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(露骨に誘導されておるのぅ)
彼が〈ヘイロースの九大監獄〉に足を踏み入れてから度々、通路の先に現れて散発的な攻撃を繰り返しては逃げてゆく〈冒険者〉たち。
数にして恐らくは六人で入れ替わり立ち替わり遠距離攻撃のみ。
勿論これではボスモンスターたる彼にとって痛痒にすらならないのだが、気になるのはその顔ぶれだった。
(「見事。拙僧はイズモへ征く。再戦を望むなら追って来るが良い。その時こそは横槍無しで試合うぞ」)
脳裏を過るのは〈ヘブンブリッジ〉にて彼が不本意な勝利を収めた一団だ。
その時には居た〈古来種〉や〈観察者〉の姿こそ無いものの、他の〈冒険者〉どもは彼の記憶に合致していた。
幾らか新顔もあるようだが。
あの〈冒険者〉たちの心を折ったつもりでいた〈破戒の典災〉にとって、これは嬉しい誤算だった。
『『・・・・』』
白と黒の勾玉の形をした陰陽魚が巴に組み合った太極印。その形をしたペンダントヘッドが不満そうに明滅して意思を表しているが〈烏天狗〉はその抗議を黙殺する。
「これは再戦を望まれていると考えてもよかろうなぁ」
〈冒険者〉どもが誘導する先に待ち構えるのは十中八九、致命的な罠だ。
仕掛けられているだろうそれに踏み込めば、間違いなく窮地に陥ることだろう。
それを想うと、百舌鳥に似た顔の中で嘴の端が笑みの形に歪む。
カンラカラカラと哄笑が響く。
「愉しき哉、悦ばしき哉、是ぞ即ち愉悦也」
*
果たして、エレイヌスが辿り着いたのは二十四人の〈冒険者〉が待ち構える広場だった。
監獄と名の付く割に、ここまでの道中も、この広場も、屋内という感じではなく、まるで天然の鉱床。良く言っても鉱山か採掘場といった風情を見せている。
部屋の隅には結晶化した鉱物が顔を覗かせ、壁面には鉱脈の一部が露出している。
何よりも目を引くのは、床の所々にある水溜まりから時折吹き上がる水銀めいた液体金属の間欠泉だ。
「カラカラカラ。再会の約束を覚えていてくれただけでなく、ここまで盛大にもてなして貰えようとはなぁ・・・・」
「別におもてなしするつもりはあらしまへんけど、ほったらかしにしとくんも迷惑やし。ぶぶ漬けでも如何ですやろか?」
しゃりん。
床に錫杖を突いて謝意を告げるエレイヌスに対して、中隊を代表してスズが言葉を返すが、それはかなり辛辣な答えだった。
「おいおい、さっさと帰られたら困るんとちゃうんか? 随分と力入れて歓迎の準備しとったからな」
「ナカっち五月蠅うおすぇ!」
「へいへい。ともあれ挨拶も終わったみたいやし、ここからは俺が仕切らせてもらうわ。総員、戦闘態勢や!」
各々の武器を引き抜いて鬨の声を上げる〈冒険者〉達に呼応するように〈破戒の典災〉もまた錫杖を構え、戦いへと身を投じていった。
*
戦い始めてからどれ程の時が経ったのだろうか。
この身にいくつの傷を刻まれたことだろうか。
しかし、咽るような闘争、殊に窮地へと陥るような危機感溢れる戦いに酔うエレイヌスにとって、それは重要な事ではなかった。
〈ヘブンブリッジ〉での戦いの後、彼は〈ロンガ砂漠〉を横断して〈サニルーフ山脈〉を目指し、彼の地を支配する〈多頭竜蛇〉の首領〈八岐大蛇〉に喧嘩を売った挙句に、撃破している。
その足で今度は〈木乃伊〉軍団の蔓延る〈ダイセンの大ピラミッド〉へと突入し、地下に広がる逆ピラミッドの最深部で〈ファラオタケル〉と対決し、勝利を収めている。
今回の闘争も、それらに負けず劣らずの熱戦と言えた。
この部隊の隊長らしき重機のような厳つい鎧を纏った戦士は、エレイヌスの攻撃によく耐えていたのみならず、部隊全体をしっかりと見て、自分や仲間への適切な回復、攻撃や移動、バフやデバフの指示、そして敵愾心を操作して彼の攻撃を自分に集中させてなお元気でいる。
一方でエレイヌスの側は満身創痍だ。
右翼は根元から切り落とされ、焼け焦げた左翼は羽毛を失って殆ど骨組みだけ、錫杖は手から離れて久しく、右腕は肩から上に上がらず、両目は瞼が腫れあがって開くのも億劫、足元の水たまりを赤く染めるのはなにも〈冒険者〉の血ばかりではない。
竜蛇との戦いでも、木乃伊との戦いでも、これほどの危地には陥ってはいない、というほどの窮地にあって、彼は〈ヘブンズゲート〉以来となる恍惚の笑みを浮かべる。
「やはり〈冒険者〉との闘争は格別よな」
『『・・・・』』
「ぬぅ、主等何度邪魔をすれば・・・・?」
ペンダントヘッドの明滅に反応して話しかける〈破戒の典災〉だったが、その途中で疑問の表情を浮かべて動きを止めてしまう。
『『・・・・!?』』
「ほう、〈憧れ〉も〈失意〉も不発だのぅ。これは痛快。カラカラカラ!」
突如呵々大笑する〈破戒の典災〉。
放たれなかったのだ。
〈冒険者〉の耳元で鳴り彼らの位階を引き下げる、鈴の音も。
〈冒険者〉の心臓を貫き彼らのMPを削り取る、紫色光線も。
いつも〈破戒の典災〉が窮地に陥ると勝手に彼の楽しみを奪って行く〈憧れ〉と〈失意〉、二つの邪魔者が。
「敵〈典災〉、何らかの特技が不発に終わったようです」
「よし! スズっちの読み通り、アイテムの効果っちゅう扱いだったみたいだな」
「〈鋼の監獄〉を選んで正解だったデスね!」
「〈二なる監獄のメザラクラウ〉はアイテムの形質を持ったボスやからねぇ」
そして、邪魔が入らなかった事に安堵したのは〈破戒の典災〉だけではなく、本来その攻撃対象となっていた筈の〈冒険者〉たちもだ。
彼らの会話を聞きながらエレイヌスは状況を理解してゆく。
「なるほど、この戦場ではアイテムの効果を〔起動〕させることができぬのだな?」
アイテム効果の〔起動〕実行禁止。
それこそ〈鋼の監獄〉が戦場に選ばれた最大の理由だった。
〔起動〕とは物品やエリアの構成要素が持つ効果を、キャラクターの行動によって実行させることだ。
〈召喚笛〉を吹いて乗騎を呼んだり〈新妻のエプロン〉によって料理を作れるようになる、といった魔法アイテムの使用に始まり、固定式弩砲や投石器のような大型兵器、転移や召喚の魔法陣などが当て嵌まる。
しまいには強力なアイテムを持っているとされていたり、メザラクラウのようにアイテムとしての特性を持つモンスターの能力にも適用されることがあり、エレイヌスのペンダントヘッドに存在している〈憧れと失望の典災〉もまた該当していた。
おそらく〈ヘブンブリッジ〉で戦った時にその特性を見抜かれていたのだろう。
(時と場合を弁えずにしゃしゃり出てくるからそうなるのだ)
愉しさを隠そうともせず〈破戒の典災〉は自分の事を棚の上に置いて嘯く。
己の胸元に手を伸ばし、激戦で罅の入った陶器のような首飾りを毟り取る。
そして、黒い目をした白い魚と白い目をした黒い魚が互いの尾を追いかけるような紋様、太極印が描かれているペンダントヘッドを両手で掴み、力を籠めて真っ二つに圧し折った。
残骸と化したペンダントを投げ捨てると、嘴の端を吊り上げる。
それは無理をした笑顔にも、今にも泣き出しそうな顔にも見えた。
「さぁ、ここからは拙僧にとっても未知の領域。存分に楽しませてもらおうぞ」
クァァァァァァァァァァッ!
雄叫びを上げる〈破戒の典災エレイヌス〉を中心に、暴風が巻き起こった。
風が逆巻く中で〈典災〉の目は、彼が望んだ再戦に臨む彼女を見つめている。
「なんでウチこないに、戦闘狂にばっか縁があるのやろ?」
何を思い出したのか不意に笑みを浮かべ、スズと呼ばれていた〈冒険者〉の娘は〈典災〉を目掛けて構えていた弩砲を投げつけると、三味線をベン、ベンと鳴らしながら歩み出る。
以前、投げつけられた弩砲を顔の傍で爆破され破片を浴びせられた事を思い出したエレイヌスは思わず防御してしまいそうになる。
アイテム効果が〔起動〕できないのだという事を思い出した時には、彼女の隣にもう一人、虚ろな表情で琵琶を奏でる和装の娘が虚ろな表情で立っていた。
幼く見える丸顔にやや吊り気味の目に赤茶色の瞳。
結い上げて簪で飾られた赤銅色の髪から覗く狐の耳。
〈烏天狗〉にも負けない高さを持つ一本歯の高下駄。
トランジスタグラマーな身体を包む地獄絵図を描いた打ち掛けの尻からは長い九本の尻尾。
「口伝:宿命通っ!」
スズシロの隣に立っていたのは、菘だった。




