7-1
新章突入です
ぱちり。
目蓋の開く音が聞こえたかと思うくらいに勢い良くスズは目を醒ました。
滲む視界が、自分が涙を流しているのだと伝えてくる。
懐かしい夢を見た。どんな内容だったかは覚えていないが、不思議と確信があった。
視界が晴れるのに合わせて、その確信も朧と消えてゆく。
(でも、もう迷わない)
視界が滲んでいても、閉ざされていても、思い出せる笑顔がある。
己の感情を押し殺す事に慣れたような、人間関係に膿み疲れていても自然と他者を気遣うことのできる、その笑顔の持ち主にもう一度会いたい。会って力になりたい。
そのために何ができるか。スズは考え始めていた。
決意を新たに袖で目元を拭うと、涙で滲んでいた視界が徐々に晴れてくる。
最初に見えたのは、石造りの天井に向かって立ち上ってゆく燐光だった。
スズが横たわっていたのは大理石の寝台だ。それはアラバスタ柄の寝具などではなく、精緻な彫刻が施された石の台である。それでも寝台としてのアイテム効果が高いのか、寝心地は悪くない。スズは身体を起こしながら周囲を見回す。
周囲には同じような大理石の寝台が等間隔に並べられ、部屋の壁沿いに置かれた観葉植物から立ち上る燐光が部屋を明るく照らしている。この灯りがなければ、まるで死体安置所か墳墓の玄室とでも言うべき光景になっていたことだろう。
隣の寝台には五行娘々が、その隣には仏のザが仰向けに横たわっている。おそらくスズより後に死んだからなのだろう、ふたりとも意識はまだ戻っていないようだ。
(あぁ、せや。ウチら、死んだのやね)
昏々と眠り続けるふたりの姿に、スズはようやく前後の状況を思い出した。
スズたちは旅の末に辿り着いた〈ヘブンブリッジ〉で恐ろしい〈典災〉に立ち向かい、敗れたのだ。
戦いの中で慢心をかなぐり捨てた〈破戒の典災エレイヌス〉は凄まじい攻撃力でスズたちをひとりずつ殺害していった。パーティの半数を失ったタイミングでスズは撤退を決意し、時間を稼ぐために無貌な突撃をかけたのだが、間に合わなかったのだろう。
〈古来種〉の雷 安檸と〈航界種〉のせりPはこの場にいない。〈古来種〉は大神殿での転移復活の対象外だし、月面から直接〈ヘブンブリッジ〉に来ていたせりPは復活する場所も月面になる。
(私たちが、ここの皆がどのように戦ったか、歌にして伝えて欲しいんだ・・・〈永遠の歌姫〉美紅に)
(あとの始末は任せたよ・・・・次は月面で・・・・)
(拙僧はイズモへ征く。再戦を望むなら追って来るが良い。その時こそは横槍無しで試合うぞ)
安檸とせりPが、そしてエレイヌスがそれぞれ遺した言葉を思い出す。次の目標は定まった。
そこまで考えてたスズは、静寂を破るように時折聞こえる音に気がついた。
「ぐすっ・・・・ひぐっ、えぐっ」
それは、幼い少女が嗚咽するような声。スズにとって聞き覚えのある声。
ここに至って、はこべの姿が見えないことに気がついた。
記憶を辿る。はこべはスズよりも先に死に戻っている筈だった。となれば、順番的にいっても五行とは反対側の隣に寝ていたのだろう。そう思って寝返りを打って見てみれば、予想に反して寝台は空だった。スズよりも先に目覚めただろうはこべは既に寝台の上にいなかったのだ。
「はこべちゃん!?」
上体を起こしてようやく気づいた。
はこべは寝台の陰、石畳の床の上に座り込み、愛刀〈本醸造・鬼殺し〉を抱えたまま泣きじゃくっていた。
「・・・・はこべちゃん。ゴメンなぁ」
はこべが泣いている理由に思い当たったスズはそれ以上言葉を紡げなかった。
あと少しで倒せそうだった敵の、理不尽とも思える能力による鮮やかな逆転劇。レベルの低下という事態に戸惑っている内に安檸を死なせてしまったという失態。その後、死に戻った大神殿で、次々と転移復活してくる仲間たちを迎える。はこべの壁役としての矜持はズタズタにされているだろう。
その一方で、鈴名はレイダーだ。〈猟犬〉から〈茶会〉、そして〈西風〉とヤマトサーバーのトップランカーとして名前を連ねる集団で揉まれてきた彼女にとって、レイドボスの理不尽な能力で全滅させられる程度は、もはや日常茶飯事。それだけで傷つくような繊細さはとっくに失われている。
はこべも〈七草〉の中では大規模戦闘参加率の高いプレイヤーではあるが、彼女が参加しているのは既に攻略法の確立されている、言わば安全な大規模戦闘ばかりだ。ましてや、レイドボスの理不尽能力による大逆転を初めて味わったのは〈大災害〉後。生身の肉体で、なのだ。
エレイヌスの猛攻を前にしゃがみこんで頭を抱えていた姿が、今のはこべの姿に重なって見え、スズにそれ以上の言葉を紡がせなかったのだった。
固めた決意によって燃え上がっていた気持ちが、急速に冷え込んでいくのを感じた。
(ウチもいっぺん頭冷やした方が良ぇかもしれへんね)
大理石の寝台から石畳の床へと足を下ろす。はこべの頭上で垂れていた狼の耳がピクリと動いたが、それ以上の反応は返ってこない。
スズは足音を忍ばせ、大理石の寝台が並び燐光が立ち上るその部屋を後にしたのだった。
*
寝台の並ぶ部屋を出たスズが目にしたのは、見慣れた〈キョウの都〉の町並みだった。
夜の静寂に佇む背の低い木造の家屋が連なり、高くて二階程度しかない屋根の上には夜空の星々を仰ぎ見える。もっとも、スズはこの世界の星座について詳しくはないのだが。
(コクラはんやったら、詳しゅう教えてくれはるんやろなぁ)
この時間でも都の何処かで仕事に励んでいるであろうエルフの〈文章博士〉を思い出し、スズは自分が出てきた場所を振り返った。
そこには朱塗りの巨大な門、〈朱雀門〉がそびえたっている。
地球世界に於ける京都の朱雀門は、平安京の南端にある羅生門までをつなぐ大通りの始点であり、同時に大内裏の南に位置する政治の要点でもあった。
それと同じ名を持つこの門もその位置こそ同じではあるのだが、こちらは政治のための肝心な機能が失われている。
本来、内裏に昇殿するために通るべきこの門は、三年に一度、〈悪鬼〉の棲む〈ヘイアンの呪禁都〉へと繋がる、黄泉の門へと変貌していた。
大神殿の無い〈キョウの都〉にスズたち〈七草〉の面々が死に戻って来れたのは、この門を入ってすぐの場所に、レイドイベント〈スザクモンの鬼祭り〉で使われる復活ポイント、すなわちスズたちの目覚めた部屋があるからに他ならなかった。
「〈キョウの都〉、帰って来たんやねぇ」
そのことを確認して、スズは身長の割に大きな胸を撫で下ろす。
通常、〈大神殿〉などの復活ポイントは一定範囲内に入ると自動的に登録がなされる。しかし何らかの仕様によって朱雀門の復活ポイントに登録されて居なければ、彼女たちの復活は〈ミナミの街〉にある〈大神殿〉になっていただろう。それはそれでギルド関連の滞っていた処理や銀行の倉庫に預けてある金貨やアイテムの回収などができたのだが、その代償としてミナミからキョウまでの移動や他ギルドとの関係など更なるトラブルが予想される。
また〈ヘブンブリッジ〉の何処かに復活ポイントがあった場合、今度は〈破戒の典災〉を警戒しながらキョウまで帰るという厄介な事態になっていただろう。もしくは、その場でリベンジマッチという話になる可能性も無いではなかった。
ともあれ、懸念は杞憂に終わり、〈キョウの都〉に居ることを確認したスズは、再び朱雀門の中に入ろうとした。そろそろ五行や仏のザが目覚めているかもしれないと思ったのだ。
だが、そのための一歩を踏み出そうとしたスズの背中に、夜を切り裂くような悲鳴が突き刺さった。
*
スズは悲鳴を追って〈ミヤコ大路〉を駆ける。
現場はほど近く、スズの足にかかればあっと言う間に到着できた。
悲鳴を上げていたのは幼い姉妹だった。手入れされていない髪はざんばらに伸び放題で、垢染みた肌の上に襤褸を纏っている。痩せ細っていて目だけが大きい不健康そうな様子。全体的に見て薄汚い印象がある。
廃棄児だった。
セルデシアには親が育てられずに棄てられる子供が多い。それも、より生き延びやすいようにと考えての事か、わざわざ大きな街まで棄てに来るのだ。よって、アキバやミナミ、キョウといった街には廃棄児のコミュニティができあがる。こういった街には廃棄児を雇う公共事業もあるので尚更だ。
おそらくは、この姉妹もその公共事業にありついていたのだろう。人々が目覚める前に大路のゴミを拾って見た目を整えるのは廃棄児に与えられる仕事の定番だ。
だが、姉妹の生活は、いや生命は今脅かされていた。
「ワンッ! ワンワンッ!」
姉妹を半円状に取り囲んでいるのは、ふさふさとした毛並みの犬に似た、しかし明らかに尋常の生物ではない存在だ。
〈行きている器物〉もしくは〈付喪神〉と呼ばれるモンスターの種族がある。長く使われた道具などにマナが宿り仮初の生命を得た〈造られた怪物〉の一種だ。
この犬に似た存在も、よくよく見れば額から三角形の金属輪を紐で吊るしていたり、耳の位置に木靴のような器具を吊るしていたりする。
使い込まれた馬具から生まれた怪異〈鐙口〉だ。
その背後では乗馬用の鞍を仮面のように被った唐草マントの怪人〈鞍野郎〉(本当に特撮番組に出てくる怪人のようだ)が鞭で〈鐙口〉たちをけしかけている。
戦士職でもないスズがモンスターから姉妹を守るためにできることなど多くはない。走り込みながら〈鐙口〉の一体を狙って弩弓を構える。
「〈アサシネイト〉!」
スズは必殺の一撃、のつもりで矢を放ったが、しかし思ったように指に力が入らず、狙いを反らしてしまう。
もしや、まだレベル低下したままだったかと慌ててメニューを開いたスズの目に飛び込んできたのは「死亡直後ペナルティ」という文字。
HPやMPも全快してはおらず、能力値が軒並み低下しているという、ある意味ではレベル低下よりも酷い状態だったのだ。
とは言え大技を使ったため、敵愾心を稼ぐことには成功し〈付喪神〉たちの狙いはスズに移った。
鋭い牙が無数に並んだ鞍の仮面をニヤリと歪め、居並ぶ〈鐙口〉たちに一斉攻撃を指示しようと〈鞍野郎〉が鞭を振り上げる。だが。
「〈飛龍脚〉かーらーのー!」
振り下ろされる直前に着弾した黄金の塊によって〈付喪神〉たちは全員纏めて吹き飛んだのだった。
「〈龍尾旋風〉YeeーHaw! 女性のピンチに颯爽と駆け付ける。まさに冒険者のダイゴミってもんだゼ!」
飛び込んできた塊は、黄金の全身甲冑を纏った少年だった。




