九話 パンク
剣道部が始動した翌日に、またも生徒会から呼び出された縁。二日連続だ。
理由は、剣道部への入部希望者が殺到したことが一番の理由。ついで問題になったのは、第一の理由からの波及なのか、所属している部活を退部して剣道部に移るという、転部希望者が後を絶たないこと。
世の中では転職が当たり前の時代ではあるが、だからといって、学生がそのような風潮になるのは当然好ましくない。
そして次が、Aクラスの者が部活動に参加したこと。
今まで、形だけの登録はあるが、学校さえあまり来られないのに、部活動に入部するなど、あまり例のない話だった。
更に、Aクラスの教室は、わざと離れた場所に隔離してあるのに、一般の生徒が行き交う校舎を、あまりにも自由に行き来することが増えることへの懸念だ。
Aクラスの男子の場合、何度注意しても目立ちたさが勝って、ことあるごとに、出向くということが多々あったが、Aクラスの女子は本当に用がない限り、公の場所へは出向かなかった。
それが、完全に出向くようになってしまい、学園中が、少しずつおかしな方へと動いていると……。
他にもいくつもの問題が併合し、剣道部事件として、生徒会だけにとどまらず、風紀委員へも広がっている。
この学園は生徒達の自主性を大切にする方針であるが、先生方も少しだけ心配になるほどであった。
剣道部問題として取り上げられた議題の中に、そもそも女子剣道部を認めた覚えはない、という題も上がったが、それに関しては、男女共同部と認識して、通してしまった以上、今更撤回などできないと取り下げられた。
仮に、強引に問題にすれば、生徒会どころか顧問や最終決定した校長先生まで、無能さが露呈するとこととなる。
しかし、これ以上の膨張は防ぎましょうとなり、そして、とりあえず剣道部への入部は打ち止めという事態になった。
それが生徒達の中で不満となり、問題となり、横暴だと学園初のデモが起きた。
発生したのは、剣道部への入部を停止、という条例が張り出されてから、ほんの三日後のことである。
今現在、剣道部の部員数は、縁を入れて十五人。
正確には十三人なのだが、この条例の網を掻い潜る為か、はたまた、本当にそうなのか定かでないが、二人ほどマネージャーとして入ったのだ。
それを最期に、マネジャーの追加も禁止となった。
どれ程の生徒数が入部を希望したかは知らないが、サッカー部や人気のある部の人数を見れば、大して問題なさそうであるが、もしかしたらそういうレベルでない何かとんでもない問題が、幾つも発生したのかもとも推測できる……。
ただ、生徒会と風紀委員の対応で、そういった全てを、封じ込めることには成功している。
プラカードを掲げて練り歩くデモ生徒隊も、四日程度で見事、鎮静化させた。
さすがと言える。
元々、A組やF組の、人気ある者達だけで組まれた、究極の組織。
それが――、生徒会と風紀委員。
廊下を練り歩くだけで生徒達がざわめく程のメンツ。
一般の生徒達を押さえつけるなど簡単な話。不良グループが、暴力と恐怖で支配するのに比べ、圧倒的な魅力と品格でひれ伏させる。
この学園では、生徒会と風紀委員こそ、真のスター。
剣道部が出来てから約三週間。
色々な問題があったが、部活としては一応一段落した。
「床並部長、今日は学食じゃなくて、たまにはお弁当ってどうですか? 私、作ってきたので食べてみて下さい」
百瀬は、買ってきたほどに見事なおかず類を並べていく。豪華だ。
「へぇ、あなた凄いのね。モデルなのにそんな食べたらヤバくないの?」雨越。
「いえ、私は殆ど食べませんから。部長に食べてもらおうと思って」
百瀬渚。一年F組。ハイカラ・ベルという、なんちゃって制服コーデを、専門に扱う雑誌のトップモデル。
この学園の生徒も、百瀬が雑誌で着た制服をそのまま真似て登校している者が、数多くいる。
世の中でも、誰でも出来て簡単にネットにアップできるジャンルだが、やはり、多くの女の子に可愛いと選ばれたトップの百瀬は、コーデも着こなしも何もかもが断トツのカリスマモデルであった。
「あ~あ、せっかく部長と同じランチ食べたくて、お弁当持ってこなかったのに、残念。それに私も、お弁当作るの超上手いンですよ」小峯がポーズを決める。
小峯真貴。一年A組。リリギャルティーンという、超ド派手のギャル系雑誌のトップモデル。
モデルだけではなく、派手な役柄のドラマには引っ張りだこで、脇役とはいえ、既に数本の映画に連続して出演している女優の卵でもある。
食堂では、剣道部員達が不良達の指定席だった席を、奪い取ったカタチで座っていた。もちろんそのことを縁は知らない。
ただ、そこを誰も使わないので、必然的にそうなる。
女子部員達の希望で、長い休み時間や昼食などの時間を、常に一緒に過ごそうと暗黙の決まりごとになっており、周りからは、不良グループの上に位置する群れとして、認知された。
それも信じられないほど派手で、個性的な群れに。
ちなみに、この日までの剣道部の活動といえば、部室の掃除に三日間。そして、事務室や技術室などから貰ってきた木の板を、全員分切り分けて、それを美術室にて、二日かけ、自分独自の名札を作った。
いわゆる、部室や道場内で、出欠時に裏返す例の札だ。
その後は、各自が買い揃えた道着の着付け練習に一日。それが済むと、写真部を呼び、道着を着て色々なポーズの撮影を、二日ほど楽しむ。
いたる部活動から、剣道部は一体何をしているの、という質問が殺到する中で、ようやく運動部らしく活動を始めることとなった。しかし――。
全てのプログラムは、部長である縁が一人で考案したので、体力づくりと称した長距離走も、なんと縁の用意した折り畳み自転車で、学園内の大枠を皆でグルグル回るだけというもの。
傍から見て、ふざけながらのサイクリングにしか映らなかった。
防具をつけないのは全然良いとしても、竹刀すら持たず、剣道場で踊るダンス部の流す曲を聴きながら、ステップやダンスの練習などをする始末。
しっかりしているのは、柔軟や全身をくまなく使う、縁考案の体操くらい。
とはいえ、ゆっくりと時間をかけてこなす全てのプログラムを終えると、部員の誰もが、まだ五月の終わりという時期なのに、汗びっしょりとなっていた。
「部長、もっと食べて、これも美味しいですよ」百瀬が微笑む。
縁は、右を見ても左を見ても凄過ぎるオーラに、目も心も火傷していた。
女子部員達を、見慣れる日など来るのであろうかと困る。
縁にとって、見慣れるどころか日が経つごとに、部員への好感度やカリスマ度が増して、大変な状況であった。
これが心理学的にどういうものか分からないが、何度も見ている内に、そして、女子部員達の職業テクを浴び続ける内に、知らぬ間にどんどん魅かれ、心を持ってかれてしまっていた。
仲良く昼食を食べる剣道部員。するとそこへ何者かが近寄ってきた。
「床並縁君だよね? あの、ある人があなたと話がしたいって言ってるんだけど、ちょっと中庭まで来てくれないかなぁ? 今、暇でしょ?」
どう見ても暇な訳がない。昼食中。それに周りにも沢山の部員達が居る。
「えっと? なにか大切な用件なの、かな?」縁は、海老フライと割り箸を、口で挟みながら、もぐもぐと様子をみる。
「ちょっと、見て分かるでしょ? 今、食事中。というか、床並部長はFクラスだから、一般生徒の呼び出し禁止でしょ。もぅこれだから新入生は困るわ。ちゃんと生徒手帳の校則の欄を読みなさい」岡吉が諭す。
「いや私、一年A組なので、その子もそうだから。それなら平気なンですよね? 先輩。それとその子、風紀委員ですし、そういった話もあるので……」
「あっ、風紀ですか。また剣道部のことで何か迷惑とか起こりました?」
縁は部長として、部を復活させた責任者として心配する。とその女子も、小さくコクンと頷く。
「付いてきてもらえますか?」
その問いに縁は頷いた。
席を立つと、女子部員達も立ち上がる。
「あっ、あの。他の部員の方達は遠慮して頂けます。二人だけで会いたがってますので」
縁が再度頷き「ちょっと行って来るね」と行動を始めたが、そこに居る部員達、だけでなく、食堂に居るほとんどの生徒達は『二人だけで会いたがって』という、縁が何気なく流した言葉に、ガッチリと引っかかっていた。
呼びに来た女子生徒に連れられて、中庭へと向かう。
一階の校舎内にあるスペース。
縁はまだ一度もそこへ、足を踏み入れたことはない。
しばらく歩くと、ガラス張りの大きなホールへと着いた。そこから見える中庭のベンチに、一人の女子生徒が座っていた。
導かれるように歩みを寄せる。そして、目の前までくると、その女子生徒が立ち上がって、縁の方を見つめてきた。
「床並君よね。あの……ね、私、困ってます」
「す、すみません。なんか色々と迷惑かけちゃって。なるべく生徒会と風紀委員の方々に言われる通りにしますので、許してもらえませんか?」
縁はすごく真面目な口調で頭を下げた。それを少し不思議な顔で覗く。
一方、中庭のガラス面にどんどんと生徒が集まってくる。
そして、なぜ縁が呼ばれたのかを、興味津々で張り付いて見入る。その中には、デモに参加した生徒も多くいた。
もちろん女子剣道部員達も見ている。
「許すことはちょっと、難しいかも。生徒会とか、風紀とか、そういう問題では、なくて。私が、困るから。私、好きとかそういうのは……。今は仕事が楽しいし、一生懸命に前に進むので精一杯で。それにそういうのは、仲間にも迷惑がかかると思うし、それで若月に頼んで、来て貰ったワケなの」
「ですよね。色々と、デモとか起きちゃいましたもんね。反省しています。剣道部として……じゃなくて、部長として――」
「ちょっと床並君? 剣道部の話じゃないンだけどな? 私がしているのは」
縁は、女子生徒の問いかけるような言葉に、伏し目がちにしていた視線を上げ、その女子生徒の顔へと向けた。え? と驚く縁。
「深内麻衣さん?」
「そうだよ。今気付いたの? それじゃなんの話してたの?」
深内がクスクスと可愛く微笑む。
軽く指を握る手で、口元を隠し、女の子らしく笑う。遠く離れた場所からでも、その仕草で男子の心をズバズバ射抜く。
「一年A組、深内麻衣です。でそっちに居るのが、同じA組で同じデジタル・レーヌに所属している、若月清花ちゃん」
「あ、どうも。一年F組の床並縁っていいます。剣道部の部長をしています」
動揺する縁に、深内も若月も知っているわよと可愛く笑う。
二人共ありえないほどドラマ的仕草だ。これはテレビに出るような子のあるあるネタかも知れないが、とにかく仕草やリアクションがオーバーだ。
更に声がデカイ、というか通る感じだ。他にも挙げたらきりがないほど一般とは違く、剣道部の女子達もそうで、ほんの数週間いるだけで、縁は何度もそういったことを感じさせられた。
そして今、目の前に居る二人もそういった類のオーラを放つ。
「床並君がね私のことを、ファンというか、好きになってくれたのは、個人的には嬉しいンだけど。私は、やっぱりアイドルだから。許されないの……」
縁の当てずっぽう式回路が、必死になって深内の言わんとしていることを探す。しかしなかなか答えが出てこない。なにもピンとこない。
「キス……。したの? やっぱり困る私」真っ赤になって下を向く深内。
深内の斜め横で、若月も照れたようにモジモジとしていた。縁の視界ギリギリに、その姿が映り込んでいる。
「あっ、寧結のっ! なんか言ってた……あっ」
縁がようやく何かを思い出した。
思い出せたことは殆ど奇跡に近い。今から数週間も前の、それも寧結が勝手に放った言葉。
大抵の人は、一日二日前に自分で言ったことでさえすぐに忘れてしまう。それがはしゃいでいたりその場のノリで出た嘘や台詞なら尚更。まして、気持ちの切れた後日に、すぐ思い出せる人は少ない。
そんな経験誰しもあるはず。いきなり『オマエこの前そう言ってたジャン』などと責められる。
縁は思い出すには出せたが、それがなんなのかまでは分からない。目の前の深内が何を言っているのか、その内容が把握できないのだ。
「あの~。妹がちょっと、なんか、深内さんの名前を出してしまって、それでなんか、その、迷惑なことに……ってことですよね?」
「妹さん? 違うよ。私は、その、ファンとしては見れるけど、なんて言えばいいかその、……いや、自由なんですけど、自分で購入したポスターだし。ただ、色々聞いちゃったから。毎日話しかけて……、その、キ、キス? してるって……」
途中までいうと恥ずかしさから顔を覆い、乙女チックに全身で照れる。
縁も恥ずかしさが伝染して体中から蒸気が噴き出す。ありえないと。
誰が毎日ポスターに、愛を囁いてキスしているのだと……。
何処からそんな噂が流れ、何処でそんなねじ曲がったのか? まるで伝言ゲームのお題と最終的な答えが、とんでもないものに変わってしまった時のよう。
どれほどのねじ曲がりかは分からない。寧結が発したあの日から、いつの時点で深内麻衣の耳に入ったかも凄く重要だ。
その日の内か、二日や三日後なのか、それとも一週間後?
縁は混乱して壊れそうになっていた。ただ、何かを責められているのには間違いないとそう思い、どうにか言い訳をしないとと試みる。
「あ、それ、誤解です」
「誤解? どういうこと」深内が真顔になって縁を見る。
「俺、深内さんがどんな噂を聞いたのか、ちょっと分からないですけど、ポスターにキス……とかしてないです。前に一度だけ、妹の部屋で、妹に後ろから押されてそれで、口が……というか顔がポスターにくっ付いた、いや、ぶ、ぶつかっただけです。変なこととか絶対、その、してません。信じて下さい」
必死に弁解する。どうにか許して貰おうと。
「でも……私のファンなんですよね?」
「それも、ご、誤解です。俺じゃなくて、妹が凄くファンみたいで、俺はアイドルとか女優とか全然知らなくて、逆に、剣道部の皆から、何度も注意されてるくらいですから」
フ~ンとふて腐れる深内。
目が少しだけ曇っただけなのに、その変化に縁はビビる。
そしてまた「本当です、信じて。全然ファンとかじゃなくて」と畳み掛ける。
と――。
「分かった。もう分かった。いい。もぅいいから」
深内の目にじわじわと綺麗な涙が浮かぶ。縁はその目に、絶望にも似た罪悪感を背負う。どうしようと焦る。心のうろたえが半端ではない縁。
とそこに、女子剣道部員達が雪崩れ込んで来た。
「もう話は終わったようね。それじゃ行こう床並君」登枝が腕を引っ張る。
反対側を「そうね」と香咲が引く。縁は「でも俺、なんかマズイことしたみたいで、謝らないと」と何度も腕を引かれながら振り返るが、その背中を「い~いの」と百瀬が押していく。
ガラスの壁に群がる生徒達も似たような雰囲気だ。
それは深内が泣いたことにあった。泣いたといっても仮泣き程度だが、何故だか女子は、女子の涙に苛立ち、怒るのだ。それも、男子に見せる涙に特に反応する。
理由は謎だ。だがそういうケースが多々ある。もちろん全てではないが。
細かな理由は別として、女子と男子では真逆の反応と言える。
例を挙げると、仕事場などで失敗して落ち込んでいる子がいたとする。女子はその子を可哀そうだと「大丈夫?」と慰める。それこそ男子よりも女子が率先して。頭を撫でたり優しい言葉をかけて、それを何もできない男子が佇んで見て『女子って優しいな』と。
素敵だな~って感心している矢先、失敗した子がちょっとでも泣こうものなら、女子達は豹変する。それが男子には分らない。
逆にさっきまで戸惑って何もできない男子達は、泣いているか弱い子を見ると、手を出せずこまねいていたはずの奥手男子までもが、男性本能が湧きあがり、普段弱虫な男子でさえピンチに立ち向かえたりする。
男子のそれは人としても動物としても、守るという本能であり、その単純さゆえ簡単に解読済みなのだが、女子の複雑な回路はまだ解明できていない。
上辺での解釈ならいくらでもできるが、それこそ落とし穴なのだ。
幼い女の子が泣いているのに、置き去りにするような罪悪感を、背中で味わいながら、縁は中庭から連れ出されていく。
何度も振り返り、廊下に出てからも、何度もガラス越しに深内の姿を目で追う。が、あっという間にバイバイとなった。
「あ~、時間の無駄だったわね。食堂戻って食べる時間あるかな~」
小峯がぐずる。
「ないわね。片付けてお茶して終わりじゃない」岡吉も口を膨らます。
日野と君鏡はこの豪華メンバーの後ろから、目まぐるしい流れに溺れないよう、必死にバタ足で泳いでいく。
昼食が終わり、午後の授業を済ますと、いつものように部活の時間が始まった。
「えっと、今日の出席は~。部長、登枝さんと香咲さんは仕事が入ってたらしくて、午後授業から早退です。あと園江さんと三好先輩は美術部の課題が終わり次第こっちに来るって言ってましたけど、折紙先生が二人とも今日は、絵に集中させるとのことで~す」
縁は、裏返る名札の名前をチェックしながら、剣道部ノートなるものに、色々と書き込みチェックしていく。
剣道部部員名簿。部長、床並縁、一年F組。
男子部員二名。濱野明則、二年C組。今込光流、一年F組。
女子部員十名。岡吉エレナ、二年F組。雨越虹、二年F組。三好鞘納、二年B組。美術部と兼部。園江雅、一年F組。美術部と兼部。
箱入君鏡、一年D組。日野明日花、一年D組。百瀬渚、一年F組。
登枝日芽、一年A組。香咲栞、一年A組。小峯真貴、一年A組。
マネージャー二名。寺本恵真、二年D組。葉阪芳里、一年C組。
顧問。折紙切絵、一年F組担任。美術教師。美術部、剣道部兼任。
以上が剣道部、現時点のメンバーである。
「部長~。今日も部活見学希望者が来ていたんですけど、全部断っておきました。いいですよね?」縁の横にピタリと付いた寺本がいう。
「そうだね。ダンス部にも迷惑かかるし、こうしょっちゅうだとさすがに」
縁もホトホト困っている。部活に入れないなら、せめて見るだけでもと、多くの生徒達が何度も見学に来ていた。
確かに女子部員達を見ていたい気持ちは分かる。
ペットボトルの開け方一つにしてもそう。胸に抱え込んで、可愛らしくキャップをねじねじしたり、小指と薬指を微妙に曲げつつ、残り三本の指先で、クルクルとキャップを回してみたり。
部員の数だけ可愛い個性が溢れている。
開け方や飲み方だけではなく、そういった細かな仕草全てが可愛いということ。当然、いつまでも見ていたと思うのも仕方がない。なにせ、それを仕事としている訳だから、例え抑えても、隠し切れない魅力が溢れ返っていた。
縁も他人事ではなく、女子部員達の魅力には、何度も泥酔させられ、ヨロヨロの状態で必死に転ばないように踏ん張っている。それほどの魅力。
縁もまた年頃の男子である。
日野と君鏡は、あまりの女子力の差に、眩し過ぎて目がしょぼしょぼしていた。完全に陰る一般女子部員達。
これならまだ、マネージャーの二人の方が少し目立てる。というか、縁との会話の接点が持てる。
せめてもの救いは、君鏡には日野と、園江は三好、という話し相手がいて、部活という意味では楽しく過ごせていた。
「遅くなりました~。おはよぅっす」
少し遅れて今込が飛び込んできた。よくあることだ。
今込は名札を裏返すと嬉しそうに柔軟体操を始める。
今込光流は、グラス・エイジというメンズ雑誌のモデル。
雑誌社が主催するイベントで、読者が選ぶB少年というコンテストでナンバー1に選ばれ、一気に人気が上がり、今はモデルと俳優の両方をこなしている。
皆、仕事に学業と忙しいはずなのに、率先して部活に出てくる。
その理由は定かでないが、本人達は意外と楽しんでみえる。
ただ、忙しいのは間違いない。
結構な確率で全員が揃うこともあるが、一度だけクラスAとFの殆どが欠席するという女神の休息なる時間が生まれたことがあった。
その部活の時の、日野や君鏡や三好、マネージャーの寺本と葉阪のはしゃぎぶりはなかった。
ちなみに園江でさえ、仕事が入り欠席していた。
園江の仕事はネット関係らしく、おもに声優などの類らしい。
「床並部長、夏の合宿の件は決まった?」今込が縁の肩を揉む。
縁はくすぐったがりのようで、ふにゃふにゃとくねりながら答える。
「まぁ、大体は。ただ、皆のスケジュールを合わせるのが結構微妙らしくて、誰かがちょっと譲ることになるからって、女子達で誰が折れるか話し合ってるみたい」
「へぇ。でも仕事だし、誰も譲らなそう。ジャンケンで決めればいいのに」
今込はプログラムをチェックしながら、いつもの運動へと戻り、こなす。
「俺さ、剣道部に入ってから三キロも痩せた」
「それ、私も。あまり運動してない感じなのにね」
今込の台詞に百瀬がいう。と小峯が。
「よく汗かくし、水分の分かな?」
「でも俺、仕事の先輩から、最近体が引き締まったなって言われたぜ」
嬉しそうに話しながら、凄く簡単な体操をしていく。
いつも剣道部の方を見ているダンス部も、剣道部のいない時を見計らって、縁のプログラムや柔軟などを、少しだけ真似て取り入れている。
そして今も、剣道部夏合宿という話を羨ましそうに聞いていた。
この合宿話が上がったのは数日前で、縁は最初、予定が入っているからと即答で却下した。おまけに夏休みには、進卵学園一年生の、三泊四日の修学旅行もある。
どう考えても無理じゃないかなと思った。しかし、部員全員の強い希望と粘りに負けて、縁は部長として考えてみることにした。
そして出した答えが、縁が毎年必ず訪れるとある場所を、夏合宿場所とした。
ただ、一つ気がかりだったのが、既に仕事をしているAとFクラスの者達。
どう考えても大変なのではと逆に問いかけた。
すると口を揃えて「逆に助かる」という。
その理由は、進卵学園の規則で、A組は夏休みに最低一週間分の登校が義務づけられていて、F組は四日間。もちろん休むシステムを利用した者だけだが。
更に学期中、休みが多過ぎた者は、ケースに応じて数日ほどプラスされる。
普段、何週間も休むのだから、約二ヵ月の夏休みに週一日登校くらいはしなければならないということらしい。しかしこれは、あくまで登校であり出欠である。
勉強もするが、課題提出や部活動でもよしとなっている。つまり、夏合宿の出席は、この制度にドンピシャとハマるのだった。
要するに、合宿に参加する者は、学校登校を免除、と同じことになる。
他にも個人的な意味合いがいくつかあいまって、部員達の強い要望となった。
とはいえ、普通、A組で部活に入っている者などいない。
Aよりは大分余裕のあるF組でさえ半々、いや、少数といったところ。
F組で無理してでも部活をしている者には、それなりの理由があるようだ。
夢に向かって歩んでいる一方、学校をエンジョイできているかと言えば、仕事との両立をしている者達の殆どは出来ていないとなる。
それどころか、いくつもの苦痛を感じている。
学校に話せる友達が一人でもいれば、まだいいが、実際は、話せても友達ではなかったり、思い出になるまでの深い想いが持てない状態でいる。
仕事に関しても、他人が想像しているのとは、まるで違う所で、丸くなって膝を抱えていた。
小さな頃から憧れた世界……。そしてそこへ足を踏み入れ、眩い光を浴びる。
多くの声援に、それこそ幸せを全身で感じる。
しかし、人とは欲深く飽きっぽい。
いつも同じ客の顔、同じ歌では、満足も納得も行かなくなる。
他にも嫌な思いを沢山して、仕事が嫌いになる時もある。
それが仕事だ。
夢であると同時に【仕事】なのだ。責任もある。下手をすればとんでもない借金を背負うことだって、怖い思いをすることだってある。
学校生活や青春を犠牲にして、階段を上るしかない。
かつての自分が描いた夢の場所まで、辿り着けるのかと、夢中で歌い踊っても、そんなものは存在しないと気付く。
そして、大人達の汚さや、お金という名の存在に翻弄されていく。
自分の価値を見失い、それでも必死にもがく日々。
頑張れば自分の価値を世間に認めて貰えるかもと、いっぱい挫折して失敗に絶望しながら歩く道。そんな、辛い世界に身を置くからこそ、少し無理してでも、本来あるべき青春の欠片や、思い出を欲しがる者もいる。
今、剣道部に通う者達は、その迷いの真っただ中にいる。学校への思い出づくりの為、仲間づくりの為、自分探しの為にこの剣道部へ通っている。
日野や君鏡ももちろん、青春という名の悩みはあるが、夢に踏み込んだ者達は、そう簡単に上った階段を下りられない。
夢を諦めるのは誰にでも出来るが、夢を降りるのはそう容易くはない。辞めた後の自分は、その価値も存在も薄れて消えてしまう。
そんな蜃気楼の中、剣道部に入部したアイドルやモデル達は、不思議と心を安定させていた。
自分達は高校生活をエンジョイしているのだと。仕事でないもう一人の自分も、ここで精一杯生きているのだと。
一般の生徒達と同じくらい、いや、それ以上に笑えていると。まさに公私ともに充実していた。
普通に生活している君鏡は、自分の何倍も咲き誇る花々、そして華麗に舞う蝶達を目の当たりにして、これが同じ女子高生なのかと愕然としている。
けしてスタイルは悪くないと思っていた日野も、道場内にある大鏡で、それらと並ぶ度、自分が太っているのではと思うようになっていく。
覚悟を決めて、夢の世界で生きる者達とは、そういう差があった。
「ふぅ。やべっ。マジ汗かいた~」今込が大の字に寝っ転がる。
他の部員達も次々と休んでいく。そんな中、濱野だけは動き続ける。そして毎回縁へと問いかける「もっとキツイ運動しなくていいの?」と。
「濱野さんも休みましょう。あまり無理してもなんですし」縁が笑う。
「でも、俺は全然いけるよ。まだまだ。二年だし、皆より~体力があるのかもね。運動神経は良くないけど、マラソンとかは結構得意だし」
汗びっしょりで濱野が胸を張る。どうだ、とばかりに女子に凄さをアピール。
しかし縁は、一切プログラムを増やさない。別に、専門的な知識でそうしているという訳ではなく、実際に濱野の言っていることは少しだけ合っている。
それは仕事と両立している者、しかもその女子達に合わせているから。
そのせいで、濱野一人が痩せていない。両立している者や女子生徒は、丁度良く体重が減り、どんどん健康的な体へと生まれ変わっていた。
「ねぇ~。もっと運動とか稽古とかしない? そうだ、自転車使わないで、たまに他の部みたくランニングするのはどう?」
「あ~、確かに。でも濱野さん、それ、却下です。申し訳ないですけど」
縁は申し訳なさそうに断る。
それに悔しがってぐずっている濱野。濱野もまたこの剣道部で高校生活をエンジョイしていたのだった。しかも楽しくてしょうがない。なにせ、一度も部活などしたこともなく、まして文化部でなく運動部で、部員の中で一番体力が有り余っていると感じている訳だから。
実際は、濱野がもし、サッカー部やバスケ部などに入部していたら、半日もたずにゲロを吐いて登校拒否になる。
部活のブの字も味わえず、とても楽しいなどとは感じることはできない。
現に、運動の得意な生徒達でさえも、各部で必死に食らいついていて、日々限界スレスレを駆け抜けている。
「それじゃ先輩。コンビニ行ってドクターペッパー買って来てくれます?」
今込がニヤニヤしながら濱野に頼む。
「えっ? 俺? なんで?」
「だってこの中で先輩以外へばってますし。見て下さいよ。先輩だけですよタフなの。皆この有様。この場で立っていられるの先輩だけじゃないっすか」
今込が笑う。
「え~でも、また俺? なんか毎日じゃない? 俺?」
「そうよね。いくら濱野先輩でも本当はヘトヘトですよね? 今込君無理言っちゃダメだよ。濱野先輩が一番疲れてるってことだってあるンだからね。後輩ならさ、そこら辺の配慮を考えないと。ねえ濱野君」雨越が面白顔でそう告げる。
「いや、だから全然疲れてないから俺。疲れてるように見える? ほら、見てよ、ほら。ねっ」
「後輩の前だからって、無理しなくていいのよ、濱野君」
岡吉が少し冷たく言い放つ。
「分かった。じゃあ、行って来る。ジュースね。全然平気。体力余ってるから」
濱野がその台詞を言った瞬間、皆が一斉に道場の壁際に財布を取りに行き、一斉に戻ってくる。
そして「私はイチゴミルクのパック」「私は~」と順番に押し付けていく。
注文を聞き終えると、すぐに買い出しに向かう。
勢いよく走って行く濱野に「間違えんなよ~先輩」と誰かが言った。
「おう。俺がそんなドジに見えっか? ちょっと待ってな、急いで行って即行戻って来っから。全然疲れてないからさ~」
そういって立ち去って行った。もう何度も見た光景だ。
縁は、自分のプログラムが招いたことだと、少し反省するが、元々の始まりは、濱野があまりにもしつこいのを見かねて、今込が助け船を出してくれたのだ。
それから何度もそんなことが続き、今では恒例になってしまった。なので、虐めなどの類ではなく、どちらかといえば、濱野自体がしつこくし、未だにやめてないことが原因とも、大いに言える。
のんびりと運動し、緩やかに和む。
少しずつだが色々な話もする。
縁と今込は同じクラスということもあって、凄く打ち解けていた。今の所、この学校で一番の友達といって差し支えないほど。
ジュースを飲みながらくつろぎ、皆で話す。ダンス部まで休憩している。
「濱野先輩。なんで自分の分買ってこないンですか? せっかく行ったのに」
「え、だって、床並部長も買ってないし、俺も別にいらないかなって」
やはり少し変わっているというか独特な人だなと、部員皆が濱野を見る。見た目もそうだが、口調というか雰囲気がそう感じる。
走って来て汗びっしょりなのに、余程疲れていないとアピールしたかったのか、しばらく荒い息づかいを隠す。そんな姿を見ての台詞だった、なのにこの受け答えである。
他の部の様な上下関係はなく、明るく和気あいあいとしている。
あるとすれば部長である縁に対して、皆が少しだけ気を使う程度。でもそれも、他の部ほどではない。
毎日少しずつ育まれる絆。一気にというより徐々にだが、傍から見ていて羨ましいような部活だった。
本来ならば、仕事に慣れている者達がこれだけいれば、一日二日で仲良くなったフリが出来る。それが出来なければ、社会ではやっていけないし、使い物にならない。しかし、そういった上辺ではなく、ゆっくりと一般の生徒達と何も変わらない手探りで、少しずつ心の距離を縮めていく。
一番近くで見ているダンス部がその変化を見て、まるで自分達まで仲良くなった気になって、たまに紛れて来ようとするのだが、その時の距離感は、拒絶とまではいかないが、やはり他クラブであると再認識させられる。
「さて、それじゃそろそろ部活、再開しますか」今込が立ち上がる。
その声に一番に立ち上がったのが濱野。次が君鏡で、次が日野であった。
「よ~し、がんばろうっと」君鏡も運動部に燃えていた。