのが、よほどこたえたのだとは思う。前に山賊と出会ったときは自信満々でやっつけたんだから、無敵くらいの気持ちで矢を射たんだと思うけど、現実は厳しかった。
大鹿運び隊が出発して、やっとポリシェン様が立ち上がりブロヒン様を促して、帰り道をトボトボと歩き始めた。来るときも遅かったが、帰りはもっと遅いけど、1度来た道だし、ジンとオレの2人で前後に立って村に帰る。今日はこれ以上、獣に遭遇したくないわ。
村に戻ると、もう村中、久しぶりの大鹿祭りということで、見たことないような盛り上がりを示していた。しかし、ポリシェン様とブロヒン様はもちろん村の中に入ることなく、調査団の馬車の方に黙々と歩いて行く。明日はどうこう、という指示もなく黙って帰って行かれた。まぁ、指示はなくとも胡椒の木の所に1度は行かないといけないから、なんとしても行くんだろうな。
「マモル」
ジンが呼ぶ。
「マモル、明日は雨だから休みだ」
なるほど、明日は休みか。ジン予報士は当たるからな。予報と言えない精度だからなんと呼べば良いのだろうか?
大鹿の大宴会が終わって、小屋に戻ると、アンとノンとミンがいた、ナゼ?
翌日はジンの言った通り、朝から雨だった。それも結構な強さの雨で、その中を調査団の所に行って、今日の予定を確認する。ボリシェン様から、
「マモルか、ごくろう。今日はこんな雨だから、すべて休みだ。今日は1日、ゆっくり休んでくれ。マモルは今日でこの村に来て3日目か、だいぶあの村の臭いが染みついてきたな」
と言われてしまった。そうです、それは意識しています。わざとです。
次の日は小雨だったが、もちろん休み。だが、さすがにポリシェン様とブロヒン様はこのまま雨が続くとマズいと思ったのか、オレとジンにこの村の状況について事情聴取があった。村に住む人数とか、年齢別、作業できる人数、胡椒の木の数、チョウジの木の数、などなど、あまり役に立つような気もしないが、何もしないで報告ができないというのもマズいだろうし。
こんな雨の中、伝言鳩がやってきた、いや、伝言鷹だった。確かに鳩だと鷲や鷹に、途中で食われてしまうかも知れないし、鷹をしつけられるのなら絶対こちらが向いているよね。確かティマーって仕事が異世界ノベルにあったから、ここにもああいうのがあるのかなぁ、この世界は知らないことばかりだから、もっと驚くことがあるんだろうね、これから。
向こうからの手紙は、こちらの申し出を了承してくれていた。オレがこの村を出るとき鷹を出してくれれば、迎えに行くということ。それと向こうにいる『降り人』の名前は「トタ・オフタカ」ということだった。確かに、オレのいた世界にあるような名前だ。トタ?トダ?戸田?オフタカ?う~~ん、分からない、でも違いないだろう。一度会ってみたい。今回の胡椒のこと抜きにして会ってみたい。その、戸田さん?はこっちに来て『降り人』に会うのは初めてだから楽しみだ、と書いてあったそうだ。
オレもなんとしても会いたい!!
翌日はさすがに晴れたので、胡椒の木を見に行くことになった。さすがにブロヒン様は待機ということで同行されず、ポリシェン様だけが同行された。ブロヒン様が同行したときの半分の時間で胡椒の木の元に着いた。
ポリシェン様は胡椒の木を初めて見たが「これが胡椒の木か?他の木とどこが違うんだ?」という反応だ。胡椒の実は前に村の者がもいでいったので、まったく実が見えないが次の実がなるよう芽がでてきている。こっちは成長が早いようだ。ポリシェン様は胡椒の生育している範囲を知りたいそうで、あちこち移動する。さすがに今日はオレを目がけて襲って来る獣はいないようで、心にざわつきはない。
あちこち調べているうちに陽は傾いて行き、チョウジの木の調査は明日にすることになった。帰り道、ポリシェン様がボソっと「明後日には帰れるかな?」と言われたので、ジンと目で合図をした。
今日は何事もなく村に帰った。帰り道、ジンから帰る前日からいきなり具合悪くなるのは、おかしいと思われるかも知れないから、今晩辺りから具合が悪いとポリシェン様に言っとけ、と言われる。
村に帰るとみんなスゴいがっかりした顔で迎えられた。まるでお通夜なんじゃない?というくらいの感じ。やめて、いらない子みたいな目でみるのは。毎日、肉があるわけじゃありませんよ。
それはともかく、ポリシェン様の所に行き、具合が良くないことを伝える。どう具合が悪いのか?と聞かれるから、突然おかしくなった時の定番の腹の具合がおかしい、と言うが何か薬がもらえることはなく、村に秘蔵の薬があるというので、それを飲んでいいかと聞いたら、まぁいいんじゃない?くらいのニュアンスで許された。この世界では平民が食中毒で死ぬのは珍しいことでなないようだし、ポリシェン様が胡椒の木を確認したから、オレの役目は終えたと言えば終えたのだし、もしオレが死んでも調査を終えた2人は困らない、ということかな?
小屋に戻って、具合が悪いので煎じ薬を取ってきてくれとアンに頼むと、すっごくイヤな顔をされ、それってアタシの仕事なの?という感じが身体から滲むくらいのオーラを出して、小屋を出ていった。しばらくして戻ってきたけど、アンは鼻をつまんで持って来てくれた、すみません。
目を瞑って鼻を摘まんで薬を飲むけど、これって罰ゲームにぴったりだわ。ゲロゲロゲロ......吐いちゃダメ、ゼッタイ、涙。アンも近寄らない。もちろん、アンは泊まりませんでした。
朝になって、調査団の所に行くと、もう近づいただけで悪臭がしたようで、ポリシェン様があからさまにイヤな顔をして、近寄るなと手であっち行けをされる。ちょっと心が痛みます。それで、今日は同行できないことを告げると、ポリシェン様は当たり前と言った顔で「同行しなくて良い。明日帰るから静養せよ」と告げられた。すみません、明日はもっと臭くなります。
ポリシェン様はジンたちと一緒に調査に出かけた。
オレは元気にしているのもおかしいので(村の人は何も知らないはずだから)、小屋でじっとしている。さすがに何か食べない訳にはいかないので、こっそり食べ夕職の後に煎じ薬をたっぷり飲む、ゲロゲロゲロゲロゲロ、薬のせいで具合が悪くなっている。しかし、勃つモノはいきり勃たっている......トホホ。
翌朝に調査団の所に行くと、もう片付けがだいぶ済んでおり、あとはオレを待つだけみたいな雰囲気になっていた。オレが近寄って行くと、誰もが皆、ひどーーーーくイヤな顔をして、状況は理解したという感じでポリシェン様とブロヒン様が協議して、結果ポリシェン様から
「マモル、ひどく具合が悪いようだな。その臭気で馬車に乗せていくわけにはいかないし、ここに置いていくことにする。私たちが領都に報告に行くから、折り返し何か連絡がこの村に来ることになると思う。だから、その連絡役と一緒に領都に来い」
ここはひどそうな声と態度で
「了解しました。連絡を待っております」
そうこうしているとジンとバゥも側に、いや、オレとは離れて立っていて、お見送りにしていた。ジンとバゥだってオレから離れて立っているくらいだから、よほど臭いんだとは思うけど。
一応、調査の目的は達せられたようだし、オレの重要性というのはだいぶ軽くなったんでしょうね、あっさりと馬車は出発していった。あっさりと出て行かれたけど、オレもその方が気が楽です、すみませんポリシェン様、お世話になりました、と心の中で一礼した。もう、ご家族の方たちとは会えないと思います。カタリナ様、もっとお話したかったです、残念です。
さて、隣の国に向かって出発する準備をしようとするが、考えてみれば何も準備するものはないわね、剣を持ってくだけだし。食料はちょっとだけで、水は自分で出せるし。昨日のうちに今日行くことを伝えてあるというから、すぐに出発することにした。
ジンとバゥに見送られ、街道に出て隣国に向かって走り出す。見渡す限りの草原の中を走る。初めてこの世界に来たときの風景だ。この最強臭気のオレに近寄ってくる獣が果たしているのか?
サラリーマン時代は連続して50mも走れなかったのに、今は箱根駅伝のランナーくらいの早さで(イメージです)走る、とにかく走る。どれだけ走ったか、もう村が見えなくなり、森もかなり小さくなって来ている。そのとき、狼たちがオレと併走してることに気が付いた。臭いことは臭いんだろうけど、オレが走っているから臭いが薄まっているのだろうか?箱根駅伝だと10kmあたり30分だから毎分300m強と言ったところ?意識的にはもっと早いような気もするけど、測ったことないし、イメージで。
オレを見て、狼たちは舌なめずりしながら走っていやがる。どうしよう、このまま次の宿場まで連れて行くわけにはいかないだろう、どこかで始末しないといけないか?ざっと10頭弱か?おっと、むこうの方に黒い塊がこっちの方に走ってきているように見える。まだ、だいぶ距離はあるけど何かな、あれは?走りながら目を凝らすと、見えた!熊だ、熊!腹ぺこ熊さんがやってきたのか?
よし、ここで狼を何頭か始末して、熊に食わせよう。熊と狼の両方を相手にするなんて、無理だわ。
キュ!っと止まると、狼たちは行き過ぎて止まり、うなりながらオレに向かってじりじり近づいてくる。3頭が3角形隊列になって走ってくる。先頭がボスか、ひときわ大きいな。ボスが飛びかかり、オレが右に左に避けたとき両側の狼が襲うという隊形か?よく考えているな、さすが狼はそこらへんの獣とは違う。
オレはスタスタと近づいて行き、狼たちがあと2、3歩で飛び上がろうとするときに一気に4倍速くらいで近づきボスが飛び上がる直前に、ボスの真ん前に行く。ボスはギョっとした顔をするけど、もう遅い。振り上げた剣を真っ直ぐに斬り下げ、ボスを飛び越える。着地して振り返ると、ボスの両側の2頭は、ギョッとした顔のまま凍り付いたようになっているので、そのまま左右を斬り上げ、斬り下げる。これで3頭だ。あ、しまった、オレの最強臭気の口臭を吹きかけてみればよかった。反応みたかったな、もしかしたら気絶したりして?
熊は、熊はどこだ?あ、あと200mくらいか?残りの狼を見ると、さすがにボスが殺られて動揺しているのか、動きが止まっているので、踏み込んでまず1頭斬り、さらに横に飛んでもう1頭斬る。残りはかなりびびっているか?熊は、残り150mか?これで止めようか、斬るのも体力使うし、逃げる、いや走る!!
狼たちからダッシュで離れる。熊の進行方向はなぜか直角に曲がり、オレの方に向かってくる?あぁ、そうか、おれって獣を呼ぶ体内磁石があるんだっけ?あかんな、これは戦わないといけないパターンか?それなら走っていてもしょうがない。
止まって、熊がやってくるのを待つ。熊の目は狂乱の色があるように見える。バーサクってことはないでしょう?あと50m、40m、30mさすがに熊のダッシュは早い。さぁ来い!!
熊は躍動感がたっぷりで山が動くようにしてやって来る。こいつも飛びかかるつもりか?その巨体でオレをプレスしてしまおうというのか?よし、それでいいさ、待つ、待つ、あと5mで飛び上がる、陽が陰ったか?と思うくらい大きい。このまま腹に剣を刺しても、そのまま圧縮されて死んじまうさ。落ちてくる瞬間のバックステップで熊の目と鼻の先に立ち、熊の鼻先目がけ剣を斬り下げる。熊の頭を真っ二つに切る!血をかぶりそうだから、さらにバックステップで下がって避け、熊が立ち上がって来ないのを確認して、走り出す。これで近くにオレを目がけて来るヤツはいないよな?狼くんたち、熊は君たちへの贈り物だ、食べてくれ給え。
とにかく走り続ける。空から来るヤツはいないよな?そういうフラグを自分で立ててはいけない。と思ったら、頭の上でくるくる回っているのがいた。降りて来るような気配はなく、ただオレの様子を見ているような気もする。もう1時間は走ったろ?15kmいってない?隣の宿場まで人の足で半日だよね?だとすると8時間で時間4kmとすると32kmか、あと最悪20km弱か?長い、長いよ、泣けそう。
道はまだずっと続いているけど、とりあえず一休みすることにした。駅伝だって給水ポイントあるでしょ?
『Water』と言って、手から水を出し、口に入れる。これは旨いわ、生き返るような気がする。干し肉を口に入れ、味わう。塩味が口の中に広がり、力が湧いてくる。
遠くに、ずっと遠くに煙が上がっているような気がする。あれは野火か?一応、進行方向だし、人為的なものだろうか?ちょっと元気が出てきた気がする。さあ、再スタートだ!!
テケテケとピッチ走法で走る。煙の根元がゴールだと信じて、走る。気のせいか、煙が大きく、近くなってきた気がする。思い起こせば、この世界に来たときも村の陶器を焼く煙を目指して行ったんだった。
来たぞ、やっぱり近い、近づいている!!まだ人の姿は見えないが、炎は見えたような気がした。
あと少し、少しなんだけど、なんでオマエがそこにいる?




