二四話 ぐるぐる回遊魚
立ち去る縁の影を見送る一同。縁は理科室を飛び出すと廊下を駆け抜けた。
別にトイレに行きたかったわけではないのだが本当にトイレへと入る。理科室の近くのトイレは避け、あえて別の階まで行き用を済ます。
用を終えた後もトイレの中で立ち尽くし、変化してしまった自分の下半身を恥ずかしく思いながら、何度も『落ち着け』と言い聞かせ、ようやく一息つく。
合宿で入ったプールの時も、似たような現象に襲われた。あまりにもセクシーな水着の部員達に縁の下半身が反応しっぱなしだったのだ。
縁はまともに前が向けない状態で、隠すように誤魔化すように振る舞う。だがとても誤魔化しきれない。水着の上から頭を覗かせそうなほどの変化。紐を緩めれば絶対に出てしまう状況。
あいにく、今込と濱野にだけバレたカタチで済んだからこうして素面でいられるが、仮に女子部員にばれていたら変態として嫌われていただろうと怯えていた。
縁は女子部員達に気付かれていない、そう思っているが、それは個々の女子がそう演じているだけで、女子全員気付いている。そういうものだと知らないのは男子だけだ。
とはいえ女子同士でも口にはしないから、表向きの詳細は、知らないし見てないと装い続けて終わっている。もう一度言うが、本当は一人残らず縁が反応したことを知っている。
恥ずかしそうにしている縁がどう映って、一人一人どう感じたかは謎だが、そのことで嫌われた感じは一ミリもない。
どちらかと言えば、女子のわがままな依頼を嫌な顔せず引き受け、ファッションショー的な見せつけにも、これどう? 私どう? と尋ねる女子の水着を、適当に誤魔化さずにちゃんとチェックをしてくれた証だった。
水着のチェックとはいえ、水着だけを見るなどは不可能だ。いや、もしかしたらそれを承知で、したたかに、自分の魅力で、縁を弄びたいと思ったかも知れない。こればっかりは本当に分からない。本当の所どうなのかを女性に尋ねてみたいが、そこで出てくる答えが真実かも謎だ。
女子はみな、魅惑症で魔性。
今込と濱野も縁の横で同じように見ていたが、本や画像、動画などで見慣れていたようで、水着程度で縁の様な反応はなかった。
それが下着なら違っていたかも知れないが、だが、縁にはどちらにしろそういった免疫が全くない。知っての通り、小学五年で引きこもり学校へは通っていない。つまり、自らの意志だけで、そういった本や画像には恐ろしくて手を出していなかった。それに寧結に見つかりでもしたらそれこそ一大事となる。
トイレの手洗い場でしばらく鏡を見る。手を拭いた冷たさが消えた頃、ようやく動く。
縁はトイレからそっと顔を覗かせ左右を確認する。そして第三会議室へと向かって走った。そこへ行けば理科室へ戻らなかった口実が完璧に成り立つと。
会議室前、ドアをコンコンとノックすると数秒してドアが開いた。
中には二、三年生の部長達がずらりと座っている。とんでもない人数だった。
一年は縁一人。よく考えれば一年生で部長などいるはずもないのだ。
どこに座ればいいのか迷っているが、誰も指示はしてくれないし、教えてもくれない。
縁には、もじもじするしか術がない。
本来人間関係は、こういった冷たさや上下関係が普通に存在していて、何度も煮え湯を飲まされるのだ。縁もその洗礼を受ける。
「床並君ここ、こっちおいで」
呼んでくれたのはダンス部の部長だった。派手な身なりだけど、迷っていた縁には優しくて美しい年上の女神に感じた。
指示された席にちょこんと座り、再開した会議を静かに聞く。
何も言わず、身動きもせず、皆が徐々に白熱していくのをじっと聞いていた。
「ウチは前回も予算を削られて、今回くらい回してくれないと」
「こっちだってそうだよ。それよりも近くに大会あるから、その期間だけでも校庭を一日おきに使わせて欲しい」
皆が各自で決めてきた内容を出し、どうにか一つでも多く、部の意見を通そうと議論する。数も場所も予算も決まっている中での奪い合いだ。
「床並君は何かないの?」ダンス部の部長が小声で問いかけてきた。
「はい、ないです。部長さんはもう意見したんですか?」
「私? 私達は床並君のおかげで平気。今までは、場所とか色々大変だったけど、床並君が半分も譲ってくれたからさ、バッチリ」縁にだけ届くように耳元で囁く。
雨が降ろうがどんな天候だろうが、定位置を確保できているダンス部。
可愛らしい笑顔が相当近い距離で話しかけてくる。会議中ということで仕方ない距離だが、違う場所でこの距離感なら、とてもじゃないが近過ぎて耐えられない。
縁が会議室に入って三十分ほどたった。権力の強い部から順番に決まっていく。初めて見てもどういう格付けか分かる。
しかし、ダンス部の部長いわく、今までの形と大分変っているのだという。だからこそ会議も長引いていると。
本来はすんなりと決まり、下の方の部は諦めてそれに従うしかなかったと。だが変わりつつある。
それは進卵学園の勢力図、三番目である大きな不良グループの失墜。
こんなことが近くの不良校に知られたり、この学校卒業生の不良グループOBの耳にでも入ればそれこそ大問題になる。
今までの形が非常に安定していたのだ。現に、下の者が従わず上の者達に歯向かって条件を突き付けている。部長会一つにしてもこれだ。学校の生活から学校外での関係までを踏まえると、とんでもない雪崩が起きているはず。
「ところで、遅れて入ってきた一年の、床並君。剣道部は色々と学園を騒がすのが好きみたいだけど、予算とか要望とかは出さなくていいの? 通るかは別として、聞くだけは聞くけど」生徒会長が縁と名指しで話す。
「ありがとう御座います。今の所、問題なく無事に活動できていますので。要望などは滅相もないです」
縁の台詞に皆がニコニコと笑う。剣道部に問題がない日はないと。しかし笑っているのは部長達だけで、生徒会の者達はまったく笑っていない。
「随分と生徒会をナメてる感じじゃないか。部費はいらないってことだろ? 君を見ていると、この会議が意味ないって言っているように感じるけど、そういうことかい?」
「そんな、とんでもございませんから。真面目に聞いてますし、ホントっ先輩達はすごいなって、思ってます。真面目に」
縁の戸惑い方に、やはり部長達はクスクスと笑う。
縁自身、自分の会話能力が、最近の寧結お気に入りの新しい流行会話に引っ張られそうになっていて、ヤバイと感じている。必死に自分の言葉を話そうとするが、先程の理科室での一件で頭の中をシェイクされてしまって、どうにもこうにもブレまくる。
「まあいいや。ただ、生徒会は、あの不良グループのように簡単には潰せないぞ。それだけは覚えておきな一年君」
凄く棘のある台詞だ。間違いなく威嚇している。
縁は、なぜ自分がこんなにも嫌われた感じになっているのかが分からない。他の生徒達のようにもっと生徒会を崇め、怖がればいいのかなと思うが、今でも縁なりに相当気を付けってはいるつもりである。
剣道部が何かしらの迷惑をかけて、生徒会と風紀委員から目をつけられているのは知っているが、これほどとは感じていなかった。
改めて、こうして部長会的な集まりで、その長である会長に冷たくお叱りを受けると、はっきりと怖さが伝わってくる。
一方、生徒会と風紀委員は縁を恐れているのだ。この得体の知れない新人がどうやってあの恐ろしい不良グループを、それもあそこまで徹底的に黙らせて牛耳ったのかが。
そんな方法ある訳ないと。
進卵学園の不良と言えば、近場の不良高校が恐れるほどの悪が沢山いる。それは偏差値の低さはもちろんだが、男子も女子も、目立ちたがり屋のミーハーが多く、更にそれぞれが顔も広い。悪い仲間や卒業した先輩などとも繋がっていて、個人の器だけでなく、群れの強さも秘めているのだ。
何度もぶつかり合った生徒会はその恐ろしさやどういった者達と繋がっているかそれなりに把握している。だからこその驚きと恐れであった。
では、生徒会はどうやってこの学校で君臨しているのか……。
普通に考えたら、ただ偉いと自画自賛しているだけで、生徒達からの支持は殆どないとか。漫画やアニメの世界のようにそう設定した形だけのあやふやな地位か。
しかし、この進卵学園生徒会は、ちゃんと君臨している。
それは『伝家の宝刀』なるものを持っているのだ。
校長先生や各先生、歴代PTA、卒業式で来られる来賓のような者達に、きちんと話の通った究極の書物。
そこには、この学校の生徒達が乱れ、近隣住民や人様に迷惑をかけたり、授業が出来ない状況や学校が崩壊しうる行動を生徒がとった時に発動していいとされた、究極の校則書き換えプログラム。
そこには約百の項目があり、分かり易いモノから言えば、男子はスポーツ刈り、もしくは耳が出るような坊ちゃん刈り。女子も同じく長い髪は三つ編み、当然、男女共に毛染めは禁止など、事細かに記してある。
たった一項目の条件でさえ、このオシャレで自由な進卵学園の生徒達には耐えられない。生徒会長に泣いて詫びるほどの代物なのだ。
かつて二度ほどこの伝家の宝刀が抜かれたことがあったが、その原因を作った者は多くの不良達にシメられ、生徒会長の前で下僕の謝罪なるものをしたと生徒会室の古い記録書に記録が残っている。
その愚かな者は、学校の外ならば平気だと、自分はもうこの進卵学園を退学したからどうでもいいだろうと、生徒会にちょっかいを出した。
のだが、伝家の宝刀を抜かれた全生徒と不良グループ、更にその仲間から激怒され追い込みをかけられ、あっけなく木っ端みじんになった。
とはいえ、伝家の宝刀を抜かれた生徒達の方が地獄絵図で、まるで昭和初期の貧しい学生のようだったと。何より心が閉じかける。
もう、この学校を自主退学しようかと悩む者まで出るが、生徒会長の救済を得る方が百倍イイに決まってもいる。
悪いのは、全て分かっていたのに、敢えて伝家の宝刀を抜かせた愚か者。よってそいつが血祭りになったわけだ。
もちろん今の生徒会長になってそんなことは一度もないし、ここ数年はない。
ある訳がない。
ここに通う生徒達の一番嫌なことは、自由を奪われることだ。好きな制服着て、可愛くオシャレして、化粧だって許されている。何が悲しくて卵焼きと海苔だけが入ったお弁当を持参しなきゃいけないのだ。
学食が閉鎖されて日の丸弁当を学校指定される恐ろしさは異常だ。
休み時間のお菓子やジュースが、水道水のみに代わる落差。
国で取り締まって欲しいくらいの事例だが、全てセーフ。髪型を指定してる学校、制服やスカート丈を定めている学校、髪の色、お弁当持参、自転車にはヘルメット、他にも各学校にはあらゆる規則や校則がある。
そんな全国の中の、特に罰になりうるものがギリギリまで練られて書き出された百項目。地獄だ。一個二個なら耐えるかも知れない。
いや、例え十個でも嫌だ、しかも百個は無理だ。当然、それが狙いだ。耐えられては困る。
二度と同じ過ちが起こらないように、生徒達が自主的に自由を守る究極のルールなのだ。
伝家の宝刀が抜かれれば、罰が執行されたのち、生徒会と校長先生に詫びて許しを得るか、もしくは耐えられない者から退学するしかなくなる。
元から厳しい学校ならいいが、この進卵学園での落差に順応できる者はいない。
そういったことを踏まえて、生徒会選挙も、とんでもない奴がなったら終わりだからと、生徒側もしっかりと選ぶ。
不良グループや下の階層のグループから立候補し、脅しで票などを操作しようとした歴史もあるが、その時々の生徒会の目に見つかり、踏み潰される。
結局、先生や生徒会、それと風紀委員のおめがねに適う者が選出され、更に全校生徒の投票で選ばれるのだ。生徒会になるのにはそれほどクリアする項目が多いということ。それが今の生徒会でありその存在である。
ちなみに風紀委員は一般生徒にだけでなく、唯一生徒会に対しての対等な権限を持っている。これもまた説明が長くなる事柄だが、簡単にいうと先生が口を挟めない部分や学校のルール管理、生徒会や各部、委員会などの職権乱用や汚職的ことを取り締まる権限を持っているのだ。
「そうそう、床並君。折紙先生から言われていたことがあってね。ここに居る皆も分かっていることだが、要するに、剣道部新入部員のことだ」
「新入部員ですか?」
「今言ったよね? なんで聞き返したの? 俺を、ナメてる? もう一回聞く?」
「いえ。すいません」縁は焦って謝る。
「す『み』ません、だけどな」
「あっ、すいませんって言ってスイマセン」
「だから、す、み、ませんだし。もういいやそれは、君にはそういうこと通じないのが、よ~く分かったから。って『すいませんって言ってすいません』って、なんだよ」
堪えきれずに笑う生徒会長。他の部長達はそれほど笑ってないが、どうやら会長のツボに入ってしまったようだ。
「ふぅう。それじゃ、話戻すけど。剣道部への入部希望者が今までにも増して大変なことになっていて、直接折紙先生の所へ持って来たり、メールしたり、俺の所に抗議にきたお馬鹿さんも何人かいたな。でな、ついさっき、校長先生に文句いったアンポンタンがいて、それで校長先生がどうなってるんだって折紙先生を呼び付けたわけ。そんで、実質、停止している俺の所に折紙先生が来て『校長がお怒りです』というわけだ。ここまでは分かるよね床並君」
縁は申し訳なさそうに頷く。
「そこでだ。前々から生徒会でどうするか話し合ってはいたんだが、やはり、条件付きで入部を認めるしかないということになってね。それで床並君を呼んだというわけさ」
そこに居る皆が「あ~」と頷く。
「ここに居る部長連中も、相当被害を受けてるからなぁ。ま、愚痴はいいとして、本題に入るが、まず、当然ながら三年生は全員ダメだ。三年の二学期から部活って、受験や就職活動なのに、そんなこと許したら三年を受け持つ先生方に怒られるわ。そんで、二年生も似たような意味で、男女一人ずつ計二名まで。で、一年生なんだが、男子は二人か三人とってもいいけど、女子はもう既にいっぱいいるだろ? 剣道場も狭いし、ダンス部と半分ずつ使ってるわけだし、という訳で女子は一人。さすがにゼロと言えばまた不満が溢れて、校長先生の所へ行きかねない。今回生徒会はこれで手を打つから、床並君、君も部長として責任もってその人数に抑えて、これ以上は取れないという条件をだね、示して欲しわけだ。あっ、そうそう、大事なことを言い忘れていた。入部希望者の中に、部活を退部して来た者がいたなら、そういう生徒は受付けできませんってしっかりと言ってくれ、でないと床並君も他の部に義理がたたないだろ? 違うか?」
縁は周りを見渡す。確かにこの数ヵ月、退部騒動では迷惑をかけているようだ。無理に断るような正論もないし承諾した。
「そうか、床並君はものわかりはいいんだよな。それじゃウチの書記が今の内容を文書にまとめて張り紙を作るから、床並君はさきに剣道場に戻って入部試験でも面接でもしてくれたまえ。以上だ。ほら、急いで向かいなさい」
生徒会長の言葉に、途中退室する縁。元より、会議室にいてもすることもないし邪魔なだけだから一石二鳥だが。
「あっ、ど、どうしよう」廊下に出てすぐうろたえる縁。
先生との話が終わったらすぐに教室に戻って文化祭準備の手伝いをする約束になっていたことを思い出す。すぐに戻って来てと。
この会議に出たと言えば言い訳になるが、部活には出ない約束になっている。
張り紙を見て、もし部活をしていることが分かったら、準備よりも部活を選んだ大嘘つきになってしまう。
縁は部活に行く前に教室へ行き、言い訳することにした。
開け放たれた教室のドアから入り「遅れてゴメン」と息を切らせる。と。
「あれ? こっち来ていいの? 床並君、早く部長会議行った方がいいよ。さっき放送で何度も呼んでたよ。今から行っても怒られると思うけど」
作業する皆が笑顔で縁を送り出そうとする。
「いや、それなら一応顔だけは出してきたから大丈夫なんだけど。実は、剣道部のことでちょっとあって行かなきゃ行けなくなって、それで、そのことを皆に伝えなきゃと思って謝りに来たんだ」
「そうなんだ。ま、いいよ今日は、ちゃんとした用事なんでしょ? 床並君忙しそうだもんね。でも、文化祭までの間に絶対に手伝ってよ」
「うん、分かった。約束する」
「ならぁ、いってもいいよ。いって。イッて床並君」
「ありがとう」縁は剣道場へと走った。
理科室、部長会、文化祭準備、剣道場……。
一体、どれを選べば正解かも分からず、ただ流れに逆らって、ぐるぐると泳ぎ回って溺れそうになっていた。




