そのピストルを俺に向けないでくれ
携帯を買い替えるためスマホのデータを整理していると随分懐かしい物を見つけた。
小説と名乗るのも恥ずかしい様な雑文だ。
いつ書いたのかは定かではないが、酒と自分にしたたかに酔いながら書いたことは想像がつく。
好きなアーティストのliveに行ったその日の帰り道、初めて入った駅前の立ち飲み屋でスマホのメモ帳に書き殴った。
ただ、書きたくて書いた。
忘れかけていた大切な何かを思い出すために、ここに洗いざらい晒してしまおうと思う。
初めてあんたが俺に銃口を向けてきたのは5年前の今日みたいな肌寒い夜だった。
忘れやしないさ。
俺はまだあんたがあんた達だったころからあんたに憧れて、学生時代の大半をギターに費やした。
俺は何の根拠もなく俺はあんたみたいなシンガーソングライターになるんだと信じていた。
そのくせいつの間にか片田舎にある一企業の新入社員として毎日あくせくと働いていて、怒鳴られて、頭を下げ続けて、「俺、何やってんだろうなぁ」って呟いたそんな夜にあんたがこの田舎に来るって聞いた。
金曜日の夜だったからさ、俺は上司の目をかいくぐるように定時で退社したんだ。週明けの嫌味はもう織り込み済みでさ。
チケットを握りしめながら、体育館裏みたいなライブハウスで祈るようにあんたの出番を待ってた。
当時の俺はさ、あんたから何だか分かんねぇけど夢を追う勇気とかってやつを貰おうかと思ってたんじゃないかな。
馬鹿だったよ。
石みたいに固かったはずの右手の指先がいつのまにかゼリービーンズみたいにプニプニに化けてたこの俺がさ、あんたの歌う姿から勇気を貰おうなんて……馬鹿だよな。救いようもないほどに。
あんたはどす黒く赤い血みたいなスポットライトを一筋に浴びながらギター片手に歌ってた。
最前列で俺はただ圧倒されていた。
夢を追うことに息を切らしてる者にしか出せないあんたのそのしゃがれた歌声。
耳の中にとぐろを巻いて頭から出て行ってくれない詞。
席とステージの距離なんて関係なく、遠近感歪むほど俺にはあんたが大きく見えた。
恥ずかしい話だけど、あんたが演奏中リズムを取るためにアディダス履いた左足をステージに打ち付ける度、俺はビクッと怯えたりなんかしちゃってさ。
Liveの途中で俺は溜らず抜け出した。当時はまだそんなに人も多くなかったから途中で出ていった俺の姿はそれなりに目立っただろう。もしあんたがその時気を悪くしてたらごめんな。悪気はなかったんだ。
俺は、嫉妬する気も起きないほど打ちのめされた。あんたの曲を借りるなら俺はその日カウント10を数え切った。
ライブハウスを出ると身震いするような寒気に襲われた。
空を見上げると雪が降ってた。
しんしんと街の喧騒を吸い取る真綿みたいに真っ白な雪が降ってたんだ。
ポケットから携帯取り出すと上司からの着信履歴があった。
折り返すと後ろがガヤガヤと騒がしい中「吉田! お前も飲みに来い!」とだいぶ酔った様子の上司の声がねじ込まれてきた。
いつもなら愛想笑いで何とか流そうと試みるが、その夜の俺は何だか無性に酔いたい気分だった。
あんたがマイクに向かって喉から弾丸を吐き出しているそこから10メートルも離れていない扉の向こう側で、俺は上司に「すぐに行きます!」と応えた。
俺はあの時あんたの放った弾丸に脳天をぶち抜かれたんだろうな。
誰も見ていないのに俺はひとり受話器に向かってお辞儀した。
背中に薄っすらと雪が積もるまで俺はいつまでも頭を下げ続けた。
ぽたりとひとつ滴り落ちて消えたのは雪解け水なんだって自分に言い聞かせた。
あれから、五年。俺はよく働いた。
それもこれも音楽から離れたおかげだ。
仕事が終わった後の夜の時間を作曲の為の時間ではなく、明日の仕事の確認と睡眠時間に充ててみるとびっくりするほど職場で頼られるようになった。
22時には寝るようにした。
土日は作詞の為に喫茶店に通っていたのを辞め、上司と釣竿を見に行った。
「お前変わったよな」と上司はイサキ用の竿をしならせながら嬉しそうに言ってきたので「俺、変わったんですよぉ~」なんてヘラヘラと笑いながら俺は応えた。
そんな俺に、今夜あんたはまた銃口を向けてきたんだ。
きっかけは何のことはない。昼休み、たまたま職場近くの食堂のTVであんたのLiveのCMをやってたんだ。
某保険会社のCMのテーマソングに採用されてからあんたは五年前と比べると見違えるように売れたよな。その証拠にLiveの告知CMを見た時のリアクションは俺よりも食堂のおばちゃんの方が良かったんだから。
俺はその場で直ぐにチケットを予約した。
あぁそうだ、これは別に言わなくてもいい話だけどさ、当日の俺は定時で帰っても皆から笑顔で送り出して貰えたよ。
昔を懐かしむ為にLiveに行くのかって? 違う。
俺はもう一度、死ぬ為にあんたのLiveに行こうと思った。
俺は、あんたにいつまでも『夢』ってやつに未練タラタラな俺を殺して欲しかったのさ。
一生懸命社会人やってみたけどさ、「俺、何やってんだろうなぁ」って呟いちまう夜はどうしたって追いかけてくるんだよ。
夜が悪い訳じゃない、そんな夜を迎えてしまう俺が悪いんだよな。
だから俺はファンとしてじゃなく、ある種の自殺志願者として線路に飛び込むみたいに誰よりも早く今夜のLiveに並んだんだ。
五年ぶりにやって来たあんたの箱はこの町有数の規模を誇る市民ホールで、当然のように満席だった。
俺は二階の隅の席であんたを待った。
祈るように待ち続けた。
さぁ、早く殺してくれよ。
思わず口を衝いて出たのだろう。隣の席のオヤジが怪訝そうに見てきたので、慌てて俺は愛想笑いで誤魔化した。
人懐っこい笑顔を浮かべながらあんたは現れた。
眩い程のスポットライトを浴びながら、あんたは照れくさそうにギターをチューニングしている。
「竹原!!」
どこかのあんちゃんからの掛け声に片手で応える。
早くも浮かんでいた額の汗をタオルで拭った後、あんたはひとつ深呼吸をした。
会場内を静寂が包む。
一発目の弾丸が夜に響いた。
二発目、三発目あんたは矢継ぎ早に撃ち放つ。
休む間を与えない。
たまに小休止代わりのMCが入ったかと思ったら何のことはない近所のサウナの愚痴をひとつ吐いてまた泥臭い歌を響かせる。
狙いすましたかのようにあんたの弾丸は俺の胸に食い込んでいく。
血反吐を吐く思いで俺は聴き続けながら、ある事を思った。
そういえば俺、こんなに音楽と向かい合ったのって何年ぶりだ?
中学生の時、初めてギターを触ったあの日。
高校生の時、他校の奴も誘って初めてバンドで演奏した日。
初めて曲を作った日。初めて人前で歌った日。初めて誰かを想い歌った日。初めて曲を褒められた日、初めて貶された日、最後に誰かを想い歌った日……。
突然、隣のオヤジがぎょっとした顔でこちらを見てきた。何だと見返すと一瞬怯えた顔を浮かべた後、オヤジはにっこりと笑い訳知り顔でうんうんと頷いてきた。喧嘩を売ってるのかと思ったが何のことはない。20代半ばの男が竹原ピストルのライブ会場で涙を流していればそんな顔も浮かべるだろう。
なぁ、あんたはどうしてこうも俺を苦しめる?
俺は死のうと思ってたんだ。
一思いに殺してもらおうと思ってたのにさ。
俺は生きたい。
俺はもう一度、会社では流せないような汗を流しながら歌い、この世界のどこかの誰かに俺の前でしか流せないような涙を流して欲しい。
俺はもう一度、死に方じゃなく生き方で悩み苦しみたい。
俺はもう二度と、あんたの弾丸で死のうなんて思わない。どうしても、もうダメだって思ったその時は誰かの言葉なんかじゃなく俺自身の言葉で決着をつけたい。
あんたの最後の弾丸は俺のいっとう好きな曲だった。
あんたは歌い切った後あんたは何度も礼を言い丁寧すぎるくらい丁寧に挨拶をした後、会場中の拍手を一身に受けながら帰っていった。
舞台袖に去る直前、あんたはもう一度だけ大きく頭を下げた。
あんたのその姿にいつかの俺が重なる。
思わず席を立ち俺は心の底からの弾丸を放った……だけどまぁ、サラリーマン上がりの声量じゃとんとダメだな。
700人超の拍手に俺の声はあえなくかき消され、そんなこと知る由もないあんたは飛び切りの笑顔を浮かべながら会場を後にした。
まぁ、仕方ないか。
この次。今度は自殺志願者としてじゃなく純粋なファンとしてあんたに会いに行った時こそ伝えてみせるさ。
会場を出た後、俺はふと空を見上げた。
夜空には真ん丸なお月様がぽっかりと浮かんでいた。
もう十時か。
幼稚園で使うクレヨンのような淡い黄色の月明かりが辺りを照らしあげる。
スポットライトみたいだ。
そんな事を想いながら帰り道、俺は鼻歌を歌う。
どこの誰とも知らない奴に一発目の弾丸が届くように。
感傷的で読むタイミングによっては鼻につく話だ。
読み返しながらあまりの青臭さに俺は頬を何度も真っ赤に染めた。
それでも俺はこの話を嫌いになれない。
読んでいると当時の事をありありと思い出すのだ。
今はもうコロナの影響で決して味わうことの出来ないあの雰囲気を。
会場の静かな熱気。生で聞く弾き語りの迫力。名残惜しくて仕方なかった最後の一曲……。
最後の曲には俺のいっとう好きな歌詞がある。
『遺書を書いたつもりが ラブレターみたいになってしまって 丁寧に折りたたんで君に渡した』
この話も、当時の俺は本当は遺書のつもりで書いていたのかもしれない。だけどまぁ、結果はこのざまな訳だ。仕方ないのでヤケクソに折ってみた。勝手に渡されて君もいい迷惑だろうけど俺はラブレターのつもりだからどうか読んでみて欲しい。