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バースデイ  作者: セキド ワク
13/63

一三話  泡の流れ



「きぃぃ。まだ冷たいよぅ」寧結と萌生が風呂場ではしゃいでいる。

 湯船は溜めずに三人で洗い場に(たたず)む。


「ねぇ寧結ちゃん。寧結ちゃんはいつも一人でお風呂に入るの?」

 子供二人が頭を洗うのをしっかりと見ながら、自分は手足を洗う登枝。

「う~ん。一年生になってからは『一人で入れる練習』ってたまに言われるけど、寂しいし、洗ってもらうと楽だから一緒に入ろっていう」

「そう。なら一緒に仲良く入ってるのね。楽しそうね」

 登枝は、会館での話が、もし本当に『俺と一緒にお風呂に入ってくれ』であったなら、今頃ここに二人でいたのだろうなと、ヘンテコな妄想をして、軽くにやけていた。


「お兄ちゃんと一緒に入る時ってさ、タオルとか付けてるの? それとも何もないというか、裸? なのかなぁ」

「寧結? 兄ぃ? う~ん、裸だけど。私がジロジロ見てると思ってるのか『あんまりこっち見るな』って、手で隠したり横向いたりする」

 つまり裸なのねと登枝は理解した。

 ちなみに寧結は実際にジロジロ見ていた。今でさえ登枝の胸や体をジロジロ見ている。萌生もだ。

 そのことには登枝も気づいているし、自分もそうやって見た記憶もある。


 女の子同士なのにどうしてと思うが、間違いなく見ている。これが仮に男の子と父親の入浴ケースや、男の子とお兄さんであるならジロジロは見ない。見なくてもたまたま目に入ってしまうことはあるが。

 ここで言うたまたまは玉々(タマタマ)ではない。


 登枝は頭を洗いながら様々なことを質問する。


「お兄ちゃんてさ、彼女とかいないよね?」

「いないよぅ」

「ンじゃさ、好きな人とかいるのかなぁ?」

「好きな人? えっとね、ン~わかんない」

「マイマイじゃないの? 前にデジタル・レーヌのマイマイって言ってたジャン」

 体中泡だらけで会話する。


「ん~、そうかなと思ったんだけど……、あの後、違うようなこと言ってた」

「なら、今はいない感じなんだぁ好きな人。じゃさぁ、お兄ちゃんの好みのタイプとかは分かる?」

「あぁでも、たぶんだけどぉ、うんとね、おっぱいだと思う。おっぱいな人」

「ア~分かる寧結ちゃんそれ。私のパパも絶対それ」

 萌生もキャッキャとはしゃぐ。


 登枝は、分かるような気もするけど、もしかしたらあまりにも小さな子供に聞いたので、間違いな意見を言っているかもと半信半疑。ただ、世の中の男は、寧結や萌生がいうように『おっぱいな人』なるものが好きだと登枝も認識はしている。


 自分が期待していたような答えや情報は得られなかった登枝は、なおも質問攻めする。


「ひめタンは、寧結ちゃんのお兄ちゃんのことが、気になるのね」

 突然、萌生がいう。

 寧結との楽しい時間を少し邪魔されていることと、自分への質問がないことから出た、女の子ならではの直球。

 寧結もその台詞で、改めて「そうなの?」と驚いている。


「いやっだぁ、どうして? ちょっと気になっただけ。あっ、でも、じゃあさぁ、逆に聞いちゃうけど。もしね、もし~、お兄ちゃんとヒメタンが付き合って、ヒメタンが彼女になったら、寧結ちゃんは嬉しぃ?」

「うれしい。だってトゥインクル・ドールのファンだもん」即答だった。

「えぇヒメタンも嬉しい。ホントに。じゃあさ、お兄ちゃんとヒメタンがくっ付くようにさ、寧結ちゃんから……」

 登枝がそう言いかけた時、風呂場の戸が激しくノックされた。


「ちょっと、登枝さん? なに勝手なこと子供に言っちゃってるの?」同室、香咲の声。

 しかしお風呂場からは何の反応もない。シーンとしている。

「あれ? 登枝さん? 寧結ちゃん、萌生ちゃん? 居るでしょ? 聞こえてる? ちょっと~。あれ? 聞こえてないのかなぁ」


 洗い場では、泡だらけのまましゃがみ込む三人の姿。登枝は口元に人差し指をあて、ジェスチャーで「しぃ~」とアピールする。

 寧結と萌生はそれが楽しくて黙っている。


「ちょっと~。聞こえてる? 開けるわよお風呂」

「ん~どうしたの香咲さん? 何か言った? ちょっと聞こえないンだけど。それとお風呂場開けないでね、恥ずかしいから~」

 香咲は仕方なく脱衣所に座り込み、また先ほどのように耳を澄ます。


「もしかしたら聞いてるかも知れないから、小声で話そうか」

 登枝の内緒話にワクワクしながら頷く二人。

 香咲はまったく聞こえなくなった会話に、不安と退屈さを感じていたが、香咲にとってあれしか対処の仕方がなかったと諦める。


 数分が経ち、香咲がもう一度声をかける。


「あの~、そろそろお風呂交替して欲しいんだけど~」

「あ、はいはい。もう出ま~す」明るい登枝の声。

 この闇の数分間に、登枝が何を話していたのか、凄く気になる香咲であったが、なってしまっては、どうすることもできなかった。





 一方、掃除を終えた男子達も、既に部屋へと戻り、お風呂へと入っていた。


 いつもより少し熱めのシャワーを浴びながら、縁は曽和との戦いを思い返す。

 一日も早く、成長した体に慣れなければと溜息をつきながら、久々の一人風呂を堪能する。

 そして、しっかりと湯船にお湯を溜め、足を伸ばしてくつろぐ。

 心と体の疲れがお湯に溶けていくように、ポカポカとした水面に(あご)まで()かる。


「ああ、気持ちぃ。でもこのまま寝たら溺れるよなぁきっと」

 顔を拭う手から、水音だけが……。

「兄ぃ~。兄ぃどこ? 今もどったよ。お~い、いないの? ねぇ、妹が帰って来たよ。萌生ちゃんも居るよ。ヒメタンもいるよ~。兄ぃ~返事して~」

「あ~もぅ。居るよお風呂場に。今、風呂入ってるからさ、もぅ少しのんびりと……」

 と突然、いや、必然に風呂のドアが開いた。


「居たぁ。あのさ、今戻ったから。ただいま。そんでね――」

「お帰り。寧結、頼むから今だけはお兄ちゃんを、そっとしておっ、おぉおっ」

 縁の目の前にいきなり登枝の姿が飛び込んできた。


「きゃっ。あ、ごめんなさい。お風呂終わったから、連れてきたんだけど、ごめんなさい。まさかお風呂に入ってると思わなくて」

 登枝は両目を手で隠しながら話し続ける。


 縁は湯船の中で、人生で初めての恥ずかしさに溺れていた。


 裸という心も体も無防備な所へ、現役アイドルが現れたら、下手すればあまりの驚きで失神してもおかしくない。

 静かだった湯船が、一瞬で嵐に変わった。



「ちょっと、その、あ、もう今出るので、スミマセン。できたら、奥の部屋で待ってて欲しいンだけど。そこだと、あの、なんか、あの」

「あっ、ごめんなさい。分かった。部屋に、居ればいいのね? うん。待ってる。寧結ちゃん萌生ちゃんあっちに、行こう。ここじゃお兄ちゃん困るから」

 確かに困る。でも、寧結だけならさして問題はない、あってもうるさいくらい。

 問題は萌生と登枝だ。

 まぁ、萌生も、幼い子供ならではの好奇心と言えば、世の中的には許される若気のいたり。ただ、登枝のそれは、さすがにおちゃめでは済まないライン。


 普通ではありえない状況だが、女子はたま~にこういう不可解な現象を起こす。まるで確信犯的な偶然を。不思議だ。



 縁は急いで上がり湯を浴び、着替えるべく飛び出した。

 体を拭き、あることに気付く。それは、着替えを用意し忘れてしまったことだ。普段は滅多にないミスだが、無いこともない。

 合宿初日で、疲れもあればそんなことにもなる。


「寧結ぅ。悪いけど服、服を持って来てくれ。あと、下着もな。頼むな」

「あいよぅ兄ぃ」

 腰にタオルを巻き、もう一枚で頭を拭く。とそこに。


「あ、持ってきたけど、これでいいのかなぁ? 嫌だったら言って、別のを持ってくるから」登枝が片手で目を塞ぎながら、もう片手に、たたまれた服を持ち、その手を伸ばす。

「うぇっ、ななっ、なんで登枝さんが?」思わず口にする驚き。


 完全に寧結だと思って待っていた縁には、耐えられない衝撃。

 腰が軽く砕け、細いタオルから縁のボスが顔を覗かす。

 夏でなければ、そして最初から登枝が来ると知っていれば、バスタオルを巻いていたはず。そうすれば、のれんをめくって「大将やってる?」とボスも顔を出さずに済んだ。


 顔を隠した登枝が、(それ)を見えたかどうかは分からないが、縁にとっては、見られたと錯覚するほどのスースー感を味わっていた。


 登枝は着替えを渡すとスタスタ部屋に戻っていく。

 縁は心臓がバクバクして、自分じゃない自分が無意識に動いているよう。

 当たり前といえばそうだ。同じ学校の女子と、こんな所で、こんな事態になっているのだから、パニックにならない方が変だ。

 当然、登枝もまた、少し素面(しらふ)でないような。要するに二人共……尋常(じんじょう)ではない。


 一瞬で色んなことが頭を過る縁。

 パンツを、裏返しにはかないよう注意しながら、このパンツを選んだのが寧結でなく、登枝だったらどうしようかと悩む。

 色んな思いが目まぐるしく襲い、恥ずかしさでつんのめりそうになっていた。

 そうやって焦って、パンツをはく。



 着替え終えた縁が部屋に戻ると、頬をピンクに染めた登枝が、縁のベッドの上に女の子座りして待っている。その横のベッドでは寧結と萌生が笑いながら、今流行の『美少女モンスター』という対戦型カードゲームをして遊んでいた。


「兄ぃ、いい湯だった? あぁ、ちょっと待って萌生ちゃん。その金色夜叉の誘惑は無理だよぅ。待ってよぅ」

「だぁ~め。寧結ちゃんだって、さっきレベルEの泥棒猫娘使ったジャン」

 仲良く遊ぶ二人。「あそっか」と納得する寧結を横目に、自分のベッドの端へちょこんと腰を下ろす縁。背中に登枝の存在を感じる。


 沈黙が縁をパニックにする。

 必死に頭を拭いて誤魔化すが、心電図の波形が正常に戻る方法を見失っている。

 普段であればもっと普通に話せるのだが、何度も裸を見られた羞恥心でグゥの音もでない。


 登枝もまた、縁が戻ってきたら、普通に話しかけるつもりでいたが、濡れた髪や胸元から覗く男の色気と、ヤバイくらいの背中に、声が出なくなっていた。


「あ、あのさ、ありがとう子供達お風呂入れてくれて」

 不意に振り返る縁の(それ)に、登枝の心臓が持ち上がる。今まで何人ものアイドルや俳優と、テレビ局などで出会っていた登枝だったが、その時の衝撃を上回る刺激。


 動く度にシャンプーやコンディショナーの匂いが漂う。

 登枝は、縁の言葉に恥ずかしそうに頷くしかできない。


 斜め後ろで縁の姿を見ながら、ぎゅって抱き付いたらどうなるかと、何度も変な妄想をしていた。腕を見て、肩を見て、背中のラインを見て首筋を見る登枝。



「あ、そうだ兄ぃ。私と萌生ちゃんの髪見てよ。ひめタンにやって貰ったの。すっごく可愛いでしょ? ふんわり仕上げだよぅ」

 萌生も嬉しそうにしている。

「ああ、それ凄く可愛いよ。なんか色々ありがとう登枝さん」

 振り返った縁がまたもビックリする。それは登枝の座っている距離が縮まっていたからだ。

 これは、戦いで(つちか)った縁だから分かる距離への感覚ではなく、パッと見で誰でもわかるほどの至近距離だった。

 ダルマさんが転んだ遊びで、スタート位置に居たはずの子が、振り返ると突然、数センチの距離まで縮められた驚き。


 接近した登枝の顔が、あまりにも近く感じて焦る縁。

 肩がすぼみ、体が硬直する。そこへミリ単位で更に近づく登枝……とそこに。


「部長、もう風呂出た? 皆、食事場所で待ってるけど」濱野だった。


「はい。今行きます。ちょっと待って下さい。寧結も萌生ちゃんもカード片付けて、ごはんだよ」

「はぁ~い。萌生ちゃんまた後でやろうね」

「うん。今度はね、濡れた魔女の愛撫を出すから」

「えぇ~ホントに? 萌生ちゃん持ってるのそれ。じゃ私も、ハーレムクィーン、踊り子の寝乱れ姿を召喚するかもよ」

「ウソ~。寧結ちゃんこそ、ホントにそれ持ってるの? すごいンだけど。でも、メデューサの石化くすぐりを発動する」

「そんじゃ私、堕天使のスケスケ固めでキメるぅ。どぅ」

「やるなぁ寧結ちゃん」

「萌生ちゃんこそ」


 縁は妹達の話している単語の意味に、一体、なんてゲームをしているのだろうと兄として、男として心配になる。どうか普通のカードゲームであってくれと願う。


 普通に売られているカードゲームだが……縁の心配通り、教育上あまり良くないものだ。

 内容は、夜更かし騎士(ナイト)を、美少女モンスターで、どちらが早く落とすかという、男性のH(ハート)P(ポイント)を奪い合う、誘惑カードゲーム。



 寧結と萌生が大きなバインダーに、散らかった沢山のカードを上手にしまい終えると、濱野の待つ廊下へと急いで向かう。次に登枝、最後に縁。


 廊下へ出ると、濱野と小峯と百瀬が待っていた。


 無言のまま食事場所へと向かう。本当は無言ではなくて、濱野の独り言と寧結と萌生の声はしていたが、それ以外の四人の心は、無言に感じていた……。


 足元や通路の先などに目をやり、シーンとした気持ちで歩く。キョロキョロとしながら食堂に着くと、すでに皆が座っていた。


「やっと来た。早く食べよおぅぜ」今込が手招く。

 縁達が席前へ着くと、早速おかずを取りに行こうと向かう。

 初日だけに、慣れない環境や疲れで、食欲がない者が出るのではと予想していたが、誰一人そういう部員はいないようだ。


 皆がおかずを取りおえて戻ってくる。寧結と萌生は昼間ほどではないが、やはりまた、自分達のキャパは越えている。


「頂きます」

 誰の号令という訳ではなく、最初の声に反応して皆も、頂きますと食べ始めた。


「毎日こんなに美味しいごはん食べてたら絶対太るよ~」小峯が笑う。

 他の女子達もこれには共感する。

「でもさ、自分で選んで取るのだから、自己責任よね」折紙先生はやはり、大人の正論を持っている。

 もしかしたら、女子部員のプロポーションの良さに、嫌味に聞こえての一言だったりもするが、男子や幼い寧結、萌生には、到底分からない。



 和やかな食事風景が緩やかに流れ、縁は二度目のおかわりから戻ってきた。


「ねぇ兄ぃ。兄ぃはさ、彼女いないでしょ。そんでさ、聞きたいのね、兄ぃはさ、結局好きな人誰?」

 寧結の唐突な質問にむせる縁。そんな縁に寧結が「ほれ」とお茶を差し出す。

 それを飲み干すと。

「はあ? どうしたいきなり。なんでそんな変てこなこと聞くの」

「変? なんで。普通ジャン。教えてよぅ兄ぃの好きな人。どんな人?」

「だ、だ、だ、だから、何だよ、それ。恥ずかしいだろ、やめなさい寧結」

 寧結と萌生が、ニヤニヤしながら縁を見る。縁は目を逸らし、おかわりしてきたおかずを食べる。と今度は、濱野が口を開いた。


「でもさぁ、うちの学校、アイドルとか女優とかモデルが結構いるから、男としてはさ、意識しちゃうよね。何となくさぁ。それにもし付き合ったらとか思うとさぁ……」

 濱野のそれに、女子部員が一斉に「キモ」と言い、なぜか寧結と萌生まで「マジかんべん」と吐き捨てる。

 とはいえ、悪口というより、完全に条件反射のレベルであり、どちらかというと百人一首の、上の句下の句に近い返しだ。


「濱野君、今のは先生として、聞き捨てならないわね。ウチの学園は校則で男女の交際も恋愛も禁止だからね」またも先生の的確な台詞。

 そうであった。進卵学園は、校則で色々なことが禁止されている。


「分かってますよ先生。そうじゃなかったら、コクったりしてると思うし俺」

「ウザっ」「ダサっ」「ボロっ」「グロっ」「ショボ」「キショ」「クサッ」七色の声が飛ぶ。

「なんだよ皆、だってさぁ、男ってそういうもんだよ。ねぇ今込君」なぜか照れる濱野。


「ま、まぁ濱野君のおっしゃる通りではあるけど、きっと、言う人によるというか、濱野先輩には似合わないというかさ」

「え? え? 何で? 俺、中学の時とかモテてたし。原宿でスカウトされたこともあるよ。あっ、逆ナンされたこともある。確か前に、本当」

 皆が「へぇ~」と流す。


「ねえねえ今込君。お兄さんはさ、好きな人いるの?」萌生がいきなり問う。

 縁ほどの驚きは見せないが、少し動揺している。そして頷きながら答えた。

「いるよ。片思いだけどね」

「それって同じ学校? それとも別の学校とか仕事関係?」岡吉が前のめる。

 他の女子達も、男子の恋バナにおもいっきり食いつく。


「うん。同じ学校。おぁ、あぶね、これ以上は内緒。先生にも怒られるし」

「今込君。先生耳塞いでるから、言うだけならいいわよ別に」

「いやぁ、先生そんなこと言って、絶対聞いてるっしょ? それに恥ずかしいし、床並君が言うなら俺も言うけど。それに、女子達はどうなんだよ。いる?」

 今込の質問に女子部員が言いたそうに黙る。なぜかこういう話が好きなようだ。もちろんまったく言う気はないが、それでも話が振られたことに微笑んでいる。


「やぁ~だ、バカ、言う訳ないじゃん」

「そぅ~だよ。恥ずかしい」

 やはり楽しそうな表情。縁もその輪の中で、自分一人じゃなく皆に話題が逸れたことで、先ほどの恥ずかしさが薄らいだ。



 そんな会話の中、君鏡は別のことを考えていた。

 それは、中学校までの自分と、今ここに居る自分の環境の違いと幸福感。

 がしかし、ただそう思うのではなく、どこか客観視しているような、それでいて主観であるような不思議な感情。


 今までとはどこか違う、言い訳のできない現実を肌で感じている。


 目の前では、可愛くて綺麗で、それこそ常識レベルを軽く越えた女子達がいる。

 同じ女子である君鏡から見ても、はっきりと分かるカリスマ度。それらが楽しそうに、完璧なまでのテクニックを駆使して場を盛り上げている。そこに君鏡の出る幕は用意されていない。この合宿に来る前からそうだ。


 これは君鏡だけに限ったことではなく、日野も同じことが言える。


 かつて、これならマネージャーの方が少し目立てる、と思った気持ちが、ここに来て少しずつ身に染みたということ。


 本来なら誰もが、自分の世界では自分だけが主役であり、そして、自分が中心で回る。でも、君鏡はそれが違く感じている。

 自分の世界は、中学生の時の、あの本を読んでいる生活が本来の姿だと実感したのだ。今の自分は、縁に引っ張られた世界。

 もっと言えば、縁が主役の世界。

 そこに自分は、いや、自分だけじゃなく、ここに居るほとんどの者が飛び込んでしまったのだと。


 縁という存在がなければ、今日までの何もかもが崩れて消える。

 別の学校へと通い、今頃部屋で本を読み、学校を辞めて引きこもろうかと悩んでいたに違い。


 もちろん他の皆は余裕で主役をはれる者達ばかり、でも、それでさえ縁の前では(かす)み淡く揺れている。

 正確に言えば、自分の世界はやはり、自分が主役なのだが、そうじゃなくなってしまった。


 これは例えとしてはまったく違う事例だが、自分が主役の座を降りる別のケースがある。それは、恋愛や結婚をして子供が生まれた瞬間、主役の座を子供に譲り、子供中心の生活を送る、優しい親が居る。

 そして、二十数年後、子供が巣立った部屋で、ふと元の自分に戻るような。


 君鏡のそれは少し違うが、自分の世界に別の主役がいるという点では近いものがある。


 こんなにも環境が変わっているにも関わらず、自分自身は、何も変わっていないままだと気付いた。


 毎日部活をして、勉強も上手く回り、日野という友達もできた。部活の仲間も。縁とだって傍に居られる。本を読むだけの生活はもうどこにもない。

 でも。だけど。君鏡は、あの頃、本を読んでいた時に感じていた気持ちと、今、味わっている存在感覚が同じではと感じている。

 まるで、自分が本の中に脇役として入り込んだだけで、今も本を読み続けているのではないかと。


 自分で文字を読むのではなく、皆が直にしゃべってくれているだけで、今も何かを傍観している。

 もちろん自分もしゃべることはできるし、一緒に汗も流せる。この先、何か面白いことが起こるかも知れない。でも、それでも君鏡は、そう悲しく感じていた。


 高校に入って、体重も、見た目も生活も大分変った。一日に何度も笑える。

 無表情で本を読むだけのあの日々とは全然違う。


 違う、全然違う、だからといって……主役ではない。


 すっぴんだから見ないで、という女子部員達の殆どが、完璧な顔と表情で可愛く振る舞う。

 本当にドすっぴんなのは君鏡だけ。


 プロのメーキャップを学んだ女優やモデルやアイドル達。元から普通の女子にも見劣りする存在だった君鏡に、同じ土俵に立つ勇気もない。それに立ちたくない。

 なのに、今、そこに立っている。


 もちろん日野も同じ気持ちであろう。進卵学園には沢山の主役がいて、それこそテレビで活躍して、世の中の主役だ。

 そんな存在が、君鏡の世界に侵入してしまった。ここに居る女子部員達、今込や、もっと言えば濱野までもが主役として。


 本を読む人と同じように、君鏡はただ皆を目と耳で追っていた。



「ということはさ、左手を使うとスポーツでは有利ってこと」今込がいう。

「有利なスポーツも沢山あるけど、有利とか不利とかより、両方で物を扱えないのは不便というか」

「床並君って不思議な発想だよね。俺、片手しか使えないけど不便じゃないよ」

 縁は体のバランスをなるべく左右均等にしたいからと趣旨を伝えた。


「部長、左が有利なスポーツって?」濱野が問う。

「ルール上で言うなら野球とかかな。圧倒的なのはソフトボールだろうけど。ほら、左のバッターボックスから一塁まで凄く近いし、盗塁する時も……」

「ちょっと待って、盗塁に右も左も関係なくね?」今込が不思議がる。

「うん。大いにあるよ。スポーツ全般に関わるっていうのは、そういう細かなことだから、今込君、ちょっと普通に走るポースしてみてくれる。そう。そっちの手が前で、逆足が前でしょ。それじゃ逆利きにしてみて……。ねっ」

「えっ? どういうこと?」


「いや、だって野球は、塁に出たら常にピッチャーやキャッチャーの方を見るでしょ。内側を。そしてリードして、こっちの足で踏み切って……」

「ああ~そういうこと。踏み切る足とか振り出す手が、なるほど、確かに、いつもそっちで走ってる人は、そりゃ有利だよなこりゃ。まぁ、選手なら練習するだろうけど、それでもそっちが利き手の人には敵わないもんね。そっか、利き手を変えるってことは足もかわるのか~」


「体もだよ。全ての動きが変わるから。冷蔵庫の開け閉め、今までコップを持っていた手と蛇口をひねる手も。特に両方使う時に、なぜそうしてたのか考えておかないと、両方使えるようになると、どっちに何を持つのが正解か分からなくなるよ。右利き用に作られたものは分かると思うけどね。あっ、そうだ、はさみとか包丁とか、それ専用の物は利き手で使ってね。危ないし、使えないし、それこそ無理してもそこは意味ないから」

 縁の話しに皆が頷く。


「部長、俺、ちょっと左手に自信あるよ。中学の時さ、体育のバスケで右手の指を骨折したの。その時二ヵ月くらい左手使ってて」

「あ、濱野君ずっと得意って言ってましたもんね」縁が笑う。

 縁は濱野の台詞を流さず聞いていたようだ。すると折紙先生が、可愛い動物表紙の自由帳とペンを鞄から取り出し「それ使ってもいいわよ」と濱野に手渡した。

 濱野はおかずの皿をよけると、左手にペンを持ち文字を書き出す。


「どれどれ。ん~これなら先生の方が上手に書けるわね」

 濱野の書いた字を見た後、その横に先生も書き始めた。

 美術の先生だからか、単に器用なのか、相当綺麗な字を書く。その為に、それを生徒達に見せたくて自由帳を出したのでは、と言いたくなる上手さ。


「わぁ~先生すごく上手。もしかして左利きじゃないですか?」

 美術部の園江と三好が笑いながらツッコむ。

 二人の字を見て、皆も順番に左手に挑戦する。


 縁はそんな様子を見ながら、ようやく食べかけのおかずを頬張り、楽しみにしていたデザートに移った。


「ねぇ床並君。床並君も左で字書けるんでしょ? ちょっと書いてみてくれる?」

 皆が縁の字を見たがる。縁は「うん、いいよ」というと、自由帳を手に取って、机にもおかずにサラサラと書いて皆に手渡した。

 そこに書かれた字を見て皆が驚く。


「超上手いンだけど。右とか左の問題じゃないジャンこれ」

 折紙先生もどれどれと覗くが、その字の上手さに驚きを隠せない。これがもし利き手でないのなら、どれほど長い間練習したのだろうと。


「これ、相当練習したでしょう。ヤバイよこれ」

「そんなしてないよ。皆も、利き手と同じくらいにはすぐなるよ。それだけをやるなら、大体、三日くらいで書けるようになると思うけど」

 縁はレアチーズを口へと運ぶ。


「三日? 無理。今書いた感触でそれだけは分かるよ。マジで無理」

 すると縁がもう一度、自由帳を手に取り、今度は右手で書く。左手で書いた字と少し違うが、どちらも凄く綺麗な字。習字のお手本のよう。


「逆の手を使うにはさ、あるルールがあるんだ。それはさ、右側と左側で全く同じことを共有するってこと。脳のことよく知らないけど、ほら、利き手が違うと右脳だとか左脳だとかいうでしょ? でも、だとしても、利き手で出来ることを反対の脳にコピーするだけというか。そのコピーというかダウンロード時間が、大体三日くらいってこと」


「いやいや、だから、それが無理なんだってば。ぜんぜん思うように動かないよ。見てよ俺の書いた字、震えちゃって、途中で端の方に飛んじゃってるでしょう」

 疑う今込。

「ううん。平気。その程度なら今すぐ治せる。皆、ペンを持たずに、まず利き手じゃない方の指でひらがなを順番に書いていって。そう。……そしたら、今度は、利き手を同時に」


「おっ、あれ? なんか書きやすい」

「でしょ。片手で出来ないのは、脳に情報が全くないから。そしていくら頭で考えてもその情報をスムーズに処理できてない。けど頭にその動作の仕方やマニュアルはあるわけだから、できないことはまず両手でしっかりと逆の手に、脳に、かな? 教えるというか移すというか」


「ホントだ。これ、両手で同じことするとすごく動かしやすい」

 折紙先生も試す。すると先ほどの字より格段に上手い安定した字が書ける。

「へぇ。これは便利ね。私、今度から、左手で物書く機会が来たら、右手は膝の上に置いて、そこで指でなぞりながら書いたら、今よりもっと楽に書けそう」

「先生ぇ、それ、意味ないですよ。あっ、先生は書けるようになるまで練習するわけじゃないから、それでいいのか」三好が笑う。

 先生も三好の言葉に、確かに練習して慣れる方が早いかと、言動に反省する。



 皆が次々に文字を書いていく。あっという間に数ページが文字で埋まった。

 文字を書きながら皆が思う。体を左右で使えるようになるということは、きっと本当に便利で違う感覚の世界なのだろうと、そう理解していく。


 雑談しながら、何となく終わった食事に、改めて「ごちそうさま」と挨拶する。そして、そろそろ部屋に戻ろうとなり、翌日から始まる逆利きを使うメンバーを、グーパーで決め、ゾロゾロと自室へ歩き出した。


 部屋へと着くと寧結がバインダーを開き、カードゲームの絵を眺める。

 萌生も横へと並んで、自分のものを見ていく。


「ねえ、寧結ちゃん。セクシー老婆樹の投げキッスあるでしょ。あれどうしてる? 私さ捨てるとママに怒られるからさ、机の引き出しに別にしまってるンだけど……もういっぱい」

「あぁ、あれ絶対入ってるもんね。私も捨ててないよ。なんか呪われるとヤダし。私はそれより熟女狐のネグリジェ挟みにうんざり」

「いひひっ。私も四枚持ってる。間違えて召喚したことあるよ」

 楽しそうに笑う寧結と萌生。そこに縁が声をかける。


「二人とも、今日はもうカードゲームしちゃダメだよ」

「はぁ~い分かってるぅ。あと、七時半になったら、飲み物も飲んじゃダメ、なんでしょ?」

「そうだな」

「あ、それウチと一緒」萌生も共感する。

 小学生にはよくある決まり事だ。理由は、おねしょ対策。


 のんびりとくつろいでいると、突然、寧結が思い出したように騒ぐ。


「兄ぃ。オイそこの兄ぃさんよ。何か大切なことを忘れてやしやせんかい? え。どうなってんだいこれは」

 縁は寧結の偉ぶった口調に笑いを堪えながら、余程の何かを自分が忘れているのではと必死に考える。が、なかなか思い出せない。


「分かんないの? ねぇ、ンじゃあ仕方ない。あたしから言うよ。いいの? 兄ぃさんそれでようござんすね。あたしの口から言っても……よぅござんすね?」

「いいよ。分かったよ。忘れて悪かったよ。なに? 俺、なにを忘れてるの?」


「ぬ、い、ぐ、る、み。私と萌生ちゃんに買ってくれるって約束。それがなかったら何を抱っこして寝るのさ。兄ぃもタオル抱っこしてないで、ぬいぐるみ買えば」

「あっ、あ、それか、ごめん。ちゃんとメモしておいたのに。そンじゃ今すぐ買いに行こうか。店、九時までだから余裕あるけど、ほら、すぐ用意して」


 縁は鞄から財布を出すと急いで廊下に出た。

 と、そこに寺本と葉阪のマネージャーコンビが歩いて来た。

「部長、そんなに急いでどこに行くんですか?」

「ちょっと妹達にぬいぐるみを買ってあげる約束があって。二人ともそれを抱っこしないと寝られないらしくて。それで」


 マネージャー二人がうふふと笑いながら「私達もついて行ってもいいですか?」と言ってきた。縁は頷き、五人でホテル内にあるお店へと向かう。

 歩きながら雑談する。

 寧結と萌生は「何にする?」と。縁と二人は、今何をしていたか、というなんてことのない話になり「実は二人でホテル内を探検していたんです」と語る二人。


「床並部長。ここって混浴風呂があるの知ってますか?」

「え? 混浴? 知らなかった。大浴場なら何度か知り合いと練習後にそのまま入ったことあったけど……混浴」

「フロントで予約して入る仕組みになってるようですよ。ほら、夫婦とかカップルとか、イケナイ関係の大人とかが部屋のではなくて、露天風呂的なものに入りたいのでは」

 寺本の説明に少し照れたような顔を見せる縁。まあ、まだ若い縁にはさほど関係のない話だが、子供にとって、この混浴という未知の楽園は、刺激が強く、色んな妄想ができる場所の一つである。



「兄ぃ、ここでしょ? それともこっち?」

「どっちのお店でもいいよ。好きなのを探しておいで」

 縁の台詞に笑顔でかけて行く寧結と萌生。その後を少し遅れてついていく。


 色々な商品が置いてある。湯呑やお団子、それこそ何でもある。

 寧結と萌生はぬいぐるみや人形が沢山おいてある棚の前で、一つずつ抱っこして肌触りなどを試す。すると。

「兄ぃ。ちょっと来てぇ」

「もう決まったのか?」

「あれ、あの上のヤツ取って。届かないから」

 縁は寧結の望みの品を取ると、萌生にも上の方ので取って欲しいのがあったら言ってねといい、三コほど取った。


「私、やっぱこれがいい。何かね、私に買ってって言ってるの」

「寧結ちゃんそれ分かるぅ。私も絶対この子。お家に連れて帰ってっていうの」

 縁が、本当にそれでいいのと聞くと、お金の精算をする前から、まるでもう自分の物のように抱っこしている。


「隣のお店は行かなくてもいいの?」

「兄ぃ、大丈夫だから。聞こえたでしょ? この子の声。ほら、聞いてみて『……寧結ちゃん、大好き、僕を、連れてって』ねぇ~なんて言ってた?」

 縁は寧結の親ではないので、とてもそこまでは付き合い切れないが、さすがに「自分で言ってんじゃん」とはツッコまず、苦笑いで流した。


 縁はぬいぐるみと除菌消臭スプレーも買い、店を出た。


 寧結は灰銀のロバで、萌生は薄茶のモモンガ。

 二つとも大きく、金額はひとつ一万数千円。二個の合計は、消費税含めて三万円に届きそうな勢い。


「部長、もう部屋に戻るンですか? この上の階に、ゲームできる場所とかありますけど。カラオケとか色んなものもあるし。ちょっと行きませんか?」


 縁がどう答えていいか一瞬迷っていると、後ろから走り寄る音がした。

「いたいた。どこにいったのかと思ったよ。ふぅ疲れた」今込だ。


「どうしたの? 俺のこと探してたってこと?」

「いや、俺じゃないンだけどさ。何か女子が、何回も俺と濱野君の部屋に来てさ、部長いるでしょ? 隠してるでしょ? ってうるさくて。俺は知らないって言ったんだけどね。どこ探してもいないって。そりゃそうだよね、ここの店に居たんでしょ?」


「そうそう。妹達にぬいぐるみ買ってあげてて」

「うぁわぁお。かわいいなソレ。俺も買おうかな。ココで売ってるの?」

「あっ、同じのは買わないでよ」萌生が今込に念を押す。

「分かってるって。ところで床並君、それ、いくらした? えっ、一万三千円も。無理~。俺、クレーンキャッチャーのでイイや。ここ確かゲーセンあったよね?」


「あるよ。あるある。丁度、今から行こうと思ってたの。今込君も一緒にどう?」

 マネージャー二人がはしゃぐ。


「そうなの? ちょうど暇だし。……ん? いやいやいや、違う、部長を探しに来たんだった。あ~でも、ゲーセン行ってから見つけたって言っても……、でもな、ばれたら信用なくなるよな~やっぱ。ここは一度戻る方を選ぶべきかな」

 今込が悩んでいる。縁も迷う。

 寧結と萌生はお互いのぬいぐるみを会話させている。


「行こうよ。楽しそうだしさ。まだ時間的にも――」

 と、またも後ろから声が。

「お~い。ここに居たのか。見つけた」

 濱野はそういうと、ここへは来ないでそのまま戻っていく。

「ありゃ、呼びに行っちゃったよ。こりゃ呼んでくる前に戻った方がよさそう」

 今込もようやく答えを出した。


 マネージャー達は残念そうしているが、縁も今込の言うことにのる。そして戻り始めた。

 部屋の近くまで来ると、部員達が皆、廊下へと出ていた。


 今込から話を聞いていた縁は、大体の状況は想像済みだ。各部屋に聞きに回り、部長達がいないと皆であちこち探し回っていたのだろう。

「もう、心配しちゃったぁ。部長達どこに居たんですか? 何処にもいないから」

 集まった女子部員に、ぬいぐるみの件を説明する。しっかりとした理由に感じたのか、一瞬で納得していく。


「ところで皆、俺のこと探してたのって……何か変なことでもあったの?」

「そう言えばそうね。何で探してたンだっけ?」

 皆が首を傾げる。と日野が口を開いた。


「あ、その、大したことじゃないンですけど。その、さっき食事の時に左手で字を書く練習してたでしょ。部屋に戻ってからも箱入さんとずっと字とか絵とか書いて遊んでたンだけど、どうせなら夏の宿題とか課題をやろうよってなって、それで、その勉強をしてたンですね。でも、分からない問題がいくつかあって。折紙先生に聞きに行ったら『答えは出せるけど、ちゃんとした式とかは教えてあげられない。ごめんね』って言われて、でも『床並君がすっごく頭良いから聞いたら絶対分かるわよ』って。そしたら箱入さんも、そんな話を中学校の頃噂で聞いたってなって、それで教えてもらおうと探してたんです」


「宿題か。そうだよね。確か、B、C、D、Eクラスは宿題あったンだよね。うん、いいよ。それじゃ部屋で待ってるから、宿題持っておいでよ。俺で良ければ教えてあげる」

「ホントに。やったぁ」皆が喜ぶ。


 と濱野が口を開いた。


「なんで二年まで喜んでるの。いくらなんでも二年は自分でしないと。いくら部長でも、床並君は一年生だってば。二年生じゃないからね。まぁ、俺は二年だけど」

「ほんと濱野は分かってない。皆で勉強するとやる気も出るしはかどるからそれでイイの。そういうトコが濱野」

 三好と寺本が「ねぇ」と共感する。


 女子部員達がいったん部屋へと戻り、そして縁の部屋へと集まった。それぞれが自分の居場所を決め、ぎゅうぎゅうになりながら勉強を始めた。


 早速、色々な質問が飛び交い、その一つ一つを丁寧に解いていく。勉強しているのは、一年D組の日野と君鏡、C組の葉阪。二年B組の三好とD組の寺本の計五人。

 あとの者達はソファーやベッドに座り、雑誌を見たり雑談している。



「良かったね二人とも、可愛いの買って貰って」

「ひめタンもぬいぐるみ持ってる?」

「うん。可愛いウサちゃん居るよお家に。お留守番してる」

「ひめタンも持ってるんだぁ。私はそういうのお家にいなくて、ココにお泊りするから、寂しくないようにって、寧結ちゃんのお兄ちゃんに初めて買って貰ったの」

 萌生が嬉しそうにモモンガを抱っこする。


「いいな~それ。私にちょうだい」登枝が冗談ぽく奪う構えをする。

 寧結も萌生も取られないように服の中へ潜り込ませ、妊婦の様な姿で体を振る。


「それにしても、萌生ちゃんは凄いね。まだ一年生なのに、一人でお泊りでしょ。私だったらすぐホームシックになっちゃう。それに、親もよく許してくれたね?」

 登枝の斜め後ろに座っていた香咲が萌生を褒める。


「ホームシックってなに? ……へぇ、お家に帰りたくなちゃうことなんだ。ん~うん、お泊りのことずっとダメって言われてたけど、何度もお願いしたの。元々は寧結ちゃんがウチにお泊りに来る約束の話だったから」

「寧結ちゃんが? ん? そうなの?」


「そうだよ。だって兄ぃが修学旅行に行くから、その間の四日間? 三日かな? 萌生ちゃんの家にお泊りに行くことになったの。でも合宿の話になってそれで、ねぇ萌生ちゃん」


 君鏡は勉強しながらも、寧結達が話していることに耳を澄ましていた。


 確かに、修学旅行に縁が行くためには、寧結のことをどうにかしないとならなかった。なにせ二人暮らしなのだから。

 そしてその対策が既にきちんとなされていたことに、またも君鏡は驚いている。



「ああ、やっぱこれ分からないなぁ、難しい、これ」三好が頭を抱える。

「どれですか? あ、それ。えっと、ここの計算とこっちの――」

 縁が分かり易く問題を解いていく。綺麗な字が順序立てて説明していく。あとで見直しても分かるように丁寧に補足して。


「なんで~。床並君二年生の問題分かるの?」

「あ、一応。自己流ですけどね」

「へぇ、やっぱ床並部長は違うわ。ちなみにどこまで勉強進んでるの?」

「ん~っと。都立の教科書でなんですけど、今、高校三年生の途中までです」

 ソファーやベッド上でくつろいでいる部員達もびっくりしている。

 びっくりというよりも不思議なのだ。

 進卵学園には、そういった勉強のできる者は皆無。


 確かにAとFクラス以外は普通クラスだが、偏差値は凄く低い。だから、高校卒業後の進路は八割専門学校で、残りの二割が就職。特別推薦の数名が大学といった、大学進学率ほぼゼロの学校なのだ。


 美容師やメイク、アニメや映像関係や声優など、特殊で、手に職的なものに進む為に、改めて専門学校へ通い、資格や免許を取得する者が多い。


「床並君って大学へ行くの?」

「多分行くと思う。学校楽しいし、もう少し学問に接していたいから」

 何でもない会話だが、縁という存在が進卵学園にあっていないということだけは、そこに居る全員に伝わっていた。



「あっ、そういうことなんだぁこれ。やっぱ部長に教わると分かりやすい」

 縁は褒められて照れている。

 照れながら思う。かつて、図書室で久住に勉強を教えていた日々を。


 授業などほとんど出ない久住が、上級生から逃げて隠れ込んだ図書室で、偶然の再会をしたのがきっかけだった。

 最初はただ話するだけだったが、いつの間にか縁が勉強を教えて、そして、修職工業高校という進卵学園より遥かにランクの上の学校を目指すことになった。


 小学校の問題からやり直す久住。

 問題は全てクイズ形式とその解説。始めて半年はノートを取ることもなく、ただひたすらに笑いながら話していた。

 久住が自主的に教わりたい教科を持ち、教わりたいだけ学ぶ。一年の終わりから二年の終わりまでの一年間で、久住の成績は学校で中位に食い込んでいた。


 不思議がる先生達をよそに、久住は自ら、諦めていた勉強の道へと進み、三年の初め、受験に専念する為にケンカや争いに決着を付けるべく、築道と安斎と共に、ウイルス・モンキーの頭、新堀とケジメの為の勝負をしに行った。


 縁は、笑顔で図書室に入ってくる久住の顔と、教え終わると「床並君ありがとうね」とその度に交わす、その声を今でも覚えている。

 縁にとっては、中学時代に唯一できた友達だったのかも知れない。


 勉強を教えていると、ついそんな思い出が重なる。

 そしてあっという間に一時間が経った。



「あ、そうだ萌生ちゃん。そろそろ歯磨きしよっか?」

「うんいいよ」

 スタスタとかけて行く二人、その後を登枝と香咲がついていく。

 ベッドには、残された可愛らしいロバとモモンガが寝転がっている。


「萌生ちゃん。こうだよ。そう、上の裏側のデコボコしたとこも。そんで、舌もちゃんとサササッて」

「寧結ちゃんはそんなところも磨くのね。えらいね」香咲がマメさに驚く。

「兄ぃがそうやって言うから。歯もね、付け根の所を鏡で見ながら綺麗にって」

「それはウチも一緒。ねえ寧結ちゃん、糸ようじとか使う?」

「お肉が挟まったら。でも前にさ、間違えて歯が抜けちゃって、兄ぃと大騒ぎして大変だった」

 この年頃に良くある、グラグラ乳歯事件だ。



「ねえ寧結ちゃんと萌生ちゃん。明日さ、お姉ちゃんと一緒にお風呂入ろうよ。ねっ」

 突然香咲が、二人をお風呂に誘う。

「いいよ。ねぇ寧結ちゃん」

「うん」


「え、ちょ、ちょっと待って。明日もヒメタンと入らないの? 入ろうよ、今日も楽しかったし、ねっ」登枝も焦ったように誘う。

 登枝の台詞に、二人が「そっかぁ」と迷い出す。


「ひめタンの、兄ぃの話とかいっぱいして楽しかったし」

 寧結と萌生の何気ないセリフに、今度は、部屋で洗面所からもれる会話を聞いていた岡吉と雨越が反応した。少し遅れて小峯と百瀬。大分遅れて君鏡。

 残りは勉強に夢中で、そのやり取りが何なのかは分かっていない。


 スタスタと洗面所へ向かう岡吉と雨越。


「寧結ちゃん歯は上手に磨けた? そう偉いね。ねぇ、明日さ、お姉ちゃんと一緒にお風呂入ろうよ。楽しいよ絶対」

 香咲は次々と現れる女子部員達に、しまったと思った。

 もっと冷静に行動するべきだったと。


 登枝とだけの取り合いと思い込んで、つい、失策を演じた。おかげで、寧結から縁の情報を聞き出せる、というワードを知られてしまった。


 ただでさえ謎の多い縁。聞きたいことは山ほどある。興味がある。


 更に、香咲だけは、今日お風呂場で登枝が行った裏工作らしきことにも気づいている。途中までは、しっかり盗み聞きしていた。


 寧結と入れば自分にもそのチャンスはある。だが……焦り過ぎて他人にも悟られてしまった。


「どぅしよう。そんなに言われても、誰と入ればいいのだ? 萌生ちゃんどう?」

「うん。分んない。寧結ちゃんは?」

 寧結と萌生は、基本、二人だけで入ったらダメ、とだけ縁から言われているだけで、本人達が誰かと入りたい訳ではない。つまりは、その程度の思考。とはいえ、どうせ入るのなら楽しい方がいい、そう思うのが子供である。


「それじゃ、おっぱいの大きなお姉さんと入ったら」雨越が胸アピール。

「何それ、そんなヘンテコなので決めるの? おかしいわよ」岡吉が拒否する。

 寧結と萌生が言われるがまま、皆の胸を順番に透視してく。夏の薄着だけに意識すれば誰がどのくらいかは何となく分かる。


 と、突然部屋へと走って行く寧結。


「兄ぃ。ちょっと、ちょっと来て」

「な、なんだよ急に、いま問題解いてる途中だから……、って引っ張るなよ。何? どうした? 歯磨き粉無かったのか?」

「違うよ。ほら、お姉ちゃん見て。兄ぃの好きなおっぱいな人でしょう。すごいおっぱい大きいよ。ねぇえ。そうでしょう兄ぃ」

 指さされた雨越以外がズッコケる。萌生でさえズルって滑る。


「バッ、バカ。寧結。あのな、俺がいつ、そういったモノを好きだって言ったんだよ。誤解を生むようなこと言っちゃダメって、前に話したろ。お兄ちゃんは……」

「え? 兄ぃはおっぱい好きじゃないの? なんでだ。ホント? そんじゃさ、おっぱいとおしりだったらどっちが好き? それだけ答えて。ねぇ~ひめタン」

 登枝が少しだけ焦った表情を浮かべるが、そのまま流す。


「寧結ぅ、その二択に答えるメリットが見つからない。せめて目と口と髪とか他にも色々ある箇所を入れた十択くらいなら答えてもいいけど」

「ちょっと兄ぃが何を言ってるか難しくて分からないけど、ようするに、手とか足とかそういうのを入れた内の、おっぱいってことでしょ?」


 幼い寧結に、ここで違うと答えても(らち)が明かないと、頭をかきながら困る縁。

 それを見て女子部員達がクスクスと笑っていた。


 そして、このお風呂の話は、縁や子供達を抜きに、女子部員達の間で取り決めることとなる。

 もちろん、ここで縁に何かを悟られるのが嫌だという理由からだが。


 泡のように膨らんだ話は、静かに流れていった。






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