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バースデイ  作者: セキド ワク
10/63

 十話  夏合宿



「本当に荷物これだけで平気なの? すっごく心配だなぁ」

 女子部員達が皆揃って、荷物の少なさに不安になる。

「大丈夫。最低限自分が必要だなと思う程度で、基本向こうにあるし、部活で使うような物も用意しておいたから」

 縁の言葉に、それでも「本当に~」と不安がる。


 確かに二週間近くある合宿期間で、手荷物が三泊分程度ならそんな気にもなる。


「本当に大丈夫だからね。俺は男だから、分からないこともあるだろうけど、それでも、殆ど向こうに揃っていると思う。それに必要だと思うものは、各自で持ってきたでしょ?」

 逆に縁にそう言われて、自分が何を持ってきたのかを思い返す。


「それはそうと、前から思ってたンだけど。床並君てさ、やらしい話で悪いンだけど、もしかして超お金持ち?」

 今込の台詞に、脳内で手荷物確認していた女子部員が一斉に縁に向く。

「え? どうしたの急に。お金持ちではないよ。普通がどれくらいとか、大金持ちがどれくらいかが分からないけど、ちょっと、どうかな。お金に困ったりしない程度だよ。貧乏ではないと思うけど」

 君鏡は縁の家を思い出す。大金持ちではないが、絶対に貧乏ではないと。


「でもさぁ、部活で使ってる折り畳み自転車、あれ、全部、部長が自腹で用意したんでしょ? その他にも色々とそうじゃん。今回の旅費とかにしても全部そう……でしょう?」

「確かにそうね。そういえば、ウチの部活って部費とか出ていないもの」

 いきなり折紙先生が割り込んできた。


「いや、買ったンじゃなくて、知り合いに頼んで譲ってもらっただけだから。それに今回の合宿場所も、毎年用があって行ってる場所というか、ウチがお金を払っているわけじゃないというか」

 縁の話を聞いても、先生も部員達もピンとこない。


「だって、譲って貰ったって、あれ全部新品だったよ。それに、この人数の旅費って普通に考えてもとんでもない額だよ。期間だって二週間近いンだしさ」

 今込に改めてそう言われて、縁も「本当だぁ」と共感する。



 今回の合宿にあたって、縁が考え悩んでいたことと言えば、ペットであるブルーボタンインコのペルソナと、フラワーホーンの預ける期間のことくらいだ。

 何度かペットを専門店に預けたことはあるが、ペルソナに関しては、性格が少しグレてしまう。今回の合宿期間の長さと、更に、帰宅後すぐに修学旅行ということから、相当長い期間預けっぱなしということになる。

 そのことが悩みの種だった。


「兄ぃ。乗り換えまだあるの? ないなら萌生ちゃんと一緒に後ろの方見てきてもいい?」

「寧結ぅ。絶対に駄目。なんでわざわざ後ろの車両に行くのさ。萌生ちゃんのお母さんも、折紙先生が付き添うから、学校の先生が行くのならってやむなく承諾してくれたンだぞ。もう幼稚園じゃないんだから、ここはしっかり一年生らしくじっと座ってるべき」

 寧結も萌生も走りたいし動きたいし、じっとしていたくないのだ。

 別に後ろの車両に興味があるワケじゃない。体から湧き上がる何かが、二人を、電車内散歩へと駆り立てるのだ。

 ちなみにこの現象も、なぜそうなのか解明されていない。


「兄ぃ。殺生(せっしょう)な。そんな殺生な。分かるだろうが。兄ぃも同じ一年生なんだから」

 寧結の言葉に「あら殺生なんて難しい言葉よく知ってるわね」と折紙先生が寧結の頭を撫でた。

 と萌生も「先生、私も知ってるよ。拙者(せっしゃ)、四捨五入。とはなんぞや」

 萌生がなんて言ったのか、寧結以外の誰にも分からなかったのだが、とりあえず「あら、萌生ちゃんも凄いのね~」と褒めて治める。さすがは大人の先生。





 品川から電車で大体一時間ほどで一度乗り換え、そこからまた二十分ほど乗っている。

 本当は新幹線などで行こうとしたのだが、全員分の切符が揃わないということと、新幹線が止まる駅からだと、似たような時間が掛かるということ。

 小さな寧結と萌生が行くことで、途中でトラブルがあっても、対処のできる電車でとなった。


 こういう大人数の時はその方が、融通(ゆうずう)が利くというわけだ。目的場所が関東地方の外れという距離だからできる選択ではあるが。


 車窓から見える景色はすでに大自然。普通の民家ももちろんあるが、都会で暮らしている者達には、自然しか目に入らない。

 建物が密集していて初めて住宅、そう見慣れた目だ。


「次の駅で降ります。皆用意して下さい。忘れ物とかしないように」


 それぞれが自分の荷物を手に取る。荷物が少ないからチェックも早い。合宿後に待っている三泊四日の修学旅行の方が、遥かに荷物が多いに違いない。


「寧結、それと萌生ちゃん、お兄ちゃんの手に掴まっていてね」

 電車が到着すると、二人としっかり手を繋ぎ電車を降りる。電車とホームの間が尋常じゃない落差と幅。慣れている者ならそうでもないが、子供連れにはちょっとヒヤリとする。


「部長、もう着いたンですか?」

「いや、駅を出て、バスであと十分位かな」


 駅を出ると、既に縁達を待っていたように、バスが止まっていた。

「アレに乗るの? へぇ早いね」今込が感心する。

「うん、待機してくれてたのかも」

 縁の何気ない言葉に、またも皆に疑問符が付く。なんで見知らぬ駅のバス停に、地方のバスが待ってくれているのだと。

 そんな疑問を浮かべながらも、熱さから逃げるようにバスへと乗り込む。


「ひやぁ~。電車よりこっちの方が涼しい~」

「ホントだ。兄ぃ、それじゃちょっとだけ走ってもイイ」

「なんでだ。駄目に決まってるだろ」

「それじゃこのワッカに掴まるから、持ち上げてケロ」

「萌生ちゃんと仲良く座ってなさい。危ないから」

「は~い。ケチだなぁ~。ン、ナナナナナナ、ン、ナ~、ウナウナ」

 捨て台詞を言いながら、踊るようにして席に着く寧結、そして萌生。二人が座るとすぐにバスが発車した。


 どこのバス停にも止まらず、一直線に目的地へと向かう。八分ほどである場所へと着いた。

「ご乗車有難う御座いました。お忘れ物、御座いませんように」少し(なま)った口調。


 部員達が一斉にバスを下りるが、建物らしきものは見当たらない。

 在るのは、道の途中で塞ぐように続く、大きくて高くそびえる鉄柵。

 縁を先頭にその柵へと歩く、寧結と萌生は縁のすぐ前をスキップで抜いて行く。


 縁は横引に開閉する大きな柵門に、別途備えついた、人用の出入り口横の呼び鈴を押す。

「はい、どちら様でしょうか?」

「床並です。門開けてくれます」

「あいよ~。今行くから待ってネ」

 その声がしてすぐに、若い男性が門へと駆けてきた。


「おお、久しぶりだな縁。随分と大きくなって。背、伸びたな」

「そうですか? 守安(もりやす)さんもお元気そうで」

 軽い会話を交わしながら、開けられた人用の門扉(もんぴ)から次々と中へと入る。


「縁。一応車用意しておいたけど、誰か免許とか持ってる人いる?」

 縁は折紙先生の所へと駆け寄り、車の免許の確認を取る。

「私? 一応持ってはいるけど。数年前に、二、三度しか乗ったことないし、その時、父の車で、他人(よそ)の車に思いっきり擦っちゃって、それ以来怖くて、今は乗ってないのよね。いわゆるペーパードライバー」


 縁が困っていると、そこに小さなマイクロバスが来た。そして先ほどの守安という男が下りてきた。

「縁、これ、補助シート出さないで十八人乗れるから。これ使っていいよ。そんで向こうに置きっぱなしでいいからさ。多分、移動の時とか、何度か使うだろうし、ガソリンとかそういうのが無くなったら、向こうのホテルで聞いてくれ」

「あ、守安さん。先生ペーパーだから運転できないって」

 縁のそれに、守安が先生の顔を笑顔で見る。と折紙先生が、無理ですといったジェスチャーで返す。


「守安さん、運転してってよ。それが一番だし」

「バカだな。俺がここ離れてどうするよ。そんな仕事放棄したのバレたら首だけじゃ済まないよ。貸し切りのこの時期は特に厳重にしないと。それは縁の方がよく分かってるだろ。というかお前が運転して行けよ。私有地だし、先生も多めに見てくれるよ」

 守安がニヤニヤと笑う。縁が先生や部員達の顔を見て、また守安を見る。


「いや、でも、俺こんな大きさの車運転したことないし」

「それじゃあ先生にしてもらうしかない。俺は縁が運転することを勧めるよ。運転二、三回で数年乗ってないのと、経験ある縁ならな。それよりもこんな暑いトコにいないで、早く向こういって涼みな。寧結ちゃんもお友達も可哀そうだろ? 悪いことは言わねえから、お前が運転して連れてけ」

 縁は数秒考えて「とりあえず暑いのでバスに乗りましょう」と乗り込む。


 エンジンのかかったままのバス。

 折紙先生と縁がどうしますと運転席横で悩む。部員達はとんでもない会話の流れに、固唾を飲んで成り行きを見ていた。

 窓の外では守安が、縁に向けて「いいから、座って運転しちゃえ。行っちゃえ」とジェスチャーする。


「アァ~もぅ。仕方ない、俺運転しちゃいますね。あまり危ない道とかないので」

 縁が運転席に座ると、窓外からパチパチと拍手しながら頷く守安。

 部員達は縁の周りへと集まり、本当に運転するのと問いかける。が、もうすでにゆっくりと走り出している。


 バス独特の重い発進と、ガラガラとした機械音。丁寧に運転する縁だが、斜めへの揺れがある。

 横にいる先生と、周りに群がる部員達で、左右後ろが塞がれて見えづらそう。


 遠くでは、解放されたように寧結と萌生がはしゃぐ声と足音。


 縁は運転もそうだが、寧結のことも、皆の視線も、フロントガラスしか見えない状況にも、パニックを起こしそうであった。ただ、自分で座ってパニックを起こしたら、それこそ周りの皆までそれが伝染し、大変なことになると思い、必死で平静を装う。



「すごいな部長。車運転してるよ。免許持ってないよね?」

「うん。ない。それよりも皆さ、席に座らないの? かな?」

「どれくらいで着くの、床並君」先生が尋ねる。

「五分前後です。歩いたら十五分位かな。ただ夏に歩きはきついですよね。まして荷物があると」

 饒舌(じょうぜつ)にしゃべっているつもりだが、縁は自分が話している内容を自分では理解できていない。運転の方に九割集中している。

 せめて部員達が座ってくれれば、その分余計な緊張感は緩和されるのだが。


「あ、あっ、見えてきた。あれでしょ目的地」今込が指を刺す。


 運転する縁の肩口から腕が伸び、縁の視野を更に狭める。相当パニックになっているのに「そう、そう、あれ」と平静を装う。

 女子部員達も、目的地を見たり縁の運転を見たりと自由奔放だ。

 少し遅れて、濱野がブツブツと何かをいいながら、先生の横から顔を突っ込む、改めて縁の運転をまじまじとみだした。


「俺も、ちょっとなら運転できるかもしれないな。まだ免許とかないけどね」

 濱野の念仏が縁の耳をくすぐる。


 さっきのやり取りを見ていれば、普通は、運転に集中させてあげようと思うものだが、高校生はまだ子供なのだ。そして寧結達ほど子供になると、縁の運転にさえ興味がなく、バスの座席ではしゃぐ自分達に興味がある。



 少しすると、バスが大きな駐車場へと着く。

 縁はここでようやく、駐車するから、周りが見えるようにズレて欲しいと頼む。よくここまで我慢したと、縁を褒めてあげたいところだ。

 皆がパニックにならずに済んだのは、その分縁が苦しみ、脳内パニックになったおかげ。


「うまいなぁ。こんな大きなバスでよく駐車できるね。バックとかどうやって見てるの?」

 見えていない。フロントと片側のサイドミラーだけで調節している。


 縁は、バス内を駆け回る寧結と萌生に気を散らされながらも、どうにか駐車することに成功した。


「着きました。それじゃ皆、ここが合宿先だから」

 バスを下りた一同が大きなホテルを見上げる。想像していたものと、まるっきり違う。

 この合宿が決まって、皆は何度も想像していた。どんな施設かを。

 古い建物や狭い部屋、暑い体育館でヘトヘトになりながら猛練習するイメージ。


「うっそぉ。これ何? こんなホテルで合宿って、どこで練習するの?」

「中に体育館みたいな場所があるから、そこを借りてだよ」

 話しながら縁が歩いて行く。その後を皆が付いていく。


 開け放たれた大きなドアの奥に、大きなフロントが見える。そして、縁達の姿に気付くと、従業員達が慌てて出てきた。


「お待ちしておりました。床並様と進卵学園の剣道部の皆様。お部屋の方へご案内致しますので。足元、お気を付け下さい」

 制服をピシッと着こなした男性と、若い女性が数人で出迎える。


「私達ぃ、しんらん学園じゃなくて、みらい小学校です」寧結がいう。

「あ、申し訳御座いません寧結ちゃん。未来(・・)小学校のお二人様もご案内致します」


 数人の従業員が部屋へと案内する。


 部屋は各二人部屋を計九部屋。

 折紙先生が一部屋。縁と寧結と萌生で一部屋。岡吉と雨越で一部屋。園江と三好で一部屋。登枝と香咲で一部屋。小峯と百瀬で一部屋。君鏡と日野で一部屋。濱野と今込で一部屋。マネージャーの寺本と葉阪で一部屋。計九部屋。


 四人部屋や六人部屋にしようか悩んだ縁だが、二週間近くいるなら、ストレスの少ない個人部屋に近い方が絶対いいと、この部屋数に決めたようだ。


 荷物を置きそれぞれが着替えたりしながら、数十分ほどのんびりとしていた。

 やがて他の部屋がどんな様子か気になりだした部員達が「こんにちは~」と仲間内の部屋を回り始めた。


 一方縁は、寧結と萌生にトイレなどの説明をしたり、萌生の親に連絡を入れて、無事に着いたことを、萌生本人からも挨拶させていた。



「寧結ちゃん居る? 箱入だけど」

 開けっ放しのドア。ドア下にストッパーが挟まっている。

 寧結と萌生に鍵を持たせられないので、そうしているようだ。今はまだ、渡した所で使えないし、紛失するのがオチ。


 君鏡と日野が縁達の部屋に入ると、窓側のベッドで寧結と萌生がスヤスヤと寝ており。隣のベッドで縁が横たわり頬杖をついて、コクン、コクンと、うたたねしている。


「どうする? そろそろお昼ごはんだし、起こす?」

「お腹空いたもんね。でもなんか可哀そうだね起こすの。なんか気持ちよさそう。床並君も疲れて眠っちゃったのかな」


 縁と寧結は早起きし、萌生を直接家まで迎えに行っていた。



 君鏡も日野も、縁の寝顔にドキドキしながら眺めている。とそこに、折紙先生が訪ねて来た。

「床並君? 居る? この後どうするの」

 入ってきた先生に「しぃ~」とジェスチャーする日野。

 先生も、なんか訳も分からず、指でオーケーの合図を出した。そして縁の寝顔を見ている。


「床並君って不思議な子ね。こんな高級なホテル、私一人で泊まるのだってそうそう出来ないわよ。それをこの人数で、しかも一週間半以上でしょ」

 君鏡も日野も寝顔を見ながら頷く。


 先程の車の運転、今込が言った自転車などの件、色々なことが、縁という存在を分からなくさせる。パッと見は小学生の様な雰囲気の少年なのに、実際はまったく違うと。



「ん。ん~んぅ~あぁああ~」大きな欠伸をしながら縁が起きた。

 まだ少し寝ぼけている。そこへ君鏡が声をかけると、少し驚いたあとで、辺りを見渡し「こ、ここ何処?」と混乱してみせた。


「それはこっちが聞きたいことよ床並君。ここ何処?」

 折紙先生の言葉に、目を擦りながら考える縁。なかなか答えが出てこない。

「合宿でしょ?」日野が笑う。

「あっ、そうだった。ふぅ、焦ったぁ。変な保健室かと思った」

 和やかに笑い、一息つくと「お昼ご飯はどうするの床並君?」と先生が尋ねた。縁はポケットからケイタイを取り出し時計を見る。


「いけね。皆お腹空いてるよね」ぴょんと飛び起きる。

 そして、寧結と萌生を寝かしたまま、皆と合流する。


 廊下を歩き食堂へと向かう。

「一応、品川で皆に配った紙に、食堂とか色々な場所の地図が載せてあるから、何かあったらそれ見てくれれば分かると思う」

「え、どこに書いてあるの?」濱野が紙を見る。

「スケジュールの次のページです」

 何人かが紙を見る。特にマネージャーの二人は色々とチェックを始めた。



「ココが食堂。他にもいくつか食べる所あるけど、今日はここで」

 部員達皆が、あまりの高級さに驚く。食堂という言葉とまったく違う景色。高級なレストランといってもまだ合わない感じだ。

 この場所は、昼に見るのと夜に見るのでは全く雰囲気が変わる。綺麗なカーテンや窓から見える緑と景色、豪華なテーブルに大理石の床。

 それが夜には、シャンデリアに明かりが灯り、全てが大人な空間へと様変わる。


「これビュッフェだから。注文も出来るンだけど、大人数で毎日それだと色々大変かと思って、この方が気楽でしょ? それでココにしたンだけど」

 縁がそういうと、部員達が辺りを見回した。

 すると、厨房の方から、縁達が来たのを見計らって、温かな沢山の料理がカートに乗って運ばれてくる。それが大テーブルにどんどんと並んでいく。


「それじゃ、順番に取りに行ってね。好きな所に座って食べ始めていいから。俺、ちょっと妹達見て来るから」

 皆が可愛く「は~い、部長」と返事する中、濱野はブツブツと「俺、ビッフムって三回しか食べたことないけど、皆あるの?」と独り言をいっていた。

 もちろんビッフムなどない。縁が言ったビュッフェの変形。それが何を意図して発せられたのかは考えるのも無駄なので、部員達の態度と同様に流すが、深い意味はない。



 部屋へと戻った縁は、しばらくして、寧結と萌生を優しく起こす。そして「一緒に御飯食べに行こう」と誘い。部屋の流しでうがいをさせ、トイレにも行かせる。

 小さな頃から寧結の面倒をみているから、流れがスムーズだ。


 完璧に起きた二人を連れて皆の元へ戻ると、早い者で三度目のおかずをゲットに向かう姿があった。


「あ~来た、来た。こっち」今込が呼ぶ。

 バラバラにならずにテーブル三つ連なって、固まって食べていた。

 縁は用意された席へとつくと、早速二人を連れておかずを取りに向かう。


 どれがイイのと寧結と萌生に話しかけながら、これは辛いとか、それは苦いよと説明して、お子様でも食べられそうな物を推薦する。

 するとマネージャー二人が来て「部長、お手伝いします」そういって寧結と萌生が重そうにしているお盆を持ってあげようとした。


「平気~。自分で出来るよぅ」寧結も萌生も拒否する。

 本人達は、出来るかどうかではなく、自分で持ちたいし、仮に分からなくとも、自分で好きな物を選びたい心境なのだ。が、本当はそうなのだけど、今は、あまりに不安過ぎて、縁の意見に仕方なく従っている。

 数日もすれば縁の意見さえ聞かなくなる。

 母親から『縁お兄ちゃんの言うことはちゃんと聞くのよ』ときつく言われ、約束を交わしていたとしても。それこそ、大人が忘れかけた子供の(さが)



 三人が席へと戻ると、お皿に山盛りになったおかずを見て「あら~、寧結ちゃんと萌生ちゃんはそんなに食べられるの? 凄いわね~」と先生に驚かれ、自慢げな顔で笑っている。

 縁は当然、寧結のお腹のキャパは把握済み。絶対に無理と分かっている。残りは自分に「はい、あげる兄ぃ」となると分かっている。更に萌生もそうなるであろうことを予想して、縁は自分の分を相当少なく見積もって持ってきていた。


「あ~美味しい。兄ぃそれしか食べないの? 見て私の。ほらぁ~。ねっ」

 隣で萌生も見せてくる。するとまたもマネージャーが「部長、何か美味しそうなの持ってきてあげましょうか?」と気を使ってくれた。が、縁は、マネージャーの親切心を傷つけないように、ジェスチャーで、寧結と萌生のおかずを指して、首を横に振り、表情で絶対食べ切れずに残すとアピールした。


 それを見た先生や女子部員達が笑っている。小学生みたいな仕草だけど、ちゃんとお兄ちゃんしているンだなと。随分と大変そうだなと。


「さっきさ~、寧結ちゃん、起きた時~私、どこに居るのか分からなくて~」

「あ~、私もそう。びっくり。ここドコよって。ね~」

 ぺちゃぺちゃと楽しそうにしゃべる寧結と萌生。

 君鏡は、縁が保健室と間違えていたのを思いだし、クスクスとしていた。それに気づいた日野も「あぁ~」と微笑む。


 皆の食事が終わり、しばらく飲み物を飲みながらくつろぐ。一時から食べ始めて約一時間半経っていた。

「部長、そろそろ練習の方に行かないと、スケジュールが」

 マネージャーが紙と時計を見ながら慌てる。


「うんそうだね。でも皆お腹いっぱいでしょ。ま、今日はそんなに運動する訳じゃなくて、服とか用意したのを配るだけだから」

 縁がそういうと、女子部員達が服とか早く見たいと騒ぎ出した。その声に押されるように、すぐにその場を後にすることとなった。


 お腹を抱える寧結と萌生。縁の横で「お相撲さんです」を連呼している。



「この先の会館で」

 近づくにつれ、バタバタとした足音や竹刀の当たる音がする。

「ここ。それじゃ、いつも通り、入りと出る時のお辞儀だけは忘れないようにね」

 重い木の扉を横へと引き、深くお辞儀して会館内へと入っていく。剣道場よりも遥かに広く、体育館のよう。ただし、天井はそれほどに高くはない。


「おお、縁君。やっと来た。いつもより大分遅い入りだな。それに今回は青森の方じゃなくてこっちって聞いてびっくりしたよ」

 何人かの屈強な大人達がバタバタと近づいてきた。

 色々な場所で別々の者達が何かの稽古をしている。それも相当ハードに。


「どうも。今回は部活のメンバーと来たので」

「へぇ~。部活か。にしても大きくなったね。今、どれくらいあるの身長」

「分からないですけど、百七十三か四ですかね」

 縁の読み通り百七十四センチ。


「去年の夏は百六十二くらいだったもんな~。そりゃ変わるよな」

「おいちゃん。寧結は? ほら、お腹こんな出てるぞ。萌生ちゃんも」

「おおそうだね、寧結ちゃんも大きくなったね。もう確か一年生だよね?」

「そうだよ。超、極上の絶対一年生なの」


 すると話し込むそれを呼び戻すように「オイ、お前、休む為にワザと話し込んでるだろ? 罰としてもう一セットプラスするかなら」と声が掛かる。その声に焦りながら「それじゃ縁君、後で手合せして下さい」と頭を下げて、急ぎ戻っていく。



「皆、この面の中央で座って待っててくれる。で、寺本さんと葉阪さん。悪いんですけど段ボール運ぶのを手伝って貰えますか?」

「はい。やっとお仕事できる」嬉しそうにマネージャー二人が笑う。


 会館の隅に沢山積まれた段ボールを順番に運ぶ。

 とても三人では運びきれない量。

 今込が手伝おうと駆け寄ると「あ、それまだ、一気に運ぶワケじゃなくて、順番に開けて配るから、まだ置いておかないと。ありがとう」

 そう言って皆の元へ戻った。


「それじゃマネージャーさん。今運んだ箱を開けて、皆に好きなのを選んでもらって下さい」

「はい。了解です」

 箱を開け、皆が一斉に群がる。一つの箱にはTシャツ類が沢山入っていて、隣の箱には半ズボンやキュロットやジャージなど。そして女子専用と書かれた箱には、スポーツ下着が上下揃いで、サイズ別にぎっしりと詰まっている。


「わぁ~凄い。これなら全然平気じゃん」

「だね、汗かくし。にしても相当量在るね」

 楽しそうに選んでいく。こっちの柄がいいとか、その色がいいと。


「今込君と濱野さんもこっちの段ボールから選んでね。寝結、萌生ちゃん。二人のもこっちにあるからね。好きなの選んでね」

 皆がガサガサと漁る。縁は先生へと近づき「先生の着替えは部屋にいくつか用意して貰ってますが、運動とかするのであれば、女子部員のところから何セットか持っていってください」

「そうね。どうしようかしら。私はあまり運動はね。うん、着替えだけでいいわ」

「分かりました」

 縁はノートにチェックしながら進めていく。


「部長、皆にいきわたりましたよ」

「そう。ありがとう。他にも色々あるんだけど、今日配るのはこんな感じかな」

 皆が配られた物を折りたたんで隅へと置く。寧結と萌生は早速着替えていた。

 濱野も、自分が着てきたダサい服を脱ぎ捨て、選んだ甚平(じんべい)に着替える。


「おっ、先輩似合ってますよ」へへっと笑う今込。

「え? マジ? あぁ、俺、わりと何でも似合うからな~」濱野が天狗(てんぐ)になる。


「部長、何か練習とかします?」香咲は縁にくっ付く。

「いや、でも、皆お腹いっぱいで、すぐに動くと痛くなるかも知れないから、少し休んで、三時半になったら着替えて始めましょう」縁が開始時間を決めた。

「はぁ~い」


 部員達が、激しい竹刀音にそちらを見る。

 強面の者達が必死に練習し、怒号が飛ぶ。

「オラッ、しっかりせぇ。腰。手を伸ばして、足が動いてない」

 高校の部活レベルではない気迫にビビる部員達。


「こわっ。でも普通剣道ってこんな感じじゃない」雨越がいう。

 女子部員達も大人の強さをもろに感じながら、キョロキョロと見ていた。


 するとそこに、何者かが深くお辞儀をして、次々と入ってきた。縁も初めて見る顔ばかりで、空になった段ボールの後片付けの手が止まる。

 練習していた者達も、見慣れぬそれらに首を傾げていた。

 だが、最後に入ってきた者を見て、縁はそれらが何者達なのか、何となく予想をたて、また作業へと戻る。


「縁君は居るかな?」低い声が縁を呼ぶ。

「あ、ちょっと待って下さい。今これを端へ退けちゃいますので」

 縁がそう答えた瞬間、その群れの中から誰かが一歩前へと出て「おい少年。失礼だろ。そんなもの後でも出来るのだから、すぐにこっちに来て、挨拶するのが礼儀だろうが」と、お叱りが入った。

 その声が響くと、先生や部員達に緊張が走る。更に、練習の手を止めて見ていた者達も、なんだなんだと目を細めた。


「いや、堤、良いのだよ彼は、あれで」

「は、はい。失礼しました」

 とんでもない上下関係が見て取れる。


 縁は、お叱り通り、途中で作業を止めそこへと向かう。マネージャーも手を止めどうしようかと戸惑っていた。

 怒られるのか? 何かあったのかと皆が見る。何せ部員達には何も分からない。


「久しぶりだね縁君。今日ここへ来ると聞いて急いで会いに来たよ。できれば手合せもして欲しいしね。はははっ」

 低い声が少しだけ明るいトーンに変わると、傍にいる者達がその態度にビックリして我が目を疑っている。普段はそんな顔を絶対にしない者の様だ。


 この者の名は()()(みち)(たか)。元警視庁の最高幹部。今は引退し、とある企業に勤めている。いわゆる天下り的ものだ。

 細かな情報は伏せられているが、とんでもない大物ではある。


 顔も怖く、権力の上に居た者は、こんなにも恐ろしく凄いオーラを放つのかと、それこそ泣く子も黙るほどの眼力をしている。

 スポーツや芸能界の、遥か格上に位置する世界。


 そして先ほど怒鳴った男の名は、(つつみ)宏児(こうじ)。特殊警察隊の教官である。特殊といっても爆弾処理など色々と種類はあるが、その中でも更に上の極秘部にいる。

 そこに所属する者達は、それこそ、ありとあらゆる訓練をし、名のある武術者に教えを乞い、その技を平和の為に使うべく習得した強者達であった。


「曽和さん。今日はまた随分と怖い方々をお連れで、俺、ちょっと怖いですよ」

「ふふ、縁君に堤を怖いと思う気持ちが本当にあれば嬉しいのだが。まあ、挨拶はこのくらいとして。実はここに居る者達が、是非とも縁君と一戦交えたいと言っていてね。私も縁君と戦う前に、彼らでどこまでなのかを見よかと……」

「ああ、それズルイ。先にこっちがどんなもんか計る気ですね」


 曽和がハハハとゆっくり笑う。それと同時に縁も笑う。


 部員達は、それに対して、凄そうな人と部長が打ち解けていると驚いているが、特殊警察の者達は、信じられないでいた。

 鬼教官として誰からも恐れられている堤ですら、あまりのオーラに何度も涙目になり、優しく睨まれただけで、おしっこをちびるほど曽和の存在は怖い。


 先ほどまで練習していた者達は、縁と曽和の関係を何度か見ているのだが、縁が居ない時の本来の曽和の雰囲気は、堤が感じているものに近い。


 縁も元々はこんな風に打ち解けていた訳ではない。そこには二人だけの理由があった。まだ縁が小学五年生だった頃、ちょうど母親が出て行って少しだけすねていた頃。


 縁はとある場所で、曽和と一戦交えることとなった。

 本戦ではなくテスト試合だったのだが、多くの関係者達が見物する為に集まっていた。その時が、初対面である。


 既に格上だった縁に対し、その世界に足を踏み入れる第一歩目の曽和であったが、仕事や権力と関係なく、剣の道が好きで、自ら志願しての決闘であった。


 お互いに構える。その構えから相当やると縁は悟った。

 しかし、だからといって縁は自分が負けるとも思わなかった。まだ向かい合っただけだが、曽和もまたある程度の強さは感じ取れていた。縁から放たれる子供とは思えないオーラに、得体のしれない重圧を受ける。とは言え相手は小学生。


 そんな中、曽和が竹刀をくるりと回した。


「え? 今のなんですか?」子供だった縁はつい問いかける。

 周りで見ている者達も、縁が問うものだから気になりだして耳を澄ます。

 と――。

「ふむ。これか? 刀背(みね)打ちだ。別になんてことはない。私が勝手にそうしているだけだ。例えただの竹刀でも、真剣を想像しての試合と銘打(めいう)たれたわけだし、小学生に刃を向けたくはないと、そう思っただけだ」

 曽根は刀背打ちに構えた理由を、他にも長々と格好よく話した。縁もそれに感激し、周りで見ている者達もその拘りに痺れていた。


 勝ち負けとは関係なく、剣の世界の美学がそこにはあった。


 そして、もう一度仕切り直し、剣を構える。

 曽和はいつもの構えから、もう一度刀を回した。意味の分かっているそれらは、ゾワゾワとそれに沸く。


 互いに間合いを読みあいながら、じりじりと足先で勝機を手繰(たぐ)る。

 そして数回、剣先が縁の動きを捉えた瞬間、曽和の前足が床を叩き、一気に距離を詰めてきた。その剣を上手く交わした縁は、相手とすれ違い様に剣を打ち込み、そして体を入れ変えた。

 しまったといった顔をする曽和だが、周りはそれに気づいていない。気付いてるのは縁と曽和だけ。元々審判などはいず、自分達で勝敗を決めるのがルール。と。

 縁がケタケタと笑っている。それもここ一番の笑い方。

 皆はそれが何か分からない。対戦相手に少し失礼にも映る。そして。


「ボク? それは少し失礼じゃないか?」

 曽和も堪らず眉をしかめ、問いかけた。

 いくら腹を切り裂かれたのを認めないとしても、その態度はないと。曽和はここで負けを認めず、もう一太刀打ち込もうと思った……その時。


「だって、だってさぁ。ひっ、ひっ、だって、今の、攻撃」

 そう言って縁が大笑いする。

 そんなにも自分の攻撃が甘かったのかと頭に血が上る。そして、もっと鋭い攻撃をと考えた時、曽和もあることに気付いて笑い出した。

「そうか、それでか。あははははっ」曽和も久しぶりに大笑う。

「そ、そうでしょう」と縁もいう。


 曽和は気づいてしまったのだ。わざわざ刀を返し、刀背打ちをアピールした最初の渾身の攻撃が、縁の喉元を(えぐ)るような突きであったことを。

 縁が笑うのも当然だ。みねもなにも突き刺しているではないかと。


「私の負けだ。私は腹を切られている。完敗だ」

 急に笑い出したと思ったら敗北宣言する曽和に、周りに居る者達は何が何やらさっぱり分からないままだった。


 その試合以来、縁と曽和の仲は一気に縮まり、祖父と孫の様な関係が完全に結ばれた。まぁ、二人の間で、今更、格好付けようもないという話。

 縁以外の誰も、そのことは未だに気付いていない。それがまた二人の信頼関係にも繋がっていた。小さい子供ながらに、口も堅いと。

 だからこそ、二人だけで笑えている。


「曽和さん。堤さんって人は何対一で俺と試合をしたいンですかね?」

「それが。プライドを傷つけてもあれだからと、つまり、縁君に決めてもらおうと、私は何も言わず黙っていたのだよ」

 縁がなるほどと頷く。すると堤が口を開いた。


「できれば私は、一対一で試合に挑みたいと思っている。これでも腕には、相当な自信がある」

 縁は少し悩むが、やはり考えても仕方ないのである提案を出した。

「それじゃあ、向こうで練習している方達と、何人かずつ出て試合をして下さい。俺、それ見て決めますから」縁の言葉に堤が頷く。


 縁はその頷きの後、一人でトコトコと歩いて、練習していた者達に何かを話す。


「イイですって。それじゃ、お互いに話し合って、自分達でルールや人数を決めて下さい」

 大きな声でそう告げると、縁は部員達の所へと戻ってきた。

「なんかごめんね。練習時間少し遅れそう。今から試合するンだって。どんな感じか皆で見ようよ」

 何となく成り行きを見ていた皆も、どんな試合をするのか少しだけ楽しみにしていた。そして話し合いを終えたそれらが並ぶ。


 五対五。武器は竹刀。何でもアリだが顔や喉、急所などへの突きだけは禁止。


「ねぇ、ねえ、部長。防具付けてないけどいいの? ヤバくないの?」

「平気だよ。竹刀だし。まともには入らないと思うけど」

 皆がゾワゾワする。堤は縁の今の台詞を不思議そうに聞いていた。この状況下では間違いなく双方、大怪我をするはずだと。


 するといきなり走りだし、試合が始まった。

 それを見た縁が「乱暴だな~」という。曽和も縁の台詞に頷いていた。

 堤だけは腕組みをし、部下の勇姿を見守る。


 激しくぶつかり合い、デタラメに叩き合う。

 何人かが竹刀を落とし、手首を押さえる。そこに蹴りが入り、地面に投げ倒すと、腕をねじ上げ拘束した。

 至る所で似たようなことが起こり、拘束しようと押さえに入る者の背中へ、竹刀が打ち込まれたりもする。そんなドタバタの中……。

 一分もしないで試合は終わった。


 三人が生き残り、三対ゼロで堤の部下の勝ちとなった。それを踏まえて堤が縁へと近づき問う。部員達のすぐ近くで会話がされる。


「どうだったかな床並君。これで少しは、私達の実力も分かって貰えたと思うが。私の意見は、ウチの部下二人対床並君を数試合。私個人としては、一対一でお願いしたい」

「ん~。ちょっと無理ですね。今の見てましたけど雑過ぎます。今の試合、勝てたと思っているのは、途中でいくつかズルがあったまま、強引に続けた結果で。本当なら、ヒイキしてあげても引き分けか負けていましたよ」


 曽和も口には出さないが同じ結論だ。


 堤は一体どこにズルがあり、どこが負けていたのかが全く分かっていなかった。

「試合はしてあげますけど、堤さんを含めて五人で来て下さい。それ以上少ないと話しにならないので。もしそれで勝てたら、堤さんと一対一でやりましょう」

「ホントに五対一で勝ったら、一対一の試合を飲むのだな。分かった。少し遠回りだが仕方がない。ここは腕ずくで引きずり出すしか方法はないわけだな」

 堤はそういうと、最高メンバーを四人招集する。そして絶対に勝って、高くなった敵の鼻をへし折り、見学している曽和に凄いというところを見せ付けるぞと喝を入れた。


「では行くぞ」堤の掛け声に、部下一同が敬礼する。


「部長、やめましょうよ。怪我したら大変ですよ。なんか怖い」寺内が止める。

 先生は何が何やら分からず、ワナワナしている。なにせ屋上の件も知らず、更に縁を剣道の初心者だと思っている。いや、剣道は初心者なのだが……。


「始めてもイイですけど、その前に、自分が何処の誰なのか名を名乗れ!」

 縁が少しきつい表情でそう問う。堤がそれに答えた。


「警視庁、特殊警察隊、極秘部署所属、堤宏児。こいつらの教官をしている」

 堤に続き皆が順番に名前を名乗っていく。縁も曽和も、それにウンウンと頷く。

 そして。

「進卵学園剣道部部長、床並縁。誰に勝負を挑んでしまったのか、その後悔をしっかり刻み付けてやる。さっきみたいな棒きれでなく、しっかり真剣を手に、切りかかって来い」


 そういうと先に縁が走り出した。堤達が綺麗に陣形を取る。屋上で戦った不良達とは動きも戦略も段違い。縁を包み込むように囲む。


 縁はそれに全く動じない。軽い薄目に耳を澄ます縁。と、堤の合図で二人が同時に切りかかる。それを縁はたった一本の竹刀で受けて流す。

 その瞬間、攻撃した二人は、背中にゾッとする寒気を感じた。


 縁にかわされた竹刀から伝わる、圧倒的な差。ファーストコンタクトで、それが分かってしまったのだ。

 小石と山。滴と海。下着姿の母親と水着のアイドル。それ程の差。


 一瞬の瞬きで自分が切り捨てられるとはっきり分かる。

 特殊な練習を、厳しい訓練を耐えて来たと自負しているそれらが、たった一瞬触れ合った竹刀と竹刀のその感触が、恐怖として脳に深く刻まれたのだ。


 まるでバイオリンの弓のように撫でるしなやかないなし。全力でぶっ叩きにいった自分の竹刀を削ぎ落す剃刀(かみそり)の刃のような剣技。


 縁が言った『棒きれでなく……真剣で』という意味が、言葉でなく感触で分かったのだ。


 今縁と戦っている者達は、堤も含めて全て棒きれ。

 叩くだけの動き、さっきの者達との戦いが竹刀でなく、仮に真剣であったなら、本当は死んでいた者がいたということだ。

 何よりも今、練習通りに襲うが、縁の体に誰の竹刀も当たらない。

 かすりさえしない。


 剣道の練習や試合は、防具の上からお互いの体を叩き合う。それは既にそういうスポーツだからだ。

 そこに一本などない。在るのは全て共倒れ。昔の写真などを見ると、防具なしに木刀で練習し、試合をしていた記録がある。

 竹刀で防具使うそれと、木刀に素肌でやる剣道の、質の違いがなにかと言えば、誰でも知っている言葉「真剣にやれ!」という心構えだ。

 攻撃も防御も、今の剣道とはまるで違う。


 つまり、真剣に、その意味さえ理解していれば、手に持つモノが扇子であろうとペロペロキャンディーであろうと、持ってさえなかろうと、そういう練習になる。

 実際は、その木刀でやる現代より危険な練習や試合に対してさえ、真剣にやりなさいという言葉が放たれていたはず。何せ真の刀ではないのだから。


「真剣に」とは、あらゆる質が数段落ちた、竹刀と防具に移り変わった頃にできた言葉などではない。



「どうしました? 全然ですよ。そろそろ切りますよ俺」

 縁の言葉に堤の心臓は震えている。怖くて仕方がない。死ぬのが嫌だと本気で思っている。


 縁と何度も竹刀を交える内、全員が、縁の持っているそれが、本物の日本刀だと理解したのだ。一ミリも押してこない。だが、切り裂くような摩擦は今まで感じたことないほどに全身に伝う。

 自分が叩いているンだとはっきり分かる。こんな()()けた太刀では、丸めたゴザさえ切れない。でも叩く以外今更できない。


 身のこなしも、(かたな)(さば)きも、そして何より心構えが違い過ぎた。


 縁は怖がる五人を一瞬で切り捨てた。

「お見事。さすが縁君だ。ただ、少し腕が落ちたかな?」曽和が微笑む。

 縁も図星と言わんばかりにハッとする。確かに殆ど本気は出していないが、自分で出した竹刀の切れ味が、少し刃こぼれし少し錆びていると感じた。それを曽和に指摘され、焦っている。曽和に手の内を見せない為に相当手加減し、色々と隠したのに、鈍った腕を見破られた。


「どうだい。真剣勝負の前に軽く竹刀で遊んでから、その後本気で試合しようか」

 曽和の台詞にごくりと唾を飲み込む。


 縁は、堤達に丁寧に頭を下げると部員達の元へと戻った。その背中に堤達も深々と頭を下げ、この数日間の猛稽古を誓うのであった。



「す、凄過ぎなんだけどぅ。どうなってるの床並君」先生が目をパチクリさせる。

 女子部員達もあまりの衝撃に言葉が出ない。今さっき、隣で練習していた者達を圧倒的勢いで倒したそれらを、それも一対五で鮮やかに打ち倒してしまう縁に言葉がでない。

 屋上でのことを知っている者もいる、けど、それでも、今、目の前で繰り広げられたこの衝撃の方が、遥かにヤバイかった。


 まして相手の肩書もプラスアルファーされ、何が何だか分からない。

 君鏡も日野も、いや濱野も今込も、ただただカッコイイとしか思えないでいた。


「ねぇ部長、あの人はどれくらい強いの」


「兄ぃより全然強いよ。ねえ兄ぃ」寧結が嬉しそうにいう。

 それが聞こえた堤がゾッとした顔で曽和を見た。曽和はゆっくりと集中に入り、すでに気分を高めに入っていた。


「寧結ちゃんホント? 部長より……強いの?」君鏡が驚く。

「うんそうだよ。初めは兄ぃの方が強かったけど、今は歯が立たない。すごく強いの。なんかねぇ電光石火のぅ――」

 寧結の大きな声が会館に響くと、曽和がクスッと笑い集中が途切れる。そして。


「縁君。悪いけど寧結ちゃんを黙らせてくれないと、全く集中できなくて困るなぁ」

 曽和の台詞に緊張していた周りの空気が少しだけ和む。

「あの、先に着替えに行って来てもイイですか?」

「縁君はもう着替えを……。分かったそれなら私もそうしようかな」


 そういうと、曽和と縁はその場から一度姿を消した。残された者達は、この後の試合がどういったものになるのかワクワク、ビクビクしていた。






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