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MMOのNPCの性格設定には、他種のゲームやメディアとは違う種類の難しさが存在する。
殊にRPGという種類のゲームは、PLが感情移入しやすくするため、PLが操る主人公すなわちPCの性格は没個性的になりがちだ。
そのため、主人公を取り巻くキャラクターたちの個性は重視され、特にストーリーに関わりの深いキャラクターは、その作品の人気や売れ行きにも大きな影響を与える。
その一方で、MMOにはメインストーリーに関わってこない多数のNPCが存在する。
代表的なのは、お使いクエストなどの依頼人だろう。
特に、経験値や資金を得るために足繁く通うことになる繰り返し系クエストや、段階的にクエストを進めて最終的な報酬を狙う連続クエストの依頼人などは、PLが何度も顔を合わせることになるため、ここで性格設定をミスるとPLに大きな負荷を与えてしまうことになる。
この点においてFOEは伝説的な二度の敗北を喫している。
〈ロンドールの羽つき靴〉を得るための連続クエスト〈アマルドールのウロコ探し〉に登場した彷徨える貧乏姉妹は、その不運と浪費癖によってユーザーたちの苦労を水泡に帰すことを繰り返し、難易度引き下げまでの期間、死んだ魚のような目をしたユーザーを量産した。
また、高レベル〈料理人〉限定クエストでありながら〈新妻のエプロンドレス〉を得られることで最近脚光を浴び始めた〈キャリィの花嫁修業〉も忍耐を必要とし、依頼人である貴族令嬢キャリィの毒入りの冷遇に、新たな性癖の扉を開いてしまったユーザーも少なくないと言われている。
こういった数々の敗北を糧として制作スタッフたちはユーザーに負荷を与えない、ユーザーに愛されるキャラクター造形を学んだ訳だ。
それは、〈大地人〉であれば例えば健気な令嬢であったり、部下思いの領主であったり、努力家の職人子弟であったり、はたまた無垢な廃棄児の少女であったりと、力弱いからこそ引き立つ心の強さを持った性格であり、ユーザーが快く協力でき、むしろ力を貸すことが誇らしく思えるようキャラクター像だ。
その逆に〈古来種〉の場合は、ちょっぴり残念な性格づけがなされていた。
「クッ殺姫」と愛される鈴 香鳳然り、「突撃号令エルフ」と親しまれるエリアス=ハックブレード然り。
あるものは甘味に目がない「のじゃロリ」属性を、またあるものは「ドジっ子お姉ちゃん」という属性を与えられた。
〈冒険者〉に匹敵もしくは上回る実力を持つ彼らはその残念な設定により、完璧超人としてではなく愛すべき隣人として冒険に関わっていく。
まぁ何が言いたいのかと言うと、すなわち〈古来種〉の天仙、〈光刃仙女〉雷 安檸もまた、その例外ではない、ということだ。
「イライザの仇ィィィぃ! オラ、逝ねやァ!」
脇や背中が大胆にカットされたエナメル質のドレスの、左右に大きなスリットが入った長い裾を翻し、安檸の右手が突き出される。
そこには蓮の花弁のような純白の円筒が握られている。
筒の先端からはショッキングピンクの光が迸り、良く言えば片刃の短剣、悪く言えば太めのタクアンといった形を作っている。
刺突よりは斬撃に向いた形状と言えるだろうが、明らかに刃の鋭さや切っ先の尖り具合でダメージを与える武器ではなかった。
〈時計仕掛の甲虫〉たちが枝角の先端から撃ち出してきていた粒子砲に似てはいるが、それを越える熱量を刃の形に凝縮された短剣が振るわれる。
フオン。
その都度、何処か郷愁を誘う音とともに、空気の焼け焦げる匂いが漂う。
安檸は左手にも同じ光の刃を持つ剣を握っており、その二振りを攻防自在に操っていた。
二本で一対を成す光の剣、その名を〈白巫双剣〉と言う。
「はこべ、あれ非実体剣ヨ。刃を受けたら駄目ネ」
「了解」
大技による大量殲滅で上昇し過ぎた敵愾心を〈助太刀〉で吸い取りに来た武士へと、五行娘々は短く指示を出す。
はこべは即座に構えを変えた。
低い姿勢で巨大な包丁を青眼に構え、その刃を盾のように使って敵の攻撃を受け、流し、弾く〈玄武の構え〉から、右肩に包丁の背を乗せた自然体の立ち姿へと。
足元から吹き出す青い気も、ゆらゆらと全身から立ち上るように変わっている。
弛緩しきったその姿は反撃を重視した〈居合いの構え〉だ。
後の先を取って敵の攻撃が当たる寸前に自分の攻撃を敵に叩き込むことを可能とするこの構えは、手数と引き換えに少ない行程で回避困難な大ダメージを与えられる。
刀身が光でできた剣は、敵がその刀身を防ぐのを困難にさせるだけでなく、その刀身を使って我が身を護るのも難しく、結果として安檸は斬りかかるその度に反撃を受けてダメージを蓄積させていく。
居合による迎撃で相手の攻撃の出始めを潰しているとは言え、はこべも無傷とは程遠いが、そこは仏のザが控えており、安定したヒールワークではこべのHPを保っている。
スズもまた、はこべが蓄積させる敵愾心の範囲内で矢継ぎ早に攻撃を繰り出して攻撃職としての役割を勤めている。
幸先の良い滑り出しではあったが、しかし五行は油断することなく周囲に目を配る。
それこそが〈大災害〉以後の現実となった戦闘で五行が担うことになった重要な仕事だった。
幸いと言うべきか、安檸が参戦して以降〈時計仕掛〉たちは手出しをせず様子見に徹しているようで、気を抜けるわけではないが乱戦を気にしなくて良いのは助かっている。
「まぁ、機械相手でも師母に連携などできないだろうけどネ」
そう独りごちる五行にとって、安檸との戦闘は初めての経験ではなかった。
雷 安檸と五行娘々の関係は師匠と弟子、ということになる。
ナインテイル北部〈ユラゲイト地方〉にひっそりと存在する特殊空間、仙境。
〈七草衆〉が解散した後、一時帰国し就労ビザを取り直して再度来日した五行が向かった場所こそ、この場所だった。
そこで彼女は料理の師について仙厨師の道を歩み、召鬼の師についてユニークな召喚モンスターと契約を交わし、宝貝の師について多くのマジックアイテムを手に入れた。
その宝貝の師こそが〈天仙〉にして〈宝貝技師〉である雷 安檸だったのだ。
五行の装備している調理判定にボーナスの入るチャイナドレス〈割烹仙衣〉や、着弾箇所を起点に戦技召喚を発動できる飛剣〈水滸飛刀〉なども彼女から与えられたものだ。
仙境でのクエスト群では、宝貝の入手、作成、強化といったイベントが欠かせないため、〈宝貝技師〉の出番は多い。
その数あるクエストやイベントの中で、雷 安檸の性格付けは徐々に成されていった。
偏屈で怠惰で視野狭窄気味。
まず、仙境の通信室に引き籠もる彼女に会いに行くのが一苦労。
依頼をすれば必ず条件をつけて断ってくる。
幾重もの条件をクリアして、ようやく不承不承ながら仕事に取り掛かってくれる。
かと思えば、宝貝への薀蓄を延々と語りだして止まらなくなる。
仙人たちの集会にも出てこないため、呼びに行くのも冒険者達の役目だ。
一体、F・O・Eがどういう層の萌えを狙ったのかはわからないが、こういった残念なお姉さん具合がヒットしたのか、一定のファンは居たらしい。
そんな彼女だが「安檸豆腐」と揶揄されるほどに精神抵抗力の低い豆腐メンタルの持ち主で、時に逆ギレして暴れだすことが幾度もあった。
そこは腐っても師匠と言うべきなのか、〈冒険者〉の師範システムに似た仙術によってイベントの適正レベルに実力を抑えてのことではあったが。
最終的に〈宝貝技師〉ではなく〈仙厨師〉の道に進んだ五行もサブ職レベルを九〇に上げる過程で、各レベル帯に配置された二桁に航る安檸の暴走を抑えてきた経験があったのだ。
その経験則に基づけば、今回の安檸はこれまで戦った中でも最高の一〇〇レベル。
そもそも、仙境という閉鎖環境でさえ引き籠もっていた彼女がこんなところに居る時点で、〈ノウアスフィアの開墾〉によって追加されたイベントである可能性は高い。
五行の知っている安檸の戦闘スタイルは〈冒険者〉で言えば手数の多さと状態異常攻撃に秀でた短剣二刀流の〈盗剣士〉に似ている。
自ら鍛えた〈白巫双剣〉を両手に構え、手数の多さで敵を圧倒する。
光輝属性を持ち、物理防御力を無視する魔法ダメージと共に様々なバッドステータスを与えてくるため、〈守護戦士〉のような重戦士にとっての天敵とも言える。
軽戦士タイプの戦士職であるはこべであってもその攻撃全てを捌くことはできず、次々と追撃マーカー、スリップダメージを引き起こす流血、回避力低下、防御力低下、呪文詠唱障害(はこべには実質無意味だが)といった状態異常に見舞われている。
仏のザが早々に反応起動呪文を〈反応起動状態回復呪文〉に切り替えていたため、状態異常が蓄積してはいないが、〈反応起動回復呪文〉が失われた分、〈ヒーリングライト〉等を使って細かいHP回復を行わなくてはならなくなっていた。
苛烈さを増していく攻撃の一方で、雷 安檸の防御能力は決して高いものではなかった。
まるで月の魔力に酔っているかのような様相を呈しているため、そもそも防御や回避に意識が回っていないこともあるが、双剣という戦闘スタイルも、身に纏うチャイナボンテージ〈翠儒仙衣〉も、攻撃力を底上げこそすれど、見た目以上の防御力を持つものではなく、彼女の継戦能力は一〇〇レベルのボスエネミーとしての潤沢なHPによって維持されてているだけだった。
だが、そのHPを削るはこべとスズは苦戦を強いられていた。
勿論、戦闘能力を過剰に攻撃に割り振っている安檸に攻撃を通すのが難しいという訳ではない。
五行が呼び出したままの〈火の精霊〉が放つ自動攻撃は容赦なく着弾し、適切にダメージを積み重ねている。
二人が苦戦をしている理由は、相手の見た目が人間、それも若い女性だということにある。
確かにこれまでの訓練や旅の中で〈黒狸族〉や〈人食い鬼〉といった人型の魔物と戦い、倒した経験はある。
しかし、人型の魔物と戦うのと、人間と戦うのではやはり違うのだ。
彼女の全身が矢と火傷と裂傷に覆われるより随分前に、二人は攻撃を手控えてしまっていた。
後方で支援する仏のザもまた、治癒したくなる衝動と戦っている。
この状態が長く続けば、精神的にも戦力的にも危険と感じた五行は打開策を考える。
安檸の精神耐性は低い。
そのため、精神属性の攻撃で状態異常を与えれば正気を取り戻す可能性はあったのだが、生憎と五行の契約した中に精神属性のモンスターはいない。
「スズ、精神属性の攻撃が必要ネ」
「よろしぃおすぇ」
その指図はスズが魔法の太矢を各属性毎に数本用意していた事を思い出してのことだったのだが、攻撃を躊躇っていた彼女は即座に反応して魔法の鞄に弩弓を持った手をそのまま突っ込む。
鞄から手を出した時、その手には玻璃で作られた琵琶が抱えられていた。
弦を爪弾く指先と異国の歌詞を紡ぐ唇、そこから流れ出る曲は優しさと労りに満ちて、安檸の怒りに昂ぶる心を解き解していく。
その曲名は〈月照らす人魚のララバイ〉。
聴いた相手から戦意を奪う、呪歌と呼ばれる精神属性の特技の一曲だった。