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(不謹慎やなぁ・・・・)
話に割り込んできた〈幻影宝石の通信士〉の顔を見ながら仏のザは、安堵を覚えた自身に対して呆れた気持ちを抱いた。
仏のザは未だ、せりPへの隔意を拭えずにいる。
彼女は四人の中で唯一人、〈エルダー・テイル〉のPCにしてGMであるせりPよりも、その中の人である芹沢 源としての方が付き合いが長い。
そのため、せりPの口調で喋るこの人物と、中の人である芹沢との乖離をどうしても意識してしまう。
他の三人にとっては六年ぶりの再開となるこの出会いも、彼女にとっては三ヶ月ぶりであり、懐かしさの度合いは遥かに異なり、仏のザの理性は、この人物が信用に値しない、と考えているのだ。
一方で、様々な感情も湧き上がってくる。
まだ彼女が女子大生だった頃、仏のザのHNを使い始めたばかりの頃、MMO初心者として手取り足取り教わっていた頃の甘い記憶。
その好意に甘えて深みに嵌り、スキャンダルが原因でネット上で炎上し〈七草〉解散の引鉄を引いてしまった苦い記憶。
その際に鈴代のせりPに対する慕情を突きつけられた辛い記憶。
そして、離散することになった仲間に対する負い目。
更には、サブ職〈主婦〉に就く条件として、PCが既婚である必要があるのだが、仏のザの伴侶は目の前にいるせりPとなっている。
つまり、夫の居ない場所で浮気をしているような、奇妙な背徳感をも掻き立てられている。
それらが渾然一体に混ざり合って感情の収集がつかないのだ。
「通信室に移動する。状況を報せて!」
仏のザが懊悩している間にも状況は進んでゆく。雷 安檸が報告を受け取っている間に、手分けをして食事の跡を片付け始める。仏のザの手も自然と動いていた。
ふと〈魔法の鞄〉の中に仕舞い込んでいた物に指が触れる。
インベントリでアイテムを管理していた頃と違い、手作業で片付けていたからこそなのだが、何の気なく彼女はその品を手に取っていた。
「〈時計仕掛〉の状況ですが、市街地に配置していた〈猩々〉、〈禽竜〉、〈甲虫〉の損耗は四割を越えました」
「もう四割!? 早すぎるっちゃ」
自分たちが応戦した先刻の事を思い出したのだろう、はこべの呟きには戦慄の響きがある。
「残りの〈甲虫〉は攻撃を控えて空撮に専念させています。〈猩々〉と〈禽竜〉による足止めを行っていますが長くは保たないでしょう」
「その位置やと内海を突っ切るつもりやろか」
記憶から周辺地図を脳裏に思い浮かべたのだろう、スズの声にも焦りが見える。
「そうみたいネ。師母、戦力の逐次投入は悪手ヨ」
五行娘々の声は平静だが、それが克己心の賜物であると仏のザは知っている。
「判ったわ。陸上戦力が各個撃破される前に海上戦力も投入しなさい」
親友からの大事な預かり物である〈時計仕掛〉が数を減らす事に対する悔しさと、それでも〈典災〉に一矢報いたいという矛盾を孕み、安檸が決断する。
「了解しました。出せるだけの戦力を投入しましょう」
〈通信士〉が応じたその時、一行は通信室に到着していた。
一行が通信室に入ると、壁面を埋めるモニター群には戦場の様子が在々と映っていた。
僧形の男一人を相手に、多数の〈時計仕掛の猩々〉が一撃離脱戦法を仕掛け、その合間を縫って〈時計仕掛の禽竜〉が搭載火器で狙い撃つ。
指揮を執る〈通信士〉の差配は的確だった。
一体目の〈猩々〉が下段の蹴りを放つ。〈典災〉は更に身を深く沈め、腕を支点に旋回。蹴りを放った〈猩々〉の軸足を払うと腕の力だけで跳躍し、踏み込んできた二体目の膝を蹴って上昇。殴りかかってきた三体目の胸に飛び蹴りを着弾させたかと思うと、縦回転して四体目の頭に爪先を叩き込む。
巨大な猿の金属の手足が作り出した籠を四度の蹴りだけで抜け出した〈典災〉を待っていたのは鋼の雨だ。
このタイミングを待ち構えていた〈禽竜〉達の背に搭載された〈回転式機関砲〉の火線が交差し、雨霰と銃弾を叩きつけ、少なくないダメージを与えることに成功する。
弾幕が収まる瞬間、仲間の肩を踏み台に跳躍した〈猩々〉が放つアッパーカットを無防備な状態で喰らった〈典災〉は上空に放り出される。
だが、それだけのダメージと引き換えに、蹴りを受けた四体の〈猩々〉はそれぞれ脛の断裂、膝関節粉砕、胸部装甲陥没、頭部貫通による人工頭脳破損という被害を受けて戦線離脱を余儀なくされていた。
一撃の威力が違うのだ。
それでも〈時計仕掛〉達は恐れることなく向かっていく。内海から飛来した〈時計仕掛の飛行魟〉の巻き起こす風圧に網代笠が吹き飛ぶ。
〈典災〉の素顔が顕になった。
頭巾を付けた鳥の顔。仏のザには顔を見て鳥の種類を見分けるなどできないが、かつてせりPに、あれは百舌鳥を模していると聞いたことがある。
背中に負った笈の下には同じく鳥の翼。それを広げて〈時計仕掛の宿借〉が撃ち出した対空ミサイルの群れを躱す。
修験道の衣装を纏い鳥の顔と翼を持つその姿は、正しく烏天狗である。
セルデシアにおける〈烏天狗〉は亜人間種族の一種だ。
その歴史は古く、古のアルヴと他の人間種族が争うよりも前から存在しており、歴史の長さに相応しい洗練された技術力と文化を有している。
修行により神通力を得た後は、大気中の霞を食して睡眠も不要となるため、有り余る時間を思索と鍛錬にのみ費やし、上位種である〈大天狗〉を目指す禁欲的さを持つ。
ヤマトで活躍していた〈古来種〉の中には〈烏天狗〉の修業を受け、兵法と呼ばれるその技を身に着けた英雄も居た。
その一方で、これらの特徴を背景にしたエリート意識も高いため、常に慢心しているのが最大の特徴と言えるだろう。
高慢で傲慢で驕慢、そんな〈烏天狗〉の性格を受け継いでいるのだろうか、映像の中の〈典災〉は嘴の端を吊り上げ、とても楽しそうに嗤っていた。
「あの連続蹴りは〈烏天狗〉の〈流派体術:八艘蹴り〉やねぇ」
「でしたら、類型は格闘家型ですか」
仏のザたちが通信室で戦闘の様子を見ていたのは、〈典災〉の情報を一つ一つ看破し、対策を立てる狙いがあった。
プレイ歴が長いだけあって、彼女たちの知識は豊富だ。
特にランデ真領でのレイド経験が豊富なはこべは的確にその戦力を暴き出していく。
格闘家型の敵はPCのメイン職業〈武闘家〉に似た性能を与えられた類型だ。
通常ランクであれば、他の敵への攻撃を自身に集め耐えている間に、他の敵が〈冒険者〉達を攻撃するという役割を負った。その中でも、高い回避力と紙のような物理防御を併せ持つ「回避壁」とも称される型だが、全ての敵データの中で一割以下しかいない珍しい類型でもある。
「回避の高い型っちゃね。ボクの攻撃当たるかなぁ」
「魔法防御は高いネ。物理攻撃主体に切り替えた差配は流石ヨ」
「HP総量も多いんですよね。できるだけ削っておいて欲しいですが」
そこが彼女たちにとっての誤算だった。
格闘家型はその性質から「ボスにする際は最大限の注意を払うべし」とされるバランスブレイカーであり、故に稀少とされたのだ。
攻撃の威力もHPの総量も通常の敵と比べて数倍以上、逆にステータス異常などのデバフは効果時間が短縮されるボスという存在。
これに、物理防御は低いものの高い回避力とHPで耐える格闘家型という組み合わせが引き起こすシナジーは、〈冒険者〉に過度なストレスを与え、やる気を削ぎ落としてしまうのだ。
彼女たちは、戦いを楽しみながら縦横無尽に暴れる〈典災〉の姿にすっかり呑まれ、怖気づいてしまっていた。
可能ならば、自分たちが出ることなく〈時計仕掛〉だけで倒して欲しいと願うほどに。
「あいつ、完全に現身の影響を受けてしまっているな。戦いを楽しんでやがる」
せりPですら苦い表情を浮かべている。
場に漂っていた微妙な空気を動かしたのはスズだった。
「ほな、ウチ等も楽しんでしもたら良ぇのんと違わしまへん?」
はんなりとした柔らかな、それでいて何処か悪戯を思いついた子供のような期待に満ちた笑顔で周りを見回す。
「勝てるとは限らないヨ。この中の誰かは死ぬかも知れないネ」
士気が下がると判りながら敢えて切り込んだ五行に、仏のザは心中で感謝する。
「『できないからやらない』なんて口に出てしもたら、格好悪ぅて菘に戻った後で知り合いに合わせる顔があらしまへん」
単純な答えに五行の追撃が止まる。
「ウチ。こん世界に来て、皆と一緒に此処まで来れて嬉しかった。もう一度、やり直せた思います」
艶やかな笑みを向けられ、はこべが思わず頷く。
「過ぎ去った時をなかった事にはできぃへんけど、未来は目の前に広がってて、それはまだ目指せる」
せりPと安檸は真剣な眼差しで結論を待っている。
「せやから、ウチは地球に帰って、また皆でもういっぺん一緒に遊びたい」
仏のザは振り返る。どうすればいいのか、ではなく、どうしたいのか・・・・。
「そんためにも、目の前の困難なんて笑って跳ね除けるくらいやないと、ね?」
誰かの溜め息をつく音がひどく大きく響いた。
「ほしたら、鈴代ちゃんともきっちり話つけなあかんっちゃね」
最初に反応を返したのは破顔したはこべだ。
「オフ会するツモリなら、私の店使うと良いネ」
五行も同意するように眼鏡を持ち上げ、微笑を浮かべる。
「私の弟子は良い仲間に恵まれてるようね」
最初から、独りでも戦うつもりだった安檸も、緊張を緩める。
仏のザは手の平の中を見つめた。
そこには、片付けの最中に手に触れたままだった護符が握りしめられていた。
皺だらけになったそれは〈人食い鬼〉が持っていた〈魔除けの典災ミズクン〉の手による〈破魔の護符〉だ。
旅の中で知り合った少女マツネ。その笑顔と共に、彼女たちの護るべき街道を脅かした〈典災〉の策略を思い出す。
アレは倒すべき敵なのだと、はっきりと己の心が告げていた。
「ウチの人も同席させるので、ナズナさんはスズさんが連れて来てくださいね」
仏のザはミズクンの魔除けを握りしめ、頷く。
「クエストは受諾されたようだね。さぁ皆、戦場に趣こうか」
何処かからの声に耳を傾けていたせりPも真剣な眼差して一行を見つめていた。
激闘の幕は開かれたのだ。




