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No.16 つゆひめおに―桃太郎異説―

「敵襲ー! 鬼が現れたぞー!!」

 怒声と悲鳴と血飛沫と。水無月の小雨の最中、ある貴族の屋敷で起こった惨劇は雨音を掻き消す。

「露姫様、早くお逃げくださいませ!」

「あなたたちだけで逃げなさい。わたくしはここに残ります」

「しかし!」

「いいから行きなさい。自分の命を優先するのです」

 侍女にそう命じ、露姫と呼ばれた若い女は、一室で焼ける天井を見上げていた。鬼が強襲してきたにも関わらず、無表情に茣蓙に座っている。

 梃でも動こうとしないその様子に、侍女たちは互いに見つめ合った後、ついに逃げ出してしまう。

 姫はそれを目で追う事もしない。炎が迫ってくる中、暫く座り込んでいると、部屋の戸が刀で一閃に割れた。

 黒焦げの天井が重心を失い、姫の目前でバラバラと降り注ぐ。雨の雫が彼女の頭にかかり始めた。だが、その視線はずっと前を向いたまま。

 そこに鬼が、いたのだ。若い鬼の顔には返り血がべっとりとついている。額にかかる紫の鉢巻が鬼のかしらであることを示していた。

 しとしとと降る雨と、それに溶けていく鮮血。

 寝殿の畳の上で、露姫は鬼を見た。思ったより、人間らしい顔つきだ。

 人間と違うところといえば、少しだけ尖がった歯と頭からちょこんと出ている一本の角くらいか。髪は黒い。白い肌に、翡翠色の目。その目元には若干皺が寄っている。

 もしかしたら、この鬼は憔悴しているのかもしれないと露姫は気付いた。細切れの呼吸と骨が浮き出た腕がそれを証明している。部屋から見える庭で家来を殺している仲間の鬼達も、遠目から見てやせ細っていた。

「……ここの家の娘か」

 意外と澄んだ声で鬼は露姫を見下ろす。

「ええ」

 ここで嘘をついても意味が無いので、頷く。

 目を逸らさずじっと睨んでくる姫に向かって、鬼が一歩踏み出す。

 遠くのほうで、誰かの断末魔の声が聞こえた。それでも姫は座ったまま、鬼が近づいてくるのを他人事のように見つめている。

 遂に一尺となった距離で鬼は止まる。

「私が怖くないのか」

「……わからないわ」

 水を含んで一層重くなった頭を鬼に向ける。

「わたくしを殺すのですか」

「今迷っている」

「なぜ?」

「今殺している奴らは歯向かってきているから殺している。だがお前は歯向かわない。だから迷っている」

 疲れた風に、鬼は刀を畳に突き刺した。迷っているとは言うが、その様子に殺そうとする素振りは無い。

 露姫が懇願するように鬼を見上げた。

「殺してくださいませ」

「何だと」

 思いも寄らぬ言葉に、鬼が驚く。

「親が死んだ今、ここで生き長らえてもどうせ近いうちに野たれ死ぬでしょう。それに元々、わたくしは死ぬつもりでした」

「死にたかったのか」

「はい。わたくしは親が大嫌いでした。わたくしを娘としてみていない。権力争いにおけるただの道具としか思っていませんでした」

 綺麗に着飾らせるのも、美味なるものを食べさせるのも、全ては殿方を惹きつける美しさを保たせるため。

 事実、数年ぶりに会いに来た父親との会話は「帝の側近と結婚させる」だけだった。会話にすらなっていない。

 ただ政略結婚の事実だけを告げ、娘の反応も見ずに立ち去って父親。そして、そんな父子に関心を示さず奥に篭り切ったままの母親。

 母親もきっと、今の自分のような境遇で結婚したのだろうと彼女は思う。父の出世のためだけの契り、母のように引き篭もり続け終わっていく人生。

「そんな一生が目に見えてました。だから、相手の殿方と結婚する前に自害しようと」

 露姫は懐から、短刀を取り出した。これで今夜にでも死のうと思っていたのだ。

 段々俯いていく彼女を目前に、一方の鬼は黙ったままその真っ黒な髪を見下ろす。雨の勢いは増していき、彼女の十二単は彼女の体を沈めさせるかのようにどんどん水を含んでいく。

「あなたが殺さないのなら、それでもいいですわ」

 重い体を起こし、短刀を自分の喉元に突きつける。目を閉じ、ぐっと手に力を入れた。だが、

「あなた、何を」

 それが喉を貫くことは無かった。姫は思わず見開いて、目の前の事実に驚く。鬼が彼女の腕を掴んだのだ。

「お前が言ったのだ。殺してくれと。だから自分で死ぬな」

 真っ直ぐな目で、憔悴しているはずなのに力強い口調でそう言う鬼の言葉に、露姫は刀を落とした。そしてその瞬間なぜか涙が溢れ出して止まらなくなる。

 先ほど死のうとした時でさえ流さなかった涙が、今は止まらない。まるで雨が、彼女の殺意を流すかのように。

 鬼は、その震える肩に、そっと手を添えた。




 一ヵ月後、露姫は鬼達が住む島で暮らしていた。

 自害を止めた鬼の頭領の屋敷で、妻のような存在として。だが夫婦ではない。夫婦に近く、またもっとも遠い関係だった。

 何せ、「殺すから死ぬな」と言った鬼との暮らしだ。夫婦になるわけがない。

 そのくせ、寡黙な頭領と物静かな姫という二人で絵に描いたような同居が出来ているのだから、他の鬼たちは「不思議なお二方だ」と口々に言っていた。

 ちなみに、露姫は予想外にそんな鬼達から受け入れられた。鬼達いわく、「あの頭領が共に暮らすのを許した人だから」だそうだ。

 頭領は口数の少なく、無愛想だが、仲間達からは慕われている。何も言わなくても、仲間思いで鬼達を束ねるに値する賢さを持っていることは周知だからだろう。

 鬼ヶ島に来た当初、そんな頭領から彼女は、自分の父親が島にある鉄山を狙っていたと聞いた。近々、兵士を使って攻め入る計画だったらしい。

 鬼ヶ島は食物は育ちにくい土地だが、鉄が豊富にある島だからだ。

 今まで何とか食いつないできた彼らだったが、そんな計画を実行されてはたまらない。ずっと血のにじむ思いで先祖代々鬼ヶ島を守ってきたのだ。何としてでも、この計画だけは食い止めなければならない。攻め入れられてからでは、女子供を守れない。

 だからやむを得ずやられる前にやる、急襲という暴挙に出たという。

 露姫は頭領の告白に憎悪など全く持たなかった。むしろ愛おしさを感じてしまった。先祖が守ってきた島のために人間を殺し、そんな事実に内心苦しんでいる彼に、だ。

 彼は皆々を人殺しに導いてしまったことに後悔の念を抱いている。その心が、彼女には愛おしくて堪らなかった。

 彼やその仲間達は、武器にはなっても食物にはならない鉄山を背景に、不毛な土地を耕す。彼女は夕方頃疲れきって帰って来る鬼達の体を、労わる様に濡れた手ぬぐいで拭く。 

「また痩せましたね」

「そうか」

 言葉少なに、背中全体についた汗や土を綺麗にふき取る。周りで他の鬼達も女に拭いてもらっている。鬼の中には勿論女もおり、怖がらず接してくる露姫に鬼の女たちは良くしてくれた。

 これは暮らしていて気付いたことなのだが、随分人間は鬼に対して偏見を持っている。

 今まで彼女は、鬼とは恐ろしく凶暴で強欲でその力を持って人間たちを虐げようとしている怪物だと聞かされていた。

 しかし、実際に会った鬼達は陽気な男達が多く、女も大らかだ。もしかしたら、人間達が姿形の違う鬼達を蔑み、勝手に恐ろしい想像をしているだけかもしれないと彼女は思う。

「奥方、今日は一段とお綺麗で」

 夫婦ではないと言っているのに、皆姫のことを奥方と呼ぶ。訂正してもきりがないので最近は頭領も彼女も好きなように呼ばせていた。

「ありがとう。でも美しさで生活は出来ないわ。あなたたちが流す汗のほうがわたくしは綺麗に見えます」

「いやいや、奥方の綺麗なお姿に疲れも吹っ飛ぶってもんです」

「美人じゃなくて悪かったねあんたたち」

 調子の良い鬼の背中を、伴侶の女がぺしっと叩き、辺りが笑いに包まれる。露姫も少しだけ頬を緩ませる。かつて感じたことのない穏やかな生活。

 彼女は一度、何故あの時自害を止めたのか聞いたことがある。すると鬼は「お前が殺してくれと言ったからだ」と答えた。

 その言葉は止められた時にも聞いたが、今度は幸福感を覚えた。父亡き今、世を儚んで死ぬ気は無い。しかしこの鬼に殺されるのは本望だからだ。

 鬼達の笑い顔を見ながら、そう彼女は強く感じる。


 その望みは一年後、永遠に叶うことは無くなってしまうのだが。









  



「敵襲ー! 女子供は家に隠れろ!!」

 小雨が降る薄暗い昼中。怒声が村中に響き渡る。

「私の名は桃太郎。民の暮らしを脅かすお前達を倒しに来た!」

 家来を引き連れ、若い男がそう叫び島にやってきたのだ。桃太郎は人間とは思えない力で次々と鬼達を斬っていく。家来も頭領の屋敷に火をつける。

 露姫は、屋敷の門前で攻防を繰り広げる頭領の元へ行こうとした。業火の中廊下を走る。と、向こうから彼の姿を見つけた。

「頭領さま!」

 珍しく声を上げ、彼の元へ駆け寄る。すると、力が抜けたように彼は彼女に向かって崩れ落ちた。そのまま二人で座り込む。抱き抱えたその背中に刺し傷を見つけ、露姫は致命傷だと気付く。

「死んではなりませぬ!」

「……すまない」

 かすれた声で呟き、彼はゆるゆると体を起こした。全身血まみれで、意識を保つのもやっとのようだ。赤く染まった手で、姫の目元に浮ぶ涙を掬う。

「殺してやる、はずだった、のに、な」

 途切れ途切れに紡ぐ言葉に、彼女は首を横に振る。

「いえ、まだ間に合います。今ここでわたくしは頭領さまと死にます」

 懐の短刀を取り出し、手渡す。その刀を見つめて、彼は呆れたように笑った。

「まだ持っていたのか」

「ええ、いつでも頭領さまがわたくしを殺せるように」

「――そうか」

 彼らは見詰め合う。その瞳にはお互いしか映っていない。

 そして、

「後からすぐ、私もいく」

 彼が短刀を姫に向かって振り翳した。

 嗚呼やっと。心の中で姫が呟く。その瞬間。 

「……頭領さま」

 呻き声と肉を貫く鈍い音がした。

 力を失った彼の体が彼女の側で沈んでいく。その前方から、血に染まった若い男が現れた。桃太郎だ。

 紅蓮の炎の中、鬼の亡骸を抱いて彼女は呆然と桃太郎を見上げた。いつかの、鬼と初めて出会った時の様に。

 そんな彼女をどう思ったのかはわからないが、桃太郎は笑いかけた。

「危ないところでしたね。人間を苦しめる悪い鬼は倒しましたよ。さあ、帰りましょう姫」

 この男が、頭領を殺し、自分が頭領に殺される機会を永遠に奪ったのだ。突然血が逆流するような感覚が押し寄せる。その自分の状態に露姫は戸惑う。だが、暫く黙った後。

「はい」

 彼女は頷いた。

 美しい姫に、彼は嬉しそうな顔をして手を差し出す。

 その手を取って露姫が立ち上がる。頭領の亡骸は、見ない。屋敷を出る途中で倒れていた鬼達にも見向きもしない。

「母上や父上から、ここの鬼達が人間を襲い金品を奪い姫を攫ったと聞きました。それで私はここに来て彼らを退治しようと決めたのです」

 爽やかな声で、見るからに好青年の男は言う。

 彼女は静かに「そうですか」と相槌を打つ。

 鬼ヶ島にあった鉄や金品を、家来に根こそぎ船に積み込ませ、桃太郎は露姫と船頭に立つ。

「貴女も久しぶりに故郷に帰れますね。辛い生活を耐えてきたのです。これからはきっと幸せになれますよ」

 そんな言葉を平然と言い放つ桃太郎の顔を、露姫はまじまじと見つめ返した。

 彼の顔が、よっぽど「鬼」のように見えたのだ。

 一年前あの鬼と出会った時には感じなかった、憎悪の種が心の中で芽を出すのを感じる。

 頭領が死んだと同時に起こった変化が、種をまいていたようだ。ぽつりぽつりと、だがしっかりと根は張っていく。

 鬼を奪われたことが、これほどまでに自分に激情を持たせるとは思わなかった。だが、自分の感情を彼女は素直に受け入れる。

 なぜなら、自分の幸福を奪った男を更に奪えば、全てを取り戻せる気がしたからだ。

 桃太郎に向かって、彼女が微笑みかける。


「はい。これからあなたさまと暮らせばもっとわたくしは幸せになるでしょう」



 露姫は、懐で短刀を密かに握り締めた。目の前の「鬼」の寝首を、いつか掻き切るであろうそれを。

 その殺意だけは、梅雨にも流せそうにない。




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