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リューブ卿は思い悩む

「おかしい、どうして何も報告がないのだ」

 オーガの町の統治者リューブ卿は呟いた。

 タチバナ村に派遣した隊が帰って来ないのだ。せいぜい50人ほどの村に100人も送ったのだ。おまけに村の香辛料やら作物を持ってこさせるために馬車まで送っているのに、2日経っても3日経っても一向に誰も帰ってきていない。まさか、凶賊に襲われて皆殺しにされたわけでもあるまい。いくらなんでも、100人を越える兵隊たちを皆殺しにできる賊がいるわけがない、少なくともルーシ王国では。


 リューブ卿自身は目が回るほど忙しい。元からあった統治組織を使っているが、トップだけが変わることで済むわけでないから、要所要所には部下を配置しないといけない。それも優秀な買収されたりしないような人材を。


 辺境伯領に比べヤロスラフ王国は、南に位置しているため温暖であり過ごしやすい。さらにザーイに近いせいか、町の雰囲気も華やかで、辺境伯領の領都カニフと比べて、ギーブやオーガでさえ垢抜けた感じを受ける。

 平民の身に付けているもの、店先にある商品でも、カニフと比べ種類も品数も多い。辺境伯領の兵士はアレクサ公爵領内に入り、辺境伯領との違いに驚いていた。隣あう国なのに、こんなに違っているのか、と。


 リューブ卿はとにかく忙しい。

 こちらに来て、もう2ヶ月が経過している。もうそろそろ、シュミハリ辺境伯をルーシ王国に帰国させ、ルーシ王に報告させなければならないのだ。オーガは自分が治めていれば良いであろう。しかし、ギーブはどうする、誰が治めれば良いのだ?領主の息子のうちの誰か?4人の息子がいるが、どれもボンクラ揃いだ。昔ながらの辺境伯領内の町であれば特に問題なく治めるであろう。しかし、ここはヤロスラフ王国で、カニフ以上に大きい商業都市ギーブなのだ。ここを治めることは並大抵のことではあるまい。

 自分が、と思わないわけではないが、一度失敗している自分をギーブに充ててもらるとは思えない。たぶん、息子の中の誰かに、側近の中から信頼できる者を付けさせ治めさせるだろう。あと、アレクサ公爵領の重臣から使えそうな者を徴用するだろう。そいつが有能なら、上手く手綱を取られて、たらし込まれてしまうかも知れない。


 心配してはキリがない。明日は、ハルキフを占領しているゴダイ帝国軍との交渉がある。こちらとしては現状の占領地のまま、国境線を引きたいのだが、今回のアレクサ公爵領への侵攻はゴダイ帝国からの提案があって、その手引きによって実現したものだ。そういう意味ではゴダイ帝国に対し多大な貸しができている。何を言ってくるのか、よくよく注意しておかないといけない。



 ゴダイ帝国との会議が始まった。

 ギーブのアレクサ公爵のいた館の一室に関係者が集まった。ちなみにアレクサ公爵一家は館の一角に幽閉されている。

 ルーシ王国軍、と言っても実態はシュミハリ辺境伯軍であるからシュミハリ辺境伯、リューブ卿が代表として出席しており、ゴダイ帝国軍からは40才に届かないような若い軍人ばかりだ。ゴダイ帝国軍の制服を全員が着用しており、肩に付いている肩章で階級を区別するようだ。

 全員が着席したことを確認して、ゴダイ帝国の代表が口を切った。

「初めまして、シュミハリ辺境伯様、リューブ卿様。私はゴダイ帝国参謀本部付けハルキフ占領軍司令官エミール・リシリッツァです。本日はよろしくお願い致します」

 それを受けて、鷹揚にシュミハリ辺境伯が挨拶を返す。

「あぁ、私がデニス・シュミハリ、辺境伯領の領主だ。よろしく頼む」

「私は辺境伯領子爵のパナース・リューブだ。よろしく」

 辺境伯は相手が若いと思って、少し舐めてかかっているのが口調に出ている。


「はい、よろしくお願いいたします。あまり時間をかけてもいられませんので、さっそくですが、ご承認頂きたいことをこちらでまとめて参りました。なに、些細なことですゆえ、この場で決めて頂ければよろしいかと思います。

 今回の占領に当たり、帝国より辺境伯様にご承認頂きたいことは2点だけです。

まず1点は現在の占領地をそのまま国境とさせて頂きたいということです。私どもが、辺境伯様にご連絡して、ヤロスラフ王国侵攻の手はずを整えておりました。思惑通り、アレクサ辺境伯領の中心地である領都ギーブとオーガを辺境伯様が、ゴダイ帝国がハルキフを占領しております。いささか、帝国の費やした費用に対して占領地が狭くはありますが、辺境伯様とは今後も末永く友好的なお付き合いをしたいと考えておりますので、現状の占領地のまま国境として頂きたいということで本国も了承しております。

 もう1点は、ハルキフからタチバナ村の港までを通る通商に関するすべてのゴダイ帝国の運送物に対して無税としていただき、タチバナ村の港の自由使用権を認めて頂きたいということです。

 この2点だけ認めて頂ければ、帝国からは何もお願いすることはございません」

 帝国からの余りに少ない要求に対し、辺境伯は驚いた。領地か金銭面でもっと要求されるかと思っていたのだ。しかし、少ないということは歓迎すべきことであるゆえ、そこで異論を唱えたり、疑問を呈して余計な要求を出されたくないので、そこには触れないことにする。

 それにしても通行権というのは、それについても欲が少ないことだ。あと、タチバナ村?なんだ、それは。辺境伯は思わず、聞いてしまった。


「ふむ、それはどういうことだ。国境線については問題ないが、タチバナ村の港というのはどこのことだ?アレクサ公爵領は内陸に位置するゆえ、港などというものはないであろう?」

 シュミハリ辺境伯は、占領地のことは何も知らず、ただヤロスラフ王国と国境線をどうするか、という交渉で頭がいっぱいなのだ。ルーシ王国国王に対して、いかに自分の成果を見せるかということに頭が行っており、タチバナ村などという小村は最初から頭に入っていない。どれだけ多くの土地を得ることができるか、それがすべてだ。

「シュミハリ辺境伯様はタチバナ村などという小さな村について、ご存じないのも無理ないと思います。

 オーガの町から半日ほど西に行った小さな村があったのです。その村の近くに荷下ろしできる港というのも大げさな、桟橋があるだけの港がございます。ハルキフから、その港まで僅かですがゴダイ帝国の生産物を運びたいと思っております。よろしければ、ご承認いただきたいと思います」

 まずい!リューブ卿は思った。ゴダイ帝国は何を思って、あの港を使おうとしているのだ。どうしてタチバナ村を知っているのだ?「小さな村があった」だと。今はないのか?帝国は何を知っている?何を狙っている?単純に言葉の上だけの話ではあるまい。辺境伯は気にしていないが、これは簡単に承認していいものではないような気がする。詳細を調べて、返事しないと何か隠されているのでないか?


 しかし、リューブ卿の心配をよそに、

「それくらいのことなら、なんら問題なかろう。今回の侵攻については、ゴダイ帝国からの助言により成功したものだ」

 と辺境伯が答えてしまった。辺境伯が外交の場で一度言葉にしてしまった以上、変えることはできない。第一、辺境伯自身がそれを許さない。

 辺境伯の言葉を受けて、リシリッツァ占領軍司令官が

「それならば、その港の周辺の半径1,000歩の地を帝国に頂くわけにはいかないでしょうか?」

「なに、構わんよ。もっと大きくても良いだろう。そうだな、2,000歩ということにしようか」

 いかん!!そんな簡単に受けてはいかん。悪い予感しかしない。しかし、辺境伯は言質を与えてしまった、マズいぞ、大いにマズい。

「おぉ、これは寛大な措置を頂き、ありがとうございます。

それでは辺境伯様、細かな点は事務官僚達に任せることに致しましょう。要点は国境を現在の占領地の境を国境とすること、あとハルキフからタチバナ村までの輸送に関し、自由にさせて頂き、税を掛けないこと。港の近くに半径2,000歩の地をゴダイ帝国に頂くこと。

 よろしいでしょうか?」

「あぁ、了解した。あとは下の者に任せよう」

 リューブ卿が口を挟む機会を与えられずに、一番大事な所を決められてしまった。しかし、リューブ卿が何かを言おうとしても、辺境伯が言わせなかった可能性は大きい。香辛料の一件で宰相を更迭されてから、辺境伯の信用を失って久しいから。

 リューブ卿の心配をよそに、リシリッツァ占領軍司令官が続ける。

「それと申し訳ありませんが、この地域の状態はヤロスラフ王国とまだ協定ができておりません。そのため、名目上はアレクサ公爵が治める領土となっておりますので、シュミハリ辺境伯様とアレクサ公爵様の署名を記された書面で頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 シュミハリ辺境伯は、不思議に思ったが、

「良いが、そこまでしないといけないのか?」

「はい、私はゴダイ帝国の一士官でございますゆえ、上司に対して説明できるような書類を出さねばならないのです。お手数ですが、よろしくお願いいたします」

「わかった。今回は、帝国に大いに助けてもらったゆえ、貴官の言うことを飲むことにする。これで良いかな?」

「結構でございます。辺境伯様の寛大な処置によって、私も本国に対して顔向けができるというものです。感謝いたします」


 リューブ卿は苦り切っていた。何一つ口を挟む余地もなく、スラスラと決まってしまった。ゴダイ帝国の狙いが掴めていない。あの港に少しばかりの土地をもらった所で何ができると言うのだ。

 話は通っているが、アレクサ公爵とシュミハリ辺境伯領の署名だと?何かある、何か狙いがあるのだ、私に見えない狙いが何かあるのだ。

 



読んでいただきありがとうございました。

次は6月10日です。

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