帝国皇太子5
宰相が皇太子に面会に来ていた。皇太子が変貌したとの噂が宰相の耳に入り、確認しにきたのだ。
面会後、宰相が侍従長にもらした言葉が、
「信じられん。とても同一人物とは思えん。あんな子ウサギのようにオドオドして、人の顔色ばかり窺い、ろくに物も言えなかった男が、一体どうすればああなったのだ?何か変わるきっかけがあったのか?」
侍従長は宰相から聞かれても一つしか思い当たることがない。
「メイド長と関係を持ったからとしか」
「エレーナと関係持ったから変わったとか?信じられん。もしや、エレーナの方に皇太子様を変える何かがあったのか?女の方に特別な力があり、関係した男を変えることがあると聞いたことがあるが、もしやエレーナはその類いか?」
「エレーナから聞く限りは、特にないと申しております」
「エレーナが分からなくとも、相手の男にしか分からないということもあるな。しかし、1度皇太子様が抱いた女を誰かに抱かせるわけにもいかんな。それは確認のしようがないか。それでエレーナを皇太子様が抱いたとき、皇太子様に何か変わったことはなかったのか?他の男と特別違うことがなかったのか?」
「なにぶん、エレーナも初めてのことだったので、他と比較のしようがないと申しておりました。ただ、ウラジミール様は関係を持とうとするときから自信に満ちあふれた態度を取っていたそうです」
「ふむ。前にメイドを犯そうとして失敗し、泣いた皇太子様がか?」
「はい、エレーナはそう申しております」
「そうか、確かに今も自信に満ちあふれた顔つきでいらっしゃるな。ワシとしては、今の皇太子様の方が都合が良い。泣いて暴れるような皇太子様では、この先不安だらけだ。ただし、あまり出しゃばり過ぎて、ワシの邪魔をしてくれると困るがな」
「今のところは大丈夫かと思います。エレーナと関係を持った後、毎晩メイドを取り替えて関係を持っていらっしゃいましたが、今はお気に入りのメイドと毎晩関係を持っていらっしゃいます」
「ということは、そのメイドとの間に子どもができることも考えておかないといけないな」
「左様でございます。すでにそのメイドはメイド職から外し、部屋を持たせております」
「他の関係を持ったメイドはどうしているのだ?」
「エレーナは、年が年でありますゆえ、子どもができる可能性も低く、本人の希望もありまして、そのままメイド長を続けております。他のメイドたちは実家に戻して様子を見させております。もし身ごもっているならば、私のところに連絡が来るようになっております」
「それで良い。早く男子が生まれれば良いがな」
「その通りでございます。そうは言っても、ウラジミール様は稀に元のお姿に戻ることがございまして……」
「そうなのか?」
「はい、今のように明るく溌剌としたお姿になられてから数日後、急に元に戻られ、部屋に籠もりきりになられまして、女も一切近づけませんでした。しかし、翌日には今のお姿に戻っておられます」
「何があるのであろうか?」
「分かりません。私もエレーナもウラジミール様が幼少の時より見てまいりましたが、このようなことはなかったと思います。記憶にございません」
「そうか、では今は皇太子様を見守るしかあるまい」
「分かりました」
「皇太子様が何かしようとするなら、すぐワシに知らせてくれ。止めることはせんが、何があったかは知りたい」
「分かりました」
結局、宰相は皇太子に会って、変化したことを確認して帰っていった。
ある日皇太子は侍従長に、
「参謀本部のシュタインメッツを呼べ」
と命じた。以前は、ほとんど面識のないシュタインメッツに会おうとするなんてことは想像もできなかった。それに政務に対して興味がなかったのだが、シュタインメッツを呼ぶということは、隣国に対する興味が芽生えたということである。侍従長は良い傾向であると考えている。色々なことに興味を持ち、知識を蓄え、やがて皇帝になったとき、政策を決定していく。今はやがて才能が開花するときに備えて、種を蒔いているときなのだ。
シュタインメッツが部下を連れ、帝国の対外戦略について皇太子にレクチュアし、皇太子は熱心に聞いていた。侍従長にはそのように見えた。
しかし、シュタインメッツが帰った後、皇太子は、
「シュタインメッツはダメだ。なんだ、あの態度は、偉そうに?皇太子に対して敬意というものはないのか?いくら自分が『降り人』だからと言って、思い上がっているのでないか?我々に対して見下しているのでないか?それに引き換え、副官のデビンはできた男だな。余に対する敬意が感じ取れたな。皇太子に対する態度というものは、あのようにあるべきだろう?
参謀本部はすでにできあがった組織であるから、シュタインメッツは必要ないだろう?あんなヤツは早く、クビにしてしまえ!デビンの方がよほど仕事ができるかもしれんぞ?そうだ、宰相に参謀本部長をデビンに代えるよう命令するぞ」
シュタインメッツに対する毒を吐いているうちに、気分が高揚してきて、止まらなくなってくる。シュタインメッツ本部長が嫌いだからと言って、皇太子にシュタインメッツを罷免する権限はない。
侍従長が、
「皇太子様、お止めください。参謀本部は皇帝陛下直属の組織でございますし、シュタインメッツ様がいらっしゃるからこそ動いている組織でございます。皇太子様がシュタインメッツ様の罷免をすることはできません。それにデビンはまだ若く、経験が不足していると思います。どうぞ、そのようなことはお止めくださいませ」
と必死に止めるが、1度高揚した皇太子の気分は治まらない。
「何を言っているのだ!?余は皇帝陛下の代行として職務を全うしているのだ。余が見て、職務の務まらない者を飛ばして、代わりに才能ある者を就かせるのは当然でないか?シュタインメッツなぞ、高い給料を帝国から支給されているのに、偉そうな物言いをし、部下のやったことを自分がやったように言い、成果を独り占めしているだけでないか?そんなヤツは帝国に必要ない。宰相に伝えておけ、いいか侍従長、必ずだぞ!!」
と命じた。侍従長は皇太子の発言を宰相に伝えるのだが、宰相は、
「余計なことを……」
と言っただけで、何もしようとしなかった。
しかしそれから、参謀本部副本部長デビンは皇太子に気に入られたせいで、たびたび呼ばれるようになる。シュタインメッツとしては皇太子に呼ばれ無駄な時間を過ごすより、デビンが皇太子の相手をしてくれるなら、ありがたいと思っている。それに一国の戦略が、皇太子の思いつきでそうやすやすと変わるはずもなく、皇太子の話相手くらいの役割なのだが、ある日皇太子から、
「余は皇宮の中ばかりにいて、外に出ることがかなわず、外のことを知らない。私の手足となって、外の情報を私に伝えてくれる者が欲しい。誰か適任の者を推挙してくれ」
と頼まれる。デビンにしてみれば、これは皇太子により一層近づける好機である。参謀本部長の席は目の前に見えているが、そこでガマンするつもりはない。より上の席、軍機大臣、財務大臣、最後は宰相まで到達してみたいものと思っている。そのためには皇太子に引き上げてもらうしかない。皇太子の力となり、よりよい関係を築き上げライバルを蹴落としていけば良いのだ。そのためには様々な情報を集め、その情報を取捨選択し皇太子に伝える。デビンにとっても皇太子にとっても、参謀本部とは別に自分たちが自由に使える情報招集組織を持つことが必要なのだ。
「分かりました。しばらく時間を頂きます。きっとご満足いただける組織を作ります」
と回答する。こういう権力者個人に付属する諜報機関は、設立当初はまともに活動していても、すぐに権力者の意を汲み、権力者の意に添う形での報告を行うようになるのが歴史で証明されている。都合の悪い真実は消され、権力者の意に添う事実は針小棒大に加工され権力者に届けられる。




