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バースデイ  作者: セキド ワク
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 一話  退屈な日々に



 退屈な毎日とあてのない未来が、ただ漠然と続いていた。

 大抵の少女には、それが普通の日常で、そこから抜け出すことを、心のどこかで夢見ている。


 思い描く憧れは、仲良く楽しく学校生活を送ること、それだけ。

 それ以外の高望みはしないが、それさえ叶うことは難しい。


 箱入(はこいり)()(きょう)。彼女もそんな一人だった。


 これが少女漫画ならヒロインとして花咲くこともあるけれど……、普通はそうはならない。なぜなら、普通の者には、大抵、ブスとして過酷な日々しか用意されていないからだ。

 たとえ見た目がさほどブスでなくても、クラスで影の薄い存在へと追いやられてしまうことがある。それが現実。


 数々のブス道を歩んだ先輩方の歴史を紐解けば、自ずとそういう結論になる。

 ただし、もしこれがスポーツや何かの一芸に(ひい)でていれば、話は少し変わるかも知れない、が、大抵は勉強も運動神経もあまりよくない。つまり絶望的。

 普通ささえ維持できない。


 この少女もその類だ。似たような立場の者は普通そうなる。

 ブスで勉強なりスポーツができるのは、余程それらが好きか、そういう家庭環境かのいずれかだ。でなければ方程式が成り立たない。

 普通は、何かを頑張ると他人が褒めてくれるが、ブスは他人の数倍頑張らないと褒めてもらえない。したがって、何をしても褒めてもらえない。よって、何も興味が沸かないし、努力する気が失せてしまう。当然の答えだ。


 ちなみに美人はこれの真逆だ。

 何をしても褒められるから、辛い努力はできない。よって、勉強もスポーツも、状況的にはブスと全く同じようなもの。だが、立場はまるで違う。

 世の中にはこれくらい分かりやすい方程式が幾つもある。それほど誰もが単純に流れていく。


 心がトキメクほどの強い憧れや夢、例えばアイドルや女優など、そういった夢を持ち、更に貫き、そして運よく歩めた者は、変われるかも知れない。

 スポーツでも何にでも言えることだが、まずは一歩、そして、その歩みを続けることが大切ということだろう。




 君鏡は、いつもどうしようもなくボッーとしている。妄想することと漫画を読むこと、二次元のイケメンのことを考えている。

 本当は音楽を聴いて、この現状を遮断してから逃避したいけど、それが出来るのは、もう少しだけランクの上な日陰の子。

 君鏡がそれをすれば生意気だと虐めがエスカレートするだろうし、プレーヤーを盗まれたり壊されたりするに決まっている。

 当然、携帯を出すことも無理、だから大好きな携帯小説も人前では読めない。


 ブスにも細かなランクがあるのだ。君鏡はクラスで下から二番目くらい。

 ただ息を殺して卒業を待つ。

 一年の頃はまだ、夢を見てクラス替えを待っていたけど、二年に上がってすぐに現状を理解した。小学生と中学生では根本的に何かが違うと。

 もう友達はできないかもと諦めている。

 そして三年生に上がり、はっきりと認識した。しかも、高校受験に向けて嫌でも動き出さなければならなくなった。


 結局、この淀んだ溜まりに浸かっているしかない。





 完全に桜も散った五月の初め。君鏡はお小遣いを手にショッピングをしていた。何を買おうか。なんか面白そうな漫画はないか? はたまたゲームはと。


 駅ビル内を縦横無尽に歩き回る。可愛い洋服も一応見て回るが、ここ数年買ったことはない。眺めて微笑む専門。

 もちろん似合わないのが理由だ。

 少し前は、何度か試着に挑戦したけど、鏡が大嫌いになった。

 今ではエスカレーターやエレベータに乗るとある鏡も地獄。見たくない自分の姿を浮き彫りにされ悲しくなる。

 綺麗な人が傍に居るだけで悲しくなるのに、同じフレームに並んだ姿を映し出されたら、つい親を逆恨みしてしまう。



 君鏡は、前から欲しかった本を三冊ほど買い、お菓子とパックのジュースを手に近場の公園へ入った。

 別に漫画の中身を見る訳じゃないけど、ベンチに座りビニールで閉じられたままの本を、裏表と返しながら鑑賞していた。


 暇を持て余す君鏡には、ゆっくりと時間を使うこれが有効な遊びなのだ。


 お菓子を頬張り、ストローでジュースを飲む、そして、帰宅してからのお楽しみに微笑む。

 周りでは子供と遊ぶ母親や、携帯電話をいじる者達が各所にいる。


 君鏡は家で食べるお菓子を避けながらも、予定よりも一つ多く袋を開けて、この暇潰しに(いそ)しんでいた。


 学校ではただの空気、こうして本を読み家で携帯ゲームをしている時だけが唯一自分の安らげる時間。

 (はた)から見たらなんてことのない時間を過ごし、家路に着く。

 そして買ったばかりの本を丁寧に開けていく。


 漫画本二冊と小説一冊。


 本当は小説を読むのは苦手だった君鏡だが、漫画本ではすぐに読み終えてしまって、それこそ憂鬱(ゆううつ)な時を過ごさなければならなくなる。だから、必ず一冊、最後に読めるように常備しておく。


 案の定、寝るまでに漫画は二冊とも読み終えてしまった。ゆっくりと、そしてたっぷりと時間をかけて読んだのにこの結果だ。

 君鏡は小説には手を付けず、漫画の余韻に浸りながら眠りについた。



 次の日、いつもの様な朝が来て、同じように学校へと出かける。

 行きたくないという思いが、いつも君鏡を駆け巡る。


 ここでの選択一つで、いつでも引きこもりになるであろう。


 そんな考え方もすべていつも通り。そして退屈な時間をどうにか小説で潰して、その日一日を乗り切った。ただ単に暇な訳ではない。誰とも口も利かない苦痛と、常に小馬鹿にされる空気の中で、細かな痛みを耐えての一日だ。

 教室を移動しても、体育の授業も、給食も全てがうんざり……。


「箱入さん。後で職員室に来てくれる?」

「あ、はい」

 帰りのホームルーム時に担任の先生からそう言われ、君鏡は連絡事項などの終了と同時に急いで向かった。


 帰宅部で、掃除当番でもなかった。

 元々、ほとんどの生徒は三年に上がると共に、受験が優先となり部活は出ない。高校生ならば、学校生活が最後など様々な理由などから、夏まで続ける者もいるが、中学では高校受験に失敗する訳にはいかないので、推薦を受ける生徒以外は、辞めたり休んだりする者が多い。



 職員室のドアをノックして「失礼します」と礼儀正しく振る舞う。推薦を受ける訳ではないが、後輩達よりもマナーを意識した様子で、すでに面接の練習といった雰囲気さえ感じられた。

 三年生にはよくある変化かもしれない。


「悪いわね、いきなり来てもらっちゃって。実はこれなんだけど――」

 担任の先生はそういうと、大きな茶封筒を君鏡に手渡してきた。

「それをね、(とこ)(なみ)君って子のお家へ届けて欲しいのよ。確か箱入さんは梅屋敷駅の近くだったわよね? その子もそうなの。でね――」

 長々と先生の説明が続いた。


 小学校時にはよくあることだが、中学校にもなると余程の理由がない限りあまりないお使いだ。しかし、中学三年というこの時期特有の連絡事項。


 受験や中学最後の修学旅行などなど、一、二年と違い相当重みのある内容。


「床並君って誰ですか?」

「そうね~、私もよくは知らないの。中学に入学してから一度も普通には来てないらしくて。校長先生には話が通っているみたい。何でも、時間を選んで図書室で勉強しているとか、いわゆる保健室登校みたいな状態なのかしら。今の所、形だけは登校していることにはなっているみたい」

 要するに、不登校児。


 先生が聞いている話では、小学五年生の頃からずっとそうだとか。


「分かりました。一応届けてみます」

「悪いわね。もし、居ないようならポストに。それも無理だったら、明日先生の所に持って来てくれるかな。その時は日を改めて私が持って行くわ」


 君鏡は大きめの茶封筒を脇に抱えながら校門を出た。

 学校帰りにそのまま寄ろうかとも思ったが、探すのに手間取ったり何かで時間が掛かるかもと思い直し、一度家に帰ってからにしようと決めた。


 学校から自分の家までは、歩いて十五分ちょっと。鞄を置き着替えを済ますと、先生に渡された封筒を持ち、住所の書かれた紙を見ながら家探しを始めた。


「えっと、駅のこっちかなぁ」

 君鏡の家から二分と少しの距離。

 商店街を(また)いでいるから、小学校の学区域は別だが、今時は選択が自由にできるから、下手をすれば同じ小学校でも全然おかしくなかった、といった位置にある。


「あった、ここだぁ。大きい家ぇ」

 高さは三階建てだが、一軒家としては横に長く二軒分はある。

 鳥居の様な朱色した門から庭を覗く。そして門横にあるインターホンを押す。



「はい。とこなみでしゅン、だれンぱ?」

 幼い女の子の可愛らしい声が聞こえてきた。


「あのぅ、箱入といいますが、床並君いますか?」

(あに)ンパ? ん~とね、ン~とね~、いないよ」

「そう、ですか。えっと、床並君に渡して欲しい大切な書類があるんだけど、どうしよう、それじゃ、ポストに入れておくから……あとで……」

 君鏡が話すインターホンの向こうで、別の声が聞こえてきた。


寧結(ねゆ)。おまえ誰と話してるんだ? 駄目だろ勝手にでちゃ、お兄ちゃんが――」

 小さな妹を心配するようなお説教が微かに届く。


「あの、どちら様ですか?」突然、声が君鏡に問いかける。

「あ、その、私、箱入っていいます。学校から書類を持って行くように頼まれて、それで届けに来たンです」緊張でしどろもどろの君鏡。

 すると「ちょっと待ってて」という声とダダダッと走る足音がした。十秒ほどの間隔のあと玄関のドアが開き、履きかけの靴を地面に打ちつけながら、交互にケンケンして君鏡へと走り寄ってきた。


「なんかごめん。迷惑じゃなかった? こんなこと初めてで……その」

 急いで出て来た少年の姿や顔を見た君鏡は、息もつけない程に驚いていた。

 それは、君鏡が想像していた引きこもりとは、まるで違う笑顔があったからだ。


 君鏡が呆然としていると、玄関の方から幼い声がする。

(あに)ぃ。(とり)ぃ」

「いけね。やりっぱなしだった。あ、あのさ、ちょっと、玄関まで来てもらってもいい? 暇とかありますか?」

 焦る少年に、君鏡は小さな声で「はい」と答えた。


 少年は門を開け、君鏡を庭中へと招き入れると、すぐさま門に鍵をかけて、玄関へと走って行った。君鏡もその後に付いていく。


 玄関へ着くと幼い女の子が「早くぅ早くぅ」と少年を急かしている。

「悪いンだけど、玄関閉めて付いて来てくれる?」

 君鏡は言われるままに頷き、後に続く。


 キョロキョロと通路を見る少年の背中を追う。

 君鏡の後ろには、幼い女の子が隠れるようにしている。

 少年が廊下の途中で「おいでペルソナ」と声をかけた。すると何かが音を立てて少年へと飛んでくる。

 君鏡の後ろで、女の子は怖がっていた。


 少年の肩に乗るそれは、いわゆる小鳥。真っ黒な顔と頭、首から胸にかけては灰色の襟巻の様で、それ以外は全身綺麗なブルー色をしている。

 鳥の種類はブルーボタンインコ。


 少年は肩に乗った小鳥を指で撫でながら「急いで片付けるからな」と階段を上がり、三階にある部屋に入る。君鏡は少年が入っていった部屋の前で立ち止まった。

 開け放たれたドア前からそっと中の様子を覗く。中には、大きなゴミ袋が、口を開いた状態で敷いてあり、その上に可愛らしい鳥かごが掃除されてあった。


 少年は、手際よく片付け、カゴを退かすとゴミ袋の口をキュッと結び部屋の隅へと置いた。小鳥を撫でながら綺麗になったカゴへとしまうと「あ、どうぞ入って」と君鏡を部屋へ招き入れた。


「今、カゴとか色々と掃除してて……。あっ、えっと、その」

 急に少年が照れ始めた。君鏡もそれに気づいて目を伏せる。

 部屋に入ってすぐの位置に立ちすくんだまま、数秒の沈黙が流れた。


「あっ、どうぞ座って。今、何か飲み物でも持ってくるから」

 君鏡が遠慮して手を振るが、少年は勢いよく部屋を飛び出していった。

「お姉ちゃんココ座って」小さな子がソファーを指さす。

 君鏡は戸惑いながらも言われる通りに座る。

 と、すぐに「ちょっと来て」と手招く。座ったばかりだが、すぐに立ち上がり、女の子の横へと並んだ。


「見てコレ。ねぇ~、綺麗でしょ? お魚なの」

 目の前には、九十センチの大きな水槽があり、中には、綺麗な色の熱帯魚が一匹だけ泳いでいた。水槽内は何の飾りもなく、ただ澄んだ水だけが入っている。


 君鏡が覗くと中の魚が顔へと近づいてきた。それも明らかに。

 顔の位置をずらすと、その分横へと付いてくる。とそこに。

「あ、それ、フラワーホーンっていう熱帯魚なんだ。慣れてるでしょ?」

 お盆にコップとお菓子の袋を乗せ、少年が戻ってきた。


「これ、本当に私を見て、付いて来てるの?」

 君鏡は思わず驚きや疑問が口についてしまった。自分でもつい口走ったことにビックリしている。

「そうだよ。ちょっと待ってね、それじゃ~懐いてるか見せてあげるよ」

 少年はそういうと、水槽横にあるティッシュ箱の様なそこから薄いビニール手袋を取り出し、片手にはめて、そのまま水槽の中へと突っ込んだ。


 手を入れた途端、綺麗なその魚が手にじゃれつき甘える。

 少年は、魚の頭部のコブをヨシヨシと撫でてみせた。更に、ピンポン玉を入れて遊ばせたりもした。


「ウソみたい。魚ってこんな風に慣れるの?」君鏡が唖然とする。

「ん~、種類によるけど。俺が知ってる限りでは、手を入れて遊べるのはフラワーホーンとティラピアブティコフェリーかな。あとはどうかなぁ、慣れるには慣れるけど、どうだろ? フラミンゴシクリットとかテキサスシクリットは攻撃してくるかも。それと~」

 君鏡にはまったく分からない魚名が、次々と飛び出してきて、内容が頭に入ってこない。


「あ、そうだ、ちょっと待って――」

 少年はそういうと本棚から魚図鑑を持ってきた。分厚くて高級そうな本だ。その本をペラペラとめくり、君鏡に今言った魚を見せていく。

 君鏡は綺麗な色の魚の写真を食い入るように見る。今さっき見た、魚と遊ぶ仕草を重ねて、他にも慣れる魚がいるのねと興味津々であった。

 と、横から、幼い女の子の頭が割り込んで来て、少年も君鏡も幼い後頭部しか見えない。その状況に少年は声を上げて笑う。それにつられてか君鏡もクスッと吹きだした。



「まぁ、個体差によって、慣れたり慣れなかったり、時にはへそ曲げて攻撃的になっちゃうコもいるんだけどね。そこら辺は鳥も一緒だよ」

 ビニール手袋を外しながら何気ない会話が続く。

 普段は手袋なしで直接魚を触ることもあるんだと説明しながら、運んできたお盆からジュースを配っていく。


「あ、ありがとう」君鏡はコップを受け取ると膝横へ置いた。

 十秒の沈黙が、また少年と君鏡を緊張させ、そして照れさせた。すると少年は、またも本棚へと向かい、今度は鳥の図鑑を持ってきた。


「俺、本当は、このネズミガシラって鳥かコガネメキシコっていう鳥が欲しかったんだよね。だけど、金額もかかるし、色々世話が大変らしくて。それでも悩んだンだけど、それで、少し感じが似ていて小型のブルーボタンインコにしたンだ。小桜インコも凄く可愛くて悩んだンだけど、結局――」

 嬉しそうに話す少年。その笑顔と図鑑を交互に見る君鏡。


「なんか俺ばっかり話ちゃって、こういう話って、女の子は嫌いだよね?」

 少年の言葉に「そんなことないよ」と慣れない笑顔で返す。

 また数秒の沈黙。別に普通の間隔だが、すぐに緊張が走る。それもそのはずで、まだお互いの名前さえ、きちんと認識していない間柄。

 その状況のまま、お互いの自己紹介をするまでに更に三分もかかった。


「俺、床並(とこなみ)(えにし)

「私は、箱入君鏡っていいます」

「ネユはね、寧結っていうの。(あに)ンパと二人で暮らしてるんだよ」

 寧結の言葉に君鏡がビックリして、思わず「えっ? 二人きりで?」と問い返してしまった。その言葉に縁がゆっくりと頷く。


「色々とあって、二人で暮らしてる。まぁそれで、なかなか学校にも行けなくて、今回、箱入さんに迷惑かけちゃったというか、厄介になっちゃったというか」

 君鏡は縁の言葉に全然迷惑じゃないですとジェスチャーを交えて答える。


 家庭環境を詮索(せんさく)したりするのは良くないと、君鏡はそれ以上触れないようにしていたが、沈黙と緊張と成り行きから、やはりその話になってしまった。


「どこにでもあるような話なんだけどね」

 縁はそういって、話しても差し支えないようなことだけを話していく。


 その内容は。仕事で家庭を(かえり)みない父親に嫌気がさして、母親が不倫して出ていったというありがちな話であった。

 今時というより、もう随分と前から世の中はそういったレベルで平然と離婚するケースが増えている。実際、離婚が恥ずかしいという感覚さえ薄らいでいる。

 そういう風潮が、より拍車をかけているのに。


 話は軽い感じで終わった。そしてなんてことのない雑談に移り、お菓子と飲み物を口にしながら、水槽や鳥かごを覗く。寧結も無邪気にはしゃいでいた。



 この広い家に、縁と寧結の二人暮らし……。




 縁が小学五年生の時、両親が離婚した。その前からずっと、ケンカや不協和音は続いていて、どのみち流れ着く結果だった。


 縁にとって、母親との楽しい思い出はない。母の味も知らない。

 小学五年生と言えば十歳から十一歳の間、そこまで暮らしてきても思い出がないのは、つまりはそういう母親だったのだ。


 離婚にあたって色々な話を聞かされ、そうなる理由や先々のことも話された。

 しかし縁は、色々なことを聞いてなお、父親に付いていくと決めたのだ。

 もちろん、浮気して男と出ていく母親に、十歳ちょっとの男の子と二歳弱の女の子が付いていってもロクなことがない。逆に環境が悪化するに決まっている。


 だが、話し合いでは、仕事で子供を構わない父親の方が遥かにダメだという会話ばかりだった。それが世の正論。

 とって付けた言い訳で、母親や女性は正当化されていく。これが男性側の浮気ならば、間違いなくそうはならない。



 縁は惑うことなく、十歳にして母親を切り捨てた。

 どれだけ周りに全ての原因が父親にあると言われても、子供は母親と居るべきと説得されても、縁の意志は一ミリも揺らぐことはなかった。


 産んでくれた母親には、充分感謝していて、そのことを考慮して、子供ながらに一切の恨みは持たないと自らに誓った。その代わり、母親とは完全に絶縁すると、そう自らの意志を告げて別れた。


 誰にも心の奥は見せていないが、縁にははっきりとした想いがあった。

 色々な理由を聞いて、言い訳を聞いてそれでもそう感じていた。


 親の言い訳も世間の意見ももちろん違う。離れても親は親だとか、子供と親が縁を切るなどあり得ないしおかしいというのが、一般的な答えであり道徳。

 けれど縁は、それまでの生活の中できちんと感じていたのだ。

 この母親は自己中だと。


 夫が忙しくて寂しいから不倫……挙げ句に離婚。

 縁にとって、それが家族を裏切り壊しても良い理由にならないと。


 当時、母親の身勝手な生活で、すでに寂しかった。そして離婚した後のツケで、自分や寧結の生活の寂しさに、痛みが足された。つまり、母親のエゴで強制的に、母親の分まで苦痛を被せられ、何もかも上乗せされたというだけ。


 両親が離婚してからずっと、縁は寧結の面倒をみて、寂しい思いをさせないように努力をしている。多くのハンデを背負いながらも、母親がしていた生活ぶりよりも遥かにきちんとこなしていた。

 お惣菜を買ってきて済ますようなこともなく、ましてコンビニの弁当やジャンクフードが主食などけしてない。


 当初、小学生だった縁だが、それでも寧結を、妹を守ってあげようと誓った。

 そんな縁にとって、理由をこじ付けて裏切った母親を、寧結を犠牲にして自己を優先した母親を、ことあるごとに口論して離婚したことを、まるで一理ある権利だったと認めるなどできない。

 恨みはしないが、黒いモノを白にはさせない。それが縁なりの答えだった。


 不貞行為は夫婦間の問題ではなく、子供も裏切る行為だ。

 そして浮気相手もまた、相手に子供がいるのを承知で一線を越えたのなら……、そういう人間ということだ。


 縁も寧結も、そんな大人達の哀れな性欲の被害を受けたが、それでも与えられた現実の中で必死に歩く。

 そんなことさえも分からず、母親と浮気相手は愛を囁き、何かを語り合って盛り上がる……、既に母親でも男でもない二人なのに。ただのクズなのに。



 離婚してから、母親が何度か縁に接触してきたことがある。

 男とうまくいかなかったのか、それとも別な理由でか。とにかく、自分に不幸や退屈が訪れたからというのは間違いない。ただ感情を埋め合わせたいのだろう。

 幸せの最中に子供や他人を思いやる心はない。それが自己中であり、浮気をしたという事実がものがたっている。


 色々なことを踏み止まれる者と、一線を越える者とはそれぐらいの差がある。

 後付けの理由ほど醜い物はない。それでも世の中や離婚した両親は、大人ぶってくだらない屁理屈や都合のよい幸福論を、子供の幸せだと唱える。

 もちろんこれは、あくまで縁が感じた思いであり、一般世間とかけ離れた思想。善悪の話というより、縁の選んだ航路。

 だから、同じような環境の者が別の考え方で暮らしていても、それはそれとしてアリだ。と同じように、縁の想いもアリだし譲れない。



 母親がどれほどの危険を犯して、命を懸けて子を産むかを考えれば、確かに大抵のことは水に流せる。そのことへの敬意と感謝を最大限考慮して、縁なりに、絶対恨まないとそう決めたのだ。


 ただ、命を懸けた別の母親達の中には『子供が、母親が命を懸けたからどうのなんて思わなくていいのよ』と、恩着せがましい世間論を一刀両断し「そういうことと浮気や離婚の結果は、子供に関係ないでしょ」と、本物の母性と大人の威厳で、傷ついた子供達を包み癒してくれる人も、(まれ)にいる。


 様々な理由やケースが世の中には溢れているが、縁と寧結の二人が巻き込まれた家庭崩壊は、簡単に言えばこういった経緯であった。

 そして、縁の取った絶縁を分かり易く言えば、離婚して家庭を壊すのなら、そこに絶縁という重い事柄や罪を持って行動しろという縁の意思表示。

 そして自覚しろと! わがままで子供を捨てたと。

 家族を壊す行為として、夫婦喧嘩を繰り返していたと。



 色々な理由を聞いて、そして実際に見て、直に体験して縁はそう思った。

 どんな言い分も間違っていたと。

 喧嘩や不仲を回避する努力も、家族を繋ぎとめる強い意志はそこにはなかった。在ったのは自己主張だけ。

 生活の中で、その経緯や流れを見れば、小さな子供にも直ぐに分かる。

 両親が離婚を、家族の重みを、どれくらいと捉えていたか……。家族や子供との繋がりをどれほど軽んじているかが。




 君鏡は、何をどうやって家路に着いたかも分からない感じで、自分のベッドに寝転んでいた。そして、床並家の景色や話したことを思い返していた。

 縁の顔を思いだし、胸の真ん中がキュンとなるのに気付く。

 そして寧結の言葉遣いの話などを思い出して、ニンマリとしていた。


『寧結は最近、何にでもンパを付けて言うンだよ。少し前までは違う言葉だったけど、二週間くらい前から幼稚園で流行っているらしくて。女の子ってそういう言葉遊び上手でしょ。お出かけ行くンパとか食べるンパとか眠いンパとか(あに)ンパとか。おかげで俺までつられて、そのしゃべり方やめるンパって――』

 君鏡はクスクスと笑いながら丸くなる。


 いつもと変わらないはずの日常が、何年かぶりに笑えた。

 いつも一人で本読んで、ゲームや映画見て物思いに()けて、何もかもを独りきりで過ごしていた。それも長い間……。


 縁もまた、妹の寧結は常に居るものの、相当な孤独感を味わっていて、君鏡とのささやかな会話を、心から楽しいとそう感じていた。


 眠る前には必ず漫画を手に取る君鏡、この日、そうすることなく床並家であった出来事だけを思い返しながら眠りに落ちていった。





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