一一話 決闘
物凄い緊張が漂う会館内。曽和と縁が去ってから十数分が経っていた。
「なんか、ちょっと怖いね」
剣道部とはいえ、実際に剣道的なものを見るのは初めて。此処へ入る前に聞こえてきた竹刀の当たる音でさえ、ドキッとさせられたほどだ。
部員達は、普段は幼くみえる部長が心配で仕方がない。この場に居る多くの大人達の風貌や威圧感からしても、とてもじゃないけど素面ではいられない。
平然としているのは、萌生くらいだ。とはいっても、それは寧結が平気な顔で仲良く傍に居るからで、そうでなければいくら無邪気な子供でも、さすがに我を通すなどできない。
寧結と萌生の話声だけが聞こえる中、ようやく二人が戻ってきた。
最初に入って来たのは曽和。
一度、礼はしているが、退室したからか、はたまた正装してきたからか、改めてもう一度、深くお辞儀をして入室してきた。
曽和の姿に皆が驚く。剣道の防具などではなく、別のスーツだった。
濃紺のライダースーツの様なつなぎに見えるが、関節部やよく可動する部分以外のすべてを固いプロテクターが覆っている。
プロテクターといっても、決して邪魔になるような派手さや厚みはなく、機能性や安全性を重視した、それこそ未来型防御スーツに見える。
「誰か? 悪いがこの部屋の温度設定を少しだけ下げてくれるかな? このままでも暑くはないが……、ちょっとな」
曽和の頼みに数人が動く。
会館内の温度は二十七度設定であったが、二度ほど下げることにした。
長袖に長ズボン、そして手袋、更に至る所に衝撃吸収ゲルや薄いプロテクターを装備している。
曽和のすぐ後、縁も深くお辞儀をして入ってきた。
縁は真っ黒な革のスーツに真紅のプロテクター。基本的には曽和と同じようだ、が、デザインやプロテクターの位置、形、系統がパッと見でも違って見えた。
ただ、戦国時代の日本の鎧と、中世ヨーロッパの騎士の鎧ほどの違いはない。
そういう意味では少し似ているともいえる。
「ついに縁君もこっちのタイプに乗り換えたか」曽和が頷く。
「はい。まぁ。少し身長が伸びて、前のやつが着られなくなったので。新しいスーツを作るのに、どのタイプにしようかなって悩んだンですけど、結局、動きを重視してこのタイプに決めました。他のも試すつもりではいるんですけどね」
お互いのスーツを眺めながら、相手の戦闘力をさぐり合う。
「今日は、暑いですし、マスクは付けたくないので、頭部への攻撃はなし、でイイですよね?」
「そうだな。私はありでも構わないけど、まぁ、私もマスクは遠慮したい」
二人共頭を覆う仮面を付けずに戦うこととなった。
曽和と縁が互いにルールを決めていく。それを聞いている者達には、何でもアリと聞こえるが、当人達は深い理由があるらしく、細かな約束が交わされていた。
「縁君、まずは互いの武器ではなく剣で手合せしたいのだが、構わないかな」
「はい。こちらこそお手柔らかに、お願いします」
そういうと、礼儀正しくお辞儀して二人が戦闘モードへと入った。見ている者達は、いきなりの展開に『え? もお』と焦って前のめりになる。
ジリジリと近づく両者。手には何も武器らしい物は持っていない。殴り合いでもするのかと誰もが思ったその時、縁が腰に手を当て、そこから何かを引き抜いた。
マジックでも見ていたかのように、何かが手元からするりと伸びて、長い棒へと変わる。部員達はその棒を一度だけ屋上で見たことがあった。
カーボン製の例の伸びる竿。
縁の激しい胴切りを、曽和が同じような棒で受ける。縁の放った技も早くて見えないが、曽和の防ぐ仕草も全く見えなかった。だが二人にはきちんと見えている。
縁の目にも止まらぬ居合切りを見切る方法はたった一つ、刀の抜きを見るのではなく、剣を意識から消し、縁の利き手にだけ集中するのだ。
その片手の動きに合わせて、自らも高速で刀を抜く。先に抜いてしまうと、途中で軌道を変えられてしまうので、剣の世界ではドラムを叩くように、相手とピタリとリズムを合わせることがポイントとなる。
早くとも遅くとも死に近づく。
「さすがだが、やはり鈍っているな」曽和が目を見開く。
「まだまだ。曽和さんが大っ嫌いな連舞からの両翼斬をお見舞いしますよ」
「ふぅ、そいつに付き合う義理はない。悪いが今度は、ワシのとっておき、リボルバーダーツを味わう番だ」
曽和はそういうと、縁に高速六連突きを発射した。刀だけでは避けきれず、地面に手を付き、転げながらどうにかかわす。
「今の縁君の動きなら、絶対に仕留められると思ったが、さすがだ。それでこそ倒し甲斐がある。それじゃそろそろ遊びは終わりにして、本番としようか」
「そうですね。体も温まってきましたし」
曽和の言葉に縁が立ちあがり、深くお辞儀をして二人が一度離れた。周りでは今起きた、軽い遊びという名の戦いを、映画のワンシーンのように見ていた。
堤も色々な試合を目にしてきたが、これはまるっきり剣道とは違うと驚く。
刀を相手に打ち込むということよりも、相手の刀に絶対触れてはならないといった勝負に見えたのだ。
そしてとんでもなく鋭い一太刀を、二人共見事にかわして見せた。
それも何度も。
武器が触れ合うのも一瞬で、自分達が縁と試合した時と剣の流れが違うと。
まるで互いの刃先が、アイスリンクを滑っているかのように滑らかにズレ、そのタイミングも完璧に近い。攻撃する方へ守る方が必死に合わせているのだ。そして攻撃側はそれを必死にズラす。
堤は、自分と戦った時の縁の動きを思い出しながら実感する。あの時、ただ避けたりしていたのではなく、オーケストラの指揮者のように、端から端までの全ての楽器音や動きを見極めて、確実にその手に握ったタクトを振っていたのだと。
言葉にならない雰囲気で離れた二人を、皆が目で追う。
伸ばした棒を地面に軽く押し付け、元の短い柄に戻し腰に付ける。そして何やら別の武器を持ち出した。
「何アレ? なんか見たことあるけど」岡吉がいう。
「あ~、あれね。職員室にあったわ。確かぁ、あ、そうだわ、サスマタよ」
折紙先生が手をポンと叩き、曽和の手にするモノを見る。
堤や警察関係者にとっても見慣れた道具だ。
先程の武器同様、サスマタも専用のカーボン製。
色々な改良がしてあり、この武器を手にした曽和は信じられないほど強い。
一方、縁のは、先程と変わらないようなカーボン製のモノ。それを手に中央へと戻ってきた。そしておもむろにそれをいじる。
すると柄の部分から何かが飛び出した。鋭く湾曲した翼。
「あれ、鎌じゃない。でも……あんな短い武器でどうやって戦うンだろ」
雨越が心配がる。
首を傾げながら、肩や腰を回す縁。
自分本来の動きが出来ていないと実感している。
曽和の放ったリボルバーダーツの殆どが、それこそ紙一重のタイミングで、ギリギリかわせたレベル。ただでさえ曽和の持つサスマタには苦戦を強いられていて、これまでに一度しか勝ったことがない。今の所八敗している。
そんな中、今日の調子は過去最悪と言える。
曽和もそのことには完全に気付いている。勝利を確信している目だ。だからこそそれほど得意でない剣での手合せも遊びとして挑んできたのだ。それでさえ曽和の優勢は否めない。
縁は不調が何なのか、曽和と戦うことではっきりと感じていた。
部活をして怠けているとか、学校関係でどうこうという、そういう類のものではない。そういう意味ならば、逆に、毎日欠かさず練習だけはしている。
それよりもっと確かで、致命的なものだった。
――成長期だ。
縁の体と脳が完全にずれてしまっているのだ。手の長さも、当然足も、胴も首も指も、何もかもが急激に変わり、思い通りにすればするほど、その数センチが大きな差となって、感覚や動きをブラし鈍らす。
意識と体のずれ。
日々かかさず練習しているからこそ、急激に成長する体ともそれなりに協調できていて、はっきりとダメな実感はなかった。だが、縁と同等か曽和レベルの相手と向き合えば、百に一も勝ち目はないブレ。
「元警視庁警視総監、曽和道孝。日々正義の為に、悪に立ち向かってきたこの命、ここで散らせるのものなら散らしてもらうか。例え隠居したこの身でも、私の目が黒い内は、決して悪を栄えさせはしない。覚悟してかかってこい」
「姓は床並、名は縁。死神とまでうたわれたこの俺。数々の強敵をこの手にかけた罪を懺悔させたいなら、その正義の手で捕まえてみせな。できるならね」
そういうと縁は、左手に持つ鎌の柄の部分から、スルスルと何かを引き出した。それはヘッドホンなどのワイヤーと同じような構造の紐で、その先端には、ゴルフボールほどのゴム製の玉が付いていた。
伸縮式の紐を、お気に入りの長さまで引き出すと、頭上の斜めで回し始めた。
――鎖鎌。
館内が一斉にざわめく。もう剣道のケの字もない。
元から全く違うものだが、なぜこんな試合がと口が開きっ放しだ。
曽和は、調節可能なサスマタの柄を軽く伸ばし、そして、柄の最も後ろに付いている太いゴム輪に親指をかけ、限界まで引き伸ばして柄を握る。
いわゆる、海で魚を突くモリと同じ仕組みだ。
長槍を持つように構えて、縁に的を絞る。何度か対戦している縁は、その射程に入らないように動きながら、自らのチャンスを狙う。
最初に攻撃したのは曽和だ。
まったく攻撃の素振りはなく、柄を握っていた指先を緩めただけで、サスマタが高速で飛び出し、縁をノーモーションで襲う。
がしかし、リズムよく動いていた縁の体は、サスマタが放たれた瞬間、反応し、高速でクイックした。
手を滑る音に反応したのだ。
先ほどの試合もそうだが、攻撃が行われた瞬間に動く。それまでの通常行動とはまるで違う。動物に良く見られる、回避動作。
格闘家やスポーツ選手は、癖を付けて先に反応して避けるが、本来避けるということはこういう動作なのだ。
小さい子供や運動が苦手な子も、何かに驚いて無意識に避けた時、それが勝手に出来ていることがある。
勝手に出たその動作の中に、避け本来の基本が幾つも備わっていたりする。腕で大切な頭をガードしていたり、ガードどころか体を傾け更に退く。それだけにとどまらず、小さくなり、固い部分を向け亀のように丸くなるなど。
ここにいくつのポイントがあっただろうか。何も学んではいないただの子供が、知識もないまま、一気に避けるのではなく、ガードし、傾き、半歩動いて、小さくなり、敵や危険物に対して固い背などを向ける。しかも丸みを帯びる。
約六つのポイント。
これを何も知らない子供が瞬時にこなすのだ。
ただし、本気で怖いと驚いた時に。そこに何かしらの感情が入ると、ブレーキやリミッターがかかり、ポイントが減ったり、何も出来なくなったりする。
大人になると雑念が増え、よほど追い込まれない限り、ガードと仰け反りで打ち止めだ。プロの格闘家も同じで、ガード、傾きとステップだけ。
それも勝手に避けるのではなく、意識しての反応。
曽和も縁も無意識の領域での反応をしている。頭で考えるのではなく、野生動物と同じように防衛本能で動いている。
ここで見ているすべての者達に流れる時間と、曽和と縁が感じているスピードはまるっきり違う。怖いと感じてから反応し避けても、まばたきする神経回路のように、高速の回避。
それが生き物本来の、危険回避能力であり、誰もが幼い頃出来た回避動作。
スローモーションに感じた映像が、記憶にあるはず。
大人になった今、他人が転ぶシーンと自分が転んだ状況を思い返せば、そのあっという間の事故が、ゆっくりと流れていたと気付けるはず。
鮮明に、順番に、膝をついて、擦り剥いた痛みが走り、手を付いて、砂利がめり込み、支えきれずに肩やおでこをゴッチンする。
その後しばらくして、猛烈な痛みがくる。それでもまだ、意識は泣いていない。そのコンマ数秒後、ようやくびっくりして泣きだす。
本来はもっともっと遅く感じているはず。だが現実の出来事は、刹那。
「望み通り、お縄にしてあげよう」
曽和がまたも仕掛ける。その攻撃を避けながら縁は振り回すゴム玉を投げる。
その球が曽和の胸元に猛スピードで飛んでいく。当たる……?
それを曽和もギリギリで、体を横へと傾けてかわした。
堤は曽和の戦いを見ながら複雑な気持ちでいっぱいであった。
警察を代表して出た、剣道の世界大会で一番になったこともある。他にも柔道や合気道で好成績を収め、鬼教官と呼ばれるほどの存在に昇りつめていた。なのに、高校の一年生、しかも剣道界で名も知られていない無名の者に、手も足も出ない。どころか、自分の方が遥かに有段者であるにも関わらず、曽和道孝の戦いに、指をくわえて見ていることしかできない。
数年前に一度、曽和と剣道の手合せをしたことがある。
その時の曽和は、堤にとって赤子であった。元々、段も格下だったが、年齢的にも体力的にも何一つ堤が劣っているものはなかった。なのに今、この圧倒的な差はなんなのだと。
あの時、わざと手を抜き、部下として手加減したあれは夢? と。
「曽和さん? もう疲れたんじゃないですか?」
「それは君だろ縁君。肩が凄いことになってるぞ」
疲れているのは縁の方であった。
長槍のようなサスマタで狙う曽和と、それを避けながらゴム玉で攻撃する縁との体力差は相当だ。かつての縁であれば、ここまで疲れたりしないが、それこそ成長した体と、脳と同調しないズレが、より縁を追い詰める。
「ひぃ、こりゃマジできつくなってきた。こうなりゃ、いくか。喰え」
「来なさい」
縁の怒涛の攻撃。蛇のようになびく紐鎖。まるで魔球のように曲がりくねる玉。
どれだけの練習をすれば、こんな技が出来るのだと、皆の腰や手に力がこもる。
縁の放った玉が、曽和の左肩と右足を一回ずつかすめた。致命傷の判定ではないが、曽和は悔しそうに眉をひそめる。
これが鉄球であればと、本物を想定しているのだ。
口元がぴくぴくと吊り上り、曽和の攻撃も鋭さを増す。するとサスマタを肩より上の位置に構え、ゴムをギリギリいっぱい伸ばし、疲れて動きの鈍った縁を先端で追い始めた。
「これが新たな必殺技、捕獲ショットだ」
今までの経験上、このサスマタの危険度は嫌というほど感じている。
だから縁は、がら空きの曽和の胴へと攻撃を仕掛けることをためらう。
本来なら絶好のチャンスだが、これ以上距離を縮めるのは危ないと縁の中の何かが指令を出す。だが、曽和はそのまま攻撃を仕掛けてきた。
縁が思っている射程より大分あるのに。
曽和はまるで槍投げでもするように、サスマタを肩口から、縁の下腹へ目がけて投げ放った。手から放たれた瞬間、ゴムのプラスアルファのパワーで、サスマタが加速し、一瞬誰もが見失うほどの速度に達した。
そのサスマタが縁の胴体を捉えた。と、次の瞬間、ゴムを握りしめた曽和の手がサスマタの柄を手繰り、柄の後方の部分をくるりと回した。
「うわぁ、ヤバイ、しくった」
縁は完全にいつものパターンにハマった。曽和の放ったサスマタの先端部分が、クワガタ虫のように閉じ、縁を捕らえている。
曽和はこれをワッパ、いわゆる手錠と呼んでいる。
そして、曽和のトドメ技が繰り出された。
それは、サスマタの柄の途中部分にある、ボタンを押すと、サスマタの輪っかの接続可動部分の中央の穴、つまり、柄の中に仕込まれたモノが勢いよく飛び出し、捕らえた獲物に突き刺さる仕組みとなっている。
「うぐっあぁ。ががっ」
痛みでぶっ倒れる縁。
そしてサスマタの輪っかに囚われたまま「すみません。参りました」と完全敗北した。曽和は嬉しそうにサスマタの柄の部分を先ほどと反対に回し、輪っか部分を開く。
「曽和さん。これ痛過ぎです。それと、また改造しました?」
「ああ、前に縁君が側転して輪っかを解除したから、今回のはサスマタを回転させても平気なように可動部分を、もう一ヵ所増やしてみた」
「やっぱり、挟まれてもがいてる時に先端が動くから、なんだこりゃって。というかコレ、本当に痛いですよ。それに、知っていて受けるの凄く怖い」
「それなら、受ける前に『参りました』って言えばいいさ」
「それはちょっと。プライドがありますから。これに関しては、しっかりやられてからでないと。曽和さんもそうですよね? それに、輪っかをかけた時点で試合を止めなかったのも、相手に情けをかけたらプライドを傷付けるからでしょ?」
曽和は当然と頷く。
「ただ、だとしても、あの輪っかというか手錠というか、あれが決まったら、ほぼ確定だから、最後の一撃は弱く設定してくれないと、怖くて」
「いやいや、私の攻撃はあれだけといっても過言じゃないからな。さんざん相手の攻撃受けて我慢した分、最後の一発はド派手な花火を咲かせたいのだよ。ふふっ」
縁と曽和の話を皆が呆然と見ていた。
曽和は敵の攻撃を一方的に受け続けるのみなどと言っているが、それはまったく違く、縁のスネやモモは大振りされたサスマタで何度もこすり付けられていた。
一方曽和も、縁のゴム玉が下半身に何度もかすっていた。
この二人だからお互いにこれで済んでいるが、別の者との勝負の時は、縁のゴム玉とカーボン鎌から無事に逃げ遂せる者はまずいない。
それが出来るのは縁よりもランクの上の者達だけだ。
勝負が終わり、何処が決めてになったかなどをお互いに話し、反省や更なる進歩へ勉強会している。と、そこへ寧結が近づいていく。
「やっぱり曽和のお爺ちゃんが勝ったね。凄く強かった~。ねぇ、寧結とも遊びの試合してよ、イイでしょ? さっきので捕まえたらお爺ちゃんの勝ち、私の攻撃が当たったら私の勝ちだからね」
「捕まえるだけ?」
「そうだよ。寧結痛いのは嫌だから。スーツも着てないし」
曽和は満面の笑顔でイイよと答えた。寧結は「ちょっと待ってて、今、ディスク持ってくるから」そういって駆けていく。
会館端の段ボール箱を漁り、中にあったビニールを破り、フライングディスクを三枚、腰ベルトに付けた。手慣れた感じだ。
「寧結ちゃん、ディスク二枚とかじゃ駄目かな? お兄ちゃんと試合して凄く疲れているのだけどな」
「ダ~メ。ルールだもん。三つまででしょ」
曽和は仕方ないと頷く。
そのやり取りを見ている者達がまたも驚く。
部員達の方へと戻った縁にも皆が一斉に話しかける「寧結ちゃんいいの?」と。縁は「平気、平気、曽和さん手加減してくれるから」と、首から胸までチャックを下ろし、疲れた体を壁に凭れかける。
「さてと。お兄ちゃんを倒した強い鬼こと、曽和道孝。寧結ちゃんを捕まえたら、食べちゃうかもしれないぞ」
「いやぁ、怖いよぅ。でも私は~、世界の平和を守る魔法少女、寧結。ほうき星に乗ってやってきたわよ。キラ~ン」
「こら寧結ちゃん、ここでは嘘は言っちゃ困るなぁ。ちゃんとしないと」
「にゃっちゃっちゃ、バレバレ。ご、め、ん、な、さい」
ペコリと頭を下げる寧結。
随分と和やかな雰囲気に部員達は少しだけ冷静さを取り戻す。しかし、堤やその部下、そして曽和をよく知っている者達は、色々な意味で目が点になっていた。
一体、どんな関係なのかと。恐ろしいとしか思えない曽和と……。
寧結や縁は、毎年、敬老の日や曽和の誕生日には、必ずお手紙付のプレゼントをしている。
曽和にとって、寧結も縁もそういう可愛い孫の一人みたいなものだった。そんなことはここに居る誰にも分からないことだが、人と人とは、時にそういう気遣いでいくつも繋がっているものだ。
「では、始めるよ、寧結ちゃん。スタート」
「いいよ~」そういうと寧結がいきなり走り出した。
ちょこまかと走る寧結。それを必死に追う曽和。
だが、皆が思っていたのとまるっきり違う光景が飛び込んでくる。
寧結が曽和を完全に翻弄しているのだ。
寧結の動きにまったく付いていけていない。
曽和が苦し紛れにつき出したサスマタを寧結はかわし、動きの止まったサスマタを掴むと、クルクルと横回転して距離を縮めた。
その途中で腰に付けたディスクを外し、回転しながら曽和へと投げる。
決まった……かに見えたが、曽和は腰にある棒を忍者のような持ち手で引き抜きギリギリで防ぐ。
「おおっ。す、すごい」堤が色んな意味で声をあげた。興奮が抑えきらない様子。
更に攻撃を仕掛けようとする寧結を振りほどくべく、曽和がサスマタをゆっくりと回す。二、三歩振り回された寧結が掴んでいた手を放すと、今度はでんぐり返しで曽和へと寄った。
そして、腰から外したディスクを手に持ち、円形カッターの如く、曽和の前に出ていた左足を切断した。
「やった~。切ったよ。今、寧結切ったよね? 兄ぃ、どうだ、見たか、仇を取ってやったぞ」
「ま、参りました寧結ちゃん」
曽和も相当ビックリしているが、寧結が凄いのは今に始まったことではない。
君鏡と日野も、屋上での寧結の追いかけっこを思い出していた。
ここでいきなり、アドリブで言い出したのではなく、間違いなくそれなりの自信があっての申し出だったと。
あの日、本気で追いかける不良の群れから笑いながら逃げていた。それもあんなにも狭い囲いの中で。
「す、すごいよ寧結ちゃん。お兄ちゃんの仇を取るなんて。ねえ~」先生が戻ってきた寧結の頭を撫でる。
そこに萌生も来て「すごすぎ~」と寧結の両手を取る。
この場に居る誰もが奇跡の様なそれに心躍っていた。それは、寧結がというだけでなく、何となく自分にも夢が見れるのではないかという希望の光に映ったのだ。
曽和と縁ではあまりにも遠く、ただの神業にしか見えないそれが、小さな女の子が必死に頑張って、あのおっかない曽和を『参った』と言わせたと。
堤も、沈みかけた心が、曽和や縁ではない小さな子供の勝利に躍っていた。
この場所で冷静に分かっているのは縁と曽和だけだ。
もちろん寧結が凄いのは紛れもないことだが、曽和はいくつもある攻撃パターンの半分を封印している。その半分とは打撃だ。
寧結なら避けることも可能であるが、仮に当たったら死んでしまう。防御スーツを着た寧結ならまず死ぬとかはないが、生身で、しかも薄手の夏服、地肌面積の方が多い。
そういったことからも全く違う見解だ。
封印した中での本気は出していて、手加減などする余裕はなかった、が、最初に話し合うルール次第で、このバトルはいくらでも変わるし有利不利も移動する。
今回、縁と曽和も、マスクを付けていない。マスクアリで頭部への攻撃が増えたのなら、それは縁にとってどれ程有利であったか。
疲れ切った曽和が端へと座り、縁のようにチャックを下ろす。そこへ堤が冷たいタオルと飲み物を持って近寄る。
「お疲れ様です。これどうぞ」
「ああ。さすがに若い者とやると疲れる」
「自分は、まだまだでした。ここに来て総監の……いえ、曽和様の言っていたことがようやく分かりました。自分も、普段は部下たちに、実践をもっと考えて、真剣にやれと叱って来たのですが……。恥ずかしい限りです」
曽和は深く頭を下げる堤に、まあまあとジャスチャーする。
「そんなことより、さっきの縁君との試合だけどね。あれは縁君の本当の実力から言えば半分も出ていない。たぶん、具合が悪いのかそれとも別の原因、本調子じゃないようだ。彼の大会での本気試合は全身に寒気が走るほどだから。まぁ、彼らの合宿中にそれが拝めればラッキーだという話だ」
そう言って曽和は、冷たい緑茶を飲む。
堤は大会という言葉を聞き逃さなかった。
気安く質問できるような関係ではないし、自分から話しかけていい間柄でも立場でもない。曽和から一方的に話す言葉に『イエス』と答えるだけが本来の関係。
警察関係から離れたからこそ、少しだけこうして傍にいれる。それさえ、曽和からそうしていいと言われたから。堤の部下は許されていない。
でも訊きたい、知りたい……。
「ねぇ部長。早く、俺も剣道の練習とかしたいンだけど、教えて欲しい」
濱野がいう。
「うん。今日から少しずつやるつもり。実は、折紙先生からそのことでちょっと話があるみたい」
縁がそういうと、一瞬皆の顔がパッと明るくなり、そして折紙先生というくだりから、また疑問符な顔に変わる。
「そうね。今回ね、合宿に私が付いて来たのは、AクラスとFクラスの子が本当にちゃんと来ているかっていう出欠の確認なの。学校側から色々言われてて。ほら、剣道部って、色々と問題あるみたいに思われているでしょう。それとね、一年生の修学旅行で行く北海道で、剣道の大会があるらしくて、その大会にエントリーしたわけ」
皆がびっくりして顔を見渡す。
「先生そんなの無理です」
「分かってるわよ。でもこれ、副校長命令だから。先生も顧問としてそう主張したのよ。したら勝ち負けは関係なく、出場すればいいンだって。なんでそんなことになったかは……、例えばさ、剣道部ができてから今日までに、何回防具付けた? 何回竹刀で練習した? 実は、見学に来てた生徒達がね、楽しそうに遊んでるだけだったよって、苦情というかなんて言うか、ウワサがね……」
「でたよ。誰だよ。確かに防具は一回しかないし、竹刀も、ちゃんとは使ったことないけど、毎日汗だくになってやってたっつ~の。それこそ横に居るダンス部より真面目だよ。あいつら、結局俺達が休憩すると休憩するし」今込がいう。
「だよね。確かに。ダンス部なんて常に皆で踊ってるわけじゃなくて、鏡に映れる人数で交代で踊ってるもん」百瀬もいう。
「折紙先生。要するに、大会に出場するなら、最低でも、この夏合宿は遊ばずに、防具や竹刀で少しは練習するでしょ? って裏工作ですか?」香咲も愚痴る。
「そういう意味かもね。だって本当に合宿に参加してるかの確認してって疑われているくらいだから」折紙先生もなんとも言えない立ち位置で困る。
「でもまぁ、うちの学校さ、どうにか嘘ついてサボったりする人多いし、他の部活でも色々あるから、剣道部が誤解受けやすいのも事実かもね。ただね。でもそっか。だってそういう人とかチャライ部活でも苦情まではないのに、剣道部って立ち上げてから問題起きない日なかったかも」
皆がウンウンと納得する。
と、先生が口を開く。
「床並君に相談したンだけど、まず、たった一、二週間で、大会で恥かかないほど出来るようになれるのは、運動部系ではないって結論になって」
「そりゃないでしょ。軽音部だって無理だよ。楽器持って二週間で音楽のイベント参加とか、他の部もありえない。例え教えてくれるのが床並君やオリンピック選手でも、プロの先生でも。問題は教える側じゃなくて教わる側だもん」
今込は、自分はこれでもプロの世界でモデルと俳優をしているから、それは断言できるという。
いくら教える側が凄くても無理と。
女子部員達も、プロとして仕事している者ほど今込の言葉に共感していく。
「それで、床並君も大会で優勝とか目指すわけじゃないし、ただ参加すればという条件なら、剣道の練習じゃなく、自分の考えたプログラムで合宿したいんだって」
「うん。いいよ。その方がいい。副校長とか、他の生徒のせいで合宿が詰まらなくなると嫌だし」小峯が笑う。
「だね」登枝も可愛く頷いた。
「それじゃ、四時近くなっちゃったけど、練習始めようか」
「はい部長」皆が一斉に返事した。