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〈エルダー・テイル〉におけるサブ職業とは、主に戦闘に関連した能力を得られるメイン職業とは別に、〈冒険者〉一人につき一つだけ選んで就くことができるものだ。
その性能は、香り付け程度のものであり、戦闘を楽しむ上ではあまり役に立つとは考えられていなかった。 だが、それも最初の頃だけで世界十三サーバーの各管理会社がそれぞれに独自のサブ職業を追加していった結果、様々なサブ職業が誕生した。
その中でも、スズシロが選択して就いている〈見習い徒弟〉は、一際特殊なサブ職業だ。
レベル上限は他職の半分までしかなく、経験値の取得効率は高いためカンストに至るのが早い。
多くの上級職に転職する際、この職業のレベルをある程度引き継ぐことができる。
そして師匠を設定することで、師匠のサブ職が取得できる特技を(低レベルのものに限るが)同じように取得することができる。
本来は、弟子としてのRPをするためのサブ職業として作られたものだったのだが、上記の特性により、自分に合うサブ職業が決まるまでの腰掛けとして、或いは初期の育成難易度が高いサブ職業への繋ぎとして選択する職業として〈冒険者〉に認識されることになったのだ。
一方で、スズシロのように色々なキャラクターを演じて楽しむタイプのユーザーにとって便利だったのは、弟子入りすることで様々な職業の低レベル特技を摘み食いできるというお手軽さだ。
〈見習い徒弟〉の職に就いた時に一人、以降は一五レベル上がる毎に一人ずつ、師匠を設定できる枠は増えていくため、ゲーム時代の上限となる四五レベルでは四人の師匠を持つことができた。
例えば〈占い師〉〈踊り子〉〈遊牧民〉の組み合わせでジプシークイーンを気取ったり、〈軽業師〉〈調教師〉〈ちんどん屋〉で一人サーカスを演じてみたり、〈決闘者〉〈符術師〉〈ルーンナイト〉でカードファイターを名乗ってみたり、〈生還者〉〈復讐者〉〈傭兵〉という具合に炎の匂い染み付いて咽せてみたり。
カンストまで育てることが容易なので、飽きれば転職しなおす事で師弟関係をリセットし、別の組み合わせを試すこともできる。
そうやって、鈴代はスズシロに様々なキャラクター性を貼り付けては演じていたのだ。
そんな彼女のプレイスタイルに変化が起きたのは〈エルダー・テイル〉十一番目の拡張パック〈美姫の紅玉酒〉からだった。
スラムに住む少女が、お忍びで街に出たかった姫君と入れ替わって偽者の姫を演じ、姫君の代わりに暗殺者の刃に倒れるという最期。
鈴代は、彼女の人生に憧れたのだ。
「鈴代という名前は、鈴名に何かあったとき身代わりになれるよう、そう思うてつけました」
彼女たちの名付け親であり、実家を半世紀もの間支配してきた厳格な祖母は、かつてそう語った。
鈴代の母親の身篭っている子が女児だと判った時、祖母は「鈴名」という名前を用意した。
しかし、その子の誕生する前、半年遅れて鈴代の伯母も女児を身篭ったと知れた時、祖母はその名を彼女ではなく、彼女の従妹に与えることにしたのだ。
此の世に生を受けたという、たったそれだけで鈴代からすべてを奪って行った鈴名のことを恨むことも妬むこともできず、彼女は仮初めの人生を歩むことになった。
薄っぺらなキャラクターを置き換え取り替え演じ変えながら生きてきた彼女にとって、死の凶刃を受けてでも姫になりたいと願ったスラムの少女は「偽者の姫」でありながらも本物を目指す気高さに満ちていた。
その少女が就いていた職業は〈娼姫〉。
〈美姫の紅玉酒〉で新規に追加されたこのサブ職業への転職条件を調べ始めたスズシロだったが、その成果は捗々しくなかった。
しかし、その一方で全く実入りが無かったと言う訳でも無く、〈娼姫〉のサブ職業を持つプレイヤーを見つけることはできたのだ。
「〈娼姫〉は本物に憧れる偽者の姫。だというのに、更にその紛い物になりたいと言うのでしょうか? 面白い人ですね、あなたは」
スズシロの師匠になって欲しいと頼まれたそのプレイヤー、濡羽はそう言って快く承諾し、スズシロは晴れて〈娼姫〉の弟子になることができた。
それ以来、スズシロはサブ職業を変更していない。
「今日は唐突に御伺いしてしまって申し訳ないですね」
眼前で応接セットのふんわりとしたソファに腰掛けた濡羽の第一声に、居住まいを正す五行。
〈七草衆〉のギルドハウスを彼女が訪ねて来たのは〈タヌキ谷の修練場〉で念話を受けた翌朝のことだった。
本人が言うほど唐突な話ではなく、念話で頼みがあると持ち掛けられた際に時間と場所を相談している。
濡羽が指定したのは、「そちらの都合が良い時間で、なるべく早くに」「〈大地人〉の耳目が無い場所で」というだけだったので、このようなセッティングとなった訳だ。
その日の内にしなかったのは、事態への対応と相談のためだ。
案の定、スズは濡羽がスズシロの師匠であるということに気付いていなかった。
指摘されてステータスウィンドウからサブ職業のページを開くや、しばらく固まっていた。
どうやら、〈狩人〉の師匠は彼女にとってあんまり友好的ではない知人だったようで、連絡を取るかどうか相当に悩んでいたようだ。
「〈アキバの街〉を拠点にしてはる、〈西風の旅団〉と同時期にできた戦闘系ギルドのギルマスはんですぇ」
ウィリアム=マサチューセッツという名の彼に連絡を取ることを保留することにしたらしいスズに、濡羽とスズシロの関係を説明し相談を重ねた結果、五行と二人で応対することになったのだ。
「あら・・・・これは」
互いに挨拶を終え、しばらく間ができた所で仏のザがお茶とお茶請けを持ってくる。
今日のお茶請けは昨晩のうちに下拵えをしておいたカスタードプティングだ。
スプーンで一口掬って口に運ぶと、濡羽は目を見開いてしばらく固まっていた。
「カラメルの苦味が甘さを引き立てて……美味しい。うふふ、これは当たりを引き当てたようですね」
僅かに頬を上気させ、吐息を漏らす濡羽の姿に、同性ながらも色気を感じて気圧されるスズと、その反応に我が意を得たりとテンションの上がる五行。
今朝になって濡羽が狐尾族だということを思い出し、カラメルソースを作る際の火加減を僅かに強めた結果、カラメルは焦げて苦味の強いソースとなったのだが、意外と濡羽の口には合ったようだ。
「本来は、苦味を強め過ぎると甘味は克されて台無しになる所ネ。でも狐は金行の生き物アルナ。土の気は金気を生み、金気から生じた水気は土気が克してくれるから、血と肉と狐が循環するようになる訳ヨ」
スズも仏のザもその理屈には首を傾げるばかりであったが、濡羽は一口毎に何かを納得するかのように頷きながら完食していた。
「スズシロさんにお願いしたいのは接待なんです」
匙を置いて湯飲みを手に、味の余韻を楽しんでいた濡羽が口を開く。
「わたしは今、〈大地人〉の皆さんにこの事態への協力をお願いしている所なのですが、わたしの大切な協力者が、是非スズシロさんの御座敷に呼ばれたいと言っているのです」
五行は耳を疑った。
〈大地人〉というのはNPC。つまり操作するプレイヤーが居ないキャラクターのことだ。
〈エルダー・テイル〉には様々なNPCが登場する。
〈冒険者〉にクエストを出す依頼人たち、店でアイテムの売買をしてくれる店員、新しく着いた村の名前を告げる第一村人、その多くは決まりきった台詞を言うだけの存在だ。
勿論、中にはイベントの状況や〈冒険者〉の状態に応じて対応が変わる場合もあるが、それはスイッチやフラグといった内部処理の結果でしかない。
そんな〈大地人〉が〈冒険者〉の接待を要求するとは……。
「ウ、ウチを名指しですのん!?」
「御存知じゃないようですが、スズシロさん。あなたは、貴族の間で噂になっているのです」
濡羽の説明によると、〈娼姫〉の話題というのは〈神聖皇国ウェストランデ〉の貴族界においてはかなり重要な位置を占めているらしい。
どの姫をどの貴族が後援しているか、どの姫が会席にどの貴族を招いたか、また社交界においてどの姫がどの貴族のエスコートを受けたか、これらは貴族たちの身分とはまた違う序列の題材とされる、政治的な駆け引きに繋がる話題なのだ。
その中で、濡羽は最高級の〈娼姫〉という立ち位置を占めていたらしい。
それもその筈で、このサブ職業に就いている〈冒険者〉はほぼ皆無であり、それは同時に濡羽ほどのレベルをもった〈娼姫〉など他には居ないという意味でもある。
そして、〈娼姫〉でこそないものの、その手解きを受けたスズシロもまた噂の的になっていた。
上限レベルが他のサブ職行の半分であり、更にその半分相当しか扱えないとは言え、それでも〈大地人〉の〈娼姫〉よりも遥かに高レベルのスキルを身に付けたスズシロは、社交界へのデビューを控えた姫君のような期待と羨望を向けられる存在なのだ……と。
「例えば、ティム・ベラミー卿という名前に心当たりがあるのではないですか?」
告げられた名前にスズが息を呑むのが判る。
その名前は、応接室になっているこの部屋を埋め尽くしていた、そして今でも毎日のように贈られてくるプレゼントボックスの一割ほどに付けられていた差出人の名前だ。
これらのプレゼントは、ゲーム的に言えば〈娼姫〉のスキル効果によって運営から送られてくる換金アイテムだ。
スキルの解説には「後援者や、そうなることを希望する貴族からプレゼントが贈られてくる」というフレーバー文章が添えられている。
果たして、現実と化したゲームの世界では、そのフレーバーも事実になるということなのだろうか。
「それで、スズを人身御供に差し出せ、という魂胆ネ?」
いち早く状況を飲み込んだ五行は、腕を組み濡羽をねめつける。
「いいえ。やり方は皆さんの流儀で構わないのですよ。何しろ『誰も呼ばれたことの無いスズシロの会席に招待された』というだけで彼らにとってはステータスとなります。その利益は計り知れませんね」
しかし、しれっとかわされる。
どうせ、その辺りを計った上で謀ったのだろう、と思いつつも、むしろスズの今後を考えれば、この辺りで妥協しておくのが得策と思えた。
「マァ、受けるか否かはスズ次第ということになるのだけどネ」
「せやねぇ。御座敷でお酌するくらいなら、普段からしとることやし」
相談を重ねた結果、このギルドハウスを会場に、準備期間は一週間、経費は濡羽が全額負担という形で、彼女たちは手を打ったのだ。