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新・南極物語  作者: 足立 和哉
10/11

10)祖父、柏崎宗次郎

 6月上旬のある蒸し暑い日に柏崎ミユは久しぶりに先祖代々の地である堀ケ野地区へ車を走らせていた。今にも雨が落ちてきそうな位、雲は厚く濃い灰色だった。トラックが1台ようやく通れる狭い林道が続く。右手は深い谷になっている。時折り車の待機場も設けられているが、前から車が来ないことを祈りながら、約30分間の林道を走り抜けた。深見川が刻んだ谷間の開けた場所だ。民家が点在しているのが見える。20軒ちかくが見えているが、実際に住んでいるのはミユの祖父の家も含めて6世帯しかない。あとの14軒は空き家になっている。留守宅が管理されている家もあるが、半数近くは程度の差はあるが朽ち果てようとしている。

 野菜畑で作業をしている老婆が二人、途中手を止めて車の中にいるミユを見て手を振る。ミユは車を下りて彼女らに軽く挨拶をして、徒歩で祖父のいる家へ向かった。

 途中、上空の雲を見つめた。彼が雲の上にいるはずだった。今日は以前約束していたミユの祖父から話を聞き出して、スペーシーに伝える日だった。 

 都会の人間から言うと古民家風というのだろう、かなり大きな造りの家の玄関の前に立つと、ミユは勝手に中に入って「おじいちゃん」と呼びかけた。


「ピクチアリ少尉、周辺に人はいないか?」

スペーシー少佐は自身も画面を見ながら担当少尉に聞いた。

「神社の近くは誰もいませんね。それにしても寂しい村ですね」

ピクチアリ少尉は何度も周辺をスキャンしたが小動物の影しか見えなかった。

「隊長、本当に降下するのですか?過疎の村だと言っても突然遭遇することもあるかもしれませんよ」

 いつもは口やかましいサウサント中尉は今回の行動が上からの命令による調査ということでスペーシーの行動に肯定的ではあったが、危険性だけは指摘した。

「そこは君たちがいち早くリスクを察知して、私を引き上げてくれればいいさ」

スペーシーは防護服とヘルメットを被って降下装置のある部屋に向かった。

 スペーシーは反重力装置を使った降下装置で徐々に船外を離れ雲に近づいて行った。視界の効かない雲を抜けると真下に古ぼけた神社の屋根と鳥居が見える。数百メートル離れた場所には柏崎ミユの自家用車が停めてある。そこから数メートルのところにある民家にミユがいる。二人の農夫が作業をしている様子が眼に入ったが、曇った空を背景にしてスペーシーの姿は丁度カモフラージュされているはずだ。

 スペーシーは鳥居の傍に降り立った。石造りの鳥居を見上げると「恵比寿神社」の文字がかろうじて見える。拝殿の前の両側には阿吽の表情をした狛犬が設置されているが、いずれも長年の風雨で摩耗して丸みを帯びたり、粒粒の石が浮き出したりしている。

「サウサント中尉」スペーシーは突然、飛行体のサウサントを呼び出した。

「君の知識の中で、神社にいる狛犬というのは、犬でいいのか?」

サウサントはこの隊の中で最も地表の知識に秀でていた。

「古くはエジプトやメソポタミアでライオンを神を守るために配置したのが起源と言われています。それがインドや中国に伝わり、やがて朝鮮を伝わって日本に入ってきた際に、犬と勘違いして現在にいたるとされています。ただライオンつまり獅子の形のもありますし、その他、キツネ、鹿、蛇、虎、猪、鳩なども神の使いの役割を担って飾られている神社もありますよ」

「いろいろあるようだね。基本的には犬か獅子というところか・・・」

「スペーシー少佐、何を考え込んでいるのですか?」

横からフォーレン軍曹の声が聞こえてきた。彼女は我が隊で唯一の女性隊員であり女医である。

「いや、目の前にある狛犬の様子がカンガルーに似ているんだ。腹の部分に袋らしきものが見えて、既に顔とは識別できないが小さい顔らしきものがそこから覗いている。今から画像を転送する」

 少しの沈黙があり、通信先の飛行体の中の驚きが伝わってくる。

「地質学が教えるところによれば2億年前にパンゲア大陸が分裂して、我々の南極大陸を含むゴンドワナ大陸と、この地、日本を含むローラシア大陸に大きく二分されました。それから4千万年後にゴンドワナ大陸で哺乳類は有袋類と有胎盤類に分かれたとされています。有袋類のカンガルーが古代日本の象徴としてあったというのは信じられません」最初に声を発したのは博学のサウサント中尉だった。

「でもこの数百年以内だったら、交通機関も発達しているのですから、何らかのカンガルー情報が日本にも伝えられた可能性はありますよね。狛犬の像自体、さほど古いものじゃないのでしょう。誰かが取り替えたのじゃないのかしら」フォーレン軍曹の声だ。

「この神社自体は建て替えはあっただろうが、少なくとも千数百年の時代を経ているようだ。最初は普通の狛犬が飾られていただろうが、そんな由緒正しい狛犬が、突然、新参のカンガルーにとって変わられた意味が分からないね」

 私は、この神社が建立された当初からカンガルーが神の使いとして飾られていたのではないかと思い始めている。

「これから神殿に入る」

私は部下たちにそう言って小さな拝殿からつながる短い渡り廊下の先にある神殿に向かった。古い木製の扉は閂で施錠されていたが、私はコンパクトな開錠装置をそっと当てて閂を外し、静かに扉を開けた。扉は思いの他、大きな音を立てヘルメット越しに私の耳に響いてきた。思わず後ろを振り返り人の気配を観察した。

「大丈夫ですよ。隊長。周囲には誰もいませんよ」サウサント中尉の声が聞こえてきた。

「ありがとう」私は思わず礼を言っていた。

 狭く薄暗い本殿にヘッドランプで当てると丁度正面に厨子が一基備え付けられているのが見えた。私は厨子に近づくと躊躇なくその両開きの扉を開けた。そこには石で形づくられた御神体が設置されていた。それは私がよく見慣れた女性の裸体像だ。その周囲には、やはり私が見慣れた小さな子供像が数個置いてあった。まるで親子を思わせる造形だ。

 私は早速、雲の上にいる部下たちに映像を送った。

「隊長。この女性像は」呆れたようなフォーレン軍曹の声が聞こえてきた。

 女性は平坦な胸、臍の無い腹部をもち、育児嚢からは顔を覗かせる胎児がいた。そして、周囲の子供たちは目を閉じて皆、臍の無い裸体で横たわっていたのだ。


  1年ぶりに我が家に顔を出した孫娘の柏崎ミユに柏崎宗次郎は顔をほころばしていた。今年90歳だが、少しもボケることもなく、足腰はそれなりに弱っていたが、普段生活する分には全く支障は無かった。

「都会の生活にもすっかり慣れたようだな」

 宗次郎はミユが入れてくれた熱い茶をすすりながら言った。

「T県の片隅の市なんだから、都会じゃないわよ」ミユは慌てて否定する。宗次郎にとっては堀ケ野地区以外はすべて都会に思えるのだった。

「ねえ、おじいちゃん。内に何か祖先のことで言い伝えなんて無いのかしら」

  ミユが無邪気な顔をして宗次郎に尋ねる。宗次郎は一瞬顔を曇らせた。孫の質問の真意がはかりかねたのだ。

「たとえば、村はずれにある恵比寿神社のヒルコの儀式って昔あったけど、あれって何の儀式だったの?私も幼くてあまり覚えていなくて」

 宗次郎はミユの父の光次郎には先祖からの言い伝えをすでに伝えていた。本来、家を受け継ぐ男子だけに伝えてきた内容だった。恐らくミユの兄の謙次郎には父光次郎がすでに伝えているだろう。

 今年、90歳になる宗次郎も若い頃に父親の萬次郎から聞いて、あまりに荒唐無稽な話で信じられないでいたが、ミユが丁度10歳の頃、今から14年前に村の身重になった従兄の孫娘が出産した子供が言い伝えの子供だったことから、この村に負わされた宿命を信じる気になったのだ。

「おじいちゃん。何かあるのね」思案深くしている宗次郎を見てミユは言った。

「私、なんとなく昔から、うちには何か曰く因縁があるのじゃないかって思っていたの。そして、つい最近、不思議な体験をしたのよ。誰も信じてくれないけど、これは本当のことなの」

 ミユは宗次郎の眼をじっと見つめた。



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