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動きを止めたスズの手元に揃えて並べられていたのは、直線的で無骨なフォルムをもつ〈鋼の太矢〉だ。
〈エルダー・テイル〉では資産の陳腐化を防ぐため、およそ一〇レベルおきに上位のアイテ
ムが存在し、ダメージが少なくて敵を倒しきれなかったり、受けるダメージに回復が追いつかないなど、それまでのアイテムでは対応できなかった状況に対応できるようになる。いわゆる、型落ちが発生するのだ。これは武器・防具・装飾品や鞄といった装飾品でも、水薬・呪毒・巻物・宝珠といった消耗品でも同じことで、当然ながら矢弾もこの中に含まれる。
〈鋼の太矢〉は使用可能レベル四〇の矢弾で、弩弓専用だ。基本パックの上限レベルである五〇レベルの〈魔法銀の太矢〉より一段落ちるものの、属性が付与されていないこともあって威力の割に安価。前回の旅で、街道周辺のエネミーレベルを確認したスズがこれなら大丈夫と判断し、〈人食い鬼〉たちのドロップ品を換金した分け前で大量に購入したものだ。戦闘になると湯水のように使うため、二〇〇本単位で矢筒に纏めて魔法の鞄に詰め込んである。
いかに〈冒険者〉といっても、常に自身のレベルに見合った冒険ばかりをする訳ではない。低レベルの狩りを行う場合に対応した低レベルの装備や消耗品を使用することは珍しくなかった。
だが、はこべが指摘していたのは、そこではない。
スズの傍らでまだ整理の手が伸びていない〈黄雷珠の奔流〉。
レベル六〇で電撃属性をもつ魔法の太矢で、稲妻のようにギザギザな形をした黄雷珠の鏃と、〈雷鳳凰の雛〉の羽根を使った黄色い矢羽が特徴的だ。
これは彼女たちの旅の話を聞いた〈検非違使別当〉ヘンリー・レインウォーターからの贈答品だ。彼からの贈り物は、それまでの女性を対象にした装飾品や骨董品から、実践を前提とした消耗品などに変わっていた。何を送ればスズの役に立つのかを吟味した、彼らしい気の回し方だった。
機械や水棲生物に高い効果をもつこの矢の他に、対アンデッドを意識した光輝属性や火炎属性の矢。飛行中の敵に高い威力を発揮する矢。〈人食い鬼〉や〈悪鬼〉にも効く巨人殺しの矢。用途も様々な矢がそれぞれに数百本も贈られて来ており、本数は少ないものの〈雷獣殺しの毒矢〉のような稀少かつ高レベルな品まであった。
これら特殊な矢弾は、矢弾本来の特殊効果に加えて本人の特技の効果も載せることができるため、使い所さえ見極めれば数本で戦いの趨勢を変えるほどの効果を持つ。
だが、スズはその使い所を見極められずにいた。
否。
〈西風の旅団〉という大規模戦闘ギルドの事務班長としてアイテムの管理を行い、それ以前にも〈茶会〉や〈猟犬〉の一員として大規模戦闘に参加してきた鈴名だ。種族も職業もビルドも変わり、ゲームが現実になったとしても、アイテムの使用タイミングに関する勘まで失われてはいなかった。
だからこそ、はこべが指摘した原因は他にある。
「せやけど、本当やったら、これ貰てたのは鈴代ちゃんやし」
彼女が矢弾の使用タイミングを誤っていた原因は、支援者の好意を向けられるべきは自分ではないという思いからだ。
「そんなん言ーたってスズシロちゃんは居てへんで?」
対するはこべの追求は全く容赦がなかった。
「そもそも、スズシロちゃんは菘ちゃんにお客を取らせようとしてたんで? 遠慮する必要なんて無いっちゃ」
それは、〈大災害〉当日からずっと、スズが考えないようにしていた疑惑だ。
とはいえ、指摘されてしまった今となっては、疑惑というにも烏滸がましい、少なくとも状況証拠だけで見ても明らかな事実だった。
五年ぶりに知人を紹介したいと言っていた鈴代。
〈ゴジョウ大橋〉袂の『お茶屋』での待ち合わせ。
待ち合わせ相手を『お客』と言っていた、珍しく言葉を濁していた五行娘々の態度。
そして、退室する際の鈴代の言葉を思い出す。
『もし間に合わへんかったら、先方と二人でシケ込んでも良えからね~』
その時は軽口かと思っていたが何の事はない、鈴代は最初から菘を売るつもりだったのだ。
これまで、自分をごまかしながら到達を先延ばしにして避けてきた結論に手が届いてしまった。双子のように育った従姉の裏切りに怒るでも恨むでもなく、それに安堵と納得を感じてしまう。そんな自身に対しても「仕様も無いなぁ」という諦観ばかりで、思わず知らず笑みが浮かんで来てしまうのだ。
(そー言えば、あの人は今なにしてるのかしらね?)
ふと、あの六畳間で出会った少年を思い出す。正直、互いにあられもない姿を晒しながらの出会いだったので、あんまり遡りたい記憶ではないのだが、あまりの衝撃だったため簡単に忘れられるような出会いではなかった。三十路手前となったこの歳まで、彼女は家族以外の男性の裸と言うものに縁がなかったのだ。
その少年の素性について、何も確認していなかった事も思い出した。その邂逅時間の殆どで彼は気を失っていたから対話はできなかったのだが、ステータスくらいは確認しておくべきだったのかもしれないと思考を巡らせたものの。とはいえ、それも今になって思い出したからこその思いつきであり、後出しジャンケンが有利なのと同じで、意味のない考えなのだが。
「スズちゃん、なんかニヤニヤし始めたけど、大丈夫なん? ひょっとしてボク、言い過ぎた?」
無意識に上気し紅潮した頬を押さえて笑みを抑える姿に、不気味な物を見るような目のはこべがおずおずと声をかけ、スズはハッと我に返る。
「あ、うん。済んまへんぇ」
問題の本質は解っていた。
元よりスズシロは〈暗殺者〉だ。武器攻撃職としてこのパーティの中で彼女が負うべき役割ははっきりしている。秒当りダメージ産出量を上げ、戦士職や回復職の負担を減らすこと、それに尽きるのだ。
「おおきになぁ。もうはこべはんや仏はんに益体かけへんようにするからね」
贈答品を消耗するのは未だ躊躇われるが、敵レベルが低いのであればPSで補おうとスズは決意した。
「ボクが言いたいんは、そういう事と違って・・・・」
「ほな、ウチは一寸偵察に行ってきますぇ」
意識が思考の底に沈んでいる間も機械的に動いていた手は、既に矢筒の整理を終えており、それを魔法の鞄に片付けたスズは、はこべの言葉を遮って立ち上がり〈狩人〉のスキルを順に起動させながら歩き始めた。
背後で、年少の友人が手を伸ばすのを鋭敏化した五感が知覚した。感謝の念が浮かんできたが、振り返らないように努めて足早に彼女との距離を取る。
今は、考えたくないことを考えるため、独りで心の整理をする時間が必要だった。
◇
その翌日、五行たちは早朝から行軍を再開していた。
彼女たち歩を進めているのは山間に残された迷路のような細い街道の跡。ステータスを見れば〈フェリライン隧道〉とある。両側に山肌が連なる谷底の細道、かと思えば山の斜面に隧道の口が開き、地の底へと誘う。
このような道を選んだのは、地を埋め尽くす不死の怪物に対策するためだ。
〈動く骸骨〉や〈動く死体〉のような低級のアンデッドは、上位者の命令などが無い場合、単体でふらふらと徘徊していたりぼーっと突っ立っていることが多いが、ひと度感知範囲内に人間種族を捉えると、冷徹に襲い掛かってくる好戦的なモンスターだ。
広い平野に点在するこれらの敵たちとの戦いでは、戦っている最中に他の敵の感知範囲に入ってしまい、連鎖的な継続戦闘が発生しやすい。
一方、彼女らが使っている二車線ほどの隘路であれば、極論、前と後ろのみを警戒していれば良い。谷底であれば左右の山から下りてくる敵もいるが、それも多い訳ではないし、不死の怪物には飛行能力を持つ者が比較的少ないという点もあり、隧道に入ってしまえば、そういった心配すら不要となる。
「〈妖術師〉であればこういう時〈フリージング・ライナー〉で一掃できるのにネ。やれやれヨ」
機械的に火炎弾を撃ち出す〈火の精霊〉を従えた五行は、ボヤきながらも〈飛剣孩子〉を戦技召喚した。派手な忍者装束を纏った少年が精霊の炎を得て燃え盛る四爪手裏剣を撒き散らす。炎に弱い〈動く骸骨〉はそれだけで半ば炭化し、包帯に引火した〈木乃伊〉も慌てふためいている。
「まぁまぁ。そん場合、倒し切れなかった敵からんヘイトが大変な事になっちゃいます」
他の敵も多かれ少なかれ打撃を受けており、そこに光の矢が降り注ぎ、爆発。仏のザによる〈パニッシャー〉での追い撃ちだ。〈施療神官〉の攻撃魔法は光輝属性を弱点とする不死の怪物との相性が極めて良い。〈動く骸骨〉が炎のダメージから回復することなく浄化されて逝く。
仏のザが行っていた全国寺社巡りという名の聖地巡礼に度々付き合っていた五行にしてみれば、このアンデッド掃滅は慣れたもの。練習の甲斐もあって、現実化した戦闘でもコンビの息はピッタリだ。
だが、しかし・・・
「成仏しておくれやす」
魔法の波状攻撃を耐えた敵へスズが立て続けに矢を放つ。〈屍食鬼〉が〈エクスターミネーション〉に倒れ、火達磨になったままの〈木乃伊〉へついでとばかりに〈スウィーパー〉でトドメを刺す。
後に残されたのは〈動く死体〉たちだけで、その中央に飛び込んだはこべが〈旋風斬り〉の一閃で斬り伏せる。
「これで一丁上がりっちゃ!」
五行と仏のザが仙境巡りや聖地巡礼を行っていた間、ギルドハウスのある〈キョウの都〉でおそらく最も長く一緒にいたのはスズシロとはこべだ。
スキャンダルを発端としたギルド〈七草衆〉解散、それに小学生の身で巻き込まれたはこべと、従妹と引き離されてしまったスズシロが、ギルド再結成するまでどうしていたか、五行は知らない。
火元に最も近かった親友を遠ざける必要があったことと、彼女自身の就学ビザが期限を迎えた事が原因だったのだが、その時期に二人を放り出したという後悔は彼女の中に凝りを残した。熱りが冷め、五行が就労ビザを得てヤマトの地に戻ってきた時、はこべとスズシロはコンビで活動をしていたのだった。
その頃の連携を彷彿とさせるような二人の攻撃に、五行は微かな違和感を覚える。
しばらく様子をうかがってみたところ、スズのDPSが僅かに上がっていた。それに伴ってはこべの戦い方もダメージ量よりヘイト操作を優先するようなものに変わっており、バランスが取れているように見えた。
変化はあれど特に問題は感じない、だが違和感は消えていない、となると・・・・
「これは、何かあったネ?」
五行は密かにため息と共に次の呪文を吐き出すのだった。




