朝食のとき
えーーー、非常に緊張して部屋に向かう階段を上がっています。ミンを先に部屋に行かせ、さっきまでヨハネと明日の打合せをしていました。ヨハネはハルキフにあるという福音派の地下組織(というほどの大げさなモノではないそうだけど)に行くそうなので、サラさんのご両親のお宅にはオレとミンが行くことになった。サラさんのおばあさまに面会できるのだろうか?ミンには会ってくれると思うけど、オレは顔見せくらいで何か新しい呪文を伝授して頂けるということはないような気がする。
階段を上りつつ思うのは、アビルお姉さんは元気でやってるかなぁ?ということ。たぶん、今日は商売繁盛でオレが行かなくてもあの店は安泰だと思うけど。
部屋のドアの前に立ち、中の様子を窺う。部屋の中ではミンは寝ているように見える。ベッドに横たわって、動かない。本当に寝ているのかどうかまでは分からない。
ドアを音がしないように、そーっと開ける。
そーーーーっと、開け頭だけ中に入れ、何か異常がないか見る。いや、視る。うん、何もない。夕食に行く前と変わらないぞ。ミンが夕食に着ていた服はハンガーに掛けて吊してある。
大丈夫だ、たぶん。オレは考えすぎているのかも知れない。血のつながりがないとは言え、一応親子なのである。妻の連れ子に手を出す父親というのはどうなんだ?ということだし、ミンだって常識っていうものを持っているだろう。
オレの理想というか妄想では、ミンが誰かと結婚するとき、バージンロードをミンと歩きながら「本当はお父さんのことが好きだったの」と言われるシチュエーションを思い描いている。
抜き足差し足でベッドに向かい、音がしないように服を脱ぐが、衣擦れの音は防ぎようがない。毛布をめくってベッドに入ろうとしたら、膝を曲げた拍子にポキっと音がなった。あわててミンの方を見るが、動きはない。ホッとしてベッドに潜り込んだ。久しぶりのベッドの感触に安心してすぐにぐっすり眠り込んだ。
しかし、突然毛布がめくられる感触で目が覚めた。覚めたけど動きはせず、毛布をめくった者の動きを待つ。オレは横向きで寝ているので、背中に神経を集中する。背中の方の毛布がめくられ、人が入って来た。人、というのはもちろんミンである。オレが起きているのが分かったのか、分からなくても良いのか分からないが、オレの背中に寄り添うような姿勢で動かなくなった。これはもう、オレが獣になってもいいというシグナルなんだろうな。でも、手なんてだすもんか!良いわけないだろう?妻が1人増えたばかりなんだぞ!アノンさんは夜の相手引退宣言してたけど、ノンの娘と関係持ちたいなんて思っていないんだって。
オレの背中にビタッとくっついたミンは、それ以上、何もすることなく朝まで過ごした。これが、それなりの経験お持ちの女性の方なら、それはアノンというお名前の方なら、オレの前の方に手を回してあれやこれやと手練手管を発揮されたに違いない。ここは経験不足のミンに感謝である。
朝食を食べていると、夕べ外出した連中はちゃんと帰ってきたようで、宿の中は静かで落ち着いている。
ただ、大公様の近習の方でオレとも顔見知りの方が、
「おはよう、タチバナ男爵。実はね、夕べ呑みに行った店で君を知っていた娘がいたんだよ。君がどうしているか聞いてきたので、教えておいたよ。良かったら君に今晩、呑みに来てくれと伝言してくれ、と言ってたぞ。いいか、伝えたぞ」
と言ってきた。この伝言は非常に悪い流れを引き寄せている。横に座るミンの顔を横目でみると、笑顔が強ばっている。BGMでガガガガーという音が聞こえている気がする。
「その娘というのは誰だ?名前はなんと言うんだ?」
重い当たる節は十分にあるのだが、ミンからの圧力に耐え、勇気?を振り絞ってあえて聞く。案の定、
「アビルと言えば分かると言っていたぞ。君の部下にオレグというのがいるのか?そいつも一緒なら連れてきてくれ、と言っていたな。いやぁ、羨ましいよ、あんな可愛い子と知り合いで」
という世にも怖ろしいセリフをサラッと言う。もう怖くてミンの顔が見れない。向かいのヨハネの顔だって引きつっている。笑おうとしているが、口元がピクピクしている。そうなのだよ、ユィ、モァ、スーフィリアたちはうるさいが怖くないんだ。まだ、妥協の余地というものを残しておいてくれる。しかし、ミンはそれがない。普段は静かにしていることが多くなったけど、実はいざとなったら容赦ないのである。笑いながら人を殺す、ということはないが、とことん追及されるのである。
「ねぇ、マモル様。アビルさんって誰?」
とやっぱり聞いてきたミン。
「ごちそうさまです。では出かけてきます」
ヨハネが席を立つと、ミンは笑顔で、
「いってらっしゃい。気をつけてね」
と言っているが、顔をオレに向けるとまた、人を射殺しそうな視線を浴びせてくる。
「ねぇ、誰よ?アビルって誰?」
「だから、あの人も言ってたように飲み屋の娘さんだって。オレグは元々ハルキフに住んでいただろう?その時の馴染みの店に勤めている娘さんなんだって。オレグとは別にオレはバゥやミコラとその店に行ったことあって、知ってもらっているんだよ。それ以上でもそれ以下でもないから」
ミンはジトッとした目でオレを睨みながら、
「ホントにそうなの?ねぇ、ほんとう?」
「うん、ほんとうにそう。何もないから」
「じゃあさ、その店に連れて行ってよ。アタシは何もせず、大人しくしているからさ」
「ダメ!飲み屋にミンみたいな未成年の娘を連れて行けるわけがないだろう。誘われたけど、今晩だって行かないんだから。ミンがいるから今晩もどこにも行かないからな!」
と言い切ってみせる。とにかくきっぱり否定することが肝心なんだ。少しでも曖昧なことを言ってはいけない。そうすると、
「そうなの?」
とミンの気持ちが揺らぐ。そもそも、飲み屋の女だからって、それだけの関係でそれを追及されて後ろめたいことなんて、本来ないはずなのだ。それにミンは妻でなく子どもなのだから、オレが何をしていようと後ろめたい気持ちを持つ必要はないのだ。疑いたいなら疑え!というくらいの態度を取っても良いはずなのである。
「だから、何もないんだって。第一、ハルキフにはサラさんとリーナさんのご両親がいるんだぞ。もし変なことをしていて、お父さんお母さんの耳に入ったらどうするんだよ。だから余計なことを言っちゃダメだからな」
この話はこれで終わりにした。ミンは不承不承という感じだが、納得したように黙った。さっきの知り合いに、夕べ行ったのはどういう店ですか?なんて聞けるはずもないし、もし聞いたとしてもそこはオレに忖度してくれて、健全なお店であると言ってくれるはずである。いや、健全なお店なんですよ、ミワさんのいた店だって、アビルさんの店だって。ぼったくりじゃないし、明朗会計だし。
さて、手土産買ってご両親の家に行こうじゃないか!




