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「ふぃ~、疲れたネ」
「そうですねぇ」
しばらくして〈タヌキ谷の修練場〉には静けさが戻っている。
不意打ちからスズが放った〈アサシネイト〉により〈黒狸族〉の戦士は倒れ、そこから後は掃討戦となった。
はこべは〈魔狂狸〉の攻撃を引き付け、仏のザが回復呪文で支える間に、姿を現したスズの弩と五行の召喚術が狂獣の数を減らしていく。
そんな教科書のような戦闘を終え、今は銘々が休憩を取っている所だった。
さっきまで戦闘があった辺りにはモンスターたちの遺骸が横たわっているのだが、それも時間の経過と共に倒された順から姿を薄れさせ、光の泡へと変じて消えて行く。
その後には倒したモンスターに応じて様々なアイテムや金貨が残されており、すっかり怪我の治ったはこべが元気に集めて回っている。
スズは戦闘に使った弩用の太い矢を回収して再利用するための処理をしていた。
スズシロが〈古都ヨシノ〉で特殊な魔法の矢を手に入れるクエスト(ヨシノでの知名度を一定以上に上げると購入可能になるらしい)に勤しんでいた頃、同じクエストに挑戦していた気難しそうなエルフの弓〈暗殺者〉に弟子入りして得た〈狩人〉の特技が役に立っているようだ。
「スズは鈴代に遠慮し過ぎネ」
衣を潜らせた小海老を、鍋に浅く張って熱したオリーブ油に投入していた五行は、その手を止めて呟く。
彼女の七年来の友人は、確かに鈴名との確執は数あれど、その資産を勝手に使った程度で怒るような性格をしていない。
それは鈴名だって判っているだろうに、それでもスズシロの部屋(と整理が終わった倉庫)にあった装備や消耗品を使うことを躊躇っているのだ。
「周りに気ぃばかり使うのはお婆ちゃんの影響かもしれんよ」
彼女たちは〈修行場〉に設定された安全地帯に竈を組んで昼食の準備をしていた。
卵黄と酢を入れた器をリズミカルに掻き混ぜながら仏のザが応じる。
時折、混ざり具合を確認しながら食用油を足すのがコツだが、本来かなりの重労働であるはずの工程を汗一つかかずに行っている様子。
まったく〈冒険者〉の体力には恐れ入る。
しかし、そんな〈七草衆〉結成以前からの古い友人の態度にも、五行は思う所があるのだ。
「セッちゃんもセッちゃんネ。鈴代がこっちに来てないのはハッキリしてるんだから、いつまでも〈主婦〉で居なくて良い筈ヨ!」
初日から三日間かけた大掃除の際にも大活躍し、今もこうやって食事の支度を手伝ってくれている彼女のサブ職業〈主婦〉は、家事全般に対して本職ほどではないが得意、と設定されている。
特に食事の支度に関しては、彼女たちが情報収集で得た断片的な情報によると、調理スキルを持ったサブ職業に就いている人しか料理を行うことができないらしい。
そのため、本来ならば高レベルの〈主婦〉は歓迎されてしかるべきなのだが、五行にしてみれば今こそ仏のザが〈主婦〉を辞める好機と思えるのだ。
〈七草衆〉の解散騒動も収まってほとぼりが冷めた頃、〈エルダー・テイル〉へと帰ってきた彼女に、サブ職を〈主婦〉に変更するよう詰め寄ったのは鈴代だった。
彼女は〈七草衆〉という集団を愛していたし、その環境が齎す恩恵にすっかり依存していた。
しかし、その栄華も長くは続かず、発起人にして企画者であり支援者だったせりPと仏のザの結婚がスクープされるというスキャンダルによって彼女らの舞台は幕を閉じる。
その際に鈴代は致命的とも言える喪失を経験したし、他のメンバーも多かれ少なかれ傷を負った。
彼女は、その傷を埋めるために、帰ってきた仏のザを責めるより他になかったのだ。
「ここでセッちゃんは止めて欲しかね。別に私は、スズシロさんに言われたってだけの理由で〈主婦〉やっとうわけでもないよ」
「そレを素直に信じるほどワタシを御人好しと思ってるネ?」
鍋を火から降ろし、耐熱容器の上に置いた笊へ、油ごと海老をあける。
揚げ海老は荒熱を取りつつ油を切るため、そのままに。
「そう言えば、五行のスキルレベルならマヨネーズもコマンド作成できますよね。どうしてしないとです?」
掻き混ぜ終えたマヨネーズの瓶を五行に渡した仏のザは、凝り固まった腕を解しながら、思いついた疑問を声に出す。
その話題はここまでと言外に告げる露骨な話題転換に、しかし五行は笑みを浮かべて異次元バッグから取り出したジュースの瓶を掲げる。
「決まってるネ。アレンジできないんじゃ創作料理人の名が泣くヨ」
抽象化された人参のシールが張られた瓶からオレンジ色をした液体をマヨネーズと一緒に鍋に注ぎ、クリーミーなソースを作り上げると、そこに揚げ海老を放り込んで、さっと炒める。
海老マヨネーズ・キャロット風味のできあがりだ。
五行娘々のプレイヤーは語学留学生として来日し、卒業後に帰国したもののビザを取り直して再度来日、現在は神戸にある中華料理店で鍋を振るう若手料理人だ。
一歩間違えばメシマズ属性が付いてもおかしくないアレンジャーなのだが、独特のバランス感覚に救われて創作料理人として常連客からは好評を得始めている。
「金行の獣であるタヌキの陰気によって金克木、木行の陽気が減退しているネ。海老に水気の酸味と木気の甘味を付加して水生木、失われた木気を賦活させるのヨ!」
医食同源。
風水の知識を食に取り入れたその思想が、仙人マニアと言われる彼女なりのアレンジ精神だと熱く語る。
「よく判りませんが、タヌキの悪戯でげんなりした気分を、甘酸っぱい海老を食べて回復しよう、ということとやね」
「ムゥ、そうとも言うネ」
拳を握って力説する五行だが、仏のザのつれない要約に、気を散らされてしまう。
スズシロに対するストッパーが五行だとしたら、五行の暴走を止めることができるのは仏のザだけだ。
拠点こそ〈キョウの都〉に置く〈七草衆〉の四人だが、普段の活動は決して一枚岩ではない拘束の緩い集団だ。
スズシロとはこべが〈キョウの都〉を中心にしているのに対し、五行と仏のザは〈ナインテイル〉の北部にある〈仙境〉に入り浸っていることが多かった。
〈仙境〉は、本当にそこが〈弧状列島ヤマト〉であるとは思えないような水墨画のような高山が連なる中、仙人と呼ばれる〈古来種〉のNPCたちが住む場所だ。
基本的に〈ヤマト〉の文化圏に所属するNPCは中世ヨーロッパ風の生活を送っている。
しかし、〈仙境〉の衣食住は中華風の意匠が施されており、その神秘的な事物が多くのプレイヤーを釘付けにした。
五行もその一人で、彼女は「仙人やりたいなら地元で道士のキャラでも作れば良いだろ」などと揶揄されながらも、〈仙境〉でのクエストに勤しんでいたのだ。
〈仙境〉でのクエストでは最初〈地仙〉という入門用のサブ職業に就くことができるようになり、そこから様々なクエストを経て〈飛仙〉〈宝貝使い〉〈天然道士〉などの上級職、更には称号職である〈天仙〉への転職資格を得られる。
五行が就いている〈仙厨師〉もその一つで、〈料理人〉から転職することが可能な上級職だ。
料理アイテムを使用する際に食材アイテムを追加で使用することによって料理アイテムの効果を変化させるなど、〈料理人〉スキルの自由度を増したような性能になっている。
特に料理をアレンジできるという点は彼女の趣味に合致しており、この転職条件を開放する一連のクエストを、五行は仏のザを伴って攻略していたのだ。
もっともその後、仏のザの聖地巡礼と言う名のダンジョン廻りに付き合わされ、毎月のように〈邪悪な神像〉シリーズや大量の〈木乃伊〉と戦う羽目になったことで、彼女の中の帳尻は合っているのだが。
「また見てますね」
仏のザの指摘に緊張感を取り戻す。
いくら安全地帯とは言え、タヌキたちの生活区域で調理をして居ながら腑抜けているなど、どんな悪戯をされても文句の言えない失態だ。
事実、指摘された通り、安全地帯を外れた茂みから小さな顔が覗いていた。
〈黒狸族の幼子〉
レベル:一 ランク:ノーマル タグ:[モブ][人型][黒狸族]
ゲームだった頃からこの〈修行場〉を利用しているため詳しい仏のザやはこべも見たことがないと言っていた、〈黒狸族〉の子供。
ひょっとすると彼らの本場〈フォーランド公爵領〉には普通に出現するかもしれないが、モンスターとされる亜人が子育てをしている光景を想像して、五行は何とも嫌な気分にならされた。
「五行ちゃん、大変やわぁ。念話入って来ましたのやけど、どないしょお?」
その気分を払拭するかのように、はんなりとした声がかけられる。
見てみると、スズがこちらに歩いてくるところだった。
傍から聞くと何とも間延びしたようすだが、付き合いの古い五行から見るとこれでもスズは内心では大慌て、焦りまくっているのだ。
大方、スズシロの知人相手に応対して入れ替わりの事実が露見することや、セクハラ的な内容を警戒しているのだろう。
「どうせスズシロのファンだろうから適当にあしらって置けば良いネ。一応聞いておくけど、何て名前ヨ?」
だが、五行はスズの心配を杞憂だと一蹴した。
スズシロの取り巻き連中如きに鈴名と鈴代の違いを見分けられやしないという想いからだ。
その理由は、スズシロのコスプレクイーンめいた、相手と状況に応じてキャラを演じ分けるという特技にある。
元来、〈七草衆〉で活動をしていた頃から、スズシロのキャラは安定しておらず、プロデュース担当のせりPも彼女のキャラ付けには苦慮していた。
姉後肌のクノイチ巫女、エセ中国人訛りの仙女、ボーイッシュな鬼少女、京言葉のはんなり芸者、という強烈な個性の中にあって、スズシロはその立ち位置を決めかねていたとも言える。
(ちなみに、同じようにキャラ付けに苦心していた仏のザは、その普通さがウケて清楚なお嬢様キャラを確立しつつあったが、その完成を待たずして解散を迎えることになった)
その後も、彼女のRPは、その時々で大きくブレ、特に衣装を替えた時にはまるで別人のように振舞うため、スズシロというキャラクターを掴むことのできた者は殆ど居ないだろう、というのが五行の診立てだ。
スズシロの本性を見抜いた相手はことごとく彼女から離れて行ったため、僅かな例外を除いて、今更連絡をしてきそうな人物など居ないだろう。
だが……
「えぇっとぉ、念話をして来はったんは濡羽さんって人ですぇ」
告げられた名は、五行が考えていた僅かな例外のものだった。