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〈エルダー・テイル〉は二十年という歴史をもつ長寿作品であるだけに、その中で幾度もの技術革新を経験している。
当初はドット絵だったPCも、カクカクと動く角々としたポリゴンを経て、モーションキャプチャーによって滑らかに動く3DCGとなっているし、世界中の全言語をタイムラグなしに翻訳できる自動翻訳付きのボイスチャットなどもそうだ。
そういった技術革新の中でもっとも大きなものが、衛星写真と航空映像を組み合わせて二分の一サイズの地球を仮想的に作り出すという〈ハーフガイア・プロジェクト〉だろう。
米国に本社を置き〈エルダー・テイル〉を運営するアタルヴァ社は全世界を十三のサーバー管理区に分け、北米を除く十二のサーバーを下請け会社に任せることで地域の独自性を確保している。
日本サーバーを請け負うフシミ・オンライン・エンターテイメントは、管理対象である〈弧状列島ヤマト〉を五つの文化圏に分け、それぞれの文化に応じたクエストやイベントを配していったのだ。
人類の勢力は滅び、豊かな自然と廃墟の中で亜人間種族が勢力争いを繰り広げる〈フォーランド公爵領〉。
自治権をもつ商人貴族たちが治め、発展し続ける商業の熱が冷めやらない南方の〈ナインテイル自治領〉。
巨人や巨大熊が闊歩する北の雪原で生き抜くことを決めた人々が逞しく暮らす、鋼と氷の国〈エッゾ帝国〉。
点在する都市を治める貴族たちによる上下関係の無い同盟、東日本を纏める〈自由都市同盟イースタル〉。
そして、西日本を統べるのはかつて存在した統一王朝の正当後継者を名乗る〈神聖皇国ウェストランデ〉。
この五つの文化圏は設定上すべて、その源流を滅亡した統一国家〈ウェストランデ皇王朝〉に辿る事ができる。
その〈皇王朝〉の首都として作られた都市が、そしてその後継を自認する〈神聖皇国〉の首都となっている都市こそが〈キョウの都〉なのだ。
「ふぅん。ウチ、キョウの都ってもっと〈冒険者〉向けの施設が少ないもんやと思うてましたぇ」
あれから後、スズたちはキョウの都を南北に走る道の一つ〈カラスマ小路〉を歩いていた。
キョウの都は〈ウェストランデ皇王朝〉の時代に〈古都ヨシノ〉から遷都して以来ヤマトの中枢であった訳だが、その遷都の際に綿密な設計をされた計画都市であり、都市魔法陣の一部でもある多数の道路が直角に交わっている。
同じように「碁盤のよう」と評される現実世界での京都に於いて、烏丸通りと言えば京都御所とJR京都駅を南北につなぐ中央通りといってもよい道なのだが、この〈カラスマ小路〉はキョウのメインストリートとなる〈ミヤコ大路〉と比べて東に位置する主要道路のひとつでしかない。
とはいえ〈冒険者〉にとっては便利なことに、鍛冶屋、薬屋、古書店といった冒険に役立つ店が、この狭い通りに犇めき合うように軒を連ねているのだ。なんと大神殿までもがあり、この古い都の街並みにあって異彩を放っている。
「その辺は〈スザクモン〉対策ネ。あの大規模クエストでは、この都中が戦場になるのヨ」
何の気無しに発せられたスズの問いに五行が答える。
〈スザクモン〉とは某携帯育成ゲームで育成できるモンスターではなく、〈キョウの都〉の北部にある巨大な門のことであり、その門を中心に展開されるクエストイベント〈スザクモンの鬼祭り〉を指す。
この門は〈悪鬼〉族が支配する冥府のレイドゾーン〈ヘイアンの呪禁都〉に通じる穴を塞ぎ、地上へ出てこようとする〈悪鬼〉を封じているのだが、三年に一度その封印が綻び、〈悪鬼〉を始めとした地獄のモンスターが〈キョウの都〉に溢れるのだ。
ちなみに、〈エルダー・テイル〉ではゲーム内時間が現実の12倍の早さで経過する。例えばこのクエストにしても都にモンスターが現れるのは夜と決まっているのだが、現実と同じ経過時間だと時間の合わないプレイヤーなどはまったく参加できなくなるためだ。そのような仕様であるため、このクエストは三ヶ月に一度発生していた。その頻度と、初心者から上級者まで手軽に参加できる点から人気のあるコンテンツであり、五行もスズも、それぞれにこのクエストを体験したことはあった。
そのような訳で、レイドゾーンの入り口を街中に有し、また街中でも戦闘が発生するという特殊な条件をもつ〈キョウの都〉はホームタウンではない街としては〈冒険者〉向けの施設が多いのだ。
水薬などの消耗品を補充するための薬屋、損耗した装備を修理するための鍛冶屋、成長に応じて特技を習熟させるための古書店、そして〈冒険者〉が復活したり帰還呪文を使ったさいの再出発点となる大神殿。これらの施設が皆〈カラスマ小路〉の隘路に押し込まれていた。
「だから〈七草衆〉の家もこの通りにある」
同行して歩いていた長身の〈施療神官〉が言葉少なに前方を指差す。
一言で例えればヴェーダ神話に出てくる女神のような姿をした女性だった。
清流のような水色の髪に蓮の華を象ったティアラを載せており、引き締まった体躯と浅黒い肌を惜しげも無く晒している。
額には目を模したような〈法儀族〉の紋様が刻まれており、彼女の碧玉のように透き通る瞳に似たそれは第三の目のよう。
足元は素足にサンダル履きで、首に手首に足首に装飾品を躍らせ、脛で裾を縛るシースルーのゆったりしたズボンの上から様々な色合いの布を腰に巻いている。
袖が大きく膨らんだ非常に丈の短いシースルーの上着は羽衣の如く前が全開になっていて、小さな布に無理矢理収納された二つの胸の膨らみを強調しているかのようだ。
(ホトケちゃん、相変わらず大っきいし。あれだけ背丈があると、乳大っきくてもスタイル保てるんやねぇ。格好良ぇなぁ)
彼女の姿にスズは惚けたような表情でナズナを思い出す。
長身で巨乳な格好良い女性というのは、背が低いことがコンプレックスとなっているスズにとって憧れと軽い嫉妬を呼び起こす。
複雑な心境のままに、じっと見つめていると不意にステータス画面が開く。
名前:仏のザ
種族:法儀族 性別:女性 所属ギルド:七草衆
メイン職:施療神官/90レベル サブ職:主婦/90レベル
(この機能も、早う使いこなせるよにならなあかへんねぇ)
歩みを進めながらメニュー画面を開いたり閉じたり指を走らせスクロールしてみたり、危険行為と言われる「歩きスマホ」と同じく、周囲への観察が疎かになるのだが、それでもスズはスイスイと狭い通りを擦り抜ける。
スズにとってステータス画面には憂鬱の種が四つ潜んでいる。その内三つはかつて存在した、現在は無くなっている機能。時計とGMコール、そしてログアウトボタンだ。
これらが無くなったことで、事態の確認も救助の要請も、ゲーム世界と思しきこの現状からの脱出も絶望的なのだ。
そして、最後のひとつがフレンドリスト。
このリストはプレイヤー間の交流に役立つコミュニケーションツールだ。
登録は本人の前でなければ行えないが、本人の許可などは必要ないため、名前に反して友達でなくとも登録でき、いつ誰に登録されているか判らないといった問題点も抱えている。
主な利点は対象が同じサーバーにログインしているか否かが判ることと、念話と呼ばれる音声通信が可能なこと。
彼女たちが通りを歩いているその発端もまた、念話にあった。
ドタバタの中で金色鎧の少年を再びノックアウトしてしまったスズと五行だったのだが、二人とも怪我を治すような手段を持っておらず、彼の回復を待っていた処、仏のザからの念話が着信したのだ。
〈七草衆〉のギルドハウスで目覚め、ひとまず落ち着きを取り戻した処で仲間の安否にようやく意識が向いたと謝罪する仏のザに対して、五行は、ギルドハウスの状況を確認した後、自身の無事とスズの事情を説明し、少年の治療をするため彼女を茶屋まで呼び寄せた。
フレンドリストと念話の存在に思い至った五行とスズは、仏のザを待つ間に各々の知り合いに声をかけ、情報を集めることにしたのだが……五行はともかくスズのフレンドリストには、こういうときに協力を仰げそうな知り合いが一人もいなかった。
そもそも本来スズシロのフレンドリストである。
〈アキバの街〉を拠点に〈西風の旅団〉といった集団で大規模戦闘に勢を出していた菘と、この〈キョウの都〉を拠点に関西で活動をしていたらしいスズシロとでは、活動範囲も知己も殆ど重なっていないのだ。
数少ない共通の知己も、あるいはログインしていなかったり、あるいは既に決別した相手であったり、簡単に協力を仰ぐには信用できない者であったりで、スズの情報収集は初っ端から暗礁に乗り上げることになった。
幸いだったのは菘の名前が灰色に染まっていたことだ。どうやら鈴代が菘の身体でこの事態に巻き込まれているといった事態は避けられたようだ。
だが、そのことで〈西風の旅団〉の仲間に連絡を取ることが困難になったとも言えた。
〈西風の旅団〉は菘にとって4度目に所属することになったプレイ集団だ。
〈エルダー・テイル〉を始めたばかりの鈴名を受け入れ、育ててくれた〈七草衆〉と呼ばれるネットアイドル集団は破局を向かえ、黒い歴史の海に沈んだ。
閃光のようにレイドランクを駆け抜け、瞬く間にその役割を終えたギルド〈猟犬〉では大規模戦闘の楽しさを知った。
二年間の活動で多くの人の記憶に残った伝説のプレイ集団〈放蕩物の茶会〉の解散、そして誕生した〈西風の旅団〉。
〈旅団〉設立時からの幹部メンバーは〈茶会〉の頃からソウジを挟んで恋の鞘当てをしてきた大切な仲間たちだ。
〈七草衆〉の頃から長い付き合いのナズナ姉、高飛車だけど意外と気配り上手な沙姫ヒメ、押しが弱い割りに美味しい所取りな詠ちゃん、その内ツッコミ死しないかと心配な委員長ちゃん。
戦闘系ギルドにしては珍しく就寝が早い〈西風の旅団〉だが、新規パッチ導入の日だけに誰がログインしてたのかもわからない。今、無事にいるのかどうかも。
事務班の業務を任せたっきりになってしまったドルチェやひさ子、彼女らはあの時間も残務処理をしてくれていただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
なにより、ソウジロウの笑みを見ることができないのは辛かった。
彼らは、鈴名がこうしてスズシロの身体で困っていることも知らず、この異変に巻き込まれていないことを喜んでくれているだろう。そして、少し羨んだりもしているだろうか。
などと、スズが心の整理をつけられないでいるうちに仏のザが到着し、こうしてギルドハウスに向かうことになったのだ。
ちなみに、彼女の治療により怪我が治った少年は、意識を取り戻し追い返されていった。
「着いたよ」
暗澹たる気持ちのまま歩き続け、仏のザの声に呼び止められて意識を現実へ戻したスズは、その建物の前で立ち止まる。
「紹介するネ。ここが〈七草衆〉のギルドハウスだヨ」
五行の声に促され視線を向けたスズは、その建物の前でただ呆然と見上げる。
「うん……なんて言うたら良ぇのかな。ど、毒草的な建物やね……」
自分の表情が引き攣っているのを感じつつも、無難な感想をひねり出す。
現実の京都が厳しい景観条例を敷いているのは無意味ではないのだととつくづく思いながら。
目の前には、神社と寺院と道観とチャペルを無計画に足した挙句、割らずに圧縮したような建造物が聳えていた。
2016/4/4:加筆修正しました。