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「鈴代ちゃん、大丈夫なん?」
「御祖母はんから、名前の由来を聞いてしもたみたいで・・・・」
聞こえてくるのは叔母の春代と母である春名の会話。
高級老舗料亭『山田屋』。
それは、屋号であり、家系であり、古すぎてもはや形を変えることが困難な何かだ。
長女を店で最も腕の良い板前に娶らせ、長女を次代の女将に、その夫を次代の板長にするという創業からのしきたり。女性が多く生まれる家系ならではの、優秀な板前を家族として抱え込むという戦略。
板長を目指し腕を磨いていた叔父の栄吉。
そんな栄吉に憧れていた春代。
春代の想いを知って応援しようと思っていた春名。
雁字搦めに囚われていた三人の歪な関係は、山田屋と無関係なサラリーマンと春名の駆け落ちという形で捻れ壊れた。
旧態依然とした店のしきたりを頑なに守ろうとする祖母。だが祖母から見れば代々受け継いできた物を次代に受け渡す、ただそれだけの事だ。
まだ、家族が家のために尽くす事は当然だと言われる時代だった。
当時まだ存命だった祖父は板場の外では非常に口数の少ない職人肌の人物で、家のこと店のこと一切、祖母に任せきりだった。
そこには、屋号を守るための機構と化した家族の姿があった。
次代の女将となる筈だった春名の重大な裏切りに対し、祖母は栄吉に春代を嫁がせることで当座の対処とし、その一方で徹底的な捜索の末に春名を探しだした。
最終的には、春名の長女を次代の女将とすることでその結婚は認められたのだが、その際に祖母は一つの暴挙に出ていた。
春名の裏切りに対して機能した春代という代替品の起用で難を凌いだ祖母は、産まれたばかりだった春代の娘に付けていた名前を取り上げて、当時妊娠6ヶ月だった春名の娘に与えたのだ。
そして春名の娘・鈴名にもしもの事があった時の代替品として、鈴代と名付けた。
板場と座敷を繋ぐ廊下は、客が行き来する廊下とは違う日当たりの悪い場所にある。
そこは客の目にも止まらず、女将の目も届かないということで、従業員たちにとっては比較的気を抜ける場所でもある。
相談の体を取っては居たものの、叔母は明らかに母を責めていた。
お膳を運んでいた鈴名がその話を耳にして立ち止まり、思わず聞き入ってしまったのも、祖母に見つかってこっ酷く叱られたのも、当然と言えるだろう。
*
「まずは、虎ノ大海関の大阪場所勝ち越しを祝って、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
「ごっつぁんです!」
気づくと、鈴名は実家の座敷にいた。
上座には着流しの上から紋付きを羽織った巨漢とドレス姿の少女が座っており、他の参加者を挟んで中居姿の鈴名は一番下座に正座していた。
上座と仲居姿の鈴名だけを見ていればタニマチ主催の祝勝会に見えるだろうが、その間に居る者たちの様子はそれよりももっと混沌としたものだった。
実家の座敷を貸し切り状態となって行われていたのは、〈エルダー・テイル〉を休止して本業に専念している元〈放蕩者の茶会〉の〈召喚術師〉タイガー丸こと虎ノ大海の祝勝会であり、同時に元〈茶会〉メンバーの関西オフ会でもあった。
実際には母の実家であるこの店は、鴨川を見下ろして鱧を食べれることがウリの高級老舗料亭だ。
この場所を貸し切りにできるのは、虎ノ大海のタニマチでもある沙姫がその財力(曰く所のポケットマネー)を発揮したからに他ならない。
「秧鶏は不参加だってさ」
KRはTシャツにジャージといういつもの姿。
(いつも思うんやけど、御祖母はんはこの格好のまんま、よぉ通しはるなぁ)
「だろうな」
「KR。お前、よくアイツに連絡取ろうと思ったな。っつーか、声かけてんじゃねぇよ」
その横に座るカズ彦はきっちり正座したまま眉間に皺を寄せ、対面に胡座をかくアイヒェは不本意そうな表情を顔に貼り付け、それぞれ料理に箸をつけ始める。
普段から不機嫌そうな表情の二人だが、この話題を振られて顛末を思い出したのだろうか。渋面が深くなっている。
カナミが〈茶会〉解散を告げた後、それに反対するインクティスが引き起こした騒ぎは誰の心にも疵を刻んでいた。
「大荒れだったことは想像に難くないな」
無精髭を生やした壮年のぎんがみは、乾杯するや否や早々に「ヤニが切れた」と灰皿を抱えて窓際を占拠している。鴨川を見下ろせるその位置は店内屈指の人気スポットだ。
「タイガー丸はん、おめでとうさんですぇ」
「いやぁ、ありがとうねぇ」
混沌の中を縫うように鈴名は主賓と主催者の居る上座へとやってきた。
手中にある徳利から差し出された盃へ注がれていく、熱を孕んだ透明な液体。
タイガー丸の好みだからとKRが差し入れたもので、今日の献立はこの日本酒を軸に栄吉叔父が組み上げていた。
(あれ・・・でもこのお酒、なんて銘柄やったやろ?)
ともあれ、その見立ては確かだったようで、目の前に座る大男はかつて〈エルダー・テイル〉でそうだったように柔和な笑みを浮かべて盃を煽る。
〈召喚術師〉で〈料理人〉。食べることと動物を愛でることが大好きで、でっぷりとした体躯をゆったりとしたローブに包んで、戦闘中でも常に何かお菓子を摘んでいたタイガー丸。
本当に太ってて、実際に会ったら引いちゃうかも。かつてそう言っていた彼は本当に現実と仮身がそっくりで、鈴名は軽く嫉妬を覚えたものだ。
「「本当、何度見てもタイガー丸そっくりですわ」」
その気持ちは彼と並んで座っていた沙姫も同じだったようで、ハモった直後、互いに見つめ会ってしまっていた。
一七〇センチメートルという高身長へのコンプレックスからドワーフを選びひたすら可愛く飾った沙姫と、低身長がコンプレックスでドワーフを選択肢から除外し高下駄を常用していた菘、対照的ではあるものの、身長に対するコンプレックスは自分自身に対する自信の無さに通じる。
己の姿そのままをキャラクターの外見にしていたタイガー丸は、彼女らにとって羨む対象でもあった。
「しっかし、この面子を見るのも久し振りよね」
基本的に〈茶会〉のオフ会はカナミが発案者であるため、彼女の行動範囲内に収まることが多く、首都圏在住でないメンバーが顔を合わせる事は稀である。
特にススキノに拠点を持つにゃん太と、ナカスで活動する★鞍馬☆は現実でもそれに近い地域に住んでいるらしく、結局参加することはなかった。
そんな中、〈茶会〉関西オフ会は珍しくカナミ発案ではないオフ会なのだ。
最初にこの三人が集まったのはタイガー丸が〈エルダー・テイル〉休止を決めた後だった。
大規模戦闘集団〈放蕩者の茶会〉に所属していたメンバーは二十七人。二十四人よりも三人多いこの人数は、メンバーの入れ替えがあった事を意味する。
仕事が忙しくなった月音、試験を控えていたトゥリ、そしてタイガー丸は願掛けのために「好物断ち」をする事にした。
これがゲーム断ちという意味合いよりも、召還獣断ちというのが彼らしいところだが。
そのタイガー丸を沙姫が慰留するために一席を設けた場所が鈴名の実家だった。
沙姫がタイガー丸に限って慰留しようとしたのには訳がある。
タイガー丸自身ではなく、後任の〈召喚術師〉である詠が(沙姫にとっては)問題だったのだ。
彼女に声を掛けて誘ったのがソウジロウであること、ソウジロウLOVEの態度を隠すことなくべったりとくっつきに来ること。
余裕のある笑みで不言実行タイプな詠と、積極的な毒舌お嬢様キャラである沙姫の相性が致命的に悪かったという部分もあるが、何よりもソウジロウに近づく女性を身内にこれ以上増やしたくなかった、というのが実情であろう。
本気でソウジロウを奪い合うライバルになりかねない。当時の沙姫にはそういった危機感があった。
その場に居合わせたのが偶然だったのか仕込みだったのかはわからないが、当然のように鈴名は巻き込まれた。
もっとも、最初に話をした段階で引退の理由を聞いて引き下がり、早く復帰できるように支援するという方向にシフトしたのは実は気配りができる沙姫ならではだろう。
そして、大阪場所を終えたこの時期の集まりは、人数を増やして続いていたのだった。
「そういえば、みんなは元気にやってるかなぁ」
タイガー丸自身にもやはり〈エルダー・テイル〉に未練はあり、特に彼が休止中のためギルマス不在となっている〈ポンポンペインズ〉の状況は気になるようだった。
「硝子が〈脳筋眼鏡〉なりに上手く纏めてるわよ」
「はいな、時折ディアロ小父様が爆発したり、ぱんなこったちゃんが爆走したり・・・・いつも通り賑やかですぇ」
沙姫と鈴名が約束した支援の中に、〈ポンポンペインズ〉の様子を時折見て必要そうなら手を貸す、というものがあった。
元来、ゆるふわエンジョイ系ギルドであった〈ポンポンペインズ〉はギルマス不在の中でもそれなりに楽しんで活動を続けており、対処しきれない問題には沙姫と菘が手を貸していた。
基本的に変わり者が多く、召喚獣と戯れたい〈召喚術師〉や、物作りに拘る生産職、爆走系辻ヒーラーといった〈エルダー・テイル〉を楽しむことに全力を挙げるメンバーが起こす問題も少なくはない。
とはいえ、多少の問題はあったとしても硝子やディアロといった古株のメンバーが若い子たちを纏めて対処できていたため、二人はあんまり手を出すことなく見守ってこれた。
「みんな相変わらずだねぇ。二人には苦労をかけるけど、また時折様子を見てやってよ」
タイガー丸は嬉しそうに盃を煽る。
「それも良ぇけど、一番はタイガー丸はんが早ぅに昇進して帰ってあげる事ですぇ?」
「苦労とは思わないけど、あんまり待たせると乗っ取ってしまうかもしれないわよ?」
「たはは。それを言われると返す言葉もない」
悪戯者の菘と毒舌の沙姫から同時にチクリと入れられたタイガー丸は、額をぴしゃりと叩いて目を回してみせる。
だが、彼が何の気もなく呟いた一言は、まるで反撃のように突き刺さった。
「ギルドと言えば、ソウジロウが新しいギルド作ったそうだねぇ」
〈茶会〉の解散による疵、それはソウジロウと親衛隊たちにも刻まれていたのだ。




