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第8章突入です
「いやはや。馬車での旅がここまで快適だったとは思いもよらなかったネ」
街道に連なる馬車の列。その最後尾に位置する馬車の荷台へ腰掛け、吹く風に白銀の髪を靡かせながら、五行娘々は呟いた。
チャイナドレス風の仙衣を纏い、鼻の上に小さな眼鏡を引っ掛けたエルフの美女が旅空を眺める姿は、さながら一幅の絵のようで周囲の者の視線を集めているのだが、本人はそのことにさっぱり気づいていない。
失敗に終わった一度目の旅を含めた〈ヘブンズブリッジ〉への二度の旅は何れも騎馬の旅で、頑強な〈冒険者〉とはいえ慣れない彼女たちの身体と精神に多大な負担をかけていた。
立派な胸部装甲を持つスズと仏の座には殊更に負担が大きく、一度目の旅が失敗に終わった主な原因はそこにあった。
それに比べて馬車の旅の快適なこと。
今回の旅は護衛依頼を受けての旅でもある。護衛対象の財力を現すかのように馬車そのものは最近〈ミナミの街〉で開発されたサスペンション付きの高級品で、それを操縦するのは〈大地人〉の〈御者〉というお抱えの専門家。
震動も少なく、進路について気を遣わずに済むので、五行たちも護衛に専念できるというものだった。
「ここまで楽ちんなら購入も検討したいネ」
「確かにeasyデスけど、この先の予定を考えたら馬車は厳しくないデスか?」
五行の隣で片膝を抱えながら荷台に腰かけていた黄金軽鎧の少年アレックスが嘴を挟む。
この最後尾に配置されているのは五行とアレックスの二人だ。
先頭車両にはこべと仏のザ、そして馬車列の中央には護衛対象と共にスズが乗り込んで護衛をしている。
「有道理。〈キノサキ温泉郷〉の先は馬では進めない砂漠だものネ」
*
アレックスを仲間に加えた五行たち〈七草衆〉が〈キノサキ温泉郷〉に向かうことになった理由を辿ると、〈キョウの都〉を舞台とした同時多発施設防衛大規模戦闘の翌日にまで遡ることができる。
〈Plant hwyaden〉から派遣された後詰めの部隊が到着したことで、臨時に徴集されていた第二パーティは解散となり、連日の徹夜で疲れの溜まっていた五人は〈七草衆〉のギルドハウスで昼過ぎまで惰眠を貪っていた(なお、和洋中印折衷なギルドハウスの外観を見たアレックスが言葉を失ったのは言うまでもない)。
午後の紅茶の時間になって起き出してきた五行が夕食のメニューに思いを馳せていた所に使いがやってきて、夕食への招待を受ける事になった。
五人が出向いた先で待っていたのは若き大蔵卿だった。
以前、濡羽プロデュースの宴席において一番上座に座っていた彼は、その時とは逆に〈大地人〉の〈料理人〉による味のある懐石料理を五人の〈冒険者〉に振舞った。
「君たちの活躍もあって御所は守られたと聞くよ。本当にありがとう」
十代後半に見える外見の大蔵卿は、蜂蜜色の髪を無造作に伸ばした頭を下げて感謝の意を告げる。
大蔵卿と言えば〈神聖皇国ウェストランデ〉の財務を預かる役職の筈であるが、こんなに簡単に一介の〈冒険者〉に頭を下げてしまって大丈夫なのかと五行は逆に不安になったものだ。しかし、周囲に配置されたお付きの〈大地人〉たちが特に慌てたような反応を示すようなこともない。
どうやら彼の奇行は今に始まった事ではないらしい、と五行は気にしない事にした。
「俺は別に・・・・モンスターに教われてた人助けてただけだし」
「ボクも鬼をいっぱい倒せてすっきりしたし」
「ウチらだけやのぅて衛兵の皆はんも頑張ってくれはったし」
「お礼ば言われるほどん事じゃなかとよ」
照れてぶっきらぼうになるアレックス、サバサバとしたはこべ、さり気なく衛兵たちの手柄も主張するスズ、困ったような顔で取り纏める仏のザを横目で見て、素直だなぁと感心しながらも五行は話を先に進める。
「感謝の気持ちは受け取るけど、それだけがワタシたちを招いた理由では無いよネ?」
「うん。実は君たちに依頼をしたくてね」
「ウチらですのん?」
「私は毎年、この時期に避難も兼ねて〈キノサキ温泉郷〉へ湯治に出かけていてね。それで〈冒険者〉に護衛依頼を出しているのだけど、今年は〈キョウの都〉にいる手漉きの〈冒険者〉が少ないんだ」
実際、今この〈キョウの都〉にいる〈冒険者〉のほとんどは〈スザクモンの鬼祭り〉に対処するため〈ミナミの街〉から来た〈Plant hwyaden〉の構成員だ。
彼らを率いる〈将軍〉ナカルナードは少ない人数を遣り繰りして昼夜に渡る大規模戦闘を攻略しようとしている。そんな中から人員を引き抜こうというのは無理な話だった。
そうなると、依頼を持ち掛けられる〈冒険者〉は、昨日付けで手の空いた五行たち五人しかいない。
『どないしょお? ウチは受けてもえぇと思うんやけど』
パーティチャットが開いてスズの自信無さそうな声が聞こえてくる。
『ボクは良いよ。あの辺は地元だし』
『俺もOKデス。困ってる人がいるなら助けたい』
『私は皆さんば良ければ問題なかとよ』
はこべもアレックスも賛成のようだ。仏のザは消極的な賛成という所だろうか。
五行としてもスズがその気になっているのなら賛成してやりたいが、収支を計算せずに諸手を挙げる訳にはいかない。
『ウチな、実は安檸はんから言伝を頼まれてましてん』
スズは〈破戒の典災〉との決戦前に〈古来種〉の仙女から歌姫へと伝言を預かっていた。今では遺言になってしまったその言葉を彼女はイズモまで届けるつもりなのだ。
『そういうことはもっと早くに・・・・って、そんな暇は無かったネ』
五行たちは〈ヘブンズブリッジ〉から〈キョウの都〉に死に戻った直後から〈スザクモンの鬼祭り〉に参戦し、昼夜暇なく戦ってきていた。ゆっくり相談する余裕など、何処にあっただろうか。
(確か〈キノサキ温泉郷〉は〈ロンガ砂漠〉の玄関口だったネ)
〈古来種〉たちの本拠地である〈イズモ騎士団〉に向かうには、大きく四つの道程があった。
〈ロンガ砂漠〉に入り西進する砂漠ルート。
〈ヤマト海〉を渡る海上ルート。
〈ユラゲイト地方〉を西進し、どこかで〈サルニーフ山脈〉を越える山越えルート。
〈アキヅキの街〉辺りまで西進し、〈トリヴィアル樹林〉を東進する樹海倒破ルート。
しかし、現実となった世界ではどのルートにも問題が山積している。
東に魔獣が跋扈する〈魔出ずる軍港〉、西に妖怪の棲む〈オキノ島〉が配置された海上ルートは、岩礁の多い荒れ海をモンスターを避けながら進まねばならない。漁師たちが船を出す漁場はあらかじめ水軍によってモンスターが駆逐された限定区域のみなので、船を出してくれる〈大地人〉を探すのがまず一苦労となるだろう。
山越えルートは治安の面で不安のある〈ミナミの街〉を経由することになる上、〈八岐大蛇〉が支配する〈多頭竜蛇〉の巣食う〈サニルーフ山脈〉を越えねばならない。飛行可能な騎乗生物を持たない〈七草衆〉にとっては非常に敷居の高いルートだ。
樹海倒破ルートは最も長い距離を移動することになる。ゲームだった頃は〈ミナミの街〉から〈ナカスの街〉まで都市間転移門で移動すれば早かっただろうが、噂ではその機能は沈黙していると聞く。勿論、〈トリヴィアル樹林〉も簡単に倒破できるような地形ではない。
そして砂漠ルートはというと、実は〈大地人〉がイズモへ向かう際に唯一使われているルートだったりする。〈ライディング・キャメル〉を駆り、点在する〈ロンガのオアシス〉を繋ぐキャラバンがもたらすイズモの名産品は〈キョウの都〉の貴族たちも重宝している高級品だ。
もしも五行たちがイズモへ向かうのであれば、消去法ではあるにせよ砂漠ルートが最もあり得る選択肢と言えた。
無論、砂漠と言う環境は生易しいものではない。
〈ロンガ砂漠〉は地球世界における兵庫県の北部と鳥取県に当たる地域を覆いつくす広大な砂漠地帯だ。
風に吹かれて刻々と形を変え、視界を遮る砂丘。足首まで沈み込む砂の中には時折、流砂までもが潜む。昼間は遮るもののない陽光が容赦なく照り付け、夜は氷点下の極寒地獄と化す寒暖の差。
そして、そこに棲むモンスターたちは環境に適応した者たちばかりだ。防塵仕様の〈時計仕掛〉やピラミッドを拠点とする〈木乃伊〉たち。〈大砂蚯蚓〉に〈双頭毒蛇〉といった乾燥に強い生物は常に餓えて手薬煉を引いている。
〈キノサキ温泉郷〉はそんな〈ロンガ砂漠〉の玄関口として、砂漠を行き来する〈冒険者〉に向けた品々の生産をも行っているのだ。
『原来是。イズモに向かうのなら〈キノサキ温泉郷〉に向かう護衛依頼は渡りに船という訳ネ』
『うん。そうなんよ』
『そういうことならワタシも賛成ネ』
こうして〈七草衆〉は大蔵卿の護衛として〈キノサキ温泉郷〉に向かうことになったのだった。
「もうじき着くみたいデスね」
移り行く景色を眺めながら過去に想いを馳せていた五行に、交替で周囲を見張っていたアレックスが声を掛けてきた。
馬車列は川幅の広い〈イェナパイル川〉を渡り、山と川に挟まれた道を進んでゆく。
しばらくして神代の駅らしき遺構を利用した馬車泊まりで一行の旅は終わった。
「これまでの苦労が嘘みたいネ」
思わずといった形で五行が呟く。
道中に襲い掛かって来たモンスターとの戦闘こそあったものの、〈ヘブンズブリッジ〉よりも遠い場所にあっさりと辿り着けた事で呆気なさを感じてしまう。
その気持ちは、馬車を降りて集まってくるスズや仏のザ、はこべも同じだったようで、皆一様に呆れたような表情を顔に張り付けていた。
「さぁ、それでは宿に向かうとしようか」
馬車に積まれた荷物は従者に任せ、大蔵卿はスズを伴って準備されていた牛車に乗り込もうとした、その時。
「あら!? ケイスケはんやないの!」
そのスズが珍しくも大きな声で叫んだ。
彼女が思わず開いたままの口元を抑え、指をさしたその先には、眼鏡をかけた長身の青年が浴衣に丹前を着込み、手拭いと石鹸の入った桶を手に、屋号の入った雪駄を履き、という姿で佇んでいた。




