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「僕も一緒に連れて行ってください!」
アレックスは土下座する圭介の姿を見下ろしていた。
圭介が頼み込んでいる相手はスズなのだと判っている。無論、ダンジョンへ連れて行くのだからパーティの総意も必要になってくるだろう。そして、意見が通らないほどアレックスの立場はこのパーティで低くはない。その筈、であって欲しい、とアレックスは思った。だが、頼み込む圭介の姿を見て心にモヤモヤとした蟠りを感じた彼は、その気持ちのまま口を開いていた。
「先に、理由を説明するべきだと思うデス」
「うん。えぇ・・・・っと、そうやねぇ」
何となく、スズは即答で許可を出しそうな気がしていた。そして理由も聞かずに即答して、後になって自分の責任だと後悔することになりそうな気もしていた。実際に、スズはアレックスに機先を制されており、それを誤魔化すようにアレックスの意見に頷いていた。
「うっかりしてました。それを話さないのはフェアじゃないですよね」
圭介もまた咄嗟の行動だったらしく、指摘されれば素直に事情を語りだした。
「僕は〈大災害〉の時、サブ職のクエストを進めるため、一人でこの〈キノサキ温泉郷〉に居たんです」
圭介のサブ職は〈小説家〉だ。
この職業は、就くことで幾つかの能力を得られる。白紙の本や帳面を作り出せる。その上に文字を書いて書籍を作り出せる。この書籍は換金アイテムやハウジングアイテムとして使用できる。と云うものだ。
そして〈小説家〉には、この機能を駆使したイベント群が存在した。
イベント開始のキーとなるのは〈キノサキ温泉郷〉や〈ユフインの温泉街〉、〈イズの町〉といった温泉地の宿に長期宿泊することである。その後、手製の書籍を作成し、これを宿代の代わりとして渡すことで、温泉宿の装飾として自作の本が登録されるのだ。長逗留しなければならないとは言っても、街の周辺を散策したり外湯巡りをしたりと一定範囲内での外出は自由に行うことができ、時には、そこから派生して他のイベントが始まることもある。
〈大災害〉前の圭介は、ヤマト全国の温泉地を巡り、イベントを進めつつ、掲示板や小説投稿サイトで実際に連載小説を書いて楽しんでいた。
そして圭介は、〈キノサキ温泉郷〉でひとつのイベントを発生させた瞬間に〈大災害〉を迎えたのだ。
そのイベントとは・・・・。
「〈煉獄雀蜂〉と〈攻城鼠人間〉と〈桜花火精霊〉の討伐なんです」
三種のイベント専用モンスターはいずれも〈四神の洞窟〉の入り組んだ場所に出現するという。
いつもなら〈ポンポンペインズ〉の仲間に連絡して手伝ってもらうところだった。しかしギルドの仲間たちは〈アキバの街〉にいる。〈都市間転移門〉や〈妖精の輪〉が使えない今、助力を得るのは難しい。幸いなことに死亡こそしてはいなかったものの、圭介独力での挑戦は失敗に終わった。
打開策も見つからず、再挑戦する気力もないまま夏の終わりを迎えようとしていた時、スズに声を掛けられたのだ。
「そういう訳なので改めてお願いします」
「もう頭下げなくて良いデス」
説明を終えて再び頭を下げようとした圭介の肩をポンと叩いたのはアレックスだった。
「理由さえ話して貰えれば、それで充分デスから」
そのまま手を取って立ち上がらせる。
スズたちは理由も聞かずに連れて行こうとしていた。それを押し止めて理由を聞いたのはアレックスだったのだ。そのアレックスが理由に納得できたのなら、もう圭介に頭を下げさせる理由はなかった。
*
六角形の石の柱が連なり、崖を成していた。崖の壁面、六角柱の一部が砕けたことでできた穴から流れ出した水が滝のように落下して行く。高所から叩きつけられた水の威力によるものだろうか、滝の真下には水流が漏れ出してきているそれの数十倍、直径で言えば二〇メートル近い大穴が開いている。大穴には流れ落ちてきた水が溜まり、滝壺となっているのだが、その水面には薄紅色の花弁が無数に浮いており、流れ落ちる水の勢いを受けて時に沈み、底の方にまで流れてゆく。花弁を散らしているのは、滝壺の周りにある広場の隅に生えている満開の山桜だ。既に八月も半ばを過ぎ、終わりが見えかけているこの時期に未だ花を付けているのは、狂い咲きなどではなくこの広場が常春に設定されたエリアだからに他ならない。歩きやすいように高さを揃えられた六角柱の岩が、まるで敷き詰められたように並ぶ広場にアレックスたち六人はやってきていた。
「ここが〈四神の洞窟〉の一つ〈セイリュウの洞窟〉入り口です」
「何処デスか?」
「それらしいもんは見当たらないっちゃ」
ここまで案内してきた圭介の説明にアレックスとはこべが辺りを見回す。しかし何度見ても、このエリアにあるのは、崖と、滝と、滝壺と、桜の木だけだ。
「いえ。ここですよ」
「え、マジ?」
圭介は滝壺の縁に立って、再度説明する。彼が指差したのは真下。すなわち、滝壺そのものだ。
「水中ダンジョンなんやねぇ」
「はい。だから、こうします。〈方術召喚:ブルーマンドラ〉!」
スズが理解を示したのを受けて、圭介は特技を使った。突然の事だったのでアレックスは思わず身構える、が。
にょにょにょにょにょにょきっ!
鮮やかな黄緑色の双葉が六つ、石畳の隙間から生えて来たかと思うと。
ぽぽぽぽぽぽんっ!
石畳の隙間から弾きだされたかのように、頭から双葉を生やした六体の幼児が飛び出してきた。よじよじ、よじよじ、と六体の幼児はアレックスたちの身体をよじ登り、背中に張り付く。
「〈水茄子〉は〈恋茄子〉の一種で、張り付かれた相手は水棲能力を得るんです」
「〈ウォーターブリージング〉要らずっちゅうこつなんね?」
「ふむ。多少の分散行動も可能と、便利ネ」
「何より、可愛いっちゃ!」
女性陣からは好評のようだったが、アレックスは一抹の不安を感じていた。
「あのぉ。これ、事案じゃないデスよね?」
「うふふ。どないでっしゃろ?」
にんまりと微笑むスズの応対に撃沈されていた。
その後、水中ダンジョン〈セイリュウの洞窟〉に突入したアレックスたちは戦闘を重ねながら洞窟を攻略していった。
目の前を桜の花びらが一枚、流れに乗って通り過ぎていく。
(これがワビサビというモノなのデスね)
透明度の高い水の中に身体を揺蕩わせながら、アレックスは呆然とそんなことを考えていた。
どこからか源泉でも流れ込んでいるのか、程良い暖かさを持っている。
仏のザと圭介が呼び出している〈バグズライト〉に照らされた水中の光景は幻想的で〈ヤマトサーバー〉を管理する〈F.O.E.〉の執念を感じざるを得ない。 頭上に見える水面には無数の桜花が舞い散り、この水没した洞窟全体が淡い桜色に染まっているのは、光源がその色を反射しているからだ。時折、水の流れに合わせてその中から数枚が水中に引き込まれ、流れて行く。
その流れを作り出しているのは色鮮やかな魚たちだ。
馬に似た顔と薇のように丸まった尾を持つ〈錦馬魚〉たちは、あるものは腹側が赤く背側が薄青く、あるものは白地に赤と黒の斑紋があり、あるものは銀色の地に黄金色の銀杏模様、etc.、一匹として同じ柄のものはいないように思えた。
「〈キュアブルーム〉! アレックスさん、大丈夫ですか!?」
幻想的な景色の中を漂っていた彼の意識を引き戻したのは圭介だった。アレックスは〈錦馬魚〉の吐き出す状態異常を与える泡に当たって「放心」してしまっていた。最前線で敵と対峙していたアレックスが急に水面へ向かって浮き上がっていったのだから圭介の心配も当然の事だろう。
前線ははこべが維持していたがピンク色の蔦で敵を絡め捕ろうとする〈蛸足水草〉を相手取ってやり難そうにしている。
その奥に鎮座して、水中であるにもかかわらず炎の弾を吐き出しているのは甲羅を背負い、鮮やかな桜色の鰭や外鰓、皮弁を持つイモリの幼生に似た生き物だ。頭頂と甲羅の中央には青く燃える炎が灯っている。
〈桜花火精霊〉。圭介の探していたモンスターの一体だ。
「ゴメン! 取り巻きは引き受けるデス」
はこべの隣まで泳いでいったアレックスは〈ヘイトエクスチェンジ〉で彼女の敵愾心を引き受ける。自由になったはこべは鬼包丁を担いで魚たちを捌きに向かった。
「ありがとう・・・・これなら。〈従者召喚:パーシモンキー〉!」
圭介が森呪遣いのスキルで呼び出したのは赤いちゃんちゃんこを羽織った体長六〇センチほどのお猿〈柿実猿〉だった。
「〈ネイチャーズラス〉! 大自然の怒りを受けろ!」
圭介の強化スキルを受けて橙色っぽいエネルギー的なオーラを身に纏ったお猿は、ちゃんちゃんこの懐に両手を差し込むとそこから青い柿の実を取り出し、振り被る。〈桜花火精霊〉へと向けて投げ付けたその一球は見事に命中。撃破したのだった。
あまりに呆気ない〈桜花火精霊〉の死を見たアレックスは、命とは何なのだろうと考え――
*
「ちょっと待ったー!」
「どうしました、アレックス?」
「何でオレを小説に書いてるデスか!?」
「これもクエストの一部なんですよ。話してませんでしたっけ?」
「聞いてないデス!」
「ありゃあ、話したつもりになってました。すみません」
「いやまぁ、良いんだけど」
〈桜花火精霊〉を倒したアレックスたち一行は、そのまま〈セイリュウの洞窟〉最深部へと辿り着き、待ち受けるボス〈青鱗の海龍〉を撃退していた。
水温が高かったとはいっても装備はずぶ濡れになってしまったので宿の川向かいにあった外湯〈道祖童子の湯〉へ入ってから宿に帰ると、すぐに夕食が準備された。
街の外苑で放牧されている牛の肉を使ったすき焼きを中心にし、海の幸をふんだんに使った懐石に舌鼓を打ち、内湯へ入ってからそれぞれの部屋に戻っていた。
そしてアレックスは、圭介が部屋に帰ってからすぐに小説を書き始めていたことに気づいたのだった。
「とりあえず、俺を登場人物にするのは止めるデス」
「困りましたね・・・・」
〈キノサキ温泉郷〉一日目の夜はこうして更けてゆくのであった。




