ブカヒン到着
「あの男の名乗りは偽物ですね」
とネストルが言う。
「え、どうして分かるの?」
「私の記憶が正しければ、あのような名前の貴族はおりません。このヤロスラフ王国においては」
「覚えているの?」
「はい。マモル様はご存じないかも知れませんが、ヤロスラフ王国において、すべての貴族の名前を記した書面が2年に1度配られてくるのです。タチバナ村に来てから見たことはありませんが、以前ハルキフで務めていた頃は見ておりましたので、そのときの記憶によれば、あのような名前はありませんでした」
「そうなんだ」
「はい。文官として、貴族の名前を覚えることは必要ですから」
「必要なんだ」
「はい、偽物が現れたり、あの者のように偽名を名乗る者がおりますので、注意しないといけないのです」
「そうですか」
すごいですね、ネストルさん。何人いるか知らないけれど貴族の名前を全部覚えているなんてね。
「しかし、マモル様。そうは言っても、あの者は、いずれかの貴族だと思われます。振る舞いが貴族のそれですから」
「そうなんだ。見て分かるんだね」
「そうです。例えば部下や平民に対する口のききかた、平民を虫ケラのように思うところとかです」
「あ、なるほど」
「その点、マモル様は貴族らしからぬ所がたくさんあります」
「それはその、元が平民だし、他の世界から来ているからね」
「はい、これは慣れるしかないでしょう」
「それで、報告書は済んだの?」
「はい、済みました」
「オレたちに何か問題はないんだね?」
「私が作成しましたので、問題のあるはずがありません。それに、あんなにたくさんの証人がおりましたから」
「それもそうだ」
「村の娘や旅のご夫人方は、最初あの男が勝つように望んでおられました。しかし、あの男の矢を払うマモル様を見て、そして最後に勝たれたので、マモル様に好意を持っておられました。明日の馬車が大変そうです」
「そうかなぁ、まぁ、もう寝よう」
イケメンの若い貴族を倒してしまった、風采の上がらない貴族の男をどう思うのかなぁ......。
翌日は、昼過ぎにブカヒンに着いたのだけど、同乗のご夫人と娘さんがやたら話かけてくるので閉口した。あまり、つっけんどんにしているのも空気を悪くするし、一緒に乗ってる男2人も黙っているけど聞き耳たてていたので、黙っているわけにもいかないし、適当に話を合わせていたのだけど、途中でご夫人方がブカヒンのリファール商会の会頭の妻と娘と分かった途端、ネストルが前にでて話し出した。
リファール商会って、ネストルも知っているくらい有名なんだ、とポツリと呟いたら「何をおっしゃるのですか、マモル様!!」と叱られた。ブカヒンで一番大きい商会なんですと。ま、オレは何も知らないのが売りだから。
そんな大きい商会のご夫人方が、こんな野暮ったい馬車に乗っておられるのか疑問ですけど。
ネストルは何としても、リファール商会と縁を持ちたいと思ったのか、いつものハルキフの戦いの英雄という話をし始める。もう、恥ずかしいから止めて欲しいんだけど。でも、この話がウケるんだわ。ネストルはある意味、ハルキフの戦いの当事者だし、オレと違った語り口で、とうとうと話すと、同乗している4人が身を乗り出して聞くし。まぁ、暇なんだし、戦争の話って興味あるよね。リファール商会のご夫人と娘さんの目がハートになってきた気がするんですけど。なに、ウチに泊まってくださいなんて、ネストル勝手に決めるんじゃないよ!
という心の叫びは届かず、日本人の特性である、心でどんなことを思っていても、顔はニコニコとしてイヤとはっきり言わず、諾否をはっきりしない態度が災いして、ご夫人に引きずられて一晩お世話になることになってしまった。後でネストルに聞いたら「イヤならイヤと、はっきり行って頂ければ断りましたのに」と言われました。
そうですよね、曖昧な態度、笑顔は美徳ではありませんよね。
「ようこそいらっしゃいました。タチバナ村のマモル様、遠い所を、ブカヒンまで」
と思ったより歓迎されて驚いた。なんと商会の会頭、つまり社長さんが出て来られたのである。
「いえいえ、こちらこそ急に伺いまして申し訳ありません。奥さまに誘っていただき、ついご厚意に甘えてしまいまして」
「マモル様は貴族であられるのに、腰が低くていらっしゃる、ははは。お噂通りの方ですね」
「え、私の噂ですか?」
「はい、いろいろとブカヒンにまで届いておりますよ」
「はぁ、届いておりますか?」
「ええ、それはもう。ハルキフの戦いの英雄というのは有名ですが、商売をする者としては、胡椒やクローブをタチバナ村で作り始められたということがもっと有名でしょう。まさか、ヤロスラフ王国で胡椒やクローブを栽培できるとは思いませんでしたから」
「あー、そっちの方ですか」
「私どもも、何とかマモル様とお付き合いしたいと思っていましたが、機会がなくて。そうこうしているうちにロマノウ商会に先を越されてしまいました。誠に残念です」
と言うことは、オレがこの国に来たということを知ってたのか?恐るべし、商社?のネットワーク!会頭のペドロさんはしきりに悔しがっている。
「あー、それはそうですね。ロマノウ商会との付き合いは、確かに縁があったとしか言いようがないですし」
一応、オレとしてはロマノウ商会とお付き合いする理由があったということを説明しておく。別に必要なないのだけど、言わないといけないような気分にさせられる。
「そうなのですよ。ですから、妻と娘が一緒の馬車に乗ったのもご縁ですので、この縁を大切にしてお付き合いを大切にしたいと思いますが、いかがでしょうか?ロマノウ商会とだけ付き合いたいと思っておられるなら、余り強く申し上げられないのですが」
「いや、私は特にロマノウ商会だけとお付き合いするつもりはないので、構わないと思うのですが、ただ香辛料を販売することで、色々と便宜を図って頂いているので、香辛料については全部ロマノウ商会に任せようと思っておりますし」
と言ってネストルの顔を見ると、ウンウンと頷いているし。
「そうですね、マモル様がロマノウ商会に対して義理を立てられるのは当然です。むしろ、そのようにされる方が当商会としても、安心してお付き合いできますから。
それでマモル様は明日、ヘルソンに向かって旅立たれるとか?でしたら、是非うちの馬車をお使いください。都合良くヘルソンに行く商隊があるのです。それにお乗りください」
「そこまでして頂くなくとも良いのですが......」
「いえいえ、今後のこともありますから、是非お乗りくださいませ」
「は、はい」
と断れない日本人が出てしまいました。
「大変申し訳ないのですが、時間もないことですし夕食の前に、少し商売の話をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
もう、これは仕方ないですね。うんというしか返事のしようがないです。
「ペドロ会頭、まず初めにお話しておきたいのですが、私は村から外に、何か売りに行くということはしないので、村で生産したものを買いに来てもらうということを前提に商売の話をしたいのです。それでリファール商会は例えばオーガの町に支店か出先を持っておられるのですか?」
「いえ、当商会ではオーガには店を持っておりません。代わりにと言ってはなんですが、ギーブに支店があります」
「それは少し遠いのではないですか?」
「いえ、大丈夫です。マモル様はご存じないかも知れませんが、タチバナ村はギーブの町からも半日で行けるのです」
「そうなんですか?」
「はい」
ネストルが、何だ、そんなことも知らなかったんですか?って顔をしている。
「すみません(あぁ、また言ってしまった)、なら問題ないです。それで何かありますか?」
「いえ、何かと言われるより、私どもに何か売っていただけるものがないかと思いまして」
「売る物ですか」
「はい、香辛料はロマノウ商会と契約されているのでしょう?弩もオダ様に納入されていますし、他に何かないかと。もちろん、 ロマノウ商会とぶつかるような物でなく異なる分野のもので結構です。何か売っていただける物がないか、考えていただけないかと思います」
「うーーん、分かりました。今はザーイに行く途中なので、帰りにもう一度、この町を通ります。その時まで時間を頂けませんか?それまでに考えておきます。
ご存じだと思いますが、私は違う世界から来た者ですが、この世界の常識というものが良く分かっておらず、何が売れる物か分からないのです」
「分かりました。では、帰って来られた時、良い話を聞かせて頂けるよう、お待ちしております。では、夕食と致しましょう」
香辛料はロマノウ商会で扱っているので、香辛料以外の何かを、リファール商会でやってもらえないかと考えた。今あればいいなと思って、試行錯誤しているのは紙だ。
この世界には羊皮紙が流通しているが、とても高い。報告書として上奏する用紙は羊皮紙を使わざるを得ないが、それ以外の記録するものとして、もっと気軽に紙を使いたい。そういう思いがあって紙作りを始めた。
実は村で紙を作ってみると、それはそれはハードルが高いことが分かった。想像以上に大変だった。オレが紙を作ると言ったら、小学校の時に校外学習で体験した和紙。和紙と言ったらコウゾ、ミツマタが原料なんだけど、そんなに都合良く生えているわけでなく、とりあえず原料は麻や綿の繊維くずや木の皮を使っている。しかし、とてもじゃないがひどい品質の紙しかできておらず、売り物になるなんて言えるものじゃない。
麻や綿の繊維を取りだして作りたいが、それらは布の原料だから、紙になるまえに衣服になるので、まず紙用の木を植えるところから始めないといけないのだが、そんなチートに成木ができるはずがない!
羊皮紙の高品質に比べれば、ゴミのようなものだ。第一、漂白できないから色が白くならないし、原料が均一じゃないから色が一定でない。厚みのムラは、オレの紙摺り技術だと思うから、これは改善の余地がある。
しかし、子どもが森に行って、木の皮を剥いでホイホイ紙を作る、って絶対できないんだよなぁ。
ついでに言えば、醤油にもトライしてみた。別に売らなくても、自家消費分だけでも作れればと思ったんだけど、醤油麹なんて日本の奇跡だと思うよな。ほいほい、できると思われているかも知れないけど、あれは麹菌が幾万とある菌の中の一つなんだから、あれを発見した日本人はほんとにスゴいと思うわ。余談だけど、最初に納豆食べた人はえらいね!腐っているかどうか分からない物を食べて、食べれるって判断したのは。命がけと言っても良かったんじゃない?
その後は、美味しい夕食を頂いた。
美味しい酒に酔ったネストルが「マモル様はお話が大変上手で......」と余計なことを言い出したために、例によってロミオとジュリエットを話し、それで納まらなくて、シンデレラを話し、それでも足りず、白雪姫を話して女性陣がやっと納得してくれ、会はお開きとなった。「ザーイから帰られるときのお話が楽しみです」と強く念押しされながら。
女性陣が寝室に行った後、ネストルは酔い潰れていまったので、ペドロ会頭と二人で葡萄酒を飲みながら話をする。この人はロマノウ商会のセルジュ会頭ほど、商売っ気が強くないように思える。どちらかと言うと、この人とは商売っけ抜きで長く付き合いたいような気がする。
オレがこの世界に転移してからの話をして、ルーシ王国からこの国に来た話をし、信忠様に気に入られていることを話す。
「お気を付けください。オダ様の御嫡子のアレクサ様は難しいお方でございます」
と、ここでも釘を刺される。
「貴族というものは、平民に対して至って冷淡なものですが、アレクサ様は元は王族ということもあり、特に徹底されていると聞いております。私どもは商人ゆえ、直接お会いすることもありませんが、商人から功績によって騎士爵を頂いている者に対して、厳しい態度をされると聞きました。そして、一度嫌われた者は、絶対に側に寄らせないと言うことです。噂では、気に入らないと消される者もいるそうです。
マモル様は私どもに利益をもたらして頂けるということを抜きにして、お人柄を好きになりましたので、絶対にそのようなことのないよう、気をつけて頂きたいのです」
あ、これってオレが狙われているから注意しなさいということかな?そんなに有名なのかな、狙われているって。
「ありがとうございます。肝に銘じておきます」
「おかしな言い方をされますね笑。呉々もお気を付けくださいませ」
ということで、寝ることになった。
あくる朝、商会のみなさんに見送られて出発した。ヘルソンに行く馬車があったというのは本当の話で、商隊の後ろにオレたちの乗る馬車が走った。ヘルソンまでは3泊するそうで、途中、野宿が1泊あるそうだ。野宿と言っても、村はあるが、泊まるにはしょぼいので野宿した方がマシ、ということだそうだ。そんな泊まるよりは野宿した方がマシというポペという村に着いた。本当に貧乏そうでしょぼい村。
ずっと乗せてもらってばかりでは、ちょっと落ち着かないので、何か少しお返しをしないといけないような気がする(接待されることに馴れてないので)。何かこちらから提供しないといけないかと思って(こんな一般庶民に胡椒は過ぎた贅沢なので、提供しないということを学んだし)、何か狩りに行こうかと思った。
ネストルを連れて行くわけにいかないので、商隊の隊長にお願いすると、
「マモル様、いくらなんでもそれは無理ですぜ。そんな簡単に獲れるわけがありませんさ。お気持ちは分かりますけど、お客様は座っておいて頂ければ、あっしらが夕飯の支度をしまっさ」
と言われる。まぁ、みんな忙しいし、暇なのはオレだけなんだから、1人で行ってくればいいんだよな。4次元ポケットを持っているからと言って、そんな何でも入るわけがなく、冒険者ギルドに行って、4次元ポケットから、どでかい魔物を取り出して、みんながびっくりするというシチュエーションなんて無理だと思うわぁ。でも、いつかできるようになるんだろうか?
とりあえず、1人で行くのは危ないから、ということで村主さんと息子さんが同行した。だけど、あんたらの方が心配なんだよな?
村を離れること500mほど。ずっと遠くに、何かの群れがいることが分かった。あれは何だろうなぁ?と思って見ていると息子さんが、
「あれは、牛ですかねぇ?」
あ、イケメン貴族と決闘したときも、大移動していたよな。あなたがフラグ上げてくれたから、きっとアレは来るな。
「あんなに遠いと来ないですな」
と村主さん。
「そうですな、いくらなんでも遠すぎまっさ」
いえいえ、そんなことありませんね。オレの獣磁石が発動しますから!!1頭だけでもいいけど、3頭くらい来ればいいなぁ。
「あれ?アレはこっちに向かって来ますかね?」
と息子さんがいいますが、オレにはまだよく分かりません。
「おぉ、近づいてきますがね、どっかに隠れないと行けませんがね?」
「いや、3頭くらいなら、オレが倒しますから、どこかに隠れていてください」
「マモル様、いくらなんでもそれは無理ですがね。お強いかも知れませんが、いくらなんでも3頭なんて、無理ですがな。おりょりょりょ、近づいて来ましたがな。
オヤジ、オヤジ、逃げるがな、マモル様、逃げましょうね!ほれ、来てますがな!早く、早く、逃げないといけませんぜ」
「行っていいよ、行って!早く行って!」
「あぁ、知りませんぜ。オレら、逃げまっさ!」
「いいよぉーーーーー」
と、1人になったところで、牛を待つ。牛と行っても、ホルスタインとか和牛のイメージでなく、バッファローね、あ、4頭来た。
牛は頭下げて突っ込んで来るけど、フェイント掛けることもないし、割とありがたい獲物となってます。と言っても一刀で斬れるわけでもないので、丁寧に1頭づつ倒しました。
村主さんを呼びに行って、帰ってくると狼たちが近寄って来たので、追っ払うのが大変だったけど。
読んでいただきありがとうございます。




