ポドツキ伯爵からの使者
伝書鳥を出した翌々日、バンデーラ子爵自身が依頼通り直々にブカヒンにやって来た。ポトツキ伯爵から使者が来るということの重要性について、バンデーラ子爵自身も十分に認識している表れである。
バンデーラ子爵がクルコフ子爵に会うと開口一番、
「ポトツキ伯爵からの使者が来たというが、何を言ってきたのだ?」
と聞いてきた。クルコフ子爵は首を振り、
「いや、まだ使者には会っていない。しかし、ろくなことではないだろうと思い、あなたを呼んだのだ。一人で会うのは問題があると思ったからな」
「それは良い思案だな。向こうが何を言ってくるか予想もつかん。いや、大公様を裏切って、味方になれと言うのだろうな。ポドツキ伯爵の使者に会ったと市中に伝わるだけでも、碌でもない噂を広めらそうだ。ギーブの方には、使者が来たことを伝えたのか?」
「いや、それはしていない」
「ギーブには大公様はいらっしゃらないが、ヒューイがいるだろう。一応、伝えておいた方が良くはないか?」
「そう言われればそうだな。今日の使者との話を内容をまとめて送ろう。急ぐ内容でなければ、伝書鳥を使う必要もないだろうしな」
「それがいい。オレたち2人しか知らないというのは上手くない。ヒューイに知らせておけば、あいつが何とかして大公様に連絡するだろう。」
「そうだな」
クルコフ子爵、バンデーラ子爵が横並びに座って、部屋にポトツキ伯爵からの使者が応接室に招き入れられた。
使者は子爵が2人揃っていることに一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに表情を収め、
「クルコフ子爵様、お忙しい中、時間をとっていただきありがとうございます。こちらの方はもしや、バンデーラ子爵様でしょうか?お二人揃ってお会いできるということは僥倖にございます。まことにありがとうございます」
と正使が挨拶した。正使は続けて、
「私はポトツキ伯爵配下のダンディール・リゲティと申します。男爵を授かっております。この者は(と副使を指し)ミハイロ・ケルメンと申しまして、ゴダイ帝国軍大佐です。よろしくお願いいたします
と言う。
いきなりゴダイ帝国軍大佐という言葉が飛び出し、クルコフ子爵、バンデーラ子爵は内心驚愕した。臆面もなくという形容がぴったりの、使者としての目的が何であるのか説明せずとも分かる、直接的な肩書である。よくぞ連れてきて、ヌケヌケと紹介したという気持ちになる。もう帝国との繋がりを、公のものとして言いふらされても構わないということなのか。
現在、ゴダイ帝国と大公国は交戦状態にあるわけでなく、準戦時体制でもないし、表向きは友好的な状態にある。であるから、ゴダイ帝国の者が使者として子爵の元に来たからと言って、何も問題はないし、どうすることもできない。使者の扱いは昔からの慣例で、使者をやり取りする両者の関係がどんなに険悪であっても、使者を害することは許されない。使者を害することは神を冒涜する行為と認識されている。過去に使者が害されるということがまったくなかった、というわけではないが、慣例はほぼ守られている。慣例を破ったからと言って政治道徳上の非難はされるが、神の冒涜の罰があったという話は誰も聞いたことがない
「さて、ポトツキ伯爵様の部下の男爵の方とゴダイ帝国軍の大佐殿がどうしてここにいらっしゃったのでしょうか?」
ひとしきり、当たり障りのない世間話が終わった後、クルコフ子爵は本題を切り出した。リゲティ男爵はその問いが当然あるものと思っており、自分の方から話し出さないといけないと思っていたのが、クルコフ子爵から問われたので意表を突かれた顔をしたものの、
「それは率直に申しますと、ポトツキ伯爵様がクルコフ子爵様とお付き合いしたいと思われまして、私が参りました」
まぁ、表面を取り繕った物言いだな、とクルコフ子爵は思った。そこで聞いてみる。
「そちらの帝国軍の大佐殿が、ご一緒されているのはナゼでしょう?」
「ケルメン大佐も同じでございますよ。帝国もクルコフ子爵様とお付き合いしたいと言うことです」
帝国が私と付き合うと?何をバカなことを言っているのだ。腹の中で笑ってしまった。
「それならケルメン大佐殿は、わざわざポトツキ伯爵様を通されず、直接私のところにいらっしゃれば宜しいのに、どうしてポトツキ伯爵様のご使者とご一緒されたのでしょう?」
「それは、いきなりゴダイ帝国の使者がクルコフ子爵様の元に伺っても、会って頂けないと思われたからですよ。我が主のポドツキ伯爵様は先にイズ大公様と,和平条約調印のためにゴダイ帝国の帝都にご一緒したことはご存じでしょう?そのときに帝国軍の上層部と懇意になりまして、それ以来行き来ができておりました。
それで帝国の方でも、クルコフ子爵様と懇意になりたいと思われる方が多くいらっしゃいまして、ポドツキ伯爵様の方に間を取り持ってくれないかと依頼があったのでございますよ。ポドツキ伯爵様の方でもイズ大公様とは懇意にさせて頂いておりますが、クルコフ子爵様とはお付き合いさせて頂いておらず、この際、帝国の使者の方と一緒にクルコフ子爵様に伺おうという話になりまして、こうやって参ったわけでございます」
リゲティ男爵は流れるように語った。そして、ポドツキ伯爵がイズ大公抜きでクルコフ子爵と付き合いたいと思っていることを伝えた。
「言われることは分かったのだが、私としてはナゼ、この時期にそのような話を持って来られたのか不思議なのだが?今までも、ポドツキ伯爵様の方から私の方に、付き合いたいと申されたことは一度もなかったし、大公様からポドツキ伯爵様のご意向を伺ったこともない。
私の領地も今までと特に変わってもいないのに、どうしてポトツキ伯爵様がそのように思われたのか不思議でならない。それについて、是非お話頂きたいのだが?」
クルコフ子爵の問いに対し、リゲティ男爵は予想していた質問という態度で、
「それはクルコフ子爵様のご領地が、目を見張るような発展ぶりだからでございます。タチバナ男爵様がタチバナ村にいらっしゃって、香辛料の生産が始まりビールという飲み物やコーヒー豆の生産も始まっているではありませんか!次から次へと富を生み出す農作物や商品の開発が始まったではありませんか。ポトツキ伯爵様もゴダイ帝国も直接クルコフ子爵様と取引し、もっとポツン村の産物を送り込んで頂きたいのでございますよ!」
ここで初めてケルメン大佐が口を開く。
「クルコフ子爵様、バンデーラ子爵様がご一緒ということで、お二人と知己にならせて頂けたことは幸いでございます」
というが、クルコフ子爵、バンデーラ子爵から見ると会ったばかりのポトツキ伯爵からの使者2人はとても知己と言える状態には達していない。顔と名前を認識した、という程度なのである。
「ゴダイ帝国と致しまして、ブカヒン領、ヘルソン領とは交易をもっと活発にしたいという思いがあります。先ほど、リゲティ男爵様が申されたとおり、これを機会に直で取引を行いたいと思っております」
としたり顔で言う。それに対してクルコフ子爵が、
「申されていることは理解できました。ポトツキ伯爵様、ゴダイ帝国とお付き合いできることは光栄でございます。一つ疑問があるのですが、帝国の使者の方が文官でなく武官の方が来られた意味は、どういうことなのでしょう?
私の認識では、交流を始めると言っても、最低限決めなくてはいけないことがあるとも多くあるでしょう。それは文官の方が段取りがいいのが現実でありましょうし、私の思い込みかも知れませんが、武官の方よりは文官の方の方が、交渉事に慣れております。それなのに、なぜ武官の方がいらっしゃったのかと思いまして。チェルニからブカヒンの道を観光がてら見ておきたいと思われたのでしょうか?はははは」
ケルメン大佐は苦笑いしながら、
「チェルニからユニエイト経由でブカヒンに至る道は、以前、帝国の医療総監だったグラフがコーヒー豆を買い付けに行くため使っていた道なので、私もかねてから通ってみたいと思っておりました。今回は時間もないので、ブカヒンまでで引き返しますが、帝国とは異なる景色でとても魅力的です」
「それは残念ですね。今度は是非、ハルキフ、ザーイまで行かれれば良いと思いますよ」
「それはもう、次回は必ず」
その後もお互いの腹を探り合って、話は終わった。ポトツキ伯爵からの使者は具体的なことは何も言わず、ただ仲良くしたいということをボヤッと言うだけで、終わってしまった。彼らはユニエイトからブカヒンに至る道を見て、どこが宿営場所に適しているか、どこで戦えば良いのか見て来たのだろう。戦場となる場所は、誰が見ても同じような所になる。
今度、2人と会うのは戦場となるだろうとクルコフ子爵は思っていた。




