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「あら!? ケイスケはんやないの!」
思わぬ所で知人を見つけて思わず叫んでしまったスズは、内心で激しく後悔していた。
最近はすっかり馴染んでいるため忘れそうになるが、スズ――鈴名が現在使っている身体は鈴名が元から使っていた菘ではなく従姉である鈴代が使っていたスズシロである。
このややこしい状況を知られるというのは、相手によってはアカウント窃盗などの疑いを抱かれかねない危険な状況である。
先日ナカルナードに看破されたばかりだというのに警戒が足りていなかったのだ。
「あれ、スズ姉?」
案の定、叫ばれた相手には気づかれてしまった。
往来で大声で叫んだだけでなく、行儀悪くも指差してしまったのだ。仕方のない話だと言えよう。
しかも、鈴名と鈴代は母親同士が一卵性双生児な従姉妹であり、顎の骨格が似ている。すなわち二人は声も似ているのだ。
その上で、鈴代はやや気忙しく早口で捲し立てるのに対し、鈴名はゆったりまったりはんなりとマイペースなスローペース。つまり、菘を知っている人には声と喋り方からスズの正体を判別するのは難しいことではなかった。
「・・・・えーと、やんね・・・・」
「じゃなかった。けど、ひょっとして別アバター?」
だが、スズが口籠っている間にケイスケと呼ばれた青年は勝手に勘違いしたようだ。
〈エルダー・テイル〉は一つのアカウントに一人しかキャラクターを作成できない。しかし、別アカウントを作成することで複数のキャラクターを所有することができる。
彼は、スズシロも鈴名の所有する別キャラクターだと勘違いしたのだ。
これはケイスケが〈アキバの街〉を拠点にする中堅〈冒険者〉であり、スズシロと面識がないことも大きいだろう。
「はぁ。詳しいことは落ち着いてから説明しますぇ。今は護衛の最中やし」
「クエスト中だったんですね。それはすみませんでした・・・・って話しかけてきたのスズ姉の方ですからね」
「そういうことなら一緒に行かないかい?」
話に割り込んできたのは牛車に乗り込んだ大蔵卿だった。
彼は興味深そうな表情で青年を見る。その姿は見るからに温泉宿の宿泊客だ。
「宿泊先は何処だい?」
「〈ロッカの宿〉です・・・・」
「ふむ。ならば、我々の逗留先も其処にしよう」
即断だった。
御者が手綱を握り、牛車が動き出した。他の随行者も一切口を挟むことなく粛々と従っている。この若者の普段の様子が偲ばれた。
「こちら大蔵卿はん。今回の依頼人で〈大地人〉の貴族はんですぇ。それからこっちはケイスケはん・・・・えぇと」
大蔵卿に紹介するに辺り、気になる事のあったスズは青年のステータスを確認する。
名前:圭介
種族:ヒューマン 性別:男性 所属ギルド:ポンポンペインズ
メイン職:〈森呪遣い〉/レベル九〇 サブ職:〈小説家〉/レベル九〇
確認したのは、ナカルナードのようにギルドを移籍している可能性を考えたからだ。圭介の所属が変わっていなかったことにスズは安堵した。
「アキバのギルド〈ポンポンペインズ〉に所属する〈冒険者〉ですぇ」
「うん。牛車に乗ってるの見たら貴族なのはわかるよ。圭介です、よろしくお願いします」
スズの紹介を受け、圭介はスズにツッコミを一つ入れてから大蔵卿に会釈する。
「よろしく。処でスズと圭介殿はどのような知り合いなんだい?」
大蔵卿の遠慮ない疑問に対し、牛車の前後から四つほど耳を聳てる気配がする。
「あ、圭介で良いですよ。僕の所属している〈ポンポンペインズ〉はこの数年、ギルマスが活動休止中だったんです。それで、ギルマスの友人であるスズ姉や沙姫姉が色々と面倒を見てくれてたんですよ。つまり、ギルドぐるみでお世話になってる恩人ですね」
〈ポンポンペインズ〉はアキバを拠点にする中規模のギルドだ。ギルマスであるタイガー丸が美味しいもの食べてれば幸せという人柄なこともあり、基本的にエンジョイ勢が集まるゆるふわ系ギルドとなっていた。
タイガー丸が長期活動休止を宣言した後は脳筋眼鏡が中心となり『ギルマスが帰ってくるまで皆でギルドを守ろう!』をスローガンに頑張っていたものの、求心力であるギルマスの不在は大きく、メンバーの流出により規模は縮小していた。
そのタイガー丸が〈放蕩物の茶会〉に参加していた縁で、菘は沙姫と共に留守中の〈ポンポンペインズ〉の事を託されていた。
当時、菘はナズナやソウジロウと組んで活動していたし、沙姫は別のギルドに所属していたが、時折様子を見に行ったり、稽古を付けたり、差し入れを持ち込んだり、何くれと世話を焼いていた。
二人が共に〈西風の旅団〉へ所属するようになってからは訪ねる頻度こそ下がったものの、その頃には〈ポンポンペインズ〉の側も安定を取り戻しており、程よい距離間で付き合いは続いていたのだった。
基本的に二人とも、面倒見がよく世話焼きでお人よしなのだ。
「ふむ。圭介も苦労していたのだな」
「確かに、特にスズ姉と沙姫姉の毒舌には散々苦労させられましたけどね」
「「「「「え?」」」」」
大蔵卿の相槌に応えた圭介の一言に周囲の皆が一瞬固まった。
「ケーイースーケーはん?」
「あー、その様子だと猫被ってるんでしょ、スズ姉。それができるのなら、いっそ普段から被り続けてて欲しいものだけど」
などと話している間にも歩は進んでおり、馬車泊まりの前から大きく曲がりながら伸びる大路は川に行き当たる。川には石造りの大きな橋が架かっていたが、一行はそれを渡らず川の手前にある圭介の常宿の前で立ち止る。
大路と橋、川の傍らに走る道が交差する十字路の角に位置するのが〈ロッカの宿〉だ。
十字路に面した角に石灯篭が据えられ、三階建ての本館は大きく開口された玄関にダークブラウンの木材が家庭的で暖かな雰囲気を生み出している。「お気軽にどうぞ」と幟が掲げられているのを見て、スズは申し訳ない気持ちになった。
宿の前では、先触れによって大蔵卿の来訪を告げられた店員たちが大慌てで整列している所だった。
店の奥から流れてくる匂いにはこべの鼻がスンと鳴り、耳と尻尾が飛び出す。五行娘々の眼鏡が挑戦を受けた闇の料理人もかくやとばかりにキラーンと輝いた。
「魚介から出汁をとった湯のようネ」
「向かいん屋台もおいしそうたい」
大路を挟んだ向かいには久爾永一族の店員が詰める雑貨店が建っていた。二十四時間営業で時間帯に寄らず利用できたため〈冒険者〉たちからは「コンビニ」と親しまれていた。
仏のザが指差していたのは、その雑貨店に寄り添うように、やや道にはみ出した形で存在する木造の屋台だった。特産品をふんだんに詰め込んだコロッケや饅頭の匂いが大路のこちら側まで漂って、宿のスープの匂いと熾烈な客引き争いを繰り広げている。
「これは、夕食にも食べ歩きにも期待が持てるデス」
アレックスの言葉に、圭介も含めた全員が頷いていた。
*
しばらくの後、ケイスケを含めた〈冒険者〉六名が宿の一室に集まっていた。
大蔵卿は宿の女将によって歓待されており、その随行者たちもそれぞれの仕事に忙しくしていた。
スズたちの受けた依頼は、宿に着くまでの護衛だったので既に完遂という扱いになっている。もっとも、この宿の宿泊費は大蔵卿が持つとのことで、スズたちは遠慮なく受けていた。
彼女たちが集合したのはアレックスに割り当てられていた二階の角部屋である。
大路と川のそれぞれに面した壁に窓が設けられており、大路を行き交う人や街並みと川の流れの両方を眺めることができる上、この季節は花火も楽しめるとは、圭介の談。
ちなみに、圭介が元々泊まっていた部屋であり、大蔵卿の逗留によって急遽部屋数が足りなくなったために相部屋となった。
スズたち女性四人は同じ階の大部屋を割り当てられており大人数で集まるのには向いていたのだが、荷解きしたばかりの女性の部屋に足を踏み入れるのをアレックス・圭介共に遠慮したので、この角部屋を集合場所としたのだ。
「という訳で、どうやらアキバでは『ゴブリン王の戴冠』が発生し、〈西風の旅団〉は交渉組の援軍として〈エターナルアイスの古宮廷〉周辺で待機しているそうです」
アキバのギルドに所属している圭介は、アキバにいるギルドメンバーと念話で互いの近況を報告しあっていた。そのため〈アキバの街〉の現状についても比較的詳しく状況を知っていたのだ。尤も、それは〈アキバの街〉に住む一般の〈冒険者〉が手に入れられる情報、というレベルだったが、スズにとってはそれでも充分にありがたい情報だ。
特に〈西風の旅団〉についてはスズが最も気になっていた部分でもあり、聞いて一安心、というには状況が不安定でもあったが、ソウジロウらしいと胸を撫で下ろしていた。
「それにしても、沙姫姉もスズ姉もログインしてないと思ってたのに、そんな事情だったとは驚きです」
「そんなん、ウチかて驚きやわ」
「一番驚いたのはワタシヨ。何しろ悲鳴が上がったかと思ったらアレックス倒れてたネ」
「そ、それよりも、この先の話をしないデスか?」
色白な顔を真っ赤にして露骨に話題を変えるアレックスだったが、その意見には皆賛成だった。
目指す先はイズモの〈黄泉津平坂〉。菘がメイン装備であった〈地獄絵の打掛〉を手に入れたダンジョン〈冥府〉の入り口である。
伝言を伝えるべき相手はその入り口を塞ぐ大岩の前にいる筈だった。
「それなら打ってつけの場所があるよ。この近くに〈四神の洞窟〉ってダンジョンがあるんだけど、そこのボスエネミー素材から耐砂漠環境装備が作れるらしいんだ」
「確かに打ってつけネ」
「玄関口っち設定されとう町に対策イベントのあっけんは普通ばってん」
「ウチは賛成ですぇ」
「オレも少し連携訓練したかったので、丁度良いデス」
「そんじゃ決定っちゃね」
あっさり当面の方針が決まりかけた処で、その方針を提案した圭介が待ったをかける。
「あ、それでなんだけど」
圭介は畳の上に正座し、両手をついて頭を下げた。
「お願いします。僕も一緒に連れて行ってください!」
それは、とても見事な土下座だった。




