一七話 訪問者
時刻は十一時ちょっと過ぎ。
いつもなのだが、朝から忙しい一日だ。
と、会館入口でお辞儀をして、誰かが入ってきた。
「お~い、縁。とんでもないお客さんが、お前に会いに来てるぞ」
縁が汗やシャボン玉で濡れた寧結と萌生の顔や頭を拭き、休憩へと入った途端に、このホテル外門の警備をしていた、守安真聡に呼ばれた。
バスを用意してくれた男だ。
「え、誰ですか?」
「凄い人だよ。とにかく待たせるとあれだから、今、連れて来るから」
そういうと足早に立ち去って行く。
そして数分後、会館のドアが開き、守安と数名の男が会館内へと入ってきた。
縁は、その姿を見るなり、緊張で体が強張る。
それが部員達にも徐々に伝わっていく。
最初は「誰なの床並君?」といった感じで、縁の顔を覗き込む部員達だったが、縁の見たこともない表情に、ただ事ではない人だと感じ取ったようだ。
ゆっくりと、部員達が練習するゾーンまで歩いてくる。見るからにオーラが違う堂々たる態度。そして縁の前まで来た。
守安を含めて四人が縁の前に立っている。
「ほう。確かに大きくなったな。俺が最後に会ったのは四、五年前かな。まだ小学生だったよな。覚えてる? もしかして俺のこと知らない?」
「あ、いや、いえ。銀錠さんですよね。もちろん知っています」
「そっか。そりゃ良かった。もしかしたら忘れられてるかもって思ってさ。君の親父、調介から連絡もらって、色々あって見に来たンだよ、君のことを」
貫禄のある目に、会館内の空気がピリピリとする。
銀錠剛。
縁の父である床並調介の元上司である。
ある富豪の家を警備する、大きな警備会社のナンバー2で、その世界では知らない人はいないほどの有名人。
ちなみに、縁の父である調介は、その富豪の庭外にある駐車場に建てられた警備会社で、数年間仕事をしていたが、九条貞丸という者と共に、別の主へと訳あって移されたのだ。
新たな主は、本郷壮源といい、この国で巨大な会社組織を築き上げた男である。
縁の父は、九条を社長とした大きな警備会社の専務であり副社長である。
そして、九条は壮源の孫である本郷君弥という男につきっきりで警護し、そして縁の父である調介が、主である壮源夫婦の警護をしているのだ。
眠っている以外はピタリと付き添い、基本、家には帰っていない。だからこその家庭崩壊とも言えた。
「これって部活の最中なんだよな? 邪魔しちゃって悪いな。急用でさ。俺も長居はできないし、すぐに退散するから」
銀錠はそういうと、周りの部員達にも何とも言えない笑顔で会釈する。
「でだ、本題なんだが。実は縁君、君の首に一億円の懸賞金がかかってね。いや、本当はもっと高かったンだけど、それはさすがにマズイって話し合ってね。ただ君も知っての通り、一億円クラスは基本、一番上のクラスに昇り詰めてないと。……言っていること分かるよね?」
銀錠の台詞に縁が頷く。
真剣な顔で、一億という意味を噛みしめながら話の続きを聞く。
「確か、あの曽和さんも来てたんだろ? あの人で懸賞金二千五百万円。それなりの自覚を持ってか、ここのとこ負けなしらしい。でも縁君、問題は、君が一億円を背負えるかってことなんだよ。別に弱くても構わないと言えばそうだけど、金額は君への人気であり期待度だから。ただ、あの世界はな……」
急に言葉を濁す銀錠。それに対して縁が答えた。
「分かってます。俺もあの世界観は、大好きですから。ただ、俺にはまだ一億円もそうですけど、上のクラスにあがるのは早いというか。実は、曽和さんと三戦して二敗一分けで、散々な感じでして」
「そりゃそうだろ。曽和さんは最高クラスに上がって、そこでギリギリの戦いばかりしている訳だから。君は言っても一つ下のクラス。ま、とっくに上がって来てもおかしくないレベルだったけど。妹さんの面倒があるからという理由で、保留状態にしてあるんだったね。いつになったらクラスアップして来るのか楽しみにして、もぅ二年くらいかな? そろそろ頃合いではってね」
自信のない縁は、少し俯く。
「今日、昼過ぎには戻らなきゃいけないンだけど、一応、縁君がどれほどか手合せしてあげようと思ってきたンだよ」
「えぇ? 俺みたいなのと銀錠さんがですか?」
「もちろん加減してあげるから安心していいよ。でだ、今日の感じを見て、ランクアップを決めちゃおうかと思ってるんだが……。どうかな?」
つまり試験ということかと悩む縁。
周りにいる部員達や漏れてくる話を静かに聞いている会館内の者達は、縁の困惑した態度に驚きが隠せないでいる。
メチャクチャ強い縁が、こんなにも軽く見られていることも信じられない。
……加減?
曽和との勝敗は確かに惨敗だが、どれも紙一重で、加減という言葉が出せるほどの差は微塵も感じられない。
皆の胸に疑問が沸く。
「よろしくお願いします」縁は深く頭を下げる。
「それじゃ、用意してくるからさ、縁君も用意して。あっ、それと、最近、小さな鎖鎌を二刀流で持ってるって聞いたけど……、それやめてくれるかな? そこで、できれば、あの百人切りした例の武器で。ネっ」
銀錠はそういうと、満面の笑顔で立ち去って行った。
縁はその背中に深くお辞儀をする。
「兄ぃ。やるの? やめた方がいいよ。負けちゃうよ」
寧結が怯えたように縁の足に隠れる。
何が来ても無敵な寧結が、完全に怯えている。
「そりゃ負けるよ。勝てるはずがないだろ。でもな、こんなチャンスはヘタすりゃ一生回ってこない。あの人と一対一で手合せできるなんて、普通じゃありえない」
縁の怯えた目が、遠ざかる銀錠の背中を見つめて微かに光った。
「寧結は知らないよ、大ケガしても。ねぇ、ねぇって、やめた方がいいと思うよ」
本当に嫌がっている寧結は、縁の甚平を掴んで左右に強く揺すり駄々をこねた。
「おお、おい、ばか、寧結。ズボンが、おい、ずり落ちてるから離せ、ばか」
「あ~だ、やだ~。なんか怖いから~、やめなってば~」
「こら、脱げるだろ。マジで。ちょっと、離せ、見えちゃうから、頼む寧結」
縁の本気の焦りに、ようやく寧結の手が離れた。
縁は押さえ続けた手で、ズレたズボンとパンツを急いで引き上げる。半分覗いた白いお尻を必死に隠した。
緊張していた表情が、塗り替えられるほどに赤面してく。一方、寧結は、すでに消えた銀錠の幻影をチラチラと覗きながら、縁の足元で縮こまっている。
「ねえ床並君。今の人って……強いの?」今込が口を開いた。
「うん。俺が知っている中では、十本の指に入るよ。といっても、一番強いのが、六人姉妹の女の子達だから、それを覗けば四本の指ってことだけど」
縁の台詞に寧結がブルッと震える。それは六姉妹の存在を意識したからだ。
最強の富豪の娘達……。
怖いモノ知らずの寧結でさえ震え上がる圧倒的な存在。
銀錠はその娘達を警護している直属の者で、かつては縁の親である調介も仕えていた。まだ寧結が産まれる前の話だが。
縁は幼い頃に、数回だけ、富豪邸の駐車場に建つ会社に、お邪魔していた。
そしてその窓から、自分とあまり歳の変わらない幼い女の子六人と、その父親が庭で不思議な遊びをしているのを見たことがあった。
あとは、その富豪が開くパーティーやイベントに、父親に付き添う形で、何度か参加し、影ながら見ていたていどである。
ちなみに、縁がこの世界で最も憧れ崇拝してるのは、その六姉妹の父親である。
縁が自分の母親と縁を切ることを決断できたのも、実はその憧れの存在に、理想に、一歩でも近づく為であった。
怖いモノ知らずの寧結が、唯一怖がる六姉妹。
寧結は銀錠に怖がっているのではなく、銀錠に強く染みついた、六姉妹の匂いや残像に怯えているのだ。
それは、寧結ごときでは及ばない、ありとあらゆる事において、決して手の届かない遥か上に君臨している、圧倒的なプリンセスだと、本能が認めているから。
子供とは、どんなアイドルを見ても心のどっかでいつか自分もと信じている。
もちろんそれ自体はファンであり大好きであったとしても。
もっと言えば、アニメのキャラでさえ、自分はいつかなれるのではと妄想できる時期。だが、そんな幼い子供の無敵な感情さえ凍りつかせる、絶対なる六姉妹。
美しさや優雅さも然る事ながら、何より存在自体が別格。
憧れることさえ恐れ多い。決して届かない。
しかし寧結もまた、縁同様に、世界で最も恐れるほど憧れる存在は、その六姉妹であった。
ちなみに先ほど縁と戦った時に発した『セクシーデザイア。サディスティック・モーション。クレイジークロー。ローリングサバイバー』などは、その六姉妹の、有名な技名である。
縁はその技名を聞いて、心が硬直したのだ。つまり少女達の影にビビった。
長い柄の傘を使う少女。鉄壁の防御態勢の中、手元のトリガーで、開いた傘先から放たれる矢。閉じては薙刀のように切り裂き、そして、威嚇のように花火のように、何度もバサバサと傘が開閉する。少女の姿を捉えることさえ出来ないほど。
武器の素材はもちろん細部までカーボン製であり、至る所にラインα(アルファ)という衝撃吸収する透明な塗料が塗られてある。
二本の長い扇子を使う少女。扇子を閉じ、二刀流の長剣として戦う型や、片方を盾のように開いたナイト型、両方を開いた鉄壁バージョンがある。
扇子の折り重なる刃の一枚一枚が、折りたたんだ時に爪のように感じ、更に攻撃時にその隙間を通り抜ける風が唸る音で、不思議な音色を放つ。
そして、ダブルで開いた扇に完全に隠れた状態で舞踊する少女は、防御と攻撃を同時にこなしながら敵を切り裂いていく。
後ろに引きずるほど長いスカートと、肩から垂れたマントを使う少女。
フラメンコでも踊るように、様々なリズムを刻みステップする。
長く伸びたスカートを蹴り上げたり、手で持ちバサバサと操る。
体を回す度に、スカートとマントが鉄壁の防御と攻撃をなし、更に波打つヒダに姿を隠し、はためきながら攻撃と防御を繰り返す。
そして敵の武器の長さや飛び道具などによって、体から離したマントを、ピザでも作る職人のように、または闘牛を弄ぶマタドールのように操り、敵を払う。
最後の仕留めは、剣ならぬ頭に被った可愛らしい帽子で、それを舞いながら相手に放つのだ。
長いゴム紐の付いた帽子が、フライングディスクのように宙を飛び、その帽子をゴムで自在に操りながら、あっという間に敵を仕留めてしまう。
他にもまだまだ武器はあり、六姉妹は一人につき数種類の専用武器を操る。
中でも網を操る武器がとんでもなく恐ろしい。
縁のいるランクにも投網を使う者がいるが、それに関してはすでに攻略がされていて、放たれた網に物を投げ入れることで網が閉じる。
更に直線的な投げなので見切ることもできるのだ。そうなれば後は踏みつけてチェックメイトとなる。
少女の中の一人が持つその武器は、網は網でも、スケールと細工が違う。
二本の柄の先から複雑に枝分かれした細かな細工が、少女の技によって幾重にも形を変え、仕組みこそ説明できないが、まともにやり合って逃れる術がない武器に感じる。
防御主体というよりは、曽和の扱うサスマタと同じ類の趣旨であり、それこそ、曽和は犯人を、少女は獲物を捕獲する武器。
とはいえ、六姉妹もそれらがいるエリアも謎、まずはそこまで辿り着かなければならない。
そしてこの後、縁が受けるランクアップの審査と言えるバトル……。
縁の恐れる銀錠が、どれほどの者なのかも……また謎であった。