その後のジンの話
前に「ジンの視点」を載せましたが、その後の話です。暗い話ですみません。
マモルたちが村を離れ、それと入れ替わりにポリシェン様たちが香辛料の木の調査に来て、瀕死のケガをして領都に帰っていった。
その後、不思議なくらい、この村に誰も来ることがなく、訪問団も通商隊も何も通らなくなった。もしかしたら、ここ以外にヤロスラフ王国に行く道ができたのかも知れない。訪問団や通商隊が通ると、生活に必要な物を届けてくれていたが、それが途絶えたため、ただでさえ貧しい村の食糧事情がさらにひどいものになってしまった。そうなると、ちょっとした病気で死んでしまう。
そして、まずいことに流行病が流行り始めた。かかった者は突然下痢が止まらなくなり、体温が下がり、身体がかさかさになる者もいる。かかったと思ったら、あっという間に死んでしまう。オレたちにはどうすることもできない。離れて死ぬのを見ているしかない。
もうオレには何もすることもなく、ふと思いたって婆さまの様子を見に行った。婆さまはいつから生きているのか知らないが、この世の寿命というヤツははるかに越えているんだろうな。そんな婆さまは、しぶとく生きていた。いつもと変わらないような姿をしていた。流行病にかかったようでもなく、小屋の中にいた。
オレがこの先、生きていてもいいことがあるなんて、考えられないし、このまま死んで行くのがいいかも知れないと言ったら、婆さまは意外なことを言った。
「ジン、この村を離れて他に行け」
「婆さま、それはどういうことだ?」
「言った通りだ。他に行け。ここにいても死ぬだけだ。伝染病で死ぬのか、飢えて死ぬのか、どちらかしかない。他で生きていけるのは、ジンだけだろう。ジンまで一緒に死ぬことはないだろう。
元々は、マモルが村を出て行くときに、オマエも一緒に行くはずだった。それが、村に残る者がいたから、仕方なくジンも残った。けれどもう、この村も終いだ。出て行け」
「オレはこの村の長なのだが......」
「何を言う。ジンがこの村に来たのは最近でないか。村に生まれ、育った者でもないのに長とは言えないであろう。もう止めよ、出て行くがいい。ワシももう長くない。この村の始末をするときが来たのかもしれぬ」
「始末をするとは?」
「人を楽に死なせる呪文があるのだよ。伝染病にかかった者を苦しめるのは止め、死なせてやるのだよ」
「そうか......」
楽に死なせてやれるなら、その方がいいだろう。でも今の婆さまができるのか?
「婆さま、呪文というのは魔力がいるのだろう?婆さまにできるのか?」
「ああ、これがある」
婆さまは、後ろにあった箱の中から透明な紫がかった色の玉を出した。婆さまがこんなものを持っているなんて、初めて見た。
「この玉はな、魔力を貯めておけるんじゃ。ワシはこの玉にずっと魔力を貯めてきたんじゃ。これがあれば、だいぶ楽に呪文を掛けることができるじゃろうて。さて、行こうか」
婆さまは、よっこらしょ、と言って立ち上がった。玉はオレが持たされた。オレが玉を持っても何も感じない。魔力が入っていると言うが、どうやって入れたんだ?それに、よく見ると玉というには少しいびつな形をしている。
婆さまに従って、流行病の者の小屋に行く。
小屋の中は糞尿の臭いが充満してものすごいものになっている。床には、もう死にそうな男と看病していたが、うつってしまった女が寝ている。横に子どもが横たわっているが、すでに息はない。
婆さまは、片手を玉に触れ、反対の手を死にそうな男の身体に触れ、小声で何か呟いた。
途端に男が息絶えるのが分かった。横に寝ている女がそれを見て、目を見張ったが、自分もお願いします、というような顔をする。そして婆さまは女の身体に触れ、小声で呟くと、女は死んだ。
これを5軒やったところで、婆さまが疲れたようで、小屋に戻ることにした。オレは、婆さまの「村の始末」が終わって、生きていたなら、この村を出て行こう。生きていたら、だけどな。
死んだ者たちはそのままにしておくのは、あまりにも可哀想だ。せめて埋めてやろう。前に、伝染病が流行ったら火葬するのがいいとマモルが言っていたと思うが、火葬するだけの木がもうない。小屋の中に穴を掘り埋めてやるくらいしかできない。
(作者注:昔、私の村では、村の外れの火葬場で死者を火葬していました。50年ほど前のことです。燃やすときは生木ではダメで十分に乾燥した木を使わないと、煙が出るばかりで温度が上がらず、燃えません。そのため、森から木を持って来たとしても、半年以上乾燥したものを使う必要があります。この村ではそういう薪を作る循環がなくなった状態になっています)
婆さまが始末した5軒の他に、村人の小屋を覗いてみたが、すでに元気な者はおらず、ほとんど死んだか死にそうになっている者ばかりだった。
オレだけが罹っていないのが不思議でならない。罹っていないけど、腹が減ってろくに力もでないけどな。
アンの小屋に行ったら、空だった。
もしかして、と思いマモルの小屋に行くと、アンが死んでいた。汚物まみれでなく、何か他の病気で死んだようだった。マモルが残して行った服を抱きしめていた。この世界に降りてきたときに着ていた服だ。
アンもマモルと一緒にヤロスラフ王国に行けば、もっと違った生活があったろうに。
可哀想に、オマエは無口だから分かりにくいけど、本当はマモルと一緒に行きたかったんじゃないのか?オレがオマエの背中を押してやれば、一緒に行ったのじゃないのか?オマエはこの村しか知らないが、オマエなら新しい所でやっていけたのじゃないのか?この村にいたって、楽しいこと、うれしいことなんて一つもないんだぞ。オマエは、マモルと一緒に住んで、初めて笑ったんだろう。オレやバゥだって領都でいろいろあって、この村に来て生活を始めたんだ。オマエなら、マモルに付いて行けば、どこでだってやっていけただろうに。
もしかしたら、ノンがマモルから魔力を見つけてもらい、呪文が使えるようになったのを見て、何もできない自分がみすぼらしく思えたのか?ノンが付いて行くから、オマエは尻込みしたのだろうか?
あのときは突然だったから、オレもオマエの気持ちを考える余裕はなかったから、済まなかったな。アンの気持ちはアンにしか分からない。あのとき、村を出て行った者たちが全員死んでたかもしれないし、何が正しいのか誰にも分からない。この村で生まれ育ったアンが、外の世界を知らないアンが、この村の他で生活することなんて考えられなかったんだろう。
アンの死に顔を見ていると、色々なことが頭の中を駆け巡るが、穴を掘り埋めた。
婆さまの「村の始末」は続いたが、オレと婆さまはナゼか流行病に罹ることもなかった。ただ、玉が紫色から緑、黄色、赤となり色が変わるにつれ、婆さまは苦しそうになり、最後の小屋が済んだとき、歩くこともできず、やっと息をしているくらいになってしまった。
婆さまを抱き上げ、小屋に戻った。婆さまは虫の息、といった感じだ。
「婆さま、大丈夫か?」
「ワシは、もう、ダメじゃ。病にかかっては、おらんが、魔力を使って、命を、削ったの、じゃよ」
「そうなのか。マモルが言ってた、魔力が尽きる、というヤツか」
「そうだ。マモルは、若いから、寝れば元に、戻るが、ワシは年、じゃから、もう、戻らん。魔力と、命は、同じ、なんじゃな......」
「そうか」
「それで、だ。ジンよ。オマエは、出て行け」
「ああ、そうする」
「隣の町の、ミコライ、に行く、がいい」
「分かった」
「そこの、箱を、開けて、みよ」
婆さまが目で合図した箱を開けてみると、中から服やら靴やらが出てきた。
「これは、なんだ?」
「オマエ、とバゥ、がこの村に、来たとき、着ていた、服じゃ。取って、おいた、んじゃ」
「こんなものを取っておいたのか?」
「あぁ、なんでか、知らんが、取って、おいた、な」
「そうか......」
「それを、着て、行け。下に、少し、金が、ある」
服の下に金があった。銀貨1枚と大銅貨、銅貨がいくばくか、袋に入っていた。
「それを、持って、行け」
「婆さま、済まない」
「行け、早く、行け......」
それっきり、婆さまは目を閉じたので、オレは服と靴を金の入った袋を持って自分の小屋に戻った。もらった服は洗ってあったようで、虫に食われておらず、確かにこの村に来たときのものだった。服は2着あったが、靴は1足分しかなかった。2着というのはバゥの分だろうけど、靴はなくなったんだな。ありがたくもらっておく。
夜が明け、服を着る前に、川で身体中を入念に洗った。マモルが身体を洗うとき、石けんというものを使うと言ってたな。作れるものなら作りたいと言ってたが、作ってもらえば良かったな。
昔の服を着て婆さまの小屋に行くと、婆さまはもう息をしていなかった。寝ているのかと思うくらい、安らかな死に顔だった。あの魔力の玉は透明な玉になっていた。オレには役に立たないし、重いだけなので、婆さまの横に置いて行こう。
今のオレにミコライまで行くことができるか分からないが、とにかく行こう。もしかすると、いつかマモルに会うことがあるかも知れない。
読んでいただき、ありがとうございます。
婆さまの持っていた玉は、皆さまの予想通り、マモルに渡ります。マモルに玉を渡したヤツらは、貴族から盗んだと言っていましたが、それはこの村にあった、と言うと、気味悪がって嫌がられて怒られる、と考えたからです。




