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「ラスボスってボクが思ってたよりも忍耐の要る仕事だっちゃね」
愛用の太刀〈本醸造・鬼殺し〉を肩に担ぎ、はこべが独りごちた。
〈幻影宝石の通信士〉の幻体が姿を消してから数十分が経過している。
彼は〈時計仕掛〉や〈魔像機〉を率い、自動砲台などのギミックを駆使して〈破戒の典災エレイヌス〉と渡り合っている筈。
その戦場となっている隣室からは物音一つせず、状況は確認できない。
勿論、状況を確認できたとして、苦戦する〈通信士〉の姿を見れば救援に行きたくなるのが人情であり、特にヘブンブリッジで彼と数ヶ月を共にした雷 安檸などは作戦を無視して突撃しかねなかったという理由もある。
未だ典災がその姿を見せていないのは〈通信士〉が奮闘し続けているから、とは言え、いつ来るか判らない敵を待ち続けるのは精神を消耗させる。
早い話、はこべは焦れているのだ。
テレビアニメや特撮ドラマで敵の幹部が次々に倒される様子を見て、(纏めて出てきて一斉に攻撃すれば勝てるんじゃないの?)などという身も蓋もない感想を持つ彼女である。
勿論、そこに連携の有無や相性といった問題があることも判ってはいる。
実際に〈通信士〉が孤軍奮闘しているのも、制御下に無い彼女たちが加わることで連携が破綻する事を〈通信士〉が嫌ったからという事情がある。
あわよくば、自分の所でエレイヌスを倒してしまおうという目論見もあった。
ジリジリとした焦燥感の中、行儀良く順番を待っていたゲームの中のボス達に改めて畏敬の念を感じながら、はこべは肩越しに背後の様子を確認する。
流石は仙人と言うべきなのか安檸と五行娘々は泰然と、スズと仏のザは普段通りのマイペースで、虚空を見つめているせりPに至っては何を考えているのか相変わらず読めない。
自分だけが子供のままなんだな、と悔しさを感じたはこべが前方へ注意を戻すのと、隔壁のように巨大で重厚な扉が開くのは同時だった。
ガコン、と大きな音を立てて開いた扉の向こう側、主である〈通信士〉の几帳面さを良く表し、雑多な機材が配置されていながらも整然と調えられていた部屋は、すっかり様変わりしていた。
はこべ達が見た時には磨き抜かれた鏡面のようにツルリとしていた金属質のドーム、と思えた部屋の壁や天井は、今や解放されたハッチと切り裂かれ割り砕かれた穴と粘着質の糸と焼け焦げた跡に覆われ、見る影もない。
床には、それらの原因であろう、〈狙撃光線銃〉を始めとしたギミックや、〈管狐の魔像機獣〉の発射筒に〈時計仕掛の蚕〉といった人造怪物の残骸が積み上がっている。
迷宮内の激戦を生き残り合流したのだろう、〈時計仕掛の冥土猫〉のゴシック調なメイド服に包まれた腕までが、残骸から突き出している。
そして、〈幻影宝石〉の本体、菫色の宝石が安置されていた筺体は、内側から爆発したかのように捲れ上がり、火花を散らしていた。
「私に・・・ザザ・・・できるのは・・・・此処までの・・・ザ・・・ようですね」
菫色を基調とした執事姿の幻体も、全身の六割ほどが既にノイズに侵食され、声も聞き取りづらくなっている。
宝石本体を鷲掴みにした僧形の典災を前に、彼は跪いたまま苦しそうな笑顔を向けてきた。
「やれるだけの・・・ザザッ・・・ことは・・・・しました。後は・・・・お任せします」
鱗に覆われ鉤爪の生えた腕に力が籠もる。
「やめろぉぉぉぉぉ!」
安檸の叫びが響く中、パキンと乾いた音を立てて菫色の〈幻影宝石〉は罅割れ、砕け散る。
「カラカラカラ! 此処が最奥部という訳か。随分と楽しませてくれたものよ」
掌に残った宝石の欠片を払い落とすでもなく、猛禽の頭を持つ男は声を上げる。
「お前っ、よくもっ! 何でこんな事をするんだっ!?」
語気も荒く安檸が問い掛ける。
五行が配慮したのだろう、召喚してある従者の〈金目夜叉王〉がやんわりと肩を抑えている。
もっとも、九〇レベルの従者に対して安檸は一〇〇レベルのボス級なため、振り払おうと思えば振り払うのは簡単だ。
つまり、安檸もまだそこまで正気を失ってはいなかった。
「はて? こんな事・・・・と言われてもな。拙僧、挑まれて是を受けたに過ぎぬ」
頭に被っていた網代笠は既に失われ、身に纏う鈴懸には鈎裂きや焼け焦げの跡が多数。
両袖は大きく破れており、まるで荒法師の如き様相となっている中、むき出しの両腕には通電したかのような火傷の跡がある。
背中の翼は左側が半ばで断ち切られてボタボタと血を垂らし、頭巾を付けた額から右頬にかけて経由する裂傷によって右目は閉じられている。
その姿からも〈通信士〉を始めとした〈ヘブンブリッジ〉防衛エネミーの奮闘ぶりが見て取れる。
まさに満身創痍といった姿ではあるものの、彼の表情には悲壮感など欠片もなく、自身の言葉通り、全身全霊で戦いを楽しんだ余韻に浸っているようだ。
「けど、なにも殺すことなんて・・・・」
非難の言葉を上げかけた仏のザを制止したのは、肩に置かれたせりPの掌だった。
その様子を肩越しに感じ、はこべはこの〈航界種〉への好感度が上がるのを感じる。
実際、〈通信士〉も〈時計仕掛〉や〈魔像機〉たちも、死ぬまで戦うことを止めはしなかったのだろうから。
造られた生命と引き換えに僅かでも敵に傷を与えようとした彼らの覚悟に対して、その言葉は失礼にあたると思えたのだ。
「ならば、次は僕が問おうか。そもさん、と言うのだったよね」
せりPは、そのまま前に歩み出て、はこべと肩を並べる。
「カラカラカラ。〈監察者〉か・・・・説破と応えざるを得ぬよなぁ」
「〈採集者〉。お前さん、何のためにこんな所に来た?」
続けて発されたせりPの問いに対して、エレイヌスはニィッ、と嘴の端を歪めて嗤う。
「〈共感子〉の採集に決まっておろう?」
ニヤニヤと、当人自身もそれを信じていないかのような、嘘臭い答えを、それがさも当然であるかのように答える。
その遣り取りを横から見ていたはこべは、これが挑発だと気付いていた。
メイン職の一つ、〈武闘家〉には〈ラフティングタウント〉という言動で自分に対する相手の敵愾心を高める特技が存在するものの、それと性能の近い格闘家系の敵には挑発特技が搭載されていない。
これは、敵がAIによってコントロールされるのに対して〈冒険者〉はPLが思考して直接動かすため、敵愾心の数値に関係なく攻撃対象を決められるからだ。
だが、現実となった世界に於いては、言葉で煽って自分にヘイトを向けるなど、特技を使うまでもなく可能なのだ(勿論、挑発特技と敵愾心操作による誘導の意味は大きいのだが)。
「確かに、お前さん達は上手くやっているよ。効率的と言っても良い。けどな・・・・」
はこべは、何故せりPが前に出てきたのか、納得できた気がしていた。
明らかに後衛である〈妖術師〉の彼には、例え交渉のためであっても戦闘直前に最前線まで出てくる理由は無い筈だ。だが・・・・
「何で、その作業と並行して、地上から月への通信施設が次々と襲撃されているのか、教えてもらおうか!?」
おそらくは、せりPが本来持つ性格を模倣しているのだろう彼の基本方針として、負の感情を発露させている今の顔を、仏のザに見せたくなかったのだろうな。
そんな事を考えて、はこべの気持ちは少し落ち着いた。
冷静な目で〈破戒の典災エレイヌス〉を見た彼女は、その首に掛けられた白黒巴の首飾りがチカチカと瞬いていることに気付いた。
「それはなぁ・・・・ちっ、ここから愉しくなるってのに」
典災自身もそれに気付いたようで、それまでの嗤い顔が忌々しそうに歪む。
「続きが聞きたければ拙僧に倒されて降伏し、寝物語にでも聞くのだなぁ」
猛禽を模した頭部で、未だ無事な左目が左から右へと一行の顔を舐め回すように動く。
(・・・・おいおい、修験者の姿だからって衆道もOKですかよ!?)
などと、はこべが別の意味で戦慄する中、どうやら後ろに控えていた女性陣は堪忍袋の緒を斬り飛ばしてしまったようで、背後からの殺気が開戦の訪れを告げようとしている。
これが最後の問答になると察したのだろう、次の問いは雷 安檸からだった。
「イライザが、〈要塞〉攻めに加わっていた〈イズモ騎士団〉員たちがどうなったのか、知っているか?」
安檸は苛立ちを隠そうともしない。
両手にそれぞれ構えた白い棒の先には光の刃が生み出され、彼女が臨戦態勢にあることを意味している。
「知って居るさ。なんなら、逢わせてやれるやも知れぬ」
〈夜叉〉がやんわり抑えているものの今にもブチ切れて飛び掛かって来そうな安檸の双剣、先の問いから無言のまま攻撃性の魔力を集めているせりP、二人へ等分に視線を向けながらエレイヌスは利き足を一歩引いて、言の葉を紡ぐ。
「彼奴等と同じ場所に、逝けると良・・・・」
ゴィィィィィン!
「くらぁ、御託はぁそこまでだっちゃよぉ~!」
良いなぁ、と続けるつもりだったのだろうその言葉は、硬い物同士がぶつかり合う甲高い音と溌剌とした少女の声に阻まれる。
この段階まで、はこべたち一行は極力彼らの問答に嘴を挟まずに居た。
戦闘前のムービーシーンという訳ではないが、エレイヌスから謎の答えを引き出す役割は安檸とせりPが適役だろう、と作戦会議の段階で決まっていたのだ。
その分、二人が典災と問答している間、彼女たちの口は対話とは別の用途に使われていた。
スズは表面に大粒の黒胡椒を埋め込んだ胡椒餅を、仏のザはバジルやパセリを大量に加えた胡瓜サンドウィッチを、五行は果肉のジュレを乗せた桃饅頭を、それぞれの口に頬張っている。
短時間の戦闘能力上昇効果がある「料理アイテム」に五行が〈仙厨師〉の特技〈加一点〉によって性能を尖らせた「カスタム料理アイテム」は、効果は高いものの、現実のものとなった戦闘に於いては絵にならないことこの上ないのであった。
なお、安檸もまた薄荷味のシガレットスティックを唇の端に咥えて鎮静作用の恩恵を受けている。
そして、先頭に位置していたはこべは・・・・
制作級酒類専用容器〈金驃〉。
中身が空になったこの巨大瓢箪を〈鴉天狗〉の、そこだけ新品同様だった錫杖目掛け投擲したのだ。
当然、中身は真っ赤に頬を上気させた彼女の胃に収まっている。
「お前ぁ、い~かげん、ボクらのことぉ忘れてんりゃないっちゃよ、こんの鳥頭がっ!!」
戦闘の口火を切ったのは、いつものように彼女の〈武士の挑戦〉だったのだ。