日本半導体業界はなぜ衰退したか? 大企業優先主義の弊害
80年代半ば、日本の半導体業界は世界市場の50%を超え、トップシェアを誇っていました。主力製品DRAMに限定すればはシェア80%を超え、当時日本は世界が認める半導体大国だったのです。
ところが93年には米国に抜かれ、世界第2位に転落。半導体業界の衰退がはじまりました。90年代後半は世界市場の約30%強が日本市場だったように記憶しています。この時期、日本はまだまだ半導体先進国ではありました。
ところが2017年には世界シェア、わずか7%にまで下落しました。
金額ベースの話だけではありません。
かつては技術力においても日本の半導体業界は世界から一目置かれていました。ところが最近ではそれもあやしくなってきています。
個人的には、日本企業がDRAMでサムソンに抜かれたときよりも、SHマイコンがARMを搭載したときの方がショックでした。いや、それを言うなら日立 (まだルネサスでなく) が、SHマイコンのあるバージョンから外国企業に設計を外注したときから、SHマイコンの凋落がはじまったと言うべきでしょうか。
マイコンのアーキテクチャは半導体技術の中核と言ってよく、SHマイコンは国産アーキテクチャの牙城だったはず。それを外国産の設計に置き換えられてしまうとは、技術力を誇る日本のエンジニアたちにとって、かなり屈辱的な出来事だったのではないでしょうか。
日本の半導体業界はなぜ衰退したのか。多くの評論家が様々な意見を述べています。
私は大昔、この業界にいましたが、おそらくまだどの評論家も唱えていないこと――大企業優先主義が諸悪の根源だと信じて疑いません。
こう言うと、業界関係者からすぐツッコミがはいりそうです。大企業優先主義をやめたら、本当に日本の半導体業界が世界市場シェア50%以上、DRAMは80%以上に返り咲くのか?
答えはノーです。私が考えているゴールはかつての金額ベースや生産台数ベースの高いシェア回復ではありません。
日本がエレクトロニクスやIT分野で独創性のある高い技術力を誇り、一般の国民が安く高品質の電気製品を享受できる社会。業界の若いエンジニアがリストラに怯えず、自分の好きな製品を自由に設計開発できる一方、新技術を引っさげたユニークなベンチャー企業が次々と起業される社会。これが私が考える日本の半導体業界の理想的イメージです。
以下、大企業優先主義の弊害を軸に、自説を述べます。
1.シリコンサイクルは通産省主導カルテル
シリコンサイクルという言葉があります。
約4年周期で半導体あるいはDRAMの景気循環がある、という説です。
シリコンサイクルは自然発生的に起きた、というのが通説ですが、私は通産省(現・経済産業省)が意図的に引き起こしたものだと考えます。厳密に言えば、通産省が大まかなシナリオを書き、100%シミュレーション通りにはならなかったものの、大筋目論見通りになったもの。これがシリコンサイクルだったと思うのです。
通産省は当時の大手総合電機メーカー、日立、東芝、NEC、三菱電機、松下(現パナソニック)、富士通、沖電気などに命令し、同じ時期に同じDRAMを生産させました。さらにはその下請けである半導体製造装置業界には、これを支援させるべく、DRAMに関する各種仕様を標準化させました。
たとえば80年代前半は1MビットDRAM、80年代中盤から後半は4MビットDRAM、80年代末から90年代初は16MビットDRAMというように、同じ時期に同じDRAMが日本の複数の総合電機メーカーから生産されたのです。
外国から見たら、これは通産省が仕組んだ日本企業間のカルテルに見えるでしょう。”日本株式会社”などと揶揄されることもあったようですが、要するに日本の半導体産業は、通産省が親会社、大出総合電機メーカーが系列子会社の一つの会社のようなところがありました。
ところでDRAMは石油や農作物などの1次産品に混じって、日経新聞の「先物取引市場、スポット価格」の紙面に出てきます。よく考えるとこれは異常事態です。
ミクロ経済学の教科書には、一物一価の法則は1次産品には成立するが、差別化が目立つハイテク産業の製品には成立しづらい、と書いてあります。
たとえば自動車という項目が先物取引市場、スポット市場で扱われたらどうでしょう。カローラとポルシェやロールスロイスが1台当たり同じ価格で取引されることになります。
同じ自動車でも大衆車と高級車は別の商品だから価格が大きく違って当たり前という常識が消費者にあり、自動車という項目で先物取引市場、スポット市場で扱われることはないのです。
DRAMを除く半導体、とりわけICは、決して先物取引市場、スポット市場で扱われることはありません。同じマイコンでも機能や性能がメーカーによって異なります。そればかりか同じメーカーの製品でも型番が違えばまったく別の製品です。だからICの場合、価格はメーカー別、型番別で異なって当たり前なのです。
ところが日本のDRAMは他社製品と完全にコンパチブルで代替可能でした。だから先物取引市場やスポット市場で扱われたのでしょうが、これも通産省主導カルテルの賜物でしょう。
2.産業の行政主導は後進国経済
後進国を急速に経済発展させる場合、行政主導で産業を牽引する政策が効果的です。
明治維新後の殖産興業、敗戦後の高度経済成長がそれです。
海外ではたとえばマレーシアのマハティール政策(ルックイースト政策)がそれに相当します。
これは欧米の先進国の技術を模倣するというもので、民間企業でなく官僚が何を生産するか決め、それを生産するよう民間企業に命令するという方式です。
自国で新しいものを発明することはほとんどぜず、先進国が発明したものをただ真似します。
一方、先進国である欧米では何か新しい技術を発明して産業を発展させます。
通産省主導のシリコンサイクルで日本企業が比較的うまくいっていた時期は、半導体産業において日本が後進国だったからではないかと思うのです。
それがバブル時代をさかいに半導体分野で日本は先進国の仲間入りを果たしました。それにもかかわらず、後進国のやり方である行政主導経済から脱却できなかったこと。これが日本半導体業界衰退の理由の一つでしょう。
先進国となった日本は今度はモノマネでなく、自ら新しい技術を発明していく必要があったのです。
ところで米国半導体業界では誰が新技術を発明しているのでしょうか。
大企業でしょうか。それもあります。ですが私が思いつくのはシリコンバレーのベンチャー企業です。
ネクスジェンなど多くの86互換チップのベンチャー企業が新技術を発明しては、AMDなどの大手メーカーに買収されました。製品を販売して儲けるのでなく、最初から会社の株式と特許をまるごと大企業に買ってもらうために起業する、というのがこうした半導体ベンチャーのビジネスモデルなのかもしれません。
いずれにせよ、米国では発明は大企業よりベンチャー企業の方が主流なのです。
今の若い人たちは日本を代表するエレクトロニクス企業と言えば、日立や東芝よりソニーを真っ先に思い浮かべるかもしれません。ところがバブル時代、ソニーは日立や東芝などのDRAMメーカーにくらべ、かなり小さい会社でした。
そして小さい会社であるがゆえに通産省の命令通りにDRAMを作らなくてよく、自由に自分の作りたいものが作れました。これがその後、ソニーが発展した理由です。
ソニーは日立や富士通のようにスーパーコンピュータは作れませんでしたが、そのかわり「NEWS」というEWS (エンジニアリング・ワークステーション) を作り、大成功をおさめました。若手のエンジニアたちでグループを作り、自由に設計開発させてできた製品です。日立や富士通のエンジニアたちは自分たち大企業では組織上のしばりがきつく、自由に開発できないのでソニーの環境を羨望しました。
その後、「プレイステーション」やパソコン「バイオ」の成功でソニーが大きく飛躍したのは周知の通りです。
同様に企業規模が小さくてDRAMメーカーにならずにすんだシャープもLCDを武器に飛躍した電機メーカーです。
90年代半ば、かつてのDRAMメーカーは今度は通産省の命令でプラズマディスプレイのメーカーになりました。ところがソニーとシャープはプラズマディスプレイを作りませんでした。ソニーは有機ELティスプレイ、シャープはLCDの大型化でプラズマディスプレイに対抗しました。
発明する米国シリコンバレーのベンチャー企業。小さいがゆえに行政の干渉を受けずに自由に製品を開発できたソニーとシャープ。
私が大企業優先主義を批判する理由はここにあります。
3.垂直統合型から水平分散型に
かつての日本のDRAMメーカーは総合電機メーカーでした。現在でもその名残は残っており、完全に解体したわけではないでしょう。
総合電機メーカーは半導体事業部と家電事業部を両方持っています。自社で開発した半導体の大半を自社の家電事業部が買い取り、家電製品を消費者に販売する、というビジネスモデルです。このような形態は垂直統合型と呼ばれます。
一方、米国では半導体メーカーと家電メーカーは一般に別の会社です。これは水平分散型と呼ばれます。
半導体やLCDが技術的に未成熟な段階では日本の垂直統合型が功を奏したと言われています。
量産技術や仕様の標準化が確立していない段階で大量生産するのは、半導体メーカーにとり、リスクがあります。しかしながら総合電機メーカーの場合、自社の家電事業部が確実にある数量の半導体を買ってくれるので、相対的に安心して半導体を量産できます。
LCDもプラズマディスプレイも発明したのは米国ですが、ビジネス的に成功したのは日本企業だったことを考えてください。
一方、ある程度時間がたち、量産技術や仕様の標準化が確立してくると、今度は水平分散型が有利になります。
総合電機メーカーの家電事業部は基本的に自社の半導体事業部から半導体を買わねばならず、他社の半導体の方が優れていても自由に買うことができません。
半導体メーカーと家電メーカーが分離していればこんなバカげたことは起きません。家電メーカーは、MPUはA社から、アナログICはB社から、電源ICはC社からというように複数社から自由に半導体を選ぶことができ、しかも仕様が標準化しているがゆえに他社製品の電子デバイス同士を組み合わせても問題は起きません。
LCDが日本よりもアジアで生産されるようになったのは、ちょうどLCDが技術的に一人前の電子デバイスに成熟した時期と重なります。少なくとも私にはそのように思えるのです。
ここで提言ですが、総合電機メーカーは完全解体し、大手企業は半導体に特化するのはどうでしょう。一方、家電など最終製品は国内の中小零細メーカーが生産するのです。すでにジェネリック家電と呼ばれるメーカーがありますが、彼らを育成して、半導体メーカーと市場をすみ分けます。
4.ファブレスとファンドリ
日本の半導体が衰退した理由として評論家がよく指摘するものに、ファブレス、ファンドリの形態が日本メーカーから出てこなかった、または出てくるのが遅すぎた、というのがあります。
ファブレスは工場を持たない半導体メーカーです。一方、ファンドリは自社ブランド製品を持たず、OEM専用工場を持った半導体製造業者です。
90年代末頃でしょうか、沖電気の半導体工場がファンドリサービスをはじめたというニュースを読んだことがありますが、タイミング的には少し遅かったのかもしれません。
一方、ファブレスですが、できれば90年代半ばごろに半導体ベンチャー企業が複数起業していれば、今のような状況は回避できたのでは、と考えます。
過去のことを嘆いていても仕方ありません。
今からでも、かつてのDRAMメーカーはファンドリに、そしてファブレスのベンチャー企業が若いエンジニアを中心に数多く起業されれば、日本の半導体業界は少しはいい方向に進むかもしれません。
ただしベンチャー企業が生産するのはかつてのDRAMのような大量生産大量消費タイプの電子デバイスではだめです。多品種少量生産の何かユニークなマイコン系がいいでしょう。
行政主導の経済は大企業優先主義、大量生産大量消費的志向に陥りがちです。
小さくても光る会社――かつてARMの初代社長ロビン・サクスビー氏が日経新聞のインタヴューで自社をこのように紹介していました。
日本でも同様に”小さくても光る”ベンチャー企業、そして”(市場規模が)小さくても光る”電子デバイスが数多く登場することを祈念して、筆をおきます。
(了)