一九話 バトルの余韻
「銀錠さん、すぐに使う予定がないのであれば、荷物や防具の方は、こちらで郵送しますけど。刀輪は壊れたり色々あると困るので遠慮しますけど。替えが利きませんから」
「そぅ~だな。そんじゃ防具だけ頼むワ」
薄いスーツの中に付けた、軽めのプロテクターを外して、守安へと渡していく。
「あ、やっぱ、できたらウチの本社の方にね」
「了解しました」
外門近くにある建物の一階入り口で、銀錠は明るく笑う。そして帰り支度を終えると、建物前に止められた高級車へと乗り込んだ。
守安の操作で、重く閉ざされた鉄の門がゆっくりと開く。
まだ若い感じの者を運転席に座らせ、中堅的な者を助手席に置き、銀錠は後部座席で疲れた体をゆっくりと解していく。
そして、床並調介の息子である縁のことを考えた。
時折、フッと口元に笑みが浮かぶ。
「どうかしましたか? 銀錠さん」
既に走り出した車の中で、助手席の者がバックミラー越しに声をかけた。
「いや、あの縁とかいうガキ、とんでもなくヤバイと思ってさ。あれで高校一年だぞ。妹のなんとかってのもあれだけど。一体どんな教育したらあんな危ないガキが育つのかなってね。まぁ調介の子供だから想像つかなくもないけど。ありゃ、間違いなく遺伝だな」
「じゃあ銀錠さんも、結婚して子供できたら、もっと危ないンじゃないですか?」
「バカか。……お前、怖いコト言うなよ」
「すみません」
銀錠は、今さっきのバトルをこと細かく思い出した後、何度もVTRで見た、縁の百人切りを頭の中で再生していく。
戦場ステージは近代都市エリア、駅ビル構内。ランクは九クラス。
追い詰められた縁が、改札前広場で囲まれ、逃げ場をなくしたそこで、仕方なくやり合うと決心する。
中学二年かそこらのガキが、武具を極めた百人以上に取り囲まれ、今にもなぶり殺されようとしていた。しかし、先に動いたのは縁の方だった。
喧嘩ゴマのように大鎌を振り回し、片っ端から雑草を刈り取っていく。
もちろん敵もランクは九。ザコのようにやられる者は誰一人も居ない。
皆が本気でやり合って、刈り取られているのだ。
一人一人がしっかりと防御し、攻撃も繰り出す。その全てを、マントと鎌刃の裏と柄で防御し、まともに切り裂き合っていく。
九クラスに、映画や時代劇のような切られ屋さんはいない。皆、名の知れた強者ばかり。
一対一でも対等の者達。だからこそ、ただ切られたりせず、ヒット&アウェイを繰り返す者も多くいた。これがランク下の者達であったなら、映画や時代劇の様なシーンもあるし、そして百人ではなくその数倍を切って捨てていたに違いない。
実際、戦っていた者達より、少し離れて気を抜いていた者から、縁に切り捨てられていた。
回りながら走り抜ける鎌とマント。更に、時折振り回すゴム玉。三枚まで所持を許されたフライングディスク系武器。伸び縮みする警棒のようなカーボン製の刀。
縁の攻撃は、まるで千手観音のようで、近寄るすべてを、いや、自らが、台風のように稲光を上げて吹き荒れていた。
そして、無傷のままそこに群がる敵を仕留め、人数の減ったそのハグレを残さず駆除していったのだ。……途中、逃げた者もいたが。
銀錠はその光景が焼き付いて離れなかった。銀錠だけでなく、最高ランクでそれを目撃した者達の殆どが同じように感じる。
果たして自分が、このガキに勝てるのかと。
戦いの後の余韻に酔いしれる銀錠は、何度も「ふふっ」と笑っていた。
一方会館では、部員達がシャボン玉の中で試合をしていた。
そして堤は、倉庫にあったフラフープを手にし、こんなような武器が本当に実践で使えるのかと手に取る。身近な者に竹刀を持たせ、いざ対峙してみると、ただのフラフープがとんでもなく防御に適していると気付く。
輪の大きさは、銀錠の扱って物より遥かに小さいのに、自分の体の前にまっすぐ差し出して構えただけで、敵の全ての打撃をカバーできる気がするのだ。
「なんだこれ? 前に構えてるだけで……この安心感」
堤はショックであった。
使い方も技も解らないただのフラフープが、これほど防御に優れているとはと。
防御だけではない、もしこの輪が全て刃であるなら、軽く横へと振っただけで、あらゆる敵を、複数を相手にできそうだと。
ならあの改良された刀輪ならどれほどなのだろうと。
そんな中、落ち込んで沈んでいる寧結を、萌生が優しく慰めている。
兄である縁が負けたことが相当に悔しいようだ。
この感情がどれほどのものかは、子供に戻ってみないと分からないが、何より、自分がリベンジできないほど怯えていることも拍車をかけていた。
今日までの寧結は、曽和が縁を倒した分だけ挑み、そしてリベンジを成功させている。しかし今回は、挑むどころか、部員達の後方で半身に隠れていた。
寧結の今の状況は、ここで練習している皆にとっても、複雑な心境だった。なぜなら、寧結が曽和を倒す姿や、ありえない強さを見せる度、この武道は、誰しもに会得できるチャンスがあると、そう本気で思えるから。
これが縁や曽和、銀錠なる者だけであったら、筋肉がどうとか、背や体重、生まれ持っての何かが違うと、結論づけて終わってしまう。
寧結の存在は、その一切を吹き飛ばしてくれる、眩い道標といえた。
つまり、寧結と萌生を見ていると、こんな自分でも出来るようになれるのではと、強く信じさせてくれる、そんな存在なのだ。
そんな寧結が落ち込み沈んでいることが切なく感じるのだ。とはいえ、縁と銀錠のバトルを見た者達が、信じる心を失ったかといえば、そういうわけでもない。
それは、あのバトルがあまりにも別格であり、次元が違うと完全に理解して区別しているから。
萌生に寄り添ってもらい、二人でシトシトと癒し合っているそこへ、着替え終えた縁が戻ってきた。
縁は部員達の練習を眺めながら、寧結と萌生の座る位置まで来る。そこまで来て「どっこいしょ」と腰を下ろした。
普段通りに部員達を見ていくが、何となく、横に座る妹達の様子が沈んでいると感知した。楽観的な縁は、その程度の感知だが、普通なら誰でもすぐ気付けるほどの異変だ。バラエティタレントとシリアス女優くらい差がある。
二人してどっぷりとシリアスを演じてもいる。
「ど、どした? なんかあったンか? お腹でも下した?」
「ばかぁ。お腹じゃないよ。兄ぃが、負けっからでしょうが。なに負けてるのよ。だから寧結はやめなっていったでしょ」
「なんだ、そんなことか。てっきり具合が悪いのかと思ったよ」
「あのね、ちょっと言っておくけど、兄ぃは馬鹿なの? 負けたんだよ。蹴っ飛ばされてあんなスッ転んでさ。死んだお婆ちゃんが天国で言ってるよ『縁や。なんでアンタは可愛い寧結ちゃんの言うことを聞かなかったのかい。優しい妹の言葉に耳を傾けていれば、あんなにも恥ずかしい負け方はしなくてすんだものを。これに懲りたら、妹をもっと可愛がってあげなさい』ってね」
「寧結、お前はイタコか? 何やってんだその声色は……」
気持ち悪いと、縁は眉をしかめる。
だが、練習しつつも、心配そうにこの会話を聞いていた皆は、必死に吹き出しそうな笑いを堪え、肩を震わせていた。
「痛い子? 寧結は痛い子じゃないけど。痛い子っていうのは、ほら、濱野みたいのを言うでしょ。ねぇ萌生ちゃん」
「うん。そうだよ」
「ちょっ。何言ってんの二人共」縁が焦って濱野を見る。
先輩に失礼なことを言っては駄目と注意しながら、陰口を叩いた後ろめたさで、恐る恐る濱野の方を見る、と、沢山のシャボンの中、何やらブツブツと痛いキャラを演じながら、今込と試合をしている。
今込はその態度に呆れている。
――濱野は少しだけ、痛い子だ。縁も認めざるおえない。
寧結と萌生は決して間違えたことを言ってはない。しかし……『そうだね、お兄ちゃんが間違えてた。濱野は痛い子だ』などという訳にはいかない。
先輩だし、同じ部活の仲間だ。
「寧結も萌生ちゃんも、失礼なことは言っちゃだめだよ。分かった?」
「はぁ~い」二人共笑顔で返事する。一年生だけに素直だ。
ちなみに、寧結は天国のお婆ちゃんと言ったが、縁も寧結も、お爺ちゃんやお婆ちゃんの存在はあまり知らない。生きているのか亡くなっているかさえ。
かつての家庭環境を考えれば、簡単に推測できるだろうが、縁の両親が、祖父母に挨拶に行くような生活をしている訳が無いということだ。
そういったことがしっかりと出来ているような両親であれば、余程のことがない限り離婚などにはならない。つまり、道を踏み外さないで済む確率があがる。
家庭をおろそかにしている夫の両親に、子供を連れて挨拶にいく妻は普通よりも優しいし、人付き合いもうまく、出来た女性だ。縁の元母親は、その真逆だった。
そして、両親の結婚自体も、今や当然となった出来た後婚であったため、妻側の親とも不仲であった。
互いの両親と交流がないからこそ、自由奔放に振る舞って、離婚の確立が増したのだ。もちろんこれは一例であって絶対論ではない。
「具合が悪いンじゃないなら良かったな」
「何が?」
「何がって、プール。あれほどプール、プールって騒いでたろ」
「あっ、そうだった。プールだ。ひょぅ。ぷぷぷっぷぷぷっうぅる」
寧結と萌生は一瞬で仮面を付け替える。子供特有の早業だ。
いや、子供といっても女の子だけかもしれない。女の子は嫌なことや恨みを心の金庫にしっかりとしまって、後に通帳で出し入れするタイプだ。
逆に男の子は、グジグジと鼻水を擦り、すすりながら引きずるタイプ。
とはいえ、子供はどちらも切り替えは早いのも確かだ。
「そんじゃ、すぐ行く?」
「いや、お昼を食べてからだぞ。焦るなよ」
「じゃあさ、ンっとさ。プールでさ、プールドッチやろうよ、ビーチボールでぇ。それと、浮き輪キャタピラ」
「なんだそれ?」
「浮き輪をいっぱい被って、プールの上で横向きに転がるヤツ。知ってるでしょ?」
「そんなの知らねぇよ。危ねぇよ」
「危なくないよ。バカじゃないの兄ぃ。どこが危ないの? 浮き輪の中に、体全部入れるんだよ。溺れないジャン。でしょ」
縁は、それでも目が回ったりプールサイドにぶつかったりするかもしれないだろという。しかし寧結は平気と腕組みしていた。
他にも色々な遊びを提案する寧結と萌生。そんな中、縁は部員達に、どうやって言い訳しようかと申し訳ない気持ちが湧いてきた。
「ん、どうしたの兄ぃ。お腹でも痛いの?」
「違うよ。皆に悪いと思ってさ。せっかく合宿で真面目に練習してるのに、部長の俺が途中抜けしてプールだなんてな……」
反省し肩を落とす縁。と寧結が縁の肩をパチンと叩いた。
「そんな心配しなくていいよ。皆、兄ぃがプールに行きたい気持ち分かってるから、きっと許してくれるよ。寧結と萌生ちゃんが保障する。プール行きたいんでしょ? なら素直に皆にそう言ったらいいジャン。嘘つくよりずっといいよ」
「はあ? オ、マ、エ。なにお兄ちゃんの肩叩いて偉そうなこと言ってんだ」
「あっ、間違えた」
「間違えたじゃなくて、ごめんなさいだろ? 何回教えたら素直にごめんなさいって言えるようになるんだよ。お前がちゃんと謝ったとこ見たことないぞ。お前がごめんなさいって言う時はよ、魔法使いだとか、本当はお兄ちゃんが寝た後変身してアイドルとしてテレビに出演している、とか、そんなんばっかの時に、謝るだろ。ちゃんと覚えないと、その内、友達とトラブルぞ」
何を言われても全く謝る気などない。微塵も認めない。
寧結は縁に謝らなくても、友達とはきちんとやり取りできている。女の子はそのくらいの使い分けは、幼稚園の年少の頃からヘッチャラでこなせる生き物なのだ。
「寧結ちゃんのお兄ちゃん。多分、皆も午後からプールについて来ると思うけど」
萌生が意味ありげに笑う。
縁はそれはないでしょと読んでいるが……、その読みは大外れで、萌生の言っていることが正解だ。
萌生にはちゃんとした確信がある。寧結も萌生も、女子部員達と毎日お風呂で、代わる代わる縁のことを聞いたり話したりしている。その会話の内容から考えれば簡単に推測できる答えであった。
もちろん秘密だが。
「本当に? それ、適当でしょ?」
「違うよ、絶対。だからあんまり、皆に気を遣わなくても、どうせ皆で行くことになるし」
とそこへ休憩の為に部員達が戻ってきた。
今込と濱野以外は、ここで話されている内容を、大体理解している。子供の声は大きいしよく通る。騒音の多い街でも、家の中に居ても外ではしゃぐ子供達の声は聞こえるものだ。
「え、どうしたの部長。なにか話でもあるの?」
何も言っていないし、なんの素振りもしていなのにテレパシーでも使われたように読まれる縁。言いづらさそうにもじもじする。と、寧結と萌生が黙る縁の代わりにプールのことを話した。
「へぇ、イイじゃん。行こうよ皆で。合宿もあと少しで終わっちゃうし、プールで遊ぼうよ」
「そうね、夏だし。あっ、でも水着持ってきてないけど……」
自分だけが忘れたのか、周りの様子を窺う女子部員達。
どうやら、皆持っていていないよう。
縁がそれなら売っているから平気という。
だが、女子用の水着一着の値段は、一万以上するのは普通であり、良いデザインの物ならその倍は軽くいく。
部員達はそんなお金など当然持ってきていない。
「あの、私、お金とか殆ど持ってきてなくて……」
「それ、私も」
ほぼ全員が同じように頷く。
プロとして仕事をしている子が、どれ程の貯金を持っているかは分からないが、普通の高校生なら、バイトか何かをしていないと、まず無理な話だ。いや、バイトで貰える給料でも……なかなか難しい。
「あ~、お金。それは要らないよ。俺が支払うから。初めに言ったけど、ここでのことは全部俺が持つから」
「いいの? って全部? ……?」
聞きたいことは沢山あるが、皆は口をつぐむ。
縁の家はそんなにもお金持ちなのかと。
縁の家はお金持ちだ。
父である調介は会社の専務であり副社長だし、それこそ一日中働き通し。
更にそれを、十何年も続けている。
ただ、家が金持ちかどうかという答えよりも、縁自身、そして寧結までもがお金持ちなのだ。
縁の貯金額は十四億円あり、寧結は八千万円ほど持っている。
それは親から貰った物ではなく、自らが稼いだもの。親から生活費として与えられている額もとんでもないが、つまりはそういった状況である。
そのお金と、縁の存在している世界はイコールであり、縁の首に一億円の懸賞金がかかっているのもまた、答えに繋がる方程式であった。
「床並部長のおごり? って、俺にもおごってくれるの? ふぅ、良かった。俺だけダメなパターンもあるかと思った。プールもいい運動になるし、午後から行っちゃう?」
濱野も、寧結や萌生のようにはしゃいでいる。
そして部員達皆も笑顔だ。
午後からは会館を使わないので、皆で一日終わりの掃除を始め、それを済ますと昼食へと向かった。