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もしも上空から〈イズモ地方〉を見下ろすことができるのならば、東半分を占める砂漠と西半分を占める樹海に挟まれるようにして小さな平野部が見えることだろう。
この平野部の半島の根本に、畑や水田、牧草地などに囲まれた小さな町がポツンと存在していた。
町の名を〈イズモの町〉という。
町の規模はあまり大きくなく、長閑で牧歌的な風景が広がっている。
〈古来種〉によって助けられた〈大地人〉たちやその子孫がひっそりと暮らしている〈イズモの町〉は、〈イズモ騎士団〉の門前町としてこれまで栄えてきた。
主な産業は農業と牧畜。都市防衛結界に守られた危険の少ない平野部では〈飛礫そば〉の栽培や〈赤毛和牛〉の放牧が特産となっている。特に〈飛礫そば〉を使った〈イズモ蕎麦〉はヤマト三大蕎麦の一つとして名が知られている。
「ずぞぞぞぞぞっ! ずぞっ! ずぞぞぞぞぞっ!」
「んぅ~。えぇ出汁使こうてはるわぁ」
そんな〈イズモの町〉の一角にある蕎麦屋のテーブルを、〈七草集〉の面々が囲んでいた。
それぞれが座る席の前には割子と呼ばれる円い木枠の器が三段重ねで置かれている。もしもこの木枠が四角であれば重箱そのもの、と言えるような形の器は〈イズモ蕎麦〉の特徴の一つだ。
「ずぞぞぞぞぞっ! ずぞっ! ずぞぞぞぞぞっ!」
「こん辺りのお蕎麦ち、黒いんやねぇ」
手元の器に出汁汁を入れてそこに麺をつけて食べる方式ではなく、割子の中の蕎麦に葱や海苔、大根おろしや紅葉おろしを乗せて直接出汁汁をかけて食べる。一番上の段を食べ終えたら、割子に残った一段目の蕎麦の風味が加わった出汁汁を二段目の蕎麦にかけて食べる。そうやって一番下まで食べて行くのだ。
「ずぞぞぞぞぞっ! ずぞっ! ずぞぞぞぞぞっ!」
「多分、そば殻も一緒に挽いとるからとちゃ~う?」
派手な音が店内に響き渡る。
五感の全てを総動員して食を楽しむ日本人特有の文化に洩れず、蕎麦の食べ方も五感を駆使して楽しむのが粋であると言われる。様々な薬味の乗せられた三重の割子の色鮮やかさ、派手に麺をすすることで広がる蕎麦の香りと音、勿論、コシのある麺の弾力や味わい。すべての要素が食の楽しみに繋がるのだ。
「ずぞぞぞぞぞっ! ずぞっ! ずぞぞぞぞぞっ!」
「あ、眼鏡に汁が飛んだ! 何か拭くもの!?」
その音に、五行娘々とアレックスがやや引き気味だ。
中華料理に使用される麺条やイタリア料理で使われるスパゲッティのように小麦粉で作られた麺には蕎麦のような強い香りはない。
セルデシアの文化ではそもそも食を楽しむ文化など〈大災害〉前には無かった。また、飛沫感染へのガイドラインを考えればあまり良くないことなのだろうが、それこそセルデシアでは関係のない事である。
店内にいる〈大地人〉たちも、スズ一行の食べっぷりに興味津々な顔を向けていた。
「そーゆー訳で、ナカっちの到着は三日後くらいになりそうやの」
スズが話を切り出したのは皆がそれぞれに満腹になるまで蕎麦を食べた後のことだった。食べ終わって空になった大量の割子は店員総出で洗い場に運んでいる。
(円形の重箱である割子は角が無いので洗うのが楽そうね)
料亭で働いた経験のあるスズはその光景を見ながら思った。
「うーふーふ。いよいよリベンジマッチっちゃね!」
「今度は俺も居るデス。泥船に乗った気分で頼ってくだサイ!」
「それを言うなら大船だよ。あ、僕もできる限り力になります」
「ばってん、そんならこん三日間、どう使いましょうやか?」
三日後に決戦と聞き、血気に逸る若者たち。特に〈破戒の典災エレイヌス〉に精神的外傷を刻まれたはこべは再戦とあって燃えている。流石に仏のザは冷静に予定を考えている。そして、しばらく黙って考え込んでいた五行が重々しく口を開いた。
「もしも良かったら、ワタシは〈イズモ騎士団〉の様子を見て来たいネ」
エレイヌスに殺された五行の師・雷 安檸の親友が所属していたという〈イズモ騎士団〉。折角その本拠地に来たのだから、その消息を調べてみたいというのが五行の意見だった。
特に他の予定がある訳でもなく、こうして六人は〈イズモ騎士団〉の本部に向かうことにした。
「実は俺、〈ヤマトサーバー〉の騎士団も一度見て見たかったのデス」
「ふむ。アレックスの所は〈ウェンの守り手〉だったネ?」
「そうデス。五行さんの御郷は〈翡翠騎士団〉デスよネ?」
「けど、ワタシは〈エルダー・テイル〉は殆ど〈ヤマトサーバー〉でしているからネ」
「せやから、ウチ達と一緒に遊べてたんぇ」
「そうそう!」
スズたちは〈イズモ騎士団〉の本部へと向かう長い階段を登りながら、これから向かう先の情報を共有していた。
〈イズモ騎士団〉は地球上に十三ある各サーバーに一つずつ置かれた〈古来種〉の戦闘組織、〈全界十三騎士団〉の一つだ。人と人の争いには関与せず、人の世を脅かす巨大な危機が迫った時にのみ姿を現すヤマトの守護者であると言われている。
「揃いの注連縄を身に着けて、人々の危機に立ち向かう。くぅぅっ、燃えるデス!」
〈イズモ騎士団〉の所属メンバーたちは正式装備として衣装の何処かに注連縄を身に着けている。それがアレックスにとっては憧れのアニメとの共通点に思えたのだろう。
元々、拡張パックの導入をヤマトの地で過ごしたかっただけのアレックスだが、時間に余裕があれば足を延ばしたい『聖地』はいくつもあったのだ。〈大災害〉に巻き込まれて帰る手段を失ったことで、逆に夢が叶うことになろうとは思っていなかっただけに、喜びもひとしおだった。
海上百メートル近い高さに築かれた〈イズモ騎士団〉の本拠地たる巨大神殿。そこに至る大階段を登り切った後には、千の柱が天にそびえるような威容を誇る本殿が待ち構えている。
その威容を前にして、到着したスズたち六人が思わず見上げてしまったのも無理のないことだった。例えそれが、階段の登り口から既に見えていたのだとしても。
「〈冒険者〉の皆様ですね」
そのスズたちは、唐突に声をかけられた。
低く太い、渋みのあるその声を探してスズが周囲を見回すと、本殿の入り口前に一台の〈動力甲冑〉が待機しているのが見えた。その〈動力甲冑〉の足元に一人の男が立っている。
「え? ティム・ベラミー卿?」
鼻柱が高くがっしりとした顎と、長く伸ばした白髪の陰から覗く鋭い眼光のために厳つく見える顔立ち。そこに無愛想な表情を張り付けた生真面目な武人の姿にスズは既視感を覚え、驚いた。
彼は〈キョウの都〉を護っている筈の左衛門尉ティム・ベラミーに瓜二つだったのだ。
「失礼。まずは名乗らせていただこう。私はエクトル・ゴーベール。〈イズモの町〉の治安を請け負う〈衛兵〉の長だ」
間違えられたことで苦笑しながら名乗る男の表情と名前からスズは思い出す。
最初の無愛想な表情からベラミー卿を思い出したものの、今の笑みを浮かべた顔立ちは検非違使別当であるヘンリー・レインウォーターに似ている。武人と貴族、纏う雰囲気は逆でありながら、二人の顔立ちは双子のようにそっくりだ。そしてそれは、ゴーベールも同じだった。
(そう言えば、銀行員の七三さんやボブ子ちゃんはどこの町に行っても同じ外見だったけど、衛兵さんも〈動力甲冑〉の中身は同じ外見だったりするのかな?)
スズは〈動力甲冑〉の中身が全員目の前のゴーベールと同じ顔をしている光景を想像してしまい、慌てて頭を振るとその妄想を打ち消した。
スズたちも自己紹介を返すと、ゴーベールは重々しく頷いて口を開いた。
「〈イズモ騎士団〉について〈冒険者〉の皆様にお伝えしなくてはならないことがある」
ゴーベールの口からは幾つかのことが語られた。
〈イズモ騎士団〉のメンバーである〈古来種〉たちが消失したとしか思えない状況のこと。
〈神聖皇国ウェストランデ〉や〈自由都市同盟イースタル〉からの間者もその事実を確認したこと。
そして〈大地人〉国家の上層部はパニックを避けるため、この事実を隠蔽することに決めたということ。
「特に、〈イズモ騎士団〉の直接の庇護下にある〈イズモの町〉にこの噂が広まっては混乱は避けられない。この中で見聞きする内容については、どうか他言無用に願いたい」
納得のできる話の内容であり、借りの多いベラミー卿と同じ顔で頼まれれば無下にもし辛く、何より〈衛兵〉と事を構えるつもりの無かったスズたちは、その願いを受け入れることにした。
「ならば、せめて案内をさせてもらおう」
「体の良い監視だよね・・・・」
ゴーベールという案内人を得て本殿に入る一行。
厳重に施錠されている場所も多く、すべての場所に立ち入れた訳ではなかったが。
受付や客間などの来客に対応する部屋は、そもそも使う頻度が低かったようだ。ゴーベールによると今年になってヤマト全土から騎士団員が集結していたらしく、来客よりもそちらへの対応が主となっていたようだ。
騎士団寮を始めとした団員各々の私的スペースには私物や生活雑貨が残されており、団員たちに帰ってくるつもりがあったことを伺わせた。
武器や防具、消耗品などの開発・研究スペースや保管室に残された物資は少なく、埃の積もり具合から大量の物資を運びだしたようであった。
訓練場や食堂といった大人数が利用できそうな共有施設には仕様痕が残っており、特に数百人が整列できそうな広い講堂には多くの団員が入っていく足跡が残されていた。
そしてスズたちにとって本命とも言える通信監理室。
「やっぱり、ここにあったネ」
雷 安檸の友人だったという〈鋼の戦乙女〉イライザ。彼女は〈ヘブンブリッジ〉の本来の管理者だったが〈大災害〉の直前になって〈イズモ騎士団〉本部へと招集されていた。魔導機械の復旧を得意とする彼女が痕跡を残しているとしたら、この通信監理室だろうという五行の読みは当たっており、安檸に向けて残されていた記録を見つけることができた。
その多くは〈冒険者〉であるスズたちには読めない文字だったが、案内人を買って出たゴーベールの存在がここで役に立った。
そこに書かれていたのは、予定されていた〈イズモ騎士団〉の動向や、招集されなかった団員の連絡先などであり、スズたちにとってもゴーベールにとっても今後重要となるだろう情報だった。
「まさか私の方が釘を刺されることになるとは思わなかった」
無愛想な顔に苦笑を張り付け、ゴーベールはスズ一行を見送る。
「ウチらもまさかここまでのモンが見つかるとは思わへんかったし、御相子ですぇ」
ゴーベールが最初に頼んだ他言無用の件を逆手にとって、スズたちはゴーベールに翻訳してもらった情報の拡散を防ぐことにした。口約束でしかないので気休め程度にしかならないのだが、それでも無いよりはマシというものだろう。
なにより、次の目的地の正確な情報が手に入ったことでスズたちは気が大きくなっていた。
「次は〈黄泉比良坂〉に向かいますぇ!」
〈歌姫〉深紅の待つ冥府の入り口に思いを寄せて、スズは決意を新たにするのだった。