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バースデイ  作者: セキド ワク
43/63

四三話  行き交う魔女たち



 旧校舎のような雰囲気が漂う廊下。空気自体がどんよりと淀んでいて、蛍光灯もついていない。

 まだ外が明るく、所々にある窓から光が射し込むので問題はないが、薄暗い。


 この廊下は校舎の二階外れにあり、文化部の部室が並んでいる。


 一番手前から美術部、吹奏楽部、文芸部、演劇部、家庭科部、茶道部、放送部と人気順に並んでいる。そしてここまでは何の問題もない。

 ただ、今挙げた部活の殆どの活動場所は別だ。

 美術部も吹奏楽も、文芸部にしたって図書室などを行き来する。放送部も茶道部も家庭科部も同じだ。そしてその空っぽな状況がこの廊下の雰囲気の要因の一つである。更にそこから先の不人気な少数人部活が問題だ。



 奥へ行けば行くほど不人気で怪しい部活となる。ただ人気が無くても、天文部や新聞部はまだ手前にあるわけだ。


 校内で最も長く感じる廊下。


 書道部、映画研究部、アニメ漫画部、まだ部活としては成立している。

 更に奥へと進む。人の気配がしない。段々と同好会の匂いがする。そして最後の三つ手前辺りから、急に辺りが暗くなる。


 そこは部室自体が使われておらず、更に部屋が暗幕などで閉ざされている。

 日差しで中の物が痛まないようにか、使われていないからという単純な理由でか分からない。


 文化部の者達も、自分の部室より奥へは行きたがらない。

 それは不気味だとか縁起が悪いとか色々な意味合いがあるが、何より、一番奥は不良達の元溜まり場であったからだ。


 谷渕らは屋上や空気の通る場所に溜まるのだが、真冬はたまに来ることもある。三つある空き部屋。そのカギはその時代を牛耳る不良達が持っていた。


 小学校と高校が背中合わせになっていて、裏と呼べる場所がないから仕方がないと言えるが、文化部で、更に奥に近い部、いわゆる人気がない部にはたまったもんじゃない。




 カラカラと静かにドアを開ける。全開にはせず細い隙間から中へと入った。

 ここが約束の場所。手紙にはそう記されてあった。


 真っ暗で何も見えない。この部屋にずっといても、目が慣れることがないかもと思うほどの暗闇。

 と突然、何者かが襲い掛かってきた。ビックリして抵抗しようとしたその時。


「待って、私。篠崎です。お願い、動かないで。床並君。私……、私ね」

 そういって体をまさぐってくる。

 暗闇の中で甘く柔らかな体がピタリとくっ付く。その行為に身動きが取れない。まさに奥手のせいだ。舞い上がって息すら吸えない。


 篠崎は、いかに自分が縁に好意を持っているかなどを告げながら唇にキスをし、相手の胸のボタンを数個外す。そして首筋から下へと落ちていく。

 胸を舌先で愛撫しながら、今度はチャックを下した。


「ちょっ、それは、ま、待って……」あまりのことにさすがに拒む。


 だが篠崎の流れるようなテクは止まらない。

 唇から胸に移った流れと同じように、胸から下へと落ちる。すでに篠崎の手は、暗闇の中でイケナイものを引きずり出している。そして、ゆっくりと舌先が触れ、そこから優しく咥え込んでいった。



 いやらしい声と音をさせながら「どお? きもちいい?」と尋ねる。

 経験豊富な大人のテクが、純粋無垢な坊やを支配し、ビクつかせる。

「床並君、私のこと……好きになって」




 一方その頃、剣道部員達は一段落して休憩に入っていた。


 一緒に昼食をとりたかった吉原先生は愚痴る。そんな中、濱野や今込が、君鏡をチラチラと見る。

 自分でも理由は分からないようだが、どうしても目がいってしまうようだ。

 練習している間も、何度も何度も目を奪われていた。


 女子部員達は意識しているものの、視線を奪われることはない。しかし男子は、剣道部に限ったことではなく、見学者やダンス部に至るまで、君鏡に目を奪われていた。

 短い髪から覗く小さな耳やつぶらな目。四歳女児が、短く可愛らしくカットされているような印象。


 短いだけなら世の中には沢山いる。それに運動部の女子は短い方が多い。

 しかし、それとはまったく違う。長い髪よりも女の子らしく、可愛らしい。


 君鏡の変化が分かっている者ほど、目を奪われていく。

 まるで昔付き合っていたブスな彼女が、縁という彼氏と付き合って美女になったような。自分と並んで撮った写真と、縁と並んで微笑む彼女を見比べる。

 自分ではしてあげれなかった敗北感、縁の横で、別人のような笑顔で楽しそうに寄り添う元彼女。


 ブスというレッテルを貼った自分こそがクズだったのかもと実感する。それほどに君鏡の可愛さは大化けしていた。


 瞬きも息づかいも、仕草の何もかもが可愛く感じてしまう。



「床並君聞いてる? お昼、なんで私を呼ばないのよ」

「だって、先生……食堂で~食べます?」

「嫌よあんなガキばっかのとこ。だから、道場で――」

 ブツブツと文句を繰り返す吉原先生。今は美術室だが折紙先生も同じ意見だ。

 要するに昼食が寂しいという愚痴だ。



 と、道場のドアが勢いよく開いた。皆が振り返る。

「ったは、あばっ、……ほふぅ」

 そこにはボロボロな感じの裏画が立っていた。まるでゾンビの様。ワイシャツのボタンが上から数個目まで外れ片側の肩がはだけて見えている。ベルトが緩いのかズボンも斜めにズレ落ち、チャックもきちんとは閉まっていない。

 鉄の部分が盛り上がって丸見え。


 片方の上履きは履いておらず、(ぞく)か何かに追剥(おいはぎ)にでもあったような身なりだ。


「どうした裏画」駆け寄る濱野。

 コントのような格好にちょっとだけ笑いを堪える縁。部長だからと様子を見ようと立ち上がる縁を「大丈夫だから、床並君は休んでて」と濱野が止める。


 その言葉に大したことじゃなかったんだと、皆ひと安心した。確かに服装は乱れているが、汚れているような感じはない。敢えて挙げるなら、上履きを履いていない方の靴下が真っ黒というくらいだ。それ以外に問題はない。



「皆、俺と裏画でジュース買ってくるからさ、ちょっと待ってて~」

 濱野はそういうと裏画を連れて出ていった。その姿を百瀬と園江が不思議そうに見ていた。一体何があったのだろうと。



「どうした裏画。何かあったのか?」

「あぶっ。ぼ。……あっで。やら、ヤバかった」

「大丈夫か、まずは落ち着け。何があった詳しく教えろよ」

「あ。ぁあ、チン、……コポ、食われた。襲われた。すんごい怖かった」

 何を言ってるか全然分からないと濱野が詰め寄るが、裏画は錯乱していてうまくしゃべれない。仕方なくジュースを買って道場へと戻る。


 着崩れた服は直したが、崩れた表情だけは元に戻らない。ホケッとしている。

 妖怪にでも生気を吸い取られたような顔をしている。


 部員達は改めて裏画を見るが、何もないようにしか見えず後ろへと流していく。


「と、床並君さ、どこに居たの? 生徒会室からすぐに戻ったの?」

「いや、ちょっと用があってね、家庭科室に」

「家庭科室……。そう……なの」


 縁は、文化祭でお世話になった飯塚苗にお礼をと、ささやかなプレゼントをしに行っていた。プレゼントとは、家庭科部で使えるようにと可愛らしいエプロンと、頭にするバンダナ。


 飯塚は、永尾の件でチャラになったと思っていたからか、後悔していたからか、縁からのプレゼントを受け取ると、うるうると涙ぐんでいた。

 縁にしたら学校行事とはいえ、二日間もただ働きさせる訳にはいかない。

 きちんとお礼を言いたくて、プレゼント持参で挨拶しに行ったのだ。

 迷惑かけてごめんねと。


 ただ実際は、二日間で出たオムライスは両手の指で数えられる程度。とはいえ、準備で用意した数はそれよりも多い。


 文化祭当日は家庭科部の関係で家庭科室に居たのだから、飯塚にとってはさほど苦な作業はなかったが、結果的に良いコトをすると良いコトが帰ってくるのだなと教訓になった。


 家庭科部内でも縁のその行為に羨まし過ぎると悲鳴が上がる。

 この噂が広まれば、前夜祭で縁がお願いしに来た時に、邪慳(じゃけん)に扱ったことを後悔する者も出るだろう。



「何か手紙もらったとか……ない?」

「手紙? あ~。うん」

「行った?」

「行かないよ。そんな暇ないから」

 縁はそういうものは一切無視。自分に関わりがある人なら別だが、見知らぬ人の何かには一切相手にしない。


 他の人がそれを見ると色々賛否両論あるだろうが、縁にはさほど深い意味はない。縁にとっては当然の選択。


 縁は一日にしたいことも、やらなければいけないことも多い。百以上ある中から三十件位をチョイスする。その優先順位は凄くシビアで、本来七十個くらいは気になって仕方がないほどだ。


 だがそこはグッと堪える。普通の者には分からないことだが、縁はずっとそうやって我慢してきている。

 なにせ、通いたかった学校を我慢していたほど、生活を制御しているのだから。


 篠崎の誘いに乗る訳がない。優先順位が百位にも入れないそれに動かない。


 これが部員のことであったなら大分違うが、知らない誰かの想いに答えてあげるほどの余裕が、縁にはないのだ。

 縁自身の想いや願いさえ、半分以上が妹に消えているのだから。



 ジュースを飲みながら代金精算をする。そして休憩を終えて練習に入った。


 裏画と話し続ける濱野に、室巣と木垣が「相手して下さい」とせがむ。

 濱野も練習がしたくて仕方ないのだが、裏画がとんでもないヘマをしていないかも気になる。なにせ、『食われた』とか『おっぱい』とか、ヘンテコな単語が十個以上聞き取れた。



 部員達が練習を再開して数分が経った時、道場に篠崎が現れた。

「ちょっといいかな、床並君、ちょっと」

 手招きする篠崎。


 縁がゆっくり歩いて近づくと、篠崎も上履きを脱いで入ってきた。

 そして縁と向かい合って何かを確信する。そう、やはり別人であると。



 目の前で実感して、改めて悔しがる篠崎。

 自分の策が、ヘンテコなことになったと。


「もぅ。どういうこと? 床並君、アナタが仕組んだの? ねぇ? 何か私に言うことないの?」

 少し取り乱す篠崎に場が一斉に静まる。ダンス部や見学者達も『また事件?』となる。


「ちょっと、言ってる趣旨が分からないンですけど、説明とか何も聞いてないし。ただこっちからどうしても一つ言っておくことはあります。あのですね、これからもそうなんですけど、道場に入る時と出る時は、きちんと一礼してもらえますか。出来れば今」

 縁のそれに、ダンス部だけがズッコケる。

 剣道部員と見学者達は何度か聞いた台詞。もちろん吉原先生もそれは守ってる。


 深くお辞儀して入り直す篠崎。そしてもう一度縁に質問する。

 だが、何を聞いても縁はまったく知らない感じだ。いや、知らない。それぐらい篠崎には読み取れる。

 多くの人と騙し合いや駆け引きしてきてる篠崎には簡単なこと。


 篠崎は縁と話しながら色々なミスを反省する。折りたたんだ手紙を直接机に置いたのがまずかったと。たぶんF組の女子数人が中を開いて確認したに違いないと。これでは、剣道部が関わっているかさえ絞れない。


 が、篠崎にはたった一つだけ手掛かりがあった。それを縁に見せる。

「これなんだけど、知らない? 落し物なの」

 プラプラと上履きが揺れる。裏画が脱ぎ落したガラスの上履き。


「知らないけど。先輩の用ってそれだったんですかぁ? そっか。良かった解決できて、それは知らないです」

 いや、どう考えても裏画のだ。だが縁は本当に知らない、というより忘れている。裏画が片方靴下で戻ってきたことを。

 それは、濱野対応の案件になった時点で、縁の記憶から削除されたのだ。


 篠崎は仕方なく男子部員に聞いていく。

 今込も「え? 知らないよ。にしても汚い上履きだな」という。今込も裏画のことなどあまり眼中にないのだ。次に濱野。濱野も当然知らぬ(ぞん)ぜぬを貫く。

 だが濱野は知っている。細かな成り行きは分からないが、裏画の上履きだとは、知っている。



 百瀬と園江は焦っていた。そしてほとんどの女子達は、それが裏画のモノだと分かっている。女性というのは、もっと細かなアイテムでもきっちり覚えている。

 誰がどんな文房具を使っているか、鞄に付いたキーホルダーまで。だが黙る。


 篠崎が諦めかけたその時……遠くで声がした。

「それ~。もしかして裏画先輩のじゃないっすか? ですよね?」室巣。

 皆が一斉に振り返る。縁も今込も「そうなの?」と不思議顔。

 それ以外の者達は、室巣のそれに心から溜息をつく。


 室巣は凄く目立ちたがり屋だ。自分が喋れるならどこでも出張るし口を挟む。

 話すことが大好きのよう。一度話すとなかなか止まらないこともある。

 よく思い出せば、寧結のツケとケツ事件を説明する為に、クラスの出し物を放り出して縁と会話してたくらいだ。

 特に火を使う系なら、商品を焦がしたり色々あってなかなか手を離せないはず。商売に慣れている訳もないし、友達に「みてて」と、仕事を放り出してきたことが分かる。



 半分以上諦めていた篠崎の目に火が灯る。

「誰? 誰のですって? ちょっとそこの子、もう一回言って」

「だから、裏画先輩のじゃないかなって。さっき……」


「ちょっと室巣君、勝手なこと言っちゃダメだよ。違う人のだったらその人が可哀そうだろ? 困ってると思うぞ、上履きが片方無いんじゃさ」

 濱野が必死に室巣を止める。……が。


「え? だってさっき裏画先輩がすっごい感じで……」

「室巣君。バカだな。室巣君、違うから……違ぅからぁ」

 駄目だ。今更篠崎の目をごまかせない。これ以上庇えば、濱野の方が危ない。


 裏画と篠崎に何があったのかも分からない状態では、これ以上深入りできない。


「でぇ、その裏画君はドコかな?」

 裏画はダンス部の輪の中で小さくなって隠れてる。それをダンス部の女子が笑っている。と、またも室巣。更に木垣まで探す。

 探さないでいいのに、状況見れば分かりそうなものなのに、どうして空気が読めないのだろう。

 普通に考えれば自分から名乗り出る、それが無い時点で色々気付けるはず。まして隠れているのに探す……、アホだ。


 だが室巣は目立つこと、そして自分のことで手一杯。

 そしてライバルである室巣の活躍ぶりに木垣も焦ったようだ。一日も早く自分も剣道部になじんで仲良くなりたいと。よくあること。

 一人一人がそうやって日々悩んでいるのだから。


 敢えていえば、二年の小川育海と一年の山又栄子も、早く部活に溶け込みたいと思っている。



「先輩。裏画先輩。おっかし~な。さっきまで居たのに」

「そんじゃ帰ったんじゃないか?」濱野のナイスボール。


「そんな~、絶対ないっすよ。裏画先輩に限って。先輩? どこっすか。あやし~いぞ。なんでっすか? 超変じゃないすか?」

 縁も今込も室巣の台詞でとくっに真相に気づいている。裏画は篠崎の前に出たくないのだと。しかしそれを引きずり出そうとしているのは部の後輩。それも昨日は休みを返上で指導してあげたのに……。何とも残酷な話だ。



 しばらくして、ダンス部の輪から大きな欠伸をして裏画が立ちあがる。

「どうしたの? はあ~あ、眠い。寝てた」嘘だ。

 ダンス部は小さくなって震えていた裏画を見ている。その裏画が一世一代の演技に挑んでいることが面白くてしょうがない。もちろん篠崎と裏画に何があったのかは知らない、が、それでも他人の争いは楽しいもの。


「ちょっとさ、この上履きってあなたの? そうなの?」

「え? 違うけど」うそぶく裏画。

「その声、聞き覚えがあるわ」篠崎も嘘を付く。

 本当は分からない、だが、カマをかけた。


「んんっ。あれ? のどの調子変だな。それでかな? ゴホッン」

「何が? 何が変なの?」ビンゴ!


 女子達は、なんて男子はチョロイのと呆れる。まるですぐ嘘がばれる亭主。まだ女性のテクニックの千分の一も出してないのに、もうチェックメイト。


「ちょっとおいで。それと床並君も、あと濱野君だっけ、君も」

 三人が並ぶ。すると縁の体を匂う。まるでキスでもしそうな程近い。


「チッ。やっぱ違う。あ~あ」

 改めて悔しがる。そうであって欲しいのに違う。何度も確認したい気持ちだが、その前に確認しなきゃいけないものがある。次に濱野。篠崎は直ぐに違うと判断。

 そして裏画。


 首筋や胸、脇、下半身……。


「ふぅう。そっかぁ」見つけた。篠崎の鼻を誤魔化せない。

 ガラスの上履きをぶら下げながら「ちょっとおいで裏画君」そういって道場を後にしようとする。

 それに縁と濱野が反応した。


「大丈夫よ。心配するようなことはないから。ちょっと裏画君と、大切な話があるだけ。信用していいわよ。裏画君は分かってと思うわ」

 縁と濱野が裏画を見ると、裏画は一応頷く。


 あとは篠崎の言葉がどこまで信用できるかだが、態度を見る限り信用度はある。これだけの人数の前での約束。


 篠崎には怒りもあるが裏画に口止めしなければいけないこともある。完全な己の失策なのだから。そして色々と話さなければと焦ってもいる。

 縁や剣道部、そして学校に知られていない今のうちに色々な手を打ちたいのだ。



「裏画、お前が自分で決めな」濱野が最後に助け船を出す。

 しっかりと考えた裏画。それをただじっと黙って見ている篠崎を見て決めた。

「俺、やっぱ話だけしてくる」

 話だけ、という教科書にない単語を使う裏画……。


 行くと決めたのには、このままにして家に帰っても、裏画自身も不安でしょうがない。つまり篠崎も裏画も、色々な感情は別として、話し合わなければならないと思ったようだ。


 二人は道場に一礼して消えていく。

 そして裏画は、この日このまま戻ってこなかった。



 二人にどんなことがあったのか想像も出来ないまま練習を続け、部活終了既定の五時のチャイムがなる。

 七時まで延長届けを提出して残るかどうか、寧結の様子を見に行く縁。いつものことだ。


 皆は少しでも長く一緒に居たくて七時を希望する。が、寧結を見に行った縁に、信じられない情報が入った。それは寧結が既に学校から帰宅したという情報。


 萌生と一緒にかと尋ねるが、萌生とは別々だと分かった。

 縁は急いで下駄箱へ行き、ロッカーに入れた携帯電話を取り出す、そして、一度校門の外へと出て寧結に連絡を入れた。


 ――すぐに出た。


「おい、どういうことだ? え? なに? 早く帰って来いってなんだよ。いいからじゃ分からないだろ? 説明しなさい。え? なんで言えないの? で、大丈夫なのか? 何が、じゃないよ。お前がだよ。ん、何が……、ああ~もう分かった。とにかく家で大人しく待ってろ、急いで帰るから」

 縁は電話を切るとついてきた留理と君鏡と今込に事情を話し帰ることにした。


「ちょっとびっくりしたね。でも良かった誘拐じゃなくて」

 そういった今込だったが、寧結を誘拐できる者などいないだろうと思った。


 ただ世の中では、か弱い子供が、私立の学校に通う為に、大人に交じって一人で電車通学やバス通学している。危ないとしか思えない。

 でもこの国では、それがあまり事件にならない。

 警察のおかげか、正義感のある大人達が見守っているということか。

 他国ではまずありえない。



 縁は部活の皆に事情を告げ帰宅準備を始めた。


 濱野も、消えた裏画が気になり身が入らなず、今日は帰ることにした。剣道部が帰るなら見学者も帰る。

 ダンス部も帰りたいが……反省会はまだ中途半端で、普通に七時まではかかる、なので寂しく居残りだ。


 帰り支度を終えて下駄箱へ向かうと、誰かが縁の背中をちょこんと触る。

 振り返ると飯塚が立っていた。


「これ、ありがとう。大切にするから。本当に……ありがとう」

 プレゼントされた箱の入る紙袋を胸に強く抱きかかえて、深くお辞儀する。


 縁も「こちらこそ、手伝ってくれてありがとう。凄く助かったよ」そう言って頭を下げる。

 それを横で見ていた今込は、文化祭のことだとすぐに悟る。本来は自分もF組だしお礼を言わなければならない立場だが……そこまで頭が回らない。


 今込は悔しかった。飯塚が縁の役にたったことが。自分は長く傍に居るが何かしたことも役に立ったこともない。それがただ悔しかった。

 百瀬も園江もF組だが……同じような感情だった。



 駅まで行くとそれぞれが自分の路線へ向かう。駅自体が違う者もいる。

 縁は君鏡と留理と見知らぬ生徒と電車に乗り込んだ。


 薄暗くなってきたガラス窓に微かに映る君鏡と縁、その反対側に留理。本当なら二人きりで帰れたかもしれない。それが残念でしょうがない。でも仕方がない。


 なんてことない雑談をする留理と縁。君鏡は話に入ることができず、ただ聞いている。いつものことだ。そしていつも思い出す、縁の部屋で楽しく話したことを。


 そんな雰囲気の中、品川で沢山の者達が乗り込んできた。

 まだ帰宅ラッシュとまではいかないが、混んではいる。


 すると一人の少女が縁に話しかけてきた。


 こんなことは初めてだ。


「あの、今日は妹さんいないンですか? もしかしてご病気か何かですか?」

 寧結を心配してくれているよう。縁は「違うよ」と微笑む。それ以上の個人情報は一切話さないが、優しい縁の笑顔にビックリするほど頬を染める少女。


 ふと、その子と君鏡の目が合う。その子にとって君鏡の変化を見るのは今が初。


 留理の存在も気になるようだが、君鏡のことの方が、気になって仕方がない。

 縁を知っている者達は皆、どうしても君鏡が気になる。

 君鏡もまた話しかけてきたその子のことが少しだけ気になった。



 その子を初めて見たのはまだ高校に入ってすぐの帰りの電車。いつも品川駅から乗り込んでくる。その日は、もう少し早い時間でもう少し空いていた。


 その子が車内へと入ってきたお婆さんに席を譲った時、周りに居た別の女子高生などがバカにして悪口を言い出だしたのだ。


「別に席が空いてない訳じゃないし、よくね? ア~、ただの目立ちたがりとか」

 良い子ぶりっ子だとか、偽善者とか、それこそ、ゲラゲラと笑いながらその子をバカにしていた。

 その子が下を向いて恥ずかしそうにしていた時に、寧結が縁に尋ねた。


「あの子ってダメな子なの? 皆そう言ってるけど……」

 寧結は悪気があった訳じゃなくて、周りの雰囲気からいって本当にそうなのかなと思い込んでしまったのだ。寧結の触角は他人の悪意を感じ取っていた。


「いや。良い子だよ」即答で答えた。

 席を譲れば良い子なのかよと誰もが心で疑問に思う空気が漂う。


 寧結もそれだけじゃあまり納得ができず、具体的な何かを聞き出そうとする。

 君鏡も口には出さなかったが、縁の意見に素直に賛成はしていなかった。


 世の中を普通に見ていたからだ。


「見てみな寧結。俺達と同じで、新しい制服に綺麗な(かばん)(くつ)

 寧結はウンウンと頷きながら覗く。周りの乗客もそれを見る。


「俺達と同じでさ、初めての電車通学なんだよ。きっとね」

「私と同じ」

「そう。それでさ、お父さんとかお母さんにさ『電車では席とか譲りなさいね』って言われたりして『分かってる』なんて御飯食べながら仲良く話してたりしてさ」

 縁の話を皆が食い入るように聞く。寧結もウンウンと頷く。


「皆、最初はそうなんだゼ。でもなあ~、恥ずかしくなっちゃってさ。そういうことができなくなっちゃうわけよ。座り続けたい、なんて思ってる人はいないのに、自分も譲ってあげたいと思ってるのに。皆も本当は、優しいンだけど、恥ずかしいんだよ」

「そっかぁ」寧結なりに縁の言うことに理解した。


「おばあちゃん子って多いし、譲りたくて悩んでる人もいるかもな」

 満面の笑みで笑う縁。しかし、それを聞いていた皆は考え深げだった。

 席を譲ったら良い子という発想ではなく、縁は、その人が良い子に見える、と言っているように聞こえた。


 親と話してとか、おばあちゃん子だとか、譲る行為より、その背景を勝手に感じ取って話している。もちろん勝手な空想であり妄想だ。

 寧結に聞かれたから想像したのだろう。


「あの子優しそうだもんね」

 寧結も共感する。君鏡は共感ではなく、縁という人間が他人をどういう目で見ているのか少しだけ分かった。

 だから見た目がブスな子とも何の隔たりなく、区別もなく笑顔で話すのだと。

 実際がどうかは関係なく、直感で良い子と思ってあげるンだなと。



 この話を聞いて周りの者達がどう思いどう感じたかは分からないが、その日から一部の乗客の間で、その子は京急の天使となった。席を譲る心を忘れずにいてねと密かに応援されていく。もちろん誰も口には出さないが。


 そして少女も、今の所はだが、誰かの偏見(へんけん)に負けないように必死に立ち向かっていた。


 からし色に近い黄土色(おうどいろ)のブレザー。薄いピンクのブラウスと可愛いリボン。

 濃い緑色を基礎に、グレーと水色と黄色のチェックが入ったプリーツスカート。


 完全なる御嬢様。


 出会ったころに着ていた白のスクールベストはまだ季節的に着ていない。

 長い髪を片側だけ耳にかけ、縁に微笑みかける。

 眉毛より少し長い前髪は、斜め横へとカールさせ流している。


 縁と何か話したい様だが、緊張で言葉にならない少女。

 だが縁は常にニッコリと微笑んであげる。

 向き合う二人を見ていると、凄くお似合いのカップルに映る。


 可愛いではなく美人で、見るからに頭が良さそう。一重に近い奥二重は、縁とよく似た感じだ。切れ長の目に長いまつ毛。色白でゆで卵が真っ黒いカツラを被っているような女の子らしい輪郭(りんかく)。唇は薄目だが笑顔が似合う。


 本当の縁はもっと頭の良い学校へ通い、こういう真面目で優しい頑張り屋の彼女と、お互いを支え合うような関係を築いていくのがベストだと感じる。

 君鏡はその少女を見ながら、そんなことを思っていた。


 名も知らない少女、学校は制服が独特なので調べればすぐ分かると思うが、君鏡も留理も、その子の清楚で頭の良さそうな雰囲気に言葉を失くしていた。

 進卵学園ではありえないタイプの子。



 やがて梅屋敷駅に着くと三人は無言で下りた。君鏡は、一緒に下りてきた留理に驚いたが、話しかけてきた少女のことが気になった。

 それは、鞄に付いていたカンバッチだ。

 三つほど付いていたが、その一つが『あなたが好き』それと『一目惚れしました』もう一つが『君に気づいて欲しい』だった。


 多分だが、自分で制作したものだ。手作り感と彼女の直筆な気がした。


 君鏡はいつもの分かれ道で、縁と留理と別れた。いつもは縁と寧結だが、今日は留理だ。君鏡は色々なことを考えながら家へと帰る。

「ただいま」

「おかえり君鏡。早く手を洗っておいで、今日はね――」

 明るく出迎える母親。君鏡は二階にある自分の部屋へと鞄を置きにいった。今日はいつも以上にクタクタだ。


 ベッドに寝転び天井を見上げる。可愛く変身できたことで、ワクワクして学校に行ったが、案の定、虐めというか災難がふりかかってきた。

 筆箱や文房具を買い直さないといけない。


 明日の机にはどんな悪口が書かれているか……。そんなことを考えながらボーっとしていた。

 ……君鏡の脳裏に、先ほどの少女の顔や数人の女子の顔がチラつく。


 と、君鏡の両目から涙が流れ耳に溜まっていく。徐々に感情が高まり、ついに声が出る、それを押し殺したまま枕に顔をうずめて大泣きしてしまった。


 それは虐められたからではない。日野が裏切っているかもという不安からでもない。答えは一つ、縁の周りに居る女子が本当に、本当に可愛くて綺麗だから。


 今まではそんな当たり前のことで泣いたりはしなかった。誰が可愛くて綺麗であろうと関係ない。だって自分がブスだから……。

 なのに今日は心が揺れる。そして今まで感じたことのない嫉妬が、君鏡の女心を初めて揺さぶっていた。


 女の子の階段を上ってしまったのだ。


 少女漫画で変身したヒロインとはまるで違う。それどころか心は正反対だ。

 心閉ざして考えないように逃げていたのに、この顔と体で戦わなきゃならない。


 綺麗になりたい。可愛くなりたい。生まれて初めて頑張って登校して、皆の見る目が変わって初めて気づいた。可愛くて綺麗な子の本当の凄さを。努力を……。


 合宿の時のプールで、脇の下をちゃんと見せれるほど手入れをしていたか、といえば答えはノーだ。他にもどれくらいの努力をしているかで分かる。整形でなく、教わった通り必死にお化粧したから分かる。

 縁が道場で指導してくれるように、女子の美にもきちんとした努力や技術が必要なのだと。


 ――当たり前でしょそんなこと。そう言われた気がしたのだ。


 圧倒的な美を見せつける者が整形なしで勝負しているのなら、そこにどれほどのケアが隠されているか。歯、肌、ムダ毛、プロポーション、いや、挙げられないほどいっぱいある。



 日野は今、変わった君鏡をどう思いどう感じているだろうか。

 クラスメイトも学校の子も。剣道部の女子も。


 筆箱を捨てられても日野にペンを借りずに、凛とした姿勢で二時限を乗り切った君鏡を、日野も皆もどう捉えたか。


 君鏡のとった態度の結果、更なるイヤミや小細工は不発に終わったかもしれない。ヘタに日野に頼るのは……危うい。


 日野にしても、自分が縁を好きだと知っている君鏡が、いつも縁の傍にいて、しかも可愛く変身したのだから心穏やかじゃない。

 もしかしたら裏切られたとさえ思っているかも。

 なにせ、人が思う友達の定義は、いつも自分中心でズルイものだから。


 自分勝手……。


 これを男で例えるなら、友達よりも喧嘩が弱くてモテないブサイクで、なおかつバカな成績でいろという意味になる。

 そんなバカな話はないし、ゴメンだ。

 強くなりたいし頭もよくなりたい。モテたい。学びたい。


 女の子が綺麗になりたいと思っても、モテたいと思っても裏切りじゃない。

 そもそも友達という定義を、そういう駆け引きの道具に使ってはいけないはず。でも現実では皆、自分本位の友人像で計る。


 引いてはいけない。疑うことを忘れてはいけない。ハンデのある自分という姿で戦わなければならないなら、なおさら強さとテクニックを身に付けなければとてもじゃないが夢さえ見られない。いつまでも、ずっと、変われないまま。



 君鏡は泣きながら、次の日曜日になったら可愛い文房具とずっと欲しくて眺めていたチュールスカートを買いに行こうと、そう思った。


 ここ数年は漫画と小説しか買ったことのなかった君鏡だが、女の子としておしゃれなショッピングをしようと決意した。


 自分を信じ、女の子として勝負するなら……傷つくくらいで丁度いい。





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