一五話 エキシビション バトル
いつものように練習を開始すると、そこに、堤が足早に寄ってきた。
「おはよう床並君。早速で悪いンだけど、今日も手合せお願いします」
「おはようございます。それじゃ防具を着けて待っていて下さい」
まるで園児や愛犬のように、縁と戦うことを欲している。
嬉しそうに戻っていくその姿に鬼教官の面影はない。どちらかと言えば優等生な生徒といった感じ。
堤は、今日までの一週間で、とんでもない進歩を遂げていた。
たったの一週間と思えるが、しっかりとした基礎体力に加え、鍛え抜かれた身体能力、そして剣道技だけでなく警察官としての半端ないスキルが、あっという間に堤のレベルを押し上げていた。
進卵学園の部員達がこなすプログラムを、完全に真似し、みっちりと鬼ごっこをする。今までしてきた練習や訓練はいつでもできると割り切り、縁に特別メニューも組んでもらっていた。
いつものように用意し、防具を着けた堤の元へと向かう。すると、練習していたすべての者が両サイドへとはけ、二人の戦いを興味津々に見学する。
中央で向き合う二人。一対一。堤は既に縁からそこまで認められていた。
「堤宏児。今日こそは一矢報いる。よろしくお願い致します」
「床並縁。堤さん、目にもの見せてね。よろしくお願いします」
慣れたように二人共お辞儀をし、構える。
堤の動きはすでに最初のそれとは違う。まるで別人。
手に持つ竹刀も、堤のオーラで本物の刀に感じる。それでも縁は、防具は着けず薄い甚平姿でいる。唯一付けているのは、サッカーで使うすね当てを、左の手首に装着するのみ。まだ攻撃が当たったことはないが、ひとつ前の戦いの中で、何らかの危機感を察知したようだ。
激しく切り込んでくる堤。叩くのではなく触れにいく。
素早く引き戻すその竹刀は、空を切り裂き、縁の残像を切りまくる。
世に溢れている剣技とは違う。
本物の刀を使い、ゴザなどを巻いたモノを切る催しなどあるが、あれでさえ叩き切っていると、間違えていると言わんばかりの違いを見せる。
格闘家の繰り出すジャブや蹴りのように、しっかりと引き戻される。その刃先は料理人の持つ包丁のように繊細で無駄がない。
素早さだけに拘り、手首や肘だけで竹刀を振う今までの一太刀とは違い、全身のひねりで切り込む堤。
正面同士でやり合う剣道とは違い、縁が避けるであろう先を読みつつ、わずかな流れを必死に凝視する。
剣先が激しくうねり音を立てる。
堤は戦いながら、自分の持っている竹刀が、何度も木刀に感じたり真剣に感じたりしていた。そして、木刀同士で稽古している剣の流れが、竹刀同士とどう違うのかをイメージで味わう。
重みも固さも切れ味も、全てが別物だと強く意識する。
息もつけない攻防が続き、縁はありえないほどに避けまくる。カルタや百人一首のような素早い堤の手捌きを、一体どうやって縁は反応し避けているのだろうと、会館内にいる皆が、ただただ不思議そうに見ている。
そして――。
縁は堤の繰り出す竹刀を緩く流し、一瞬で手首と胴体を切り裂いた。ムチを打ったような甲高い音がパチンと館内に響く。
「また殺されてしまった。いつになったら……届くやら」堤が俯く。
「昨日よりも全てが鋭くて、正直、次ぎにやる時は、防具を着けようか迷うくらいです」
「それは本当かい床並君?」
「ええ。やっぱ、堤さんは沢山の技を知ってるし、やる度に急成長するから。今日大丈夫だったからといって、明日も平気と高をくくっていたら、その竹刀で脳天をかち割られてしまいますから。見ていた人達に聞けば分かると思いますよ」
本当なら自分で実感できるはずだが、縁との差があり過ぎて、自分がどう成長しているのか分かっていない。
しかし見ている者達には、はっきりとその違いが見て取れた。
縁と堤が互いにお辞儀をし、試合の流れを話し合う。
「ということは、床並君がこう動いた時の正解は、横へステップをすればよかったわけか」
「そうですね。こっちはわざと誘っていますからね」
「あっ、ならば、後ろに引いて、出小手と引き小手を合わせたような――」
あらゆる経験を巡らせ、堤が試行錯誤する。と縁も。
「それ、ちょっとやってみましょう。俺も見てみたいので」
二人は確認するように実戦さながらの戦いをする。
しかし、堤の剣先が空を切る。逆に縁のカーボン製の刃が、伸びきった堤の小手を下から切り上げた。
「あぁ、やっぱり。そろそろそういう感じになりますよね。凄くいいと思います。今の、俺でなければ決まっていた可能性はあります。ただ……」
「ん~。やはり、横にステップして防御が正解ってこと。だね」
「ですね。実は、形は違うにしろ、そろそろ、堤さんは小手で来ると思っていて、それで左手に防具を着けてきたンです。堤さんはリーチもあるし突っ込みも早い、何より剣先が早過ぎて怖いから。でも堤さん。そろそろ考えなきゃいけないのは、相手が自分よりも、遥かに長い武器を持っていたらということ。まして飛び道具であったらと」
縁の言葉に堤がハッとする。
堤は剣道という枠の中で考えていたのだ。ここ数日、剣道と今しているモノにはっきりとした違いを感じ始めていたのに、考え方がどうしても剣道の筋に沿って導こうとしてしまう。
体だけではなく、心にまで剣道が染みついているのだ。
堤は鬼ごっこの果てに、数人相手に稽古できるまでになっていた。そこで違いに気付き始めた。合気道の達人が複数を相手にできる理由にも似た感覚。
一対一で戦う時も、様々な違いを薄らと感じている。
本来、剣道も空手も、複数を相手に出来る型はある。それを一対一でしなければならないはずだと。
ただ実際、剣道も空手も、極端な横からの攻撃は武士道に反する。
分かり易く言えば、真後ろから切るなどはありえないし、恥ということだ。
もちろん縁も後ろからは切らないし、合気道の達人もそういうことはしない。
その違いや差は『してもいいはずのこと』まで出来ていないといこと『くらってはいけないもの』それが抜け落ちたのが、今のあらゆる武道の末路ともいえた。
ただ正面で向き合い叩き合う。
避けの技術の欠落。位置取りなども知らない。空手も剣道も、お互いに叩き合い過ぎる。素人が見ても、あれが現実ならどうなってるの? と疑問が浮かぶ。
空手も、片方が凶器を持っていたなら、もう一方の空手家は何百回胸や腹を刺されているのだろうという試合ばかりだ。
もっと避けるなら、しっかりと、ガードしてかわすなりしないと。
もし、避けずに、肉体の強さが云々という理由であるのなら、それこそ、通常の一本程度で倒れたり、決着がつくのは否。もっと、かつての武将や弁慶のように、どのような攻撃をされても、受け続けても、耐えて立ち続ける無敵さでなければ、理屈として、何を鍛錬してるの? となる。
グローブをつけたボクサーの一発で、沈んでしまうなら……、やはり、避けたりガードを重要視しましょうと。
剣道のルールや知識や経験ならば、堤の方が縁より遥かに上である。しかし、もっと過酷な状況下での戦いを全く知らない。
それを知り尽くしている縁だからこそ、堤の遥か上にいるのだ。
堤自身、特殊警察として様々な訓練をしている、だからこそ、そういったことを人一倍敏感に感じ取っていた。
「絶対に相手の攻撃を喰わないということが第一条件です。剣道ではお互い当たり過ぎてますから。そして自分の持つ武器がナイフで、相手が長槍という圧倒的不利な状況で、いかに相手に攻撃するかです。その為に必要なものこそ、防御。ついで攻撃。攻撃だけを考えれば、二択。相手の隙を見つけナイフを投げ放つ、もしくは接近して刺す。しかし防御を第一に考えるということは、決してナイフを手放さないということ。相手が武器を所持している場合、素手になることは負けを意味していますから」
堤は縁の話を聞きながら深く納得していく。
剣道でも、試合中に竹刀を落すと、命取りという意味でか? ペナルティー点が与えられる。
数分間の話し合いが終わると、縁は部員達の元へ、そして堤は仲間達の元へと戻って行った。
堤は、個人の顔から指導者へと戻り、縁に組んでもらったプログラムへと移る。
特殊警察隊であるそれらは、ここ数日、インドの国技である『カバディ』というスポーツを徹底してやっている。
日本には警泥という遊びがあるが、それを、小さなコートで行うスポーツにしたようなものだ。警察官にはうってつけの競技。
独特なルールや試合の派手さを、上辺でバカにしなければ、相当に面白い競技である。例えば、他校の不良との抗争を、ケンカ代わりにこの競技で戦っても、盛り上がること間違いない。
インターネットなどでルールなどを一から覚えて、真面目に取り組んでいるが、さすがは特殊警察隊というか、すでにオリンピック選手と同等の動きまで到達している。
元から身体能力がズバ抜けているのは分かるが、センスもまた超一流であった。
この国を守る警察官がいかに優れているか、嫌というほど実感させられる。
凄いのは、当然と言えば当然かもしれない。この国の警官は世界でも類を見ないほど優秀な者達ばかりで、犯人が武器を所持していても、基本、銃は抜かず、素手もしくは、警棒での逮捕を試みる実力者達ばかり。
普段銃を使うなどはドラマだけで、もちろん知っての通り作り話だ。
この国の警察は素手で犯人を捕まえることのできる、唯一無二の存在。世界中でそんなことができるのはこの国くらいであろう。
このカバディをやり始めてすぐに堤が言った「こんなにも実践に近いスポーツがあったなんて。これは運動として警察官に義務付けてもいいくらい面白い」と。
激しくやり合う警官達を見ながら、部員達もいつも通りの鬼ごっこをする。
一応、二対一の状態まではきたのだが、どうしても鬼二人を相手にできないようで、それぞれが、ただ夢中に頑張っている。
縁はそれを見守る。
「兄ぃ。ちょっとこれ見て。ねっ。蚊に刺されたンだけどぉ。分かるぅ? すごくかゆいの。どうしてくれるの?」
「はあ? ハハッ、どうしてくれるのって?」
「だからぁ、兄ぃのせいで、私と萌生ちゃんが蚊に食われたわけ。そこでなんだけどね。上の階にあるプール、行ってきてもいい? いいよね? 蚊にやられたンだしさ」
「ダメ。いいわけがないだろ子供だけで。監視員もいないし。仮に居ても、寧結と萌生ちゃんの二人で行かすなんてできない」
「なんでよ。こんなにもお願いしてるのに。分かった、それじゃ、浅いとこで浮き輪してるから、それなら文句ないでしょ? でしょでしょ」
「寧結ぅ。気持ちは分かるけど、子供だけではダメ。それと、お前のはお願いじゃなくて、最初から駆け引き仕掛けてるゾ。お願いの仕方、知ってるか?」
寧結は縁の許しが得られないと分かると、萌生と二人で、会館の端をトコトコと歩いていく。リヤカーの時もそうだったが、とにかく新しい何かがしたいようだ。
数分して部員達が休憩に戻る。
「あぁ。どうしても上手く行かない。床並君さ、なにかアドバイスとかない?」
今込が困ったように助けを求める。
「うん、そうだね。じゃあ、ちょっとだけアドバイスしようかな。本当はもう少し試行錯誤した後の方が、感覚が研ぎ澄まされそうで。でも、コツをちょっとだけ」
縁は部員達を周りに集めて、避けることに関して説明した。
すると遠くで指示を出していた堤も、縁の声に集中し耳を傾ける。
「まずね、全てのスポーツの基本になる形があってね。ほら、野球の守備とかテニスとかバスケット選手を思い出して。みんなどういう姿勢をとってる?」
縁は軽く構えてみせる。
「ああ、そういえばバレーボールもそうだよね」岡吉が頷く。
「瞬時に動くのに一番すぐれているから、どのスポーツもその形になるンだよね。これは前後左右だけじゃなくて全ての動きに良くて、細かな説明は難しいからしないけど、体の移動に適してるのね。そんでね、移動する時に大体の人は頭か肩が先に動くのね、でも意識するのはお尻」
「お尻? 腰ってこと?」今込が細かく聞く。
「腰じゃないよ。お尻。お尻を動かすの。ちょっと皆、その場で立って、動いてみて。そう、腰を落としてお尻から先に動く」
「腰じゃダメなの?」
「うん。腰でやってみて。ほら、お尻が残るでしょ。腰やおへそ辺りに重心をおくと、体を移動させる時に安定しない。お尻だとそれ以外は無意識でくっ付いてくるから」
部員達がお尻をフリフリしながらステップを踏む。遠くで堤達も真似ている。
「お~い寧結、萌生ちゃん、ちょっとこっち来てくれる」縁は、端っこでじゃれている二人を呼び寄せた。
「なぁに兄ぃ。暑いからプールに入りたくなった?」
「そうじゃないよ。今から俺と、風船のバトル勝負するか? 寧結と萌生ちゃんチームと俺のバトル」
「えぇ、兄ぃ一人で?」
「分かった。それじゃこっちは俺と今込君と濱野君の三人だ。それならどうだ?」
すると寧結がスタスタと堤の方へ歩いていく。そして堤の手を引いて来た。
「四対二でやろう。タッチしたら外れていくのでしょ? いいよこのメンバーで」
とんでもない大差だが、縁は仕方なくその条件で飲む。
堤も今込も面白そうだと喜んでいる。そんな中、濱野だけは、主役にでもなったように格好付けていた。
「それじゃ、皆は、寧結と萌生ちゃんのお尻の動きに注意して見ててね」
「兄ぃ。今なんて言った! 私と萌生ちゃんのお尻を見たいの? それって何? 小学一年生のお尻をどうしたいの? 兄ぃを見損なっていく私がいるぅ」
「なに言ってんだ寧結。俺が見るンじゃないだろ? 俺は、バトルする方だから。よく考えてからしゃべりなさい」
「あ、そっか。ンじゃ誰が私と萌生ちゃんのお尻を見たいンだろ?」
そう言って館内を見渡す寧結と萌生。
多くの大人達がその小さな視線から目を逸らす。
「いいから。早く風船持って真ん中にいきな」
「あっ、兄ぃ達は一本だけね。私達は二本持っていくからね」
細かな条件を付けてくる寧結を、軽くあしらいながら中央へと向かう。
寧結と萌生の動きを見せたいだけの縁と違い、それ以外は、このバトルを真剣に楽しもうとしている。
「未蕾小学校一年、床並寧結よ。いやらしいオジサン達に、私のハレンチキックをおみまいしてあげるわよ」
「ね、寧結? お前意味分かって言ってるのか? それにそういう自己紹介はなしで、これはただの鬼ごっこ的なバトルだしさ」
「なんで? 勝負でしょ。さっきそういったジャン」
分かったよと頷く縁。口論すれば余計に時間を失うと悟っている。
「未蕾小学校一年生、滝本萌生です。私も本気でいくよ。それで、もしこの試合に私達が勝ったら、後でプールに連れてってね。約束ね」
萌生はそう言って投げキッスを飛ばす。
なんておませな仕草だと堤が恥ずかしそうにしている。
縁の側は恥ずかしそうにして誰も名乗らないでいる。と誰かが一歩前に出た。
「進卵学園二年、濱野明則。この俺を倒すことが仮に出来たとしたら、その時は、先輩である俺から、床並部長に、プールの件をお願いしてあげよう。約束だ。ま、倒せたらの話だけどね」
「ちょっと濱野君何言ってンの? 濱野君部員の中で一番弱いジャン」
今込がツッ込む。
濱野は、表舞台に舞い上がりながらも、今込の台詞になぜか照れて頭を掻く。
「おっと、俺かな? 俺は今込光流。初心者だからお手柔らかに」
「私は……堤宏児。よろしくお嬢ちゃん達」
「それじゃ、始めようか……」縁が中央へと皆を集める。
「あれ? 兄ぃは? 名前。まさか名無し。ちゃんと名乗ってよぅ、もぅ」
「はいよ。俺は床並縁。お前達のプールを阻止する保護者だ」
縁の台詞に、寧結と萌生がゾワゾワと喜んでいる。
退屈していた心に、一気に血が流れてブルブルと武者震いしている。
「もういいよ始めて」寧結はそういうと萌生に合図して逃げ出す。
「おっ、おい寧結、ケンケンパは?」
「えぇ~。だってぇ普通のバトルでしょ? いいじゃん」
「仕方ないなぁ」縁はそういうと寧結を追い始めた。
縁の後に堤が付く。今込と濱野は、いつもの鬼ごっこのように二人を追う。
すると、寧結と萌生が濱野を目がけて襲い掛かった。焦る濱野を軽くひねりあげるように、一瞬で葬る。
仕留めたのは萌生だった。
「にひひっ。やったよ寧結ちゃん。これでプールお願いしてくれる約束だよね」
「一丁あがりだね。どんどんやっつけちゃおう。私と萌生ちゃんがそろえば、どんな相手だって倒せる。無敵のダンスを見せつけてやろうよ」
「だね、寧結ちゃん」
想像以上の動きに縁は面食らっていた。
とてもじゃないが手加減している余裕がない。
「床並君。悪いけど、私に任せてくれないかな」
縁の後ろに居た堤が横へ並ぶと、二対一の勝負をさせて欲しいと頼んできた。
堤は、寧結と既に帰った曽和の戦いを、その目で見ている。そして自分にも回ってきたこのチャンスを、心の底から楽しんでいるのだ。
「で、でも、二人共相当ヤバイというか……」縁ははっきりとダメとは言わない。
「た、頼むよ。私も、鬼ごっこで三人まで対応できるようになってきたし、簡単にはやられたりはしないから」
堤の強い懇願に、それ以上は言えず「分かりました」と承諾した。
「ありがとう」
嬉しそうに突っ込んでいく堤。しかし、あっという間に囲まれる。しかも、堤は寧結の姿を見失っていた。
周りで見ている者達には、堤がキョロキョロしているのが不思議でしょうがないのだが、堤は、斜め後ろへピタリと張り付いた寧結を見つけることができない。
体の向きを変える度に、寧結もそれに合わせてずれる。
その動きに館内がざわつく。
「おじさん? ここだよ」声を出す寧結。
全身で振り返るが、捉えられない。それどころか、萌生の存在まで見失いかけている。完全に翻弄されて、いつでも仕留められてしまう状態。
堤はありえないほどの焦りを感じていた。すでに自分が、相手の手の内で踊っているのだと分かっている。
自分が思い描いていた試合展開とは、ほど遠いありさまに、冷や汗が出る。
寧結はルール的に、後ろからの攻撃はしないが、これがもし世にいる犯罪者の類なら、確実に背後から一突きにされ、抉られている。
背後をキープする基本テクニックは、両肩の傾き、その初動を見極めること。
それができない内は、相手の腰に掴まるか、手を添えさせてもらい練習する。
そして、感触や動きのパターンを感じながら、徐々に片手を離し、距離を取る。そうやって感覚を培っていく。
「いいの? もう仕留めちゃうよ」萌生は嬉しさを隠し切れずに、ヒヒヒと笑う。
声のする方へ素早く振り向く堤だが、そこに誰も居ない。
「堤さん、ちゃんと首を回して」
縁の声に反応して堤が頭と首を回す。
さっきまでの角度よりも遥かに回ると、堤の視界に、いきなり寧結と萌生の姿が入った。
二人共に、斜め後ろで、片手を堤の腰へと伸ばしながら、ピタリと付いている。
堤は、ほとんど目の動く範囲内でしか見ていなかったのだと気付いた。
目や体全体を動かして見るのではなく、野生の生き物達のように、しっかりと、顔や首を回し向けないといけないのだ。
格闘技のセオリーとは少し違う。正面でのみやり合う競技で首を回せば、無理な体勢にもなるし隙も生まれる。
隙をついて素早く当て合う格闘技では、そういった動きは致命傷となる。普通に考えれば、真横や真後ろを覗き見るなどない。
しかしリアルなバトルでは、その甘いルール自体が根底から変わる。それが証拠に、草食動物の目は進化の過程で、真横についている。そういう視野域。
「見つかっちゃった。よぉ~し、萌生ちゃんは後ろからね。私が向こうに回るよ。二人のジェネレーションバディをお見舞いしちゃおう」
「オッケー。絶好調のステップで、全開でいっちゃおう」
ハイテンションの二人。
せっかく見つけたその姿を、一瞬で見失う堤。三人を相手に出来るようになったはずの目が、幼い女の子二人に弄ばれていく。
寧結と萌生が上手に避けるところを、部員達に見せたかったのに、ケンケンパではなく、その遥か上のクラスのステップで動き回る。
縁は、あまりのレベルに唖然とする。
ありえないほど二人がシンクロし、それこそダンスしているように回る。
周りで見ている者達は、二人の凄さをじっくりと感じ、以心伝心とはこういうことかと、寧結と萌生の繋がりを眺めていた。
必死に二人を探す堤だが、部員達が鬼二人で行き詰っているのと同じように、あっという間に仕留められてしまった。
「くっうぅ。駄目だったか」悔しそうに崩れ落ちる堤。
余程思い通りに行かなかったのか、相当に落ち込んでいる。下を向いたまま会館の端へと外れて行く堤。
「よし、後は兄ぃと今込君だけだよ」寧結がポーズをキメる。
「うん。生意気にいこう」萌生もポーズをキメた。
縁は今込をチラリと見る。果たして一緒に戦うべきか、別々にいくべきかと。
でも、二人の動きの良さからいって、とても今込をカバーできる余裕はない。
縦横無尽に暴れる二人。しかも今込を狙う。
アドバイスしてあげることさえできない歯がゆさに、ただ唇を噛む。そんな中、寧結と萌生が今込を隅へと追い詰める。
周りで見ている者達は、二人の虜にでもなったみたいに見入っていく。
逃げを試みる今込。逃がさぬよう、詰めていく幼い女の子二人。
部員たち同士でやる鬼ごっことは違い、ありえないほど研ぎ澄まされた風船が、触手のように伸びてくる。
風船二本持ちと、それを一本でさばかなきゃいけないハンデが、これ程とはと、防戦一方の攻防を見て、誰もが実感する。
剣道界で、二刀流は稀だが、しかし、薙刀との異種交流試合などの時には、圧倒的な惨敗を防ぐため、短い竹刀を防御用に持つことがある。
つまり、感覚的には、その差や何かを感じてはいるはず。
寧結と萌生の四本の風船が、蛇のように襲い掛かる。
「へへぇ。もう降参した方がいいよ今込君」萌生が笑う。
「ウンウン、私達の魔法は、普通の人間じゃ無理だよ。ねぇ萌生ちゃん」
二人で顔を見合わせ、ニッコリと笑い合う。そして狙い澄ました萌生の風船が、今込をしっかりと突き刺した。
「くわぁ。やられたぁ。でも、俺的には結構いけたンじゃない?」
今込が自らそう感じる通り、寧結と萌生の攻撃を相当かわしていた。
ついさっきやられた堤と比べれば、避け方も逃げ続けた時間も上だと分かる。
どこか満足した顔で端へとはける今込に、部員達が「凄かったね」と賛辞をかけていく。そんな中、縁と幼い二人が、向き合いながら徐々に間合いを狭めていく。
「兄ぃ。言っておくけどね。変身した私達には誰も敵わないよ。たとえ、それが悪の大魔王でも。私達……ちょ、ちょっと、まだ、話してる途中でしょ!」
縁は寧結の戯言を聞くことなく、お構いなしに攻めたてる。
その攻撃をギリギリで避ける寧結。それを見ながら萌生も焦って距離を開けた。
縁はチラチラと萌生を見ながら、二人の連携が、いつなんどきでも繰り出される訳ではなく、二人の心に、相当な余裕がないと出せない代物のだと見切った。
「ほら、どうした寧結。魔法でも何でも使っていいぞ。お兄ちゃんが特別に許す」
意地悪そうな口元でニヤつくと、寧結と萌生の顔から余裕が完全に消えた。
「今行くよ寧結ちゃん」萌生が寧結を庇うべく、突っ込む。
萌生の激しい攻撃に合わせ、避けていた寧結も攻撃に転じる。
縁はその攻撃を、待っていたかのように避け始めた。
二人が手本になるレベルで避けないから、自分がお手本として避けを見せるしかないと。
元々このバトルはそれが目的である。
一本の風船で、四本の触手から身を守る縁。バスケットで使うクイックのような動作が随所で見られる。動作前に体が数ミリ沈み、まるで無重力のように滑る縁。
しっかりと基本であるケンケンパを入れて、部員達に見せるように手解く。
避け続けていくが、予想以上に激しい攻撃と、執拗なまでにくっ付いてくる二人に、縁の余裕が徐々に消耗していく。
さらに、戦いの中で、寧結と萌生がどんどん進化して、攻撃のバリエーションや激しさが増していく。二人の目と体は、基本に忠実な縁の動きに慣れ始めていた。
この避け方では、そろそろ限界かも知れないと、そう思い、縁が反撃に移ると、今度は寧結と萌生が避け始めた。今更避けないでくれと、疲れ果てた縁が思う中、二人はギリギリで身をかわす。
まるで、水面を滑るアメンボーのように。
周りで見ている者達はその動きを見て、避けるということがどういうことなのかを理解していく。
部員達よりも、遥かに年配者である大人達は、三人の動きを見ながら、幼き頃にした数々の遊びを思い出していた。
鬼ごっこや手繋ぎ鬼、缶蹴りや警泥などなど。
縁の伸ばした風船を、走り逃げながらギリギリで身をよじり、更にクイックして方向を変えて逃げたり、しゃがんだりジャンプしたり。
かつて子供だった頃、誰しもがそうして遊んだ動きに似ている。
その頃は、相手の指先までスローモーションで見えていた気がする。そんな幼い思い出が脳の奥深くから蘇ってくる。
ただ残念なことに、部員達世代には、そのような記憶はない。
しっかりと首を回し、周りの状況を見る。限界まで体をくねらせてかわす。
勉強するように三人の動きを見る。
お尻の移動、身のこなしやよじり方。
それは街に出没した野生動物が、動物管理の者達から逃げ回っているような身のこなしをしている。
巨大ネットを構える者達の、小さな隙間をすり抜ける目を持ち、速遅なクイックで、相手と同調化しないよう翻弄し、スピードとバネを使う。
じっくり見ると、三人とも爪先立ちで動いている。何度もかかとが地面へとつき、膝や股関節がクッションやバネになりしなっていた。
と、ようやく縁が萌生を捕まえた。
「ふぅ。疲れた。やっと一人か。あとは寧結だけか」
「あぅ。つかまっちゃった。ごめんね寧結ちゃん、私やられちゃったよ」
萌生も大分動き疲れたようで、ゆっくりと会館端へとはずれて行く。
「よ~し。あとは……ね、ゆ……だ……け?」
そう言いかけた縁の目に、寧結のとんでもない視線が飛び込んできた。
目にいっぱいの涙を溜め、まるで親の仇でも見るように憎んでいる目。
「兄ぃ。よくも私の友達を。絶対に許せない。私の、私の、お友達なのに」
自分の台詞にどんどん気持ちが高ぶり、寧結の怒りは沸点に達している。
周りで見ている者達には、寧結の怒りの感情がどういうモノで、その度数がどれくらいなのか、さっぱり分からない。
なぜなら、大人だからだ。この感情が理解できるのは中学二年生までであろう。
友達がと涙ぐむ幼い感情……。
遊びだし、なにも涙ぐむほどの話か? 理解に苦しむ。
寧結の感情に同調した萌生が「ごめんね。一緒に戦えなくて」と涙ぐんでいる。
それを横目にワナワナとしている縁だが、縁にとって寧結のこの泣きそうな顔がどれ程厄介かは、誰よりも知っている。
理由は分からなくても、妹の逆鱗に触れた時のキレ具合は、爆音を唸らせるチェーンソーだ。
よく、世の中では、涙の数だけ強くなれるから、なんて言葉や歌が横行しているが、それははっきり言って間違いだ。
それが成り立つのは、単純に出来ている男の子だけ。男の子は、傷ついた分だけ耐性ができて経験値となるが、女の子の場合はまるで違う。
泣いたり傷ついた分だけ、闇の何かと結びついて怖くなる。
それが何かは分かっていない。とにかく超おっかない性格になる。だからこそ、男子は無意識に、汚れなきお嬢様に憧れる。
それはトラウマがなくて、優しそうだからだ。
上手く言えないが、縁もまた、寧結の涙に同じような恐怖を感じていた。
今思っていることは、いかに寧結と萌生の機嫌が直るような、ド派手なやられ方をすればいいかといことだけである。
妹をこれ以上泣かせれば、もし今溜まっている涙がこぼれでもしたら、それこそこの先の人生も変わってしまう。
男の子なら先ほど述べたように、泣いても強くなるし経験値で終わる。しかし、女の子は性格自体変わるし、このことを一生、それどころか我が子へも言い伝えるほど忘れない。そんなバカなと言いたいが、嫌なことは忘れてなどくれない。
「泣いたらスッキリしちゃった~」なんて嘘だ。
女性は女優であり天邪鬼でもある。
すでに変革の門は開かれてしまった。出来ることはただ一つ。
被害を最小限にとどめること、ただそれだけだ。
「寧結。お、お前が友達を思う気持ちがホントなら、この俺を倒して、萌生ちゃんと仲良く、プ、プールに行けるように倒しなさい。これはお兄ちゃんからの命令だ。萌生ちゃんを想う気持ちがあるなら、ちゃんと倒しなさい」
縁は完全に血迷っている。しかし、寧結も萌生も……単純ではあった。まだ小学一年生の女の子。これが四年生や六年生なら話は変わる。まして中一くらいなら、もうブチ切れて「家に帰る」と言い出すかも知れない。しかも裸足で。
「寧結ちゃん頑張って。お兄ちゃん倒して一緒にプール行こう。私、ここから応援しているから。ね。負けないで」
萌生の声が館内に響くと、寧結の目から涙が引いていく。子供ならではの素早い変わり身。まるで仮面を付け替えたような切り替えの早さ。
「兄ぃよ。確かに日々感謝してる。でもね、私の友達に~手、出したらさ、いくら兄妹でも黙っていられないの。そういう運命なの。女の子にはねェ――」
長々と語る寧結の台詞をうるせぇなと思いつつも、どうやってやられようかだけを考えていく。
あまりにもあっけなくやられればへそ曲げるかもしれないし、かといって避けた感じで、寧結に勝てないかもと不安を与えでもしたら、絶望していつ泣き出すかもしれない。
子供とは一瞬で泣き出す夕立。雨雲の迫る気配さえない。
それに、普段なら平気なことも、この闇のドアが開いている状態では、ちょっとしたことも危うい。
集中する縁。と「行くよ兄ぃ。必殺、セクシーデザイア」
寧結の声に本気でビビる縁。体が強張り動きが鈍る。
そこへ寧結が攻撃を仕掛ける。技名とは関係のない、普通の攻撃だ。
「サディスティクモーション。クレイジークロー。ローリングサバイバー」
技名を叫びながら攻撃を仕掛ける寧結。その度に怯える縁。
言い放つ寧結は、何かしらのポーズというか演技はしている。
ただ、至って普通の攻撃だ。
縁は、今までに見せたことのない焦り顔で、不器用に避け、そして、キリがイイところで、寧結の攻撃にやられてみせた。
「やったぁ。萌生ちゃんやったよ。どおぅよ兄ぃ、これがフレンズよ」
寧結の勝ち誇った顔に、縁は無音の拍手を送る。
端へとはける縁を見送る寧結に、萌生が駆け寄り、二人でクルクルと回りながら喜んでいる。
その回転と共に、二人の闇の扉はギィ~と不気味な音をたてて閉まっていった。
「プール、プール、プール、プール」
ぴょんぴょんと跳ねながらプールを連呼していく。
「兄ぃ。約束だからね。プール行っていいンでしょ?」
「分かったよ。でも、午後からね。俺が付いていくから」仕方ないと溜息をつく。
妹のわがままに屈服してしまう自分が情けなく感じる縁。
部活の合宿で来てるのに、妹達に時間を割かなければいけない状況、係長が上司と部下の板挟みにあっているようなストレスを感じる。
「どうだった皆? 少しコツとか分かったぁ?」
部員達の元へと戻ってきた縁が問いかけると、皆が一斉に頷く。
それぞれが、見ていた感想などを述べ、早速練習に移りたいと張り切る。
「あ、そうだ。それじゃ、今日は一人ずつ俺が相手するから、順番決めてもらえるかな。それで、順番を待っている間はいつも通りに鬼ごっこしてもらって」
縁の急な申し出に、部員達が順番を決めていく。
「それじゃ俺から~」濱野が自信満々に胸を張る。
「何言ってるのよ。濱野と今込君は今相手して貰ったばかりでしょ。順番は最後に決まってるじゃない」
雨越の台詞に「あっそうか」と素直に引き下がる濱野。自分だけが呼び捨てされていることには気づいていないのか、ニコニコとしながら鬼ごっこ側へと動く。
「えっと、最初は岡吉さんですね。で、次が雨越さんで、次が――」
縁が確認をとる。
一応年功序列の様な順番になっている。さすがに二年生を差し置いて、一年からという強引さはないようだ。
一人ずつ順番に縁と向かい合い、縁の攻撃を避けていく。
最初はお互いに二本ずつの風船を手に持ち攻防をする。そして途中から部員達が一本へと減らして行われた。
「なんで~。なんか凄く上手くいく~」岡吉が驚いている。
「ホントにすごいです」縁が笑顔で褒める。
今日まで一週間続けてきたことが、縁と手合せすることで一気に開花し始めた。
「うっそ。私も。なんで? 勝手に体が動くよ」雨越もびっくりしている。
縁の分かり易い動きに、向かい合う部員達がぴったりと合わせて動く。
まるで社交ダンスで、上級者にリードしてもらっているように、知らず知らずに踊れていく。
「えっと、これでいいのかなぁ」三好が不安そうに動く。
「うん、そう。メチャクチャ上手です」
縁に褒められて嬉しそうに顔を赤らめている。
一人あたり大体六分。風船を両手に持って三分、片手に持ち替えて三分。
その間に約三十秒の休憩を入れて進んでいく感じだ。
二年の女子部員が終わった所で大体三十分が経ち、一年の女子部員が終わる頃には、スタート時から一時間半が経っていた。
「ふひぃ。疲れたぁ~」寝転がる縁。
「ちょっと床並君? 早く。早くやろうよ」
濱野が待ちきれないといった感じで、ソワソワと縁を誘う。今込もその横で待ちくたびれたように佇む。
「濱野、床並君は全員の相手して疲れてるんだから、ちょっと気を使いなさいよ。ジュース買って来るとかさ、ジュースを、買ってくるとか。というか、濱野も部長みたく、全員分のジュースの相手してさ、買ってきたら? ダッシュで」
「はぁ? また俺? 毎日じゃん。ま、行くけどね。たださ、ダッシュでって言うなよ。この前持ちきれないで落としたらさ、缶がへこんでるからどうとかって怒ったジャン? こんだけの人数分を運ぶのメッチャ大変だからね。一度試してみン、凄いヤバイから。というか、マネージャーの仕事じゃないかな? なんでマネージャーまで一緒に練習してるのさ」
「いいから早く行ってきなよ濱野。ダッシュで。今日は落とさないようにさあ」
濱野は「分かったぁ」と元気よく走って行く。多分、ドMなのかも知れない。
訳は、何故か嬉しそうに微笑んでいるからだ。
甚平の裾をめくりあげ、袋状にして運んでくる濱野だが、案の定「あ~、私の缶へこんでるジャン」と数名の女子がクレームを言う。
「落としたでしょ~」
「え? ん? ……うん。持ちきれなかった」
運んでいる時ではなく、販売機で買っている最中の動作で、バラバラと落としてしまったようだ。
縁はおっちょこちょいな濱野と部員達のやり取りをニヤニヤしながら見ていた。
ジュースを飲みながらいつものように、他愛もない話をして和む。合宿に来てから部員達の仲は相当に深まっていた。
ただ、顧問である折紙先生については、練習を見ることもなく、温泉に入ったり好きな絵を描いたり、デザートを食べたりと、自由気ままに、合宿とは無縁な生活をエンジョイしていた。