眠った
三叉の道へは案外早く着いた。この世界は思ったより小さいのかもしれないと、コウは思ったのだった。
この三叉の道は別名三元素通りと呼ばれているらしい。いいネーミングセンスだ。考えた人はきっとセンスがある。
分かれ道の手前にはていねいに木の看板が立てかけてアリ、迷わないようになっている。実に良心的だ。
二人は氷水の都に続く左の道を進んだ。黄土色した道がくねくねしながら果てしなく続いている。ビジョいわく、ここから一時間ほど歩けば氷水の都に着くらしい。やはり割と近い。
「道なんて遠くしたって意味ないですし」と、フシギが意味がわからないことをつぶやいた。
とにかく近いのは時間的にも体力的にも大助かりだ。二人は道を急いだ。いまこの瞬間も火山が小規模ではあるが噴火しているのだ。いつ街に被害が及ぶかわからない。
三十分ほど歩いたところで、急激に温度が低くなり始めた。ぶるぶると体が震えてくる。なにか羽織るものを持ってくればよかったと後悔する。フシギは全然平気そうだった。冬生まれなのかもしれない。
そこから十分くらい歩くと、雪が降り始めた。気づけば少しずつ周りの景色が雪一色に染まり始めている。コウは初めて雪を見て思わず感動した。雪とはこんなにも冷たく、こんなにもきれいなものだったなんて思わなかった。
さらに十分経ったら、ぱらぱら降っていた雪が吹雪へと移り変わった。それは激しく唸るように二人に襲いかかり、二人の歩くペースがぐっと落ちる。フシギはコウの後ろに隠れて雨宿りならぬ吹雪宿りをしていた。ほとんど意味はなかった。コウは雪が嫌いになりそうだった。
そこからさらに十分後、コウは雪が大嫌いになった。もうあんなもの金輪際見たくなかった。それくらいの猛吹雪だったわけだ。前がまったく見えず、ゴールがどこなのか、はたまた道はこっちであってるのかなどと不安になりながらも休まずせっせと二人は歩いた。というか、休む場所も時間もなかった。それが余計二人を苦しめた。
やがて猛吹雪は晴れた。久しぶりに太陽を見た気がした。そして二人の目の前には氷の世界が広がっていた。二人は今、氷の世界と雪の世界のちょうど狭間にいるのだった。
コウは氷細工のような世界をまじまじとみつめてつぶやいた。
「寒い」
コウは身震いしながらも、歩き始める。コウさんはひ弱ですねぇと、元気いっぱいに氷の上を滑って遊ぶフシギは言うのだった――こけた。
「アイススケートを生業としている人は人類史上最強ですね」
「アイススケート?」
「いえ、なんでもありません。それより氷水の都というわりには殺風景な景色ですね。あそこに灯台のような形をした建物があるだけですよ?」
フシギの言う通りだった。てっきり都というのだから、もっと美しい街並みが広がっているかと思っていたら、あるのはのっぽな灯台があるだけで、あとは凹凸の激しい地面だけだ。
「せっかく期待していたのに、これは落ち込みますね。略して都落ちです」
「都落ち?」
「大富豪が大貧民に転落する人生のことを都落ちというのですよ。豆知識です」
「本当か?」
「嘘のような真のような感じです。本来の意味は別にありますが、取るに足らないものです。それよりコウさん、どうしますか? ひとまずあの灯台に行ってみますか?」
「それしかない」
二人はでこぼこな道をつるつる滑りながら灯台の元へと向かった。滑って転ぶたびに、コウは氷が嫌いになった。今日だけで嫌いなものが二つもできるなんて思いもしなかった。人生なにが起きるかわからないものだ。
二人は体の節々を痛めながらようやく灯台のもとへとたどりついた。灯台は思ってたよりも大きいが、規模にしてはそこまで大きいものではなかった。
「コウさん、この灯台よく見たら外壁に階段がついてますよ。らせん状になっていて、おそらく頂上の付近まで続いてるようですね。これを使って上りますか?」
フシギの言う通り、灯台の外壁には氷でできた階段が灯台に巻きつくように連なっていて、その終わりには踊り場があり、中央に灯ろうがあった。中はよく見えない。
「そうしよう」
二人は氷の階段を上ることにした。滑って落ちないように慎重に歩みを進めていく。フシギが体をぷるぷるさせてるのはかわいかった。本人いわく、落ちないように力んでいるらしい。
かなりの精神を消耗して二人は踊り場にたどりついた。あいかわらず氷だった。二人はそこから灯ろうの中を覗いた。そこには氷でできた長机が一つと、椅子が並べられていた。
二人は不思議に思いながら灯ろうの中へと入った。
「こんにちは旅の人。どうなされましたか?」
かわいらしい声をした女性が、いつのまにか椅子に座って二人を見ていた。彼女は氷でできていた。顔は彫られてつくっていたが、それを感じさせないほどに美しく整っていた。
突然あらわれた氷の女性に、コウはたじろいで返事を忘れて黙って氷の女性をみつめていた。
「戸惑って当然よね。私はフリーズ。この氷水の都で祀られている水の神さまよ。とにかく座って。あなたたちの自己紹介はそれからでいいわ」
氷の女性であり水の神さまであるフリーズに勧められて、二人は氷の椅子に体を強張らせながら座った。なぜかその椅子は冷たくなく、むしろ温かみを感じるほどだった。
二人は自己紹介をした。
「コウに、フシギね。ようこそ氷水の都へ。久しぶりだわ、お客さんなんて」
「あの、すいません。失礼なのですが、俺たちにはあまり時間がなくて……」
「大丈夫よ、時間の流れをゆっくりにしてあげたから。だからそんなに慌てなくていいわよ」
「わかりました。ではゆっくりと単刀直入にうかがいますが、火炎の里にある火山の噴火を止めてくれませんか?」
「……どうして?」
「街が滅びてしまうからです」
「あなたはあの街の人?」
「いえ」
「ならどうしてあなたはあの街を助けようとするの?」
「助けを求められたからです」
「それだけ?」
「そして俺が勇者だからです」
「勇者……ね」
少しだけ、フリーズの雰囲気が変わった気がした。フリーズはいきなり指をパチンと鳴らした。氷の指で音が鳴ることにコウは驚いた。
料理が机の上に現れたのは、指を鳴らした直後のことだ。
現れたのはすべて氷でできた料理だった。まったく食欲がそそられなかった。
「人間に合うようにしてつくったのよ。まずは試しに氷のスープをのんでみて」
コウは言われるがままにその氷のスープなるものに手をつけた。スープカップにシャーベット状の氷が入っている。コウはどうのめばいいかわからなかったのでとりあえずスープカップを傾けて一気にあおった。ザクザクした氷が口いっぱいに広がる。
そしてそれは急に温かみを増し、ほどよい温かさのスープへと変化した。不思議な味がした。
「どう? 当店自慢の氷のスープよ。お味はいかがかしら?」
「おいしいです。それより、どうしてこんな簡単に会えたのでしょうか? 会えないと聞いていたのですが」
「来る人にはみんな会ってるわよ。でも会った記憶は抜いちゃうの。簡単に会える神さまだなんて思われたくないもの。それに、案外記憶っておいしいのよ」
「はあ。なら俺の記憶も消しますか?」
「そうね。けど勇者であるあなたにはもっと良いことしちゃう」
「良いこと……?」
コウの視界がぼやけた。ぐにゃぐにゃと世界が歪んでいく。
「悪いけどあの街を助ける気はないわ。私にはそんな資格ないし。だからといってあなたがあの火山に立ち向かって死ぬとか、街と共に滅びるとかはだめ。あなたには魔王を倒す使命があるのだから」
フリーズの声はもうコウにはよく聞こえなかった。コウは椅子から崩れ落ちるように倒れた。薄れゆく意識の中で、フリーズが「ごめんなさい。あなたのためよ」と言ったのははっきりと聞こえた。ふざけるな、とコウは思った。
コウの視界がブラックアウトした。
3
コウは背中にひんやりとしたものを感じながら目を覚ました。あたりは薄暗く、よく見ると天井や壁はすべて氷に閉ざされていた。出口のようなものはない。
「気がつきましたかコウさん?」
体を起こすと、隣にはいつものようにフシギがいた。
「ここはどこだ?」
「ここはおそらく牢屋のようですね」
「牢屋?」
「はい。おそらくコウさんを隔離するためですね。ぽいとゴミのように上から放り込まれたときは驚きましたよ」
コウは記憶をたどってみた。たしかにあのフリーズの言葉を考えると、そう考えるのは妥当なところだ。ようは事が終わるまでここでおとなしくしてろ、ということだ。
「早く街に戻らなければ……」
コウは氷でできた壁を叩いてみた。案外硬そうだったが、物は試しにと一発殴ったが、ただ手が痛くなっただけだった。
次にこの氷を斬ることにした。使うのはビジョがくれた刀だ。業物なのかもしれないが、それはコウにはわからない。コウは鞘に刀を納めたまま腰を低くした。
そして思い切り鞘から刀を抜きさりながら真横にないだ。カン! と鋭い音がしただけで、傷一つつかなかった。想像以上の硬さだった。
コウが次に考えたのは抜け道を探ることだった。壁をノックするように叩き、その反響音を聞く。それを全方位繰り返し、軽い音がしたら当たりだ。
結果として時間がかかったくせに徒労だった。くそ、とコウは舌打ちした。考えうる打開策はことごとく失敗に終わった。コウは次の手を考える。考えて、考える。
ふと、フシギを見た。フシギはいまだに壁をノックしていた。その後ろ姿を見て、コウはあることを思いついた。
それは魔法だった。ミノタウロスと戦ったとき、フシギは魔法を使ってミノタウロスの動きを止めていた。それを使えばこの状況を打破できるかもしれない。
「なるほど。妙手ですね」
フシギはそう言った。
「この氷の壁を打ち破るほどの高火力魔法は私には使えませんが、コウさんなら使えるかもしれません」
「教えてくれ」
「いやです」
コウは一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
「どういうことだ?」
「私はコウさんに魔法を教える気はありません。やるなら一人でやってください」
フシギは辛辣にそう言った。
「どうして教えない?」
「決まってるじゃないですか。物語がつまらなくなるからですよ。ここでコウさんに魔法を教えてしまったら、コウさんはそれを物にし、簡単にこの氷の牢を破ってしまうでしょう。それではだめなのです。ここはコウさんが自分で魔法を習得するか、違う方法を考えるかのどちらかしかないのです」
「それで街が滅びてもいいのか?」
「えぇ。街はたしかに必要ですが、必要不可欠ではありません。それに、もし仮にここを脱出してコウさんが街を救おうとして死んだら元も子もありません。コウさんはこの物語には必要不可欠なのですから」
「ようはお前はフリーズ側につくわけか」
「いえ。私は常に物語側ですよ」
コウは押し黙った。そして奥歯を噛みしめた。
「なら自力でやるさ」
コウは氷の壁と向かい合った。そして右手をかざした。
「スペル・オン――火!」
なにも出なかった。だがコウはあきらめず名前をあれこれアレンジしたり手の位置を変えてみたりと色々やったが、うまくいかなかった。フシギは黙ってそれを見てるだけだった。
ゴゴゴゴゴゴゴ! ドーン!
かつてないほどの地鳴りと何かが噴き出す音。コウは直感でやばいと感じた。このままでは街が大変なことになる。
「くそ。どうすればいい……どうすれば」
こんなとき、いつも手を差し伸べてくれる存在がいた。コウはいま、それに頼ろうとしていることに気がついた。もしかしたらなんとかしてくれるのではないかと思った。
だが少女はなにも言わず、なにもせず、ただ焦るコウをみつめていた。まるでコウの言動を楽しんでいるかのようだった。
コウは恥じた。こんな不思議で何を考えてるのかわからないやつを頼りにしていた自分に。そんな自分に心底嫌気がさした。このまま街を見捨ててしまおうか。それならそれでフシギの思い通りだ。
「――?」
ここでコウはふと気がついた。本当にそうだろうか。ここであきらめることは、フシギが本当に望んでいることだろうか。
答えは否だ。ありえない。
なにせフシギの望みはこの物語をおもしろくさせることだ。だがここでコウがあきらめてしまえば、コウは生き残るが物語としては終わりだ。街が滅びました。めでたしめでたしだ。それではおもしろくないし、フシギは満足しないはずだ。
もしかするとフシギは信じているのかもしれない。コウがここで打開策をだすことを。あるいは知っているのかもしれない。コウが見落としているなにかを。それを探し出すのが、いまコウがやるべきことだ。
「フシギ。たしか俺たちは上から放り込まれたんだったよな?」
「えぇそうです。おそらくあの辺です。ですが、聞いてどうするんですか?」
「天井をぶっこわす」
コウは刀を天に向けてかまえた。
「その長さじゃ届きませんよ、コウさん」
「わかってる」
コウはドンと戦った(正確にはドンが操ったロボットと)ときのことを思い出す。最後、ドンがロボットの頭に乗って浮遊したとき、もうだめだと思った。
だがそのとき、コウはタツマが飛ぶ斬撃を放ってドンのロボットをぶった斬ったのを見た。それは神業ともいえるべき所業だったが、タツマは人間だ。そしてコウも人間である。ならばコウもできなければおかしい(たいそうな理屈だが)。
こればかりはもう、自分を信じるしかない。そして見事氷が割れてくれるのを祈るばかりだ。コウは神経を研ぎ澄ました。
「はぁぁぁぁ!」
刀をいきおいよくないだ。高速に動いた刃は風をまとい、ヒュウウという音を立てた。そしてその風は空へと飛んだ。風はどんどん勢いを増し、やがて天井に到達する。
スパッとという音がした。
それから数秒後、天井は音を立てて崩れ落ちた。
天井の氷がうまく足場となり、二人はみごと氷の牢を脱した。だが、喜んではいられない。なんとかしてフリーズを説得しなければ、あの火山を止めることはできない。
だが、火炎の里の方角は真っ黒な雲に覆われていた。遠目からでよく見えないが溶岩も見える。そしてそれは勢いよく始まりの街へと向かっている。
「くそ!」
コウは一目散に流れ出ている溶岩へと走った。だが、まにあわない。どんなに走ってもあの溶岩を止めるのは不可能だった。それでもコウは走った。
「健気ね。もう無理よ。間に合わないわ」
「それでもあきらめない」
「どうして?」
「助けたい人たちがいる。それに、大切な人もいる」
「大切な人……それはどういう人?」
「とにかく不器用で、愛想がない」
「好きなの?」
「さぁな」
「その子を助けたい?」
「あぁ。そのためなら命以外なにを捨ててもいい」
「そう。わかった。なら力を貸してあげる。でもその代わり――」
その声は言った。
「あなたの記憶をちょうだい」
突然、コウの体が浮いた。そして発光する。
ビュンと風を切る音がして、コウは今起きている事態をようやく吞み込めた。
コウの体は高速で移動していた。そして気がつけばもうコウは始まりの街の前にいた。
眼前は黒い煙が視界を覆っていた。そしてゴゴゴゴゴゴゴと雪崩のような音も聞こえてくる。おそらく溶岩だろう。
「オン・スペル・ウィンド」
コウはそんな言葉を口にしていた。その瞬間、激しい竜巻がコウの前に出現し、黒の煙を一瞬で吹き飛ばした。そして見えた溶岩。ヘドロのように地面を汚しながら生物のようにこちらに向かってくる。
「このさいザンのやつも氷漬けにしちゃいましょ。また怒りだしたらめんどうだし」と、コウとは思えないような口調でそう言ったあと、コウは唱えた。
「オン・スペル・アイスエイジ」
その瞬間、溶岩はおろか、その出どころである火山さえも一瞬で凍った。あたりは一気に静寂に満ちた。
「おつかれさま、勇者コウ。あなたが死ななくて本当によかったわ。あなたが魔王を倒すことを期待してる。じゃあね」
『コウのようなもの』はコウにそう言って、『コウのようなもの』は消えた。
コウはぼやけた意識であたりを見回した。今起きたできごとは見ていたからわかった。だが、あれはいったい誰だろう。気にはなったが、そんなことはどうでもよかった。
「体が……動かん」
コウは眠るように意識を失った。