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クライマックスに突入です
「もしもしナカっちぃ、ウチ今イズモに居るんぇ~」
〈イズモの町〉の宿屋の浴場にスズの声が響き渡る。湯船に浸かって脹脛を揉みほぐしながら〈念話〉する声はすっかり緩んでいる。
広大な〈ロンガ砂漠〉を踏破し、文字通り旅の砂塵を落としている最中である。水が貴重な砂漠の旅ということもあって〈キノサキ温泉郷〉以来の広い風呂とあっては寛いでしまうのも仕方のない所だ。
『どこの逸話者や。明日には〈ナカス〉まで来てそうやな、それ。ともあれ、声かけしておいた連中に伝えて出発準備させとくから、〈イズモ〉には三日くらい見といてくれ』
対する〈念話〉の相手であるナカルナードの声にも緩みが感じられる。
「ナカっち、またお酒やのん? まだ御天道さん高いのに」
〈スザクモンの鬼祭り〉以降、スズはナカルナードと連絡を取り合っていた。菘のフレンドには連絡がつかず、スズシロのフレンドは大半が知らない人という現状で、他愛のない駄話ができる旧知の知り合いであるナカルナードはスズにとって貴重な情報源にして数少ない友人枠なのだ。
しかし、そのナカルナードも〈神聖皇国ウェストランデ〉から〈南征将軍〉の職を賜って〈ナカスの町〉に駐留するようになってからは昼間にも酒を飲んでいることが多くなった。どうやら〈ウェストランデ〉の軍部から引き継いだ〈ナインテイル自治領〉を相手にした制圧戦の指揮が相当なストレスになっているようで、〈大地人〉を見下すような発言も増えてきている。
『ん、まぁな。それより、道中はどうだった?』
それでも、スズから情報を仕入れる頭を回すだけの余裕はあるようだ。
「せやねぇ。したら出発するところから・・・・」
*
〈ロンガ砂漠〉の玄関口と言われている〈キノサキ温泉郷〉は、〈セルデシア〉が現実になるより前から砂漠を旅する〈冒険者〉や〈大地人〉にとって、装備や消耗品を揃えるための拠点となってきた町だ。スズたちもその例に洩れず〈キノサキ温泉郷〉を拠点にして〈四神の洞窟〉を周回することで砂漠越え用の装備や消耗品を集めることができた。
「そんな訳で、ウチ等そろそろイズモに向かお思てますん」
「砂漠の旅は〈冒険者〉と言えど辛いものだと聞くけど、本当に行くんだね?」
スズがその報告をしている相手は大蔵卿だった。
この年若いながらも心の臓が弱い〈大地人〉貴族の湯治への護衛という名目でスズたちは〈キノサキ温泉郷〉まで一緒に来ていた。護衛の役は到着した時点で解かれていたとはいえ、出立の報告くらいはしておくのが礼儀であろうとスズはこうして彼の部屋に足を運んでいたのだ。
「はいな。伝言も預こぅとりますし、因縁の相手もイズモへ向こぉてるみたいやし」
「なるほど、それじゃ引き留めるのも無粋だね」
「大蔵卿はんにはこれまで大変な御厚情を頂いて感謝どすぇ」
「感謝かぁ、それじゃイズモに行くついでに頼み事しても良いかな?」
「ウチでできることやったらですけど、かましまへんよ?」
にやり、悪巧みが成功したような顔で大蔵卿は恐縮するスズに提案したのだ。
「イズモに向かうキャラバンを一つ護衛してくれないかな?」
〈エルダー・テイル〉というMMORPGの特徴の一つとしてハーフガイアプロジェクトというものが挙げられる。それは衛星写真を元にして半分の縮尺で地球の地形を再現するという途方もない企画だ。半分と言っても地球をもう一つ作るには並大抵ではない労力がかかる。
無数にある筈の村や集落を自動生成するプログラム。天候や昼夜といった時間経過を司る気象エンジン。サイズが半減した世界で重力を適正に保つために地下に埋め込まれた謎物質。それらを含めた様々なテストを行うための月面サーバー。
そういった諸々の甲斐あって作られた〈セルデシア〉という世界の中で〈弧状列島ヤマト〉もまた日本列島を模して形作られている。とは言っても丸っきり同じという訳ではなく、冒険の舞台として適切と思われる形に改造されているのだが、この〈ロンガ砂漠〉もまた地球世界における鳥取砂丘を元にしていながら、その過酷さは比べ物にならない規模になっていた。
この砂漠は鳥取県全域を覆い尽くしただけに留まらず兵庫県の北部をも浸食しており、〈神聖皇国ウェストランデ〉は〈キノサキ温泉郷〉周辺に防砂林を植えて〈ランデ真領〉への砂漠の浸食を防ごうと試みている。
現実の砂丘でさえ砂に足を取られ、日中は照り付ける太陽に焼かれ、夜は海風がもたらす寒気に悩まされ、風と共に形を変える砂の丘によって視界を遮られ、現在地すら見失いやすい。
海岸線はというと、兎が跳ねる姿を連想させる波は見ているだけなら綺麗だが、そこに船を出せばあっという間に牙を剥く。勿論、泳ぐなどは論外だ。
斯くして、ゲームだった頃は耐環境装備を身に着けた高レベル〈冒険者〉ならば、それなりの苦労をしながら通過できる難所の一つだった〈ロンガ砂漠〉は、俯瞰できなくなった視点や見えなくなったミニマップ、ゲームだった頃には感じなかった喉の渇きといった問題点によって、現実となった今では近づく者のない秘境と化していたのだった。
大蔵卿が護衛を依頼してきたのは、そんな砂漠を旅する隊商だった。
身に着けたターバンもマントも太陽熱を吸収しない白っぽい布で、極力肌を外気に晒さない形をしている。僅かに見える肌の色は浅黒い。〈乗用駱駝〉の背に荷物を括り付けて砂漠の入り口で待っていた彼らは〈イズモの町〉と〈キノサキ温泉郷〉を往復する商人だったが、護衛依頼を受ける〈冒険者〉が消滅したため開店休業を強いられていたのだと、スズたちにとても感謝していた。
耐熱性の高い〈朱雀の外套〉、体温を下げる〈玄武の鼈甲守り〉、乾燥を防ぐ〈青龍の潤い薬〉、砂に足が沈まなくなる〈白虎の厚底靴〉など、装備の能力で砂漠の環境に耐性を得ていたとはいえ、〈ヘブンズブリッジ〉への旅で鍛えられていたスズ達である、それだけで旅が上手く運ぶとは思ってはいなかった。砂漠での過ごし方、移動の仕方、点在するオアシスの位置など、砂漠を旅するノウハウを持った隊商と同行することは彼女達にとってもメリットが多かった。
砂の流れに足を取られ、砂の中に引きずり込まれる流砂の河。オアシスや楼閣の幻を見せられ、無目的に歩き回らせられる逃げ水に蜃気楼。砂粒を含んだ風により巻き込まれたものは、やすりにかけられるように削り取られる砂塵竜巻。そういった危険を経験によって避けてゆく。風が吹くたびに形を変えてゆく砂丘の何を目印にして進路を決めているのか、ついぞスズ達にはわからなかったが、旅路をよく知っている先導者がいるというのは彼女たちを精神的にも肉体的にも安心させてくれた。
もちろん、単に先導してもらうだけではない。護衛としてスズたちが提供したのは戦闘力だ。
幸いなことに〈ロンガ砂漠〉で最も凶悪と言われる、〈サニルーフ山脈〉から降りてくる〈多頭竜蛇〉、ピラミッドから溢れ出る〈木乃伊〉、アルヴ遺跡を守護するザードゥル種〈時計仕掛〉には出会わずに済んだ。仏のザがオアシスの奥様たちから聞き込んだ話によると、たった一人で凶悪なモンスターをわざわざ狩りに行く僧形の男を見たとかなんとか。どうやら先行していたと思われた〈典災〉は欲望に流されるまま道を見失っているようだった。
しかし、それ以外にも砂漠に出現するエネミーはその過酷な環境に適応した強力かつ奇妙なモンスターばかりで、スズ達一行も手を焼かされることが多かった。
特に多かったのは〈砂漠大蠍〉のように、砂の中に潜んでいて獲物が近づくと飛び出して襲いかかるモンスターだ。体温調節を必要としない甲殻類や爬虫類の姿をした潜伏者たちは長期間の絶食が可能であり、獲物が通りかかるまで辛抱強く待ち続けられる。行商人から注意を受けて初撃を凌いだ後はスズが〈狩人〉のスキルを使って奇襲を避けるようになった。
〈屍啄飛竜〉は死肉に群がる幻獣だ。旅人の上空を数匹で旋回し続け、弱って倒れるのを虎視眈々と狙いをつけ、他のモンスターと戦っている時にも漁夫の利を狙って参戦して来る。あまりにもうっとおしかったので圭介の雷撃魔法によって撃ち落とされ、地上で待ち構える面々に次々と仕留められていった。
土壌に栄養の少ない砂漠では植物すら攻撃的だ。軽快に踊りながら駆け回る青や橙色の色鮮やかな〈歩行仙人掌〉は全身を針に覆われているだけでなく、攻撃を受けたカウンターとしてその針を周囲に撒き散らしてくる。また、黒と緑色の縞模様が毒々しい巨大な〈大玉西瓜転がし〉は砂丘を転がり回って哀れな犠牲者を轢き潰し、土壌を肥やそうと襲い掛かる。はこべの鬼斬り包丁が唸りを上げた後に残されたドロップ品はいずれも汁気の多い果肉だった。
醜悪に戯画化された駱駝の頭に似た〈駱駝不定形〉は群れを成して唾を飛ばしてくる。絶妙に臭いその唾をかけられると敵愾心が上がってしまう効果があるようで、アレックスが必死に避けていたのが印象に残っている。
〈砂の精〉は奇妙な外見をしたモンスターだった。鼠の髭を生やした蝙蝠に似た顔、蝸牛のような柄の先にある目、砂色の柔らかな毛が密生したずんぐりとした胴体と猿に似た手足。五行娘々の連れていた〈砂魔女〉の流砂公主と妙に張り合って砂かけ合戦に発展していた。
*
「そないな訳で、イズモまで辿り着きましてん」
道中の話を終えたスズは、ややのぼせた頭でふと思い浮かんだ話を口にする。
「そういえば、おかしなことが起きたんぇ」
スズが持ち出したのは砂漠での戦闘中に起きた不可解なできごとだった。
それは、砂漠にできた間隙に家族単位で暮らす〈耳廓狐獴〉の群れと戦った時のことだ。
鼬のような長い胴体に短い手足と、狐に似た愛らしい顔立ちにふさふさの尾、そして閉じたら頭を丸ごと覆える程の大きな耳といった姿の〈耳廓狐獴〉は、二体から九体の家族で狩りを行うパーティランクのモンスターだ。
時に直立して周囲を警戒し、「キューン!」という鳴き声で連携し、パタンと耳を閉じてドリルのように身体を旋回させて地面に潜り、軽く三メートルは跳躍する〈耳廓狐獴〉。その三次元的な戦いと可愛さに翻弄されたスズは、ついうっかり〈夢見る子熊のトロイメライ〉を、スズシロの〈見習い徒弟〉のレベルでは使えない筈の〈吟遊詩人〉のスキルを使ってしまった。
その結果、頭上で星が回る混乱のエフェクトを着けた〈耳廓狐獴〉たちがスズの周りに群がったことで、仲間たちの範囲攻撃によって一掃できたのだが、今のスズに使える筈のないスキルを使えた事はスズの中にもどかしい何かを生み出していた。
『・・・・・・・・』
「ナカっち?」
『ん・・・・あぁ。そいつはひょっとすると〈口伝〉って奴かもしんねぇな』
しばらく言葉を失っていたナカルナードは、スズに促されて重い口を開く。
〈口伝〉とは、現実化した〈セルデシア〉で、スキルやアイテムが本来ゲーム上で設定されていたデータの範囲を超えて、味付けとしての設定までもが機能していることを利用した技術だ。
〈仙厨師〉である五行の〈満漢全席〉も、〈醸造職人〉であるはこべが作り出す味噌や醤油も、〈人妻〉の仏のザが井戸端でやたらと情報を集めてくるのも、広い意味での〈口伝〉となる。
〈ミナミの町〉や〈アキバの町〉では現在、空前の開発ブームが起きているのだそうだ。
その一方で、ゲームとしての仕様とフレーバーを組み合わせたり、柔軟に解釈し直すことで仕様の限界を超えるような、固有の〈口伝〉を見出す〈冒険者〉もいるようだ。
『だからスズっちの場合も、〈見習い徒弟〉のスキルが関係してるかもしんねぇな』




