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白の少女、黒の夢  作者: 浜能来
プロローグ
2/10

プロローグ 後

 斬り捨てれば斬り捨てるだけ、つまりは進めば進むだけ、狭霧の危機感は強まった。

 未だちぎって投げられる黒魔は後を絶たず、むしろ向こうから狭霧に近づいてさえいる。人間の血液と何ら変わらない黒魔の血。狭霧にとっては鼻腔にこびりついた、忌まわしい鉄臭さが強くなっていく。


「くそっ……!」


 吐き捨てるような舌打ち。斬りつけた狭霧のナイフは、しかし黒魔の肌に弾かれる。鋼鉄にも並ぶ黒魔の肌を数十と裂き続けたナイフは、がたがたに刃こぼれしていた。

 後背から迫る黒魔の眼球にそれを突き立てて、腿から次のナイフを抜こうとして、さらに一つ舌打ちする。彼に残されていたのは、腰のホルスターに収まった拳銃が一丁のみ。

 ホルスターへ伸びた手は半瞬、ぴたりと止まり。彼を取り囲む黒魔はそれを許さない。

 銃声。

 零距離で放たれた銃弾が胸をうがち、長く続いた死体の列に新たな一体が加わる。

 狭霧の手に光るのは銀の拳銃。飾り気なく素っ気なく、ただSAGIRIとだけ刻まれた銃身に曇りの一つもありはしない。彼の動かない表情に一筋の曇りが、あるいは痛みが走っただけだ。

 だというのに、狭霧の動きは洗練を増す。狙いを定めずとも銃弾は吸い込まれるように命中する。拳銃ごときでは零距離でないと胸を打ち抜けないにもかかわらず。滑るように懐に潜り込み、加速度的に死体を増産する。その戦い様を、十人に見せれば一人はこう感じるかもしれない。


 逃げたがっているのではないか、と。


 一体、また一体。倒れた黒魔を道と変え、狭霧は前進していく。

 二体、また三体。黒魔を退けて道を拓き、暴威が狭霧に近づいてくる。

 そして当然の帰結として、彼らは会いまみえた。どさりと倒れた黒の先、狭霧の視界に踊る白。


 それは、少女と呼ぶにはあまりにも醜悪だった。一見人のようであって、けれども一糸纏わぬ肢体は返り血に赤く染まり、その隙間からのぞく肌は漆黒にぬらめいた。小さな背中からは一対の腕が伸び、そのあまりに悪魔的な腕も合わせて、そのあまりにも黒魔こくまに近い腕を合わせて、彼女には四本の腕があった。

 それは、黒魔と呼ぶにはあまりにも可憐だった。一見黒魔のようであって、けれども体躯は十三か十四の少女のように小さく、華奢だった。触れれば壊れてしまいそうなほどで、なにより、その体にはしっかりと頭部があった。赤く濡れたその短い髪は、降り積もった雪を連想させる白さでもって目を惹きつける。

 その白さは他の赤や黒の中で、際立って美しく。


 だというのに、彼が目を奪われたのはそこではない。


すず……?」


 それは間の抜けた声だった。憑き物が落ちたと言った方が正確だったかもわからない。中年の彼にしては、若さの垣間見える呆けた表情をして、少女の顔の上で視線を滑らせた。

 対する彼女は何も反応を返さず。幽鬼のようにふらりと立った彼女は、本当に戦場にいるのかと思うほどで。金の双眸でもって、無関心を狭霧に投げつけている。

 永遠に続くかに思えた二人の視線の交錯は、黒魔によって一瞬で終わりを迎えた。

 二人の間に割り込むように入り込んだ黒魔が狭霧に蹴り飛ばされ、よろめいた先で少女の背から生えた剛腕に叩き潰される。文字通り、叩き潰される。

 一方的な、それは虐殺だった。

 人と黒魔とを識別しているのか、はたまた黒魔の対応に追われる狭霧に興味がないのか。少女は押し寄せる黒魔にのみ標的を絞っていた。

 その戦いに理性はなく、大ぶりの腕が二、三匹分まとめて胸をえぐり取る。ほっそりとした腕が槍となって黒魔を貫き、手が塞がれば獣のように歯牙を立て、喰い破った。


 ――あれは、何だ。


 今や残弾も心もとない。そんな状況でありながら、狭霧の脳内を占めていたのはその疑問だった。

 鈴とは、狭霧の娘の名。彼が最も愛した妻との、最も愛した娘。公的には死亡した、消息不明の娘。彼がこの国で一人、待ち続ける娘。

 しかし、彼の娘はあんな白い髪ではなかった。あんな黒い肌をしていなかった。あんなに冷たい金色の瞳ではなかった。


 紙一重。

 黒魔の突きをいなし、勢いそのまま背後の黒魔の胸にいざない、同士討ちさせる。


 とはいっても。とはいっても、あの顔は紛れもなく、鈴だった。小さな顔で、ちょこんとした小さな鼻で、将来の楽しみなあの可愛らしさを、狭霧が見間違えるはずがなかった。


 数十回目にもなる銃声が響く。取り出した弾倉は最後の一つ。


 だけれどやはり、アレは鈴ではない。あってはいけない。

 何故って、狭霧の知る鈴は、あんなどちらが悪魔かわからないような戦いをするような子ではなかった。そもそも戦うような子ではなく。彼がぬくぬくと育てた、殺伐を知らぬ優しい子だったはずで。


 結論が出ないうちに、二人を襲う最後の黒魔の身体が横一文字に裂けた。少女が黒魔の胴に開いた大口に両手を突っ込んで、引き裂いたのだ。

 噴水か何かのように噴き出す赤が周囲を染める。黒い死体をどろり滑り落ちるその様は地獄のようであって。その中心に立つ少女は自分の腕を伝う血液をうっとりと眺め、そして。


 べろり。


 肘から手首、掌から指先。もったいないとでも言わんばかりに、喉を鳴らして、血を舐め取った。


「くそったれぇっ!」


 気づいた時には狭霧の身体は動いていた。

 驀進ばくしん

 血を蹴る音すら置き去りの突進だった。

 少女は煩わしそうに腕を薙ぎ、狭霧はその鈍く風を切る剛腕を頭上に感じながら懐に潜り込んだ。

 発砲、しかし銃口を逸らされる。今度は少女の華奢な手刀が狭霧の首筋へ。喉に赤く筋を引かれながら、しかし回避する。


「――っ!」


 声にならない吐息が漏れる。狭霧の心を伝う冷や汗の代弁。

 気を抜くことは許されない。少女はのけぞった狭霧を追撃する。

 背の双腕を槌のように組み合わせ、振り下ろした。大地までもを大きく揺らし、土煙が舞い起こる。

 一瞬のうちに辺りを包み、地面に走った亀裂すら覆い隠す。人力をはるか凌駕する一撃。


 だが、少女の顔には戸惑いがあった。


 突如、土煙の中を影が走る。少女の背後を取るように回り込む。


「取ったぞ……!」


 少女が振り返る時間などありはしなかった。

 彼女の背中を衝撃が襲い、うつ伏せに倒れる。不意のことに大の字に倒れた彼女の四つ腕を、狭霧は足を絡ませて拘束し、馬乗りになった。その背中に這える二本の腕の間に銃を突き立てれば、後は引き金を引くだけで全てが終わる。

 しかし、彼にはそれができなかった。突き付けるものの、引き金を引く指に力が入らない。彼の目は再び、こちらを見上げる少女の横顔にとらわれていた。


「何だって、そんなに似ているんだ」


 愚痴のように口から滑り出た言葉は、本当に彼女に向けたものであったのか。

 少女にとってそれは関係ないようで、変わらぬ無関心の金瞳でもって、彼を見返すばかり。彼女は自らを殺そうとする存在に対しても、興味を抱かぬらしかった。

 狭霧はそんな視線に目を泳がせ、泳がせに泳がせて自分の持つ銃へと行きついた。

 そこには変わらずにあった。血に汚れた赤銀の中でなお、イタリックの洒落た字体で刻まれた自分の名前が、家族の姓が、娘の姓が。

 彼の中の怒りが急速にしぼむようだった。実際、彼の身体は一回り小さくなったのかもしれない。

 もう彼に組み伏せられた少女に、獣性は残っていなかった。人形か何かのように、おとなしく。おそらく、どうあがいても無駄だと判断したのだろう。

 狭霧はカチャカチャと何かが鳴っているのに気付いた。彼の銃だった。

 唇を噛む狭霧は心の中で唱える。死ぬわけにはいかないと。この明らかに黒魔より危険な存在を排除するなら今だと。

 そのたびに、心の底で叫ぶ何かがあったのだ。また、お前は殺すのかと。


「隊長!」


 狭霧の思考を裂いたのは、カルロの息も切れ切れな声だった。ジャックやノリスのいかれた笑い声も近づいていることに、ようやく彼は気付いたのだ。咄嗟、彼は銃をホルスターへと納め彼へ顔を向けた。

 カルロは明らかに異様な惨状に小さな悲鳴をあげながら、恐る恐ると近づいてくる。そして狭霧が組み伏せている黒魔らしき生物が首を回して彼を見ると、いよいよ大きな悲鳴を上げた。


「隊長、何やってんですか! そいつ、そいつ? まだ生きてますよ!」

「……あぁ、そうだな」

「そ、そうだなって! 撃ちますよ! 撃っていいですよね!?」


 カルロの怯えっぷりは普通の黒魔に対する以上のものだった。狭霧はそれを見て自嘲気味に一つ笑うと、少女の首筋に当て身をかける。狭霧にとっても効くかどうかの確証はなかったが、彼女の首はかくりと落ち、彼の足にわずかに伝わっていた腕力も消え失せた。


「あの、隊長?」

「なんだ、どうした」

「ど、どうするおつもりで……?」


 カルロが震える声で尋ねる。尋ねるという言葉は相応しくない、それは事実確認だった。黒魔は人類に対する害悪の結晶、即ち殺すべし。カルロは目の前で、その常識が打ち破られるさまを見ようとしていた。

 だからこそ、狭霧も一つ、詭弁を弄した。


「もちろん、連れて帰る。いや、持ち帰る」

「持ち帰る?」


 黒魔を生きたまま持ち帰るなど、彼らの仕事ではない。見つかれば危険思想の持ち主として処罰される。

 だから彼女をこう呼ばねばならない。そも、戦いの末に組み伏せた彼女はこう呼ぶにふさわしい。


「戦利品だ。戦闘にはつきものだろう」

「隊長、本気で言ってるんですか……」


 後に狭霧がポテトヘッズに「相変わらず隊長は洒落のセンスがねぇですな」と言われるくらい。その言い訳は、子供じみていた。

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