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『特攻騎士団アスガルドフォース』
それは、賢神オーディンの元に世界各地から集った十二人の少年が神の力を宿した煌めく武具に身を包み、魔獣や巨人の軍を操る悪神ロキと対決する少年漫画。
鎧を纏った少年たちが戦う、いわゆる「鎧もの」と言われる作品の一つであり、ストーリーとしては努力・友情・勝利を柱とした熱血バトルものという王道中の王道。本命の対象である少年だけでなく女性や大人にも幅広いファンがいる。
週末のゴールデンタイムでテレビアニメ化し、海外進出も果たし、今も外伝作品やリメイクが作られ、アクション・カードバトル・乙女ゲーなど様々なジャンルのゲームも生み出してきた。
その『特攻騎士団アスガルドフォース』が〈エルダー・テイル〉とコラボしたのは、実に七年前のことである。
当時、〈中学校〉に通っていた十二歳のアレックスは、この和製テレビアニメに夢中だった。
彼は特に、ブラジル出身の腿法使い・〈森神のアデミール〉を気に入っていた。騎士団の中でも若輩でありながら言葉に出して自己を主張することも少なく、黙々と鍛錬を重ね、一歩引いた目線で仲間をサポートする『沈黙の戦士』。
自分の想いを他人に伝えるのが苦手でついつい挙動不審になってしまう引っ込み思案な少年だったアレックスは、アデミールの姿に自分を重ね、理想像としていた。
その想いは、『特攻騎士団アスガルドフォース』とコラボレーションしたという情報を手に入れて〈エルダー・テイル〉を始めるや、いきなり日本サーバーまで越境して〈武闘家〉専用軽鎧〈ヴィーダルの神鎧〉と専用武器〈強き靴〉を手に入れた程だった。
手に入れるその過程で〈エルダー・テイル〉そのものの楽しさを知り、チャットを通じて彼のコミュニケーション能力は改善されたのだが、それは彼のアデミールへの尊敬を深めこそすれど失わせるものではなかった。否、過去形で語らずとも彼は未だに夢中であり、愛好している。アレックスにとって〈ヴィーダルの神鎧〉は、努力と友情に対する過去の自分への誓いを込めた、特別な装備なのだ。
アレックスが、北米サーバーの誰よりも早く新パッチを体験するためヤマトサーバーまで越境することに決めた時に、既に型落ちして久しいこの装備を引っ張り出して来たのには、あるいは里帰りさせてやりたいなどという感傷があったのかもしれない。
「という訳で、オレは〈ノウアスフィアの開墾〉を最早で体験するために、ヤマトに来たのデス」
〈キノサキ温泉郷〉の川沿いを歩きながら高級和牛の厚切りステーキが刺さった串を手に話すアレックス。竹輪が丸ごと一本入ったパンを齧っている圭介が聞き上手ということもあって上機嫌に話を続ける。
「もっとも、〈大災害〉当日の事はあんまり覚えてないんデスけどね!」
スズが手に持った牛肉入りの中華饅で顔を覆い、五行娘々が苛立たしそうに蟹入りの饅頭を噛み千切る。果汁と酢のドリンクを口に含んでいた仏のザは二人の姿を目にし、笑うのを堪えて目を白黒とさせる。
遠路遥々やってきたヤマトサーバーでナカルナードと意気投合し、彼に紹介されてスズの客としてお茶屋で待ち合わせている間に〈大災害〉を迎えてしまったアレックスは、現実化という異常事態を、最初はサービスの一貫だと勘違いし、そしてその勘違いが正される前に〈功夫弟々〉の蹴りを受けて気を失い、折悪しくスズと五行の衣装剥ぎ取り戦中に目を醒ましたため再び意識を刈り取られた。仏のザの看護によって彼が意識を取り戻した時には既に日が暮れようとしていたのだった。
その後、しばらくはナカルナードを頼って〈ミナミの街〉で暮らしていたアレックスだったが、〈Plant hwyaden〉の設立とその後のギルド統一政策によって〈ミナミの街〉は未所属の〈冒険者〉が暮らしやすい場所ではなくなってしまった。レジスタンス活動などにも参加せず、一先ず〈キョウの都〉に腰を落ち着けている処に〈スザクモンの鬼祭り〉を迎えたのだ。
「それでナカルナードの指揮下に居たっちゃね。っと、着いたっちゃ」
そんな話をしているうちに一行は目的の場所に到着していた。
石造りのベンチを備えて休憩所も兼ねた寺院そのもののような重厚な門構え。この門を潜れば前庭を一杯に使った巨大な蓮池。その真ん中に通された道を抜けると〈キノサキ温泉郷〉に七つある外湯の一つ〈インペリアルの湯〉に繋がっている。
両手いっぱいに苺大福を抱えていたはこべは、その荷物を魔法鞄に仕舞うと戦闘開始時と同じように先陣を切って飛び込んで行き、スズたち三人が続く。思わず顔を見合わせたアレックスと圭介は手元に視線を落とすと、急いで後を追うべくそれを腹の中へと納めるのだった。
「こちらは〈インペリアルの湯〉、露天風呂です。裏山から流れ落ちる滝が素敵です」
「泉質はナトリウムーカルシウム塩化物泉です。湯温は四十二度、結構高めです」
「効能は筋肉痛、神経痛、打ち身、疲労回復、良縁成就、火災避けに良いようです」
「何でいきなり温泉レポ・・・・って、最後の二つ本当に効能ネ?」
他の利用客がいないからなのか、それとも露天風呂だからなのか、おそらくその両方だろうテンションの爆上がり切った声が仕切りの向こう側、女湯の方角から聞こえてくる。
そのテンションも宜なるかな。男湯に浸かりながらアレックスはぼんやりした頭で考える。目を引くのは岩場から流れ落ちる多段の滝。桜や躑躅などが配された裏山の光景は季節によってまた趣が変わるのだろうが今はまだ夏の終わり、圭介は桜の季節からこの絶景を見ていたのかと思うと、少しばかり恨めしくも思えてくる。
その圭介はというと、アレックスよりも高い位置にいる。棚田のように三段に別れた湯は、高い場所の方が温度が高く、低い場所ほど温度が低い。壁職の〈冒険者〉補正を得ているにもかかわらず、アレックスは一番低い場所にようやく馴染んだくらいなのだが、春から入り浸っている圭介はさっさと一番奥の最も温度も位置も高い湯に浸かって思索に耽っていた。〈小説家〉のクエストを達成するために小説を書かねばならない圭介には考えることが多いのだろうと、アレックスはそっとしておくことにした。
滝から立ち昇る湯気に煙る裏山の眺め。時折聞こえてくるスズたちの嬌声。熱い湯の中に揺蕩っていると思考は取り留めなく千々に乱れる。
「本当は、北米サーバーに帰る方法を探すつもりだったんデスよね・・・・」
「それが、スズ姉の勘違いで現実への帰還を目指すことになったと?」
「ぉゎぁっ!?」
思わず零れた独り言に返事があったことでアレックスの意識は明晰になった。気づくと隣に圭介がいた。
慌てて沈みそうになるアレックスの腕を掴んで引き上げた圭介は、溜息をつく。
「とりあえず、のぼせる前に上がりましょうか」
二人は水気を拭き取り脱衣所で浴衣に着替えた。回廊を歩いて休憩所に着くと女性陣はまだ上がっていなかったので売店に行き、アレックスはコーヒー牛乳を、圭介はフルーツ牛乳を買い、腰に手を当てて一気に飲む。
ふぃ~、と息を吐いて後味を堪能していたアレックスはふと、圭介が注視していることに気づいた。
「ケイスケ、どうしたデス?」
「あ、ごめん。不躾だったよね」
指摘されて注視していた事に気づいた圭介は恥ずかしそうに謝意を告げる。
「さっきは眼鏡なかったから気づかなかったけど、こうやって鎧着てないとアレックスは外国人なんだなって・・・・」
「HAHAHA! 何言ってるデスか、鎧着ててもオレはアメリカ人デスよ」
アレックスが普段から着ている〈ヴィーダルの神鎧〉は軽装備でありながら外見は金色の全身甲冑だ。年齢の割に童顔で柔らかな金色の巻き毛とパッチリした大きな碧瞳を持つ天使の顔立ちという白色人種の特徴をバリバリに発揮している彼が着ていても違和感は少ない。しかし、今のように浴衣に身を包んでいる場合、いかにも外国人観光客のような印象を抱かせてしまうのは致し方ないことだろう。
二人は広い待合室の畳にごろんと仰向けに寝転んだ。〈神代〉の遺物であるマッサージチェアは流石に稼働していなかったのだ。しかし、天井に組まれた格子の升目ひとつひとつに美麗なイラストが描かれており休憩中も飽きることがない。
「そうだよねぇ。アメリカ人なんだからアメリカに帰りたいよね・・・・」
「そうデスね・・・・だから、現実に帰れるのなら、それが一番だと思うのデス」
「そっか・・・・無事に帰れると良いね」
しばらくして湯上りのスズたちが休憩所に出てきた頃には、二人とも完全に寝入ってしまっていた。
◇
〈キノサキ温泉郷〉に着いてから半月程経ったある日。アレックスは圭介とスズとの三人で溶岩の湧き出る洞窟内を歩いていた。
〈ビャッコの洞窟〉の〈猫妖精〉たちから得られるドロップアイテムも必要数が溜まったことで次のダンジョンに進もうということになったのだが、次の〈スザクの洞窟〉はこれまでとは別の意味で特殊なダンジョンだった。
入り口が二つあり、それぞれに一度の入場人数制限が設けられていた。すなわちパーティを二分割する必要があるのだ。そのため、一行はスズ、アレックス、圭介で上側の入り口に、五行、はこべ、仏のザの三人で下側の入り口にそれぞれ突入することにした。パーティチャットで互いの情報を交換できるため、上の道に仕掛けられた罠を下の道から解除するなど、互いに助け合いながら進んでいた。
アレックスたちが進んでいた上側の道は溶岩の川が流れる横に張り出した狭い足場を進んでゆく構造になっており、そこで〈火焔樹人〉や〈紅蓮楓〉といった燃え盛る葉をもつ植物モンスター、〈陰摩羅鬼〉や〈飛縁魔〉のように炎を操る不死の鳥、果ては火口に巨大な巣を作っていた〈煉獄雀蜂〉など、溶岩や足場の悪さをモノともしない敵を相手に、一歩間違えば溶岩に落下する危険と隣り合わせの戦闘を余儀なくされた。
特に〈飛龍脚〉を多用して飛び回る事の多いアレックスは、圭介の脈動回復呪文と〈方術召喚:赤マンドラ〉による耐火バフがなければ何回死に戻っていたことだろうか。
しかし、その道中で彼らを最も悩ませていたのは熱さではなく、暑さだった。
『あーつーいーっ! 圭ちゃん、なんとかするっちゃ!』
「いやいやいや、流石にそれは無茶振りが過ぎますから」
今も念話越しにはこべが苦情を申し立てているが本人の言う通り圭介にどうにかできるものではない。完全に無茶振り、八つ当たりの類だ。それだけ思考リソースに割くだけの余力がなくなっている証左ではあるのだが、女性陣の装備を思い出してアレックスは、やっぱり理不尽だよな、と思うのだ。
目の前を無言で進むスズとて白いスクール水着めいたレオタードにニーソックスと丈の短いセーラー服の上衣という涼しそうな格好で弩弓を抱えている。
対してアレックス自身はいつもの黄金甲冑姿。
圭介は服飾系企業とのコラボで実装されたデニム地のスラックスとポロシャツ、サンバイザーと細いフレームの眼鏡という姿で手には短い杖を握っている。何だか奇妙奇天烈な珍発明でもしそうな雰囲気がある。
などと気温に茹る思考を脱線させながら歩いていると、先行していたスズが立ち止って待っていた。
「はこべちゃん、そろそろ駄弁りはお仕舞いですぇ。ボス部屋に着きましたよって」
そういうスズに追いついたアレックスが見た光景は、巨大な空洞の壁に広がる大広間のような岩棚。その中央に設けられたこれまた巨大な鳥の巣に鎮座しているボスの姿を見て圭介が思わず口を開く。
「・・・・比翼の鳥」
一つきりの目で三人を見回し、一本しかない足で器用に立ち上がり、片翼を広げて威嚇の声を上げたのは、薄桃色の羽毛をもつ巨大な怪鳥だった。




