三六話 告白歌合戦
なぜ放送?
今日は文化祭なので、個人的なことで放送を使うのは禁止なのだが、なぜか放送は縁を指名している。
「一年F組の床並縁君。文化祭実行委員からの連絡です。至急、エス・アール・ジー劇場までお越し下さい。繰り返します――」
SRG劇場。進卵学園劇場の略だ。
校舎内にある体育館ではなく、校庭の端に建てられた部活専用の小さめの体育館の地下に作られた、防音設備の劇場。普通の生徒は使うことも入ることも出来ず、特別年会費を支払っている生徒に限り使用できる場所。
進卵学園にはそういった施設使用料が各場所に設けられていて、温水プールなども夏以外に使用する場合、年会費がかかる。
「なんだろう? 劇場って外のアレ? 行ったことないなぁ」
「行こうよ。とりあえず行こう。ここにいても……あれだし。ほら、急ごう。緊急っぽいしさ、絶対急いだ方がいいよ」裏画が縁の手を引っ張る。
「そ、そうだね。だよね。急いだ方がいいかもね」
縁も放送の内容に緊急性を感じて劇場に向かうことにした。
いい口実が出来たわけだ。
「待ってよ床並君。ちょっと……。もぅ。仕方ないわ、私も行く」
走り出す縁を追いかけて永尾も劇場へ向かう。その後を百瀬達も追う。
出遅れたのは今込で、目まぐるしく回る現状についていけてないようだ。
先頭を行く濱野と裏画と縁。
一階へ下りると、F組が人力車を押して頑張っている。その端を通り抜け、外へと続く青いスノコ道へと出た。そのまま体育館を目指す。
「ここだ。ここを下におりるンでしょ?」
濱野も裏画も戸惑っていた。二年生ではあるが初めての場所。
普段は階段前にある鉄門が閉まっていて入れないし、解放されていても会員生徒でないと、これまた入れない。
下まで降りると、受付に先生と数名の生徒がいた。
「ああ、君が床並君か。なんか演者が、君が来るまでは演奏しないって駄々をこねてるらしくて、とりあえず順番の変更とかして対応してたみたいだけど、ほら、時間もそろそろ終盤というかもうすぐ午前の部が終わりというか、それで実行委員が泣く泣く放送して君を呼び出したってわけだ。ちなみに君は、特別パスは持ってるのかな?」
「えっと、多分。F組なので支払っているとは思いますけど……」
「それじゃ、生徒手帳を見してくれるかな?」
縁はポケットから生徒手帳を出す。
「はい確かに。他の人達も生徒手帳を出してくれるかな? 確認するから」
一緒に来た皆が生徒手帳を出す。が、濱野も裏画も百瀬も園江もノーマル手帳らしく受付を通れない。通過可能なのは縁と香咲と小峯と登枝と今込、それと永尾。永尾の仲間達も殆ど通れない。
受付前で二手に分かれ、縁は中へと通された。
「一応、今のとこは客が待つという事態にはなってないけど、ホント、ギリギリだよ。床並君がもう少し来るのが遅かったら、それこそ大変だったンだから」
文化祭実行委員が縁を劇場入口へと誘導しながら、いかに裏方が苦労したのか、プログラムの変更などに手を焼いたか愚痴っていく。
そして大きな扉を開ける。
「あの、床並君以外の席は用意してないから、他の人は、後ろとか横の開いている場所で立ち見になるから」
入口を入ってすぐに、また二手に分かれた。縁一人、係の者に連れられて中央の前列へと向かい連れられていく。
中は薄暗く、大勢の客達のざわめきが波打っていた。辛うじて見える足元の明かりを注意深く見ながら、客席の間の階段をゆっくりと下がっていく。
まだ目が慣れていないからか真っ暗に感じる。
徐々にステージに近づくにつれ、幕の開いたそこにうごめくスタッフらしき者達の気配を感じ、縁は必死に目を凝らす。早く目を慣らしたいのだ。
「床並君、席ここだから」
前から三列目、中央エリアの右端。
指示されるまま高級な椅子に腰かけると、係の者がペンライトでどこかに合図を出す。その合図を受けた別の係の者が、インカムを使いまたどこかと連絡を取っていく。そして約一分。
ステージに薄明りが灯る。会場内は先ほどよりも更に暗くなり、何かが始まる気配がした。と次の瞬間、カチャというスイッチ音とともに、左側のそでにスポットライトが当たる。そこから百九十センチはあろう大柄な男が現れた。警察官の様な制服を着て、ゆっくりと歩く。
その後に続き、拘束服でがんじがらめになった小さな少女が歩く。足にはジャラジャラと足枷。
白い布地に複数の黒いベルト、頭も大きなフードが被せられている。その少女の後ろから大きくて太めの男がこれまた制服姿でついて来る。
三人はゆっくりとステージ中央まで来て、マイクスタンドの所で立ち止まると、左右についた男達が、少女のベルトをいじり始めた。両手を脇の下へクロスされ、後ろで結ばれた少女のベルトを外し、更に数ヵ所のベルトを緩めて、少女の体の自由を少しだけ開放していく。
それが済むと男達は五歩程後ろへ下がった。
制服の男達は手を後ろで組み、仁王立ちで少女を監視する。
場内の客達は、その異様な光景に固唾を飲んでいた。すると、少女は被っていたフードを脱ぎ、その素顔を客の前に現した。
「みんな~、お待たせ。今日は大好きな先輩の前座で特別に来ちゃいました。青実中学校三年A組、仲地唯。ここに居る全員、私の歌で撃ち抜くけど、もちろん覚悟はできてるわよね~」
仲地唯の台詞に反応し、客達が一斉に沸く。来たばかりの縁と違い、すでに皆のハートは温まっているようだ。仲地の演出に盛り上がる。
縁はすぐ目の前に見える幼い少女の姿にビックリしていた。
進卵学園付属の中学校三年生にしてプロのアーティスト。薄いピンク色の長い髪が途中から紫色へと変わり、右目には黒の眼帯をし、見るからに凶悪犯罪者もしくは暴れたり自傷行為する者、が着せられるであろう拘束服に身を包んでいる。
その派手な演出や雰囲気に驚いていた。
「とこなみ先輩、って人は、本当に来てくれてるのかなぁ? ん? いるよね? うん、そんじゃそろそろイッちゃうよ。用意はい~い?」
「い~ぃよぉ~」客達が返事する。
そんな中、縁だけは自分の名を出されておののく。一体、何で? と。
前触れもなく――。
激しいドラムの連打とともにステージに数本のスポットライトが降り注ぎ、それがサーチライトのようにグルグルと追いかけ回る。更にバイクのエンジンでも吹かすようなギターとノリノリのリズムパターンを、音階を変えながら奏でるベースが加わった。
足枷のついた右足でリズムを刻み、少女がノリ始めると、今度はメロディアスな電子音まで加わり、場内の空気圧が一気に上昇する。
『二人を邪魔する偽りのルール。あなたを探して、階段を駆け下りたわ。何も知らない孤独な私、時計のメリーゴーランド、迷子なの。泣きたい夜に思い出すのは、夢で交わしたあなたとの約束。誰かの為に、まだ見ぬ未来に誓った魔法の言葉』
透き通る高い声が、まるで管楽器のように響き渡る。
伸ばした歌声は綺麗にビブラートし、時に裏声のようファルセットへ変わる。
激しい曲の中で踊りながら歌う少女。気が変になるほど高揚させられていく。
更に、客達の叫び声が相乗効果となり化学変化を起こす。
仲地はマイクスタンドを傾けたり、舞いながら、片方しか見えていないその目でウインクしたり、投げキッスなどを振る舞う。
『女の子だけど、頼って欲しい。いつでも心は叫んでるの、傷つく度に、あなたを想うわ、届けたいこの想い。誰にだってある優しい愛。いつまでも変わらない夢。仕組まれた運命なんて壊しちゃうから、だからどうか傍に居て――』
人から認められるような本物の声は、ただの歌ではなく、まるで声自体が楽器の様で、マイクを通り直接、神経を伝い流れる。そしてもうダメだというくらい興奮を膨張させていく。
この世になぜ歌があるのかの答えが、此処にはあるのかもしれない。
目の前で感情のままに歌い踊る。生の演奏と音の波動、そのライブ感全てに魅せられていく。手の届きそうな星空を見るように、客達が心酔している。
「どうもありがとう~。皆サイコ~。それじゃ、先輩。ルリ先輩。後は――」
三分半ほどの激しい風があっという間に吹き抜けると、仲地が誰かを呼ぶ。
その声に、右そでから誰かが姿を現した。客達はまだ余韻に心が痺れたままだ。
ゆっくりと仲地のいる中央へと近づいていく。
仲地に比べたらごく普通の姿だが、とんでもない存在感。それを見た客達が一斉に騒ぐ。口々に「ルリ」と名を呼び、拍手などあらゆるもので歓迎する。
中央へと着くとルリは仲地唯の頭をナデナデし、大歓声の中、耳元で「今日は来てくれてありがとネ、唯」とお礼を言う。
仲地は子猫のように照れて、甘えた顔でルリの右腕へとしがみ付いた。
そしてギュッと腕を抱きかかえた後、離れ、手を振って舞台そでへと走り去って行く。そのすぐ後を、大柄な男達が追いかけていった。
ステージにルリだけが残る。いや、正確に言えば楽器などをいじっている者達がいるが、ルリ以外は目立たないといった感じだ。
マイクスタンドよりも少し前へと歩み出て、何かを探している。
その目が縁を見つけるとニッコリと笑った。物凄く優しい笑顔。そして少しだけ頷くと、今度は楽器などが置かれた大きなアンプの前へと向かう。
この間、客の声だけでステージ上は足音しか聞こえない。
ルリは真っ赤なエレアコを肩から下げて中央へと戻ってくる。そしてもう一度縁のいる場所を見て少し照れた。
「皆さん、今日は来てくれてありがとう。ルリです。日本での活動より、海外でのライブなどが多くてなかなか学校へも来れませんでしたけど、今日は学園の一員として、こうしてステージに立たせてもらえたことを感謝しています」
ルリが話す度に客達の歓声がうねる。相当な人気のようだ。
「今日は、ルリである前に、一年A組の帳留理として歌います。この日の為に特別に作ったラブソング、それを今日はある方に聴いて欲しくて……」
客達は、ルリから「帳さん」などと呼び方を変えて盛り上がる。
声援に笑顔で応える留理。シンプルな服装だが今日出会った誰よりも強いオーラを発している。それはド派手な姿や演出をした仲地唯よりもだ。
髪は長く綺麗で落ち着いた茶色をしている。黒色で薄手のサマーセーター、所々に縄状の編み模様が入っていて、丈はお尻を半分隠す長さがある。そしてチラリと見える濃い色のホットデニムパンツ。
長く伸びた脚は素肌のように見えるが、キラキラとラメが光り、黒のショートブーツにも銀色のスパンコールが輝く。
片側だけかき上げた髪のかかる耳には、ふちに沿っていくつものダイヤが縦に並び、動く度に自ら光を放っているように輝く。五分丈からのぞく右手首には二連の細いチェーンが光り、耳と脚と靴と手首からミラーボールのような反射光が煌めいていた。
ステージ上の明かりが暗くなり、留理の上にだけスポットライトが降り注ぐ。
客達はもう待てないと前のめりでその時を待つ。
「これは私の本当の恋の歌、リアルな等身大の私……。どうしてもこの想いを届けたくて、ずっと……、ずっとこの日を待ち焦がれてた。聞いて下さい……テイク・オン・ミー」
留理の台詞の後、ドラムがハイハットを三回叩き、四回目のタイミングで全ての楽器音が一斉に重なった。爆発するようないきなりの演奏で曲が流れ、ステージは赤と青白いライトが全体を染めるように包んだ。
ギターは綺麗なアルペジオを奏で続け、ベースはエイトビートを心地良く刻む。ドラムは兵隊が行進するようにフォービートでバスとスネアとハイハットを同時に叩く。随所に入るシンバルとハイハットの開きで、勇ましい鼓動に感じる。
留理はアコースティックギターを激しくかき鳴らし、何度もエーマイナーで客の心を悲しみの音色で染める。
縁は楽器には詳しくないが、留理の弾くエレアコが普通のギター音のイメージとはまるで違うシャリシャリとした鈴に近い音を放っていることに興奮していた。
泣き出しそうなコード進行を弾きながら、留理がマイクへと唇を寄せた。
そして歌う。
『何が欲しいかも分からないで、暗い部屋を飛び出したの。誰かに、見つけて欲しかったのかな。憧れることさえ知らずに、愛さえ知らずに、ただ走ったわ』
感情剥き出しで歌う留理の声に、場内が震える。悶える。
『色んな痛みに何度も傷ついて、怖くて目を瞑って、独りで。誰とも繋がれなくても、このまま最後が訪れても、それが運命なんだって諦めてた。なのに、君と出会ってしまった。あの日からずっと愛されたくて涙が止まらないの。優しくされたことなんてなかったのに、自分以外の人なんて、どうせ他人だって、関係ないって。でも、君のことは。私馬鹿みたいに大好きで、嘘でもいいから、傍に居たい、それだけなの、もう独りにしないで』
どんどんと盛り上がってく曲に、心が破裂しそうになる客達。鼓動は高鳴る。
英語の混じるサビへと入ると、留理の目から涙が流れ、更に声を高く遠くへ伸ばす。揺れる声の波長に切ない言葉が溢れて、暗い場内の空間にたった一つの願いが紡がれていく。
いくつもの言葉が星座のように繋がって、愛しい形を作る。
女の子の止まらない恋の想いが、全身で愛していると叫んでいた。まだ大人ではない子供の言葉で。
突然現れた君がからっぽの私の全てを変えたと。これが運命だって言ってと。
二人が一つになれるって、生まれてきて良かったって信じさせてと。
圧倒的な歌唱力とギターをかき鳴らす仕草や涙、叶わない片思いの祈りと切なさに、男女問わず心を揺さぶられていく。そして四分弱の曲が終わった。
曲が止まると同時に客達の拍手と更なる声援が飛ぶ。その客の声に足元から感情が昂る。
「ありがとう。この曲は大好きな人の為に作った曲で、……だからたぶん、この曲は、今日で、最初で最後になると思います」
留理の言葉に疑問符が浮かぶ客達。しかも、実際の所言っている意味はそれほど分かっていない。何かの演出なのか? それとも別の何かなのかと。
とにかく、アーティストであるルリが進卵学園の文化祭で最高の新曲を披露してくれた的な感じでしかない。
「ねぇ、私の声、届いた? 聞いてくれた? 教えて、床並君……」
留理の台詞に「届いたよ~」とか「聴いたよ~」などとイチイチ返答していた客達が、縁の名前が出て止んだ。そして、場内がざわめきに変わる。
いきなり名前を呼ばれた縁も、あまりのことに椅子の上で軽くバウンドした。
背凭れにぶつかる体を戻し、動揺した心を落ち着かす縁。
キョロキョロと周りを見渡して、本当に自分の名前? と半信半疑。客達も縁の存在を探す。留理はステージの上から、動揺する縁のことをじっと見ていた。
「ねぇ床並君、ここへ上がって来て。私の傍に来て、そして聞かせて」
よく分からない状況に、暗闇に紛れて逃げ出そうとする縁。今のこの状況が分かっているのは多分、帳留理と一部の人だけだ。客達も何事だと戸惑っている。
座席をそろりと戻して、中腰で後ろへと逃げようとした、その時、目の前に立ち塞がる何かが――。
「先輩、ダメですよ逃げちゃ。ちゃんとルリ先輩の気持ちに答えて下さい」
縁の前に仲地唯が立っていた。
そして縁の腕に絡み付くと、引っ張りながらステージ脇の階段へと連れていく。その一部始終を皆が見ていく。ざわざわと変な波が立ち、縁はそのざわめきの中で留理の前まで連れて行かれた。
「やっと、やっと会えた。ずっとこの時を待ってたの」
そういうと今にも泣き出しそうな目で縁を見る。縁はそれがどういう意味か全く分からずに立ち尽くしていた。客達も当然何も分からない。しかし、これも何かの演出で、きっと台本があるのだろうと想像する。
もちろんそんなものはないが、最近の者達は何かあるとすぐにシナリオ的な物だと思い込む癖がある。特に今日は文化祭だ。
「えっと、ごめん、よく分からないンだけどさ、これ……って」
緊張してまったく頭の回らない縁。いや、今日は朝から具合も悪く、おまけに今さっきも永尾との演技で追い詰められて、更に仲地の曲と留理の演奏を聴いて脳は麻痺している。
そんな状況下で、普通に思考が作動するわけがない。
縁は自分がこの劇場に呼び出されたという事実も忘れていた。そしてステージ上で強い光に目をヤラレながら、風呂でのぼせたようにボーっとしている。
「床並君。私のこと、覚えてない? 私、二年前の豪華客船に乗ってたんだよ」
「二年前の……船?」
縁は二年前の船というワードから、何かを思い出す。
確かに船に、心当たりはある。
「床並君がさ、まだ幼稚園の妹を庇いながらさ、沢山の人と戦ってて――」
縁は何となく思い出す。船でのイベントを。
まだ寧結が幼稚園の年少さんの頃だ。寧結がめちゃくちゃ弱くて、普通の園児と差ほど変わらない頃。
「床並君が必死に妹を守ってるのにさ、妹さんはそんなのお構いなしに走り回っちゃって、それをまた必死に守って。笑っちゃいけないけど、それが凄く可笑しくって。でさ、戦いが終わった後のパーティで私が歌って、その時に私が――」
留理の話す説明に少しずつ何かを思い出す縁。だが、鮮明ではない。
「ミスして。すごく高価な物を壊しちゃって、めちゃくちゃ怒られて、泣いてて、そしたら床並君が庇ってくれて、助けてくれたの。覚えてる? あの時の泣いてたのが――」
覚えていない。これが縁でなければ間違いなく覚えている出来事だが、縁にとってそこは記憶に残らない。
つい最近あった北海道の修学旅行での迷子事件もそうだ。覚えているのは迷子になったことだけで、その原因の不良集団のことも、絡まれていた三人組みのことももう覚えていない。迷子になっていた間に連れまわされた相手の顔も殆ど覚えていない。回った場所で少し印象に残ったことでギリだ。
それも、たったひと月前の出来事。
夏休み辺りで縁が覚えているのは、堤との試合や曽和や銀錠とのこと。
他にも合宿でのプログラムや楽しい話、そして修学旅行で濱野と君鏡が他校の生徒と戦う羽目になった試合くらいで、相手高校の顔なんかも全部吹っ飛んでいる。
これは、縁が忘れる体質という訳ではなく、縁の周りであまりにも事件や色々な出来事が起こるからであって、全てを覚えておくことは逆に生活に支障が出る。
更に言えば、縁は毎日二時間の勉強を欠かさずしている。普段の授業も全て自己の勉強につぎ込むほどの勉強家だ。つまり何が言いたいかと言えば、記憶する優先順位があるということだ。
何でも覚えて詰め込めるいわゆる天才ならば問題はないだろうが、縁の脳はごく普通の容量であって、周りで起きることを全て記憶するには無理がある。
特に必要なモノ以外は上手に削除しないとパソコンのように重くなってしまう。
縁自身がそれを深く意識している。だから縁はよくメモを取る。
色々なことを忘れる癖をつけているからこそ、各ノートに分けて、部活であったり、家のことであったり、生活の中での細かな約束であったりと。
「お、覚えてるよ。あ、あ~、あの時のね」嘘をつく縁。
普段は嘘を付かないタイプの縁だが、この場所があまりにも多くの者の目に晒されている為、覚えてないと答えて、留理に大恥をかかせるわけにいかず、やむ得ず嘘をついた。
留理は嬉しそうに笑う。そして恋する潤む目で縁を見つめる。溢れる想いを語り尽くせぬほど話そうとするそこへ、誰かが飛び込んで来た。
その瞬間、またも客席が沸く。
「ちょっと、あなた達。こんなことされたら凄く困るわ。せっかく温まった会場が湯冷めしちゃうわよ。悪いけどあなた達に水差すわよ」
客席からは「コトコちゃん」という声援が飛ぶ。出てきたそれは、何度か客席にお辞儀しながら留理達のいる中央まで歩いてくる。縁は見覚えのあるその顔にまたもビックリした。
風紀委員、副委員長。二年A組、夢藤言呼だ。
縁とは何度も顔を合わせている。学園内で縁が苦手とする者の一人である。
「あのさ、見て分かるでしょ? 今、邪魔する? 普通」
「ええ。私が午前中最後だし、場が荒らされるのをこれ以上黙って見逃せないもの。ただでさえ、あなた達二人のわがままに相当振り回されてるのよ」
留理は邪魔しないでと懇願するが、夢藤は「そのやり取りの前に、先に歌わせてもらうわ」と主張する。縁はさっさっと舞台から下りたいのだが、仲地がしっかりと腕に絡み付いていて、そう簡単に身動きが取れない。
客席では、やはり何かの演出なのかとその成り行きをみる。
舞台上での不思議なやりとりと、ありえない面々たち。なぜ夢藤と帳が……と。だが一番違和感なのはどう考えても縁の存在である。
なぜに剣道部の部長がステージにあげられているのかと。
「私はここで床並君に告白するつもりなの」
「知らないわよそんなことは。私のステージの後にしてもらえる?」
言い合う二人。縁は思う、なんで二人ともマイクを使って話すのかと。もちろんそんな質問ができる状況ではない。
ただ、留理はどうしてもここで告白がしたいのだ。
それにはいくつかの理由がある。まず言えるのは、ステージ上は留理にとって、圧倒的に有利なフィールドということ。
二年以上想い詰めてきた留理が、この学園で縁に気づいたのは、すでに剣道部が部員募集を停止された後だった。仕事の関係上、なかなか学校にこられなかったことが原因だが、普段からネットや事務所の伝手を使って縁の存在を探しに探していたから、この運命的な出会いには心底驚いたし、それこそ赤い糸で結ばれているのではと本気で信じたほど。
登校が出来た日は、必ず縁を探し出して、すれ違うなどの接触を試みるが、あえなく撃沈。縁にとってただの生徒としか映らなかったわけだ。
だがこの場所では違う。ここでの留理は、武器の歌もあり、スターと見てくれる客達もいる。
普通の生徒ではなく、つまりここでの留理は紛れもなくアーティスト。
しかしそれでもまだ心細く感じたからこそ、事務所の後輩であり、付属の中学校後輩の仲地唯にまで前座をお願いしたのだ。それほどまでに乙女心は臆病で震えていた。だがらこそのこの状況。
あっているのか間違えているのかと問われれば、多分、間違えていると思う。
縁が疑問に思う通り、なぜマイクを? となるし、他にも疑問はある。だが、存在さえも気づいて貰えなかった留理には、これしか思いつかなかったのだ。
唯一、歌だけが……武器だから。
「床並君、お願い、私をあの場所へ連れてって。私も床並君がいるあの世界で一緒に笑っていたいの。お願い」
留理は夢藤と言い争いながらも、必死に縁へと想いを伝える。
縁は困り顔で、副委員長である夢藤をチラ見する。そして客席を恐る恐る見る。
「床並~、帳さんの想いにちゃんと応えてやれよ~」
「そうだよ~、可哀そうだろ~」
客席からヤジにも似た言葉が飛ぶ。実際はどうでもいいと思っているはずだし、ただ単に、この場を暇潰しとして楽しんでいるだけかもしれない。
しかし、留理にとっては思惑通りと言えた。
様々な想いが交錯する舞台上。仲地は明るいライトの元で何度も縁の顔や姿を見て『へぇ~、これがルリ先輩の愛しの……』などと眺め。
夢藤は、とんでもなく盛り上がった客達の熱が冷める前に自分のステージを始めたいと思っていた。
そして留理は、縁の傍に居たいと、そして縁の存在する特別な世界へ自分も導いて欲しいと、そう本気で思っていた。
二年前に初めて知ったひとつ上の世界。今、留理の居る夢の世界は、確かに一般的の場所よりは高みに感じるし、それこそ憧れた優越感のある場所ではあった。
でも、実際は少しだけ違う。それは、例えるなら上辺だけの張りぼての世界。
全てとは勿論言わないが、殆どが嘘と虚像……。
言ってみれば、外見の綺麗な器で出される豪華そうな食事。縁のいる場所では、外見は闇鍋でも、中身は清潔で綺麗な本物の料理。
どちらを口にしたいのかは人それぞれだが、体や心にイイのは決まっている。
いい歌を作詞作曲し歌いたいだけなのに、仕事の割合は、歌が二で売り込み営業が八。しかも自分自らが自画自賛しなければいけないというありえない営業。
恥ずかしい。売り込み営業は、本人ではなく別の人が担当するのがイイと思うのだが、映画でもドラマでも、小説でも番宣は当事者の仕事……。もう一度言うが、恥ずかしい。
そして、グラビアアイドルなどもそうだ。バブル期や、時代によっても違うが、どんなに派手で華やかそうに見えても、雑誌などの仕事では基本赤字。出れば出るほど借金。毎回違う水着をいくつか自ら用意させられ、貰える単価は水着と交通費でトントンかマイナス。つまり赤字。
なら何故仕事を受けるか? そこから顔を売り、次なる仕事へと結び付けなければならない。その為には際どい姿やポーズもこなさなければいけなくなる。
それでも競争率は凄く、要領の悪い者から振り落される。結局、生き残れる者はいくつかの方法の中から選び、ズルくしたたかで、ワルでなければ消えてしまう、ということだ。
つまり、篠崎実央がしていることはなにも特別じゃなく、その世界ではごく自然なことに近いということになる。
もちろん狡さにも色々な種類はあるのだが……。
アーティストもアイドルも、他にも色々な人気稼業は当然裏表がある。
要するに、外から見える張りぼての景色と、裏側で準備する景色は全く違うということ。そして華やかな表にいれる時間も割合で言えば二割弱。しかもその世界で生き続けることも難しく儚い。留理はもう、そこから逃げ出したかった。
デビュー時までに出来た借金と契約に追われてがむしゃらに歌い続ける日々の中で、人生が終わってしまうほどの大ミスをし、とんでもない物を壊してしまった。一瞬にして『終わった』という言葉が浮かび、泣き崩れた船の中で助けてくれたのは、親でも事務所でもなく、――縁であった。
誰かを好きになるなんてないと思っていた目に映ったのは、絶望から救い出してくれた圧倒的な姿。それが留理の初恋だった。
ステージ上のやり取りを見ながら皆も何かを感じ、何かを思う。
客達の何割かに、縁が舞台に上がって有名な女子にチヤホヤされていることを快く思わない者達がいた。何故なら、ここに客としている者の殆どが、目立ちたがり屋で、いつかきっとと夢見て進卵学園に入学した者達ばかりだからだ。
ここへ入れば何かしらの伝手やチャンスが巡って来るのではと。もちろんそれだけではなく、週末は渋谷や原宿などをふらついたり、有名な店でアルバイトしたりと出来る限りのチャンスを手探っている。
そうした努力が実る者もいるが……ダメな者もいる。ただ、何もしないよりは遥かにイイし、夢に向かうことは悪いことじゃない。
客席にはそんな者達が溢れている。
年間パスを支払ってここへ来ている者達には、縁の存在は羨ましくも、ムカつく存在。なぜ縁だけこうも目立てるのだと。
別に芸能人になりたい訳でもないくせに、しかも、色々な有名女子からベタベタされてと。
恨みや妬みを持つ者達が、暗い客席から殺気を放つ。
そこまでではないが、今込さえも縁のそれには羨ましいと感じていた。今込も、もっと有名になりたいし、チヤホヤされたい。
だからこそ、雑誌のモデルや色々なオーディションもサボらずこなしている。元々、小さな頃からそういうことに興味があったから今の今込がある。
今まで散々女子から「可愛い」とか「カッコイイ」とか言われて、もちろん何人も彼女もいて、少し気に障るくらいで別れるほどモテていた。しかし、今、目の前で、縁は今込が良く聴いている仲地唯や帳留理といる。それも恋愛沙汰。
いや、初めからそうだ。小峯真貴にしても登枝日芽にしても香咲栞だってそう。他にも、百瀬渚、吉岡エレナ、雨越虹もとんでもなく有名な子達。
今込はずっと思っていた……羨ましいと。だけど、縁が合宿の風呂場で言った「今込君が全国でどれだけの女子にモテているか?」という濱野の質問に対する受け答えに、納得し安心していた。
けど今、今込は席さえなく立ち見で縁を見ている。
確かに縁が全国で知られている訳ではないし、それを踏まえたこの学校の有名度で言ったら、谷渕や船城や市来、いや、縁はテレビや雑誌に出ていないのだから、相当低い順位になる。だが、それでも何かが悔しいし羨ましい。自分の方が圧倒的に有名なのに……。
別に縁を慕っている、留理や他の子が好きという理由でもない。
ただ羨ましいのだ。
「とりあえず舞台を下りようよ。話は聞くからさ。副委員長の邪魔になるし」
縁の声はマイクを通してないので、客席には聞こえていない。
「えぇ。だってここが……いい」留理は有利なエリアを離れたくない。
客席の温度が少しずつ冷め始めた。先程のマックス状態がずっと続くわけがない。と、夢藤がどこかに合図を送った。
その瞬間、カラー照明が赤や黄色や緑色に点滅し、ステージの照明も音を立てて一つずつ消されていく。暗くなり赤と黄色と緑にだけに染まる。
「ん? ちょっ、ちょっと、何してるのよ、まさか、この状況で始める気じゃないでしょう」
「始めるわ。別にあなた達いても盛り上がるし。逆に、変な雰囲気で下りられた方がこっちとしても困るから。平気よ。そこで見物してなさい」
「ヤダよ。まだ私の告白終わってないジャン」
しかし、留理のマイクは既に落とされ機能していない。客達は、やはり全てが演出だったのかとそう思った。そして夢藤言呼の曲が流れ始めた。
バックバンドの演奏ではなく、ノリの良い電子音の曲。
さっきまでは真っ白で可愛らしいノースリーブのワンピースだったが、曲が始まると全身に受けたライトで色取り取りに染まる。そして一秒前の夢藤言呼は消え、ありえない程に可愛らしいアイドルコトコが踊る。
少し冷えた客席を一気に熱し、散らばったハートを一つに重ねる。
歌の途中で何度もマイクを客席に向け、客達に一つになるように促す。溢れる歌の波と声援と合いの手が、荒れ狂う嵐のようにうねる。今日一番のノリだ。
縁は傍で見る夢藤の変身に心底驚いていた。まるで別人。
これがあの風紀の副委員長なのと。今さっきまで話していた声と同じ人とは思えない可愛らしい透き通る歌声。声優、いやそれよりももっと違う特別な声。
これがグループでなく、一人で看板を背負うアイドルの本気の歌かと震える。
血管がブチ切れるほどに上がる声援。場内の景色が圧力で歪む。
縁は客席の雰囲気を肌で感じながら、色々なことを考えていた。それは、留理や仲地や夢藤が紛れもなくアイドルでありスターだということ。
飛び交う咆哮、その声自体が演奏や歌と同等のパワーを持っているという感覚。
よくスポーツ選手が、皆の応援や声援がパワーになると力説するが、まさにそう感じていた。皆がワァーとなる一体感に痺れていく。
縁には生まれて初めての生ライブだったから、余計にそう感じていた。
しかも立っているのは舞台側で、直接客達の声がぶつかって来る。
この感覚は選ばれた一部の者だけが得られる最高のおやつ。このご褒美が欲しくて、アイドルもスポーツ選手もそして政治家さえも、大勢の群集の前に立ち自分の存在をアピールするのだ。自分という存在を認めてくれと。
体から魂が離れそうになりながら、縁は自分が歩いている世界のことを考えた。そして思う、まるで正反対だと。
縁の居る場所では、上に上がれば上がるほど、周りの全てが敵になる。
こんな手をつなぐような一体感はない。まさに真逆。
どんどんと敵が増え、狙われ、標的になる。
仕事敵や恋敵が相手を応援するわけがないのと同じだ。もちろん留理がいる世界でも、ライバルが仕事を譲ってくれることなどない、それと同じ。分かり易い違いは、嫌われ敵が増えたら忘れ去られて消えゆく人気稼業の世界と、全ての敵の上に君臨することが証の世界。
縁はなんとなくそんな違いを感じながら、客席や舞台上を眺めていた。そして、一秒でも早くこの恥ずかしい場所から下りたいと思っていた。
そんな中、夢藤の二曲目が流れ始めた。




