3-12
〈大見得〉と共に先陣をも切ったのははこべだった。
戦闘開幕の定番とも言える〈浮船渡り〉からの〈兜割り〉によって、距離を詰め、大ダメージを与え、敵愾心も確保。
エニグマ童子は距離を取り〈二本射ち〉で応戦するが、一本は〈矢避け〉で強引に回避され、命中したもう一本も事前に仏のザが投射していた〈反応起動回復呪文〉が橙色の光を放って治癒させ、僅かな被害に抑えられていた。
境内跡に聳える欅の樹。龍の如く拗くれた樹上に〈悪鬼〉が姿を現す前から身を隠していたスズは、その間に次々とアイコンを操作していた。
〈サイレントキリング〉、〈サイレントスナイパー〉、〈ピンポイント〉、〈インスタントフォーカス〉、そして〈ヴェノムストライク〉。
攻撃の命中率を上げ、与ダメージを上げ、効果的成功の発生率を上げ、隠密奇襲の効果を最大限に活用する特技群。
そして最後に選択するのは〈アサシネイト〉。
単体最大攻撃力を誇る〈暗殺者〉の代名詞とも言える特技だ。
勿論、これだけの特技を重ねて大ダメージを与えれば、一時的にせよスズの敵愾心ははこべの頭上を飛び越えてトップに躍り出るだろうが、それも戦術の内。
僅かに怯える心を捻じ伏せ、スズは紫色に染まる毒矢を解き放った。
背後から右肩甲骨の辺りに矢が突き立ち、紫色の泡が立ち上る。
痛みとともに毒を受けた事を察したエニグマ童子は振り返り、樹上で弩を構える〈暗殺者〉を見つけた。
「俺様に矢で挑もうったぁな、いい度胸じゃねーか!」
瞬間、それまで脳内を占めていた〈武士〉の姿が塗り替えられた。
鋼の弓に矢を番えキリキリと弦を引き絞る。
娘のこめかみ付近に狙いをつけている間に、小癪な〈召喚術師〉に操られた〈砂仙女〉が箒の先から細かい砂粒を噴き付けてくる。
目に痛みが走り、開けていられなくなった〈悪鬼〉は、それでも直前につけた狙いにそって矢を撃ち放つ。
キンッ! ザシュッ!
金属同士が激しくぶつかる音に続いて太腿に痛みを感じたエニグマ童子は目を見開く。
視力を取り戻した彼の目に映ったのは、スズを庇って鬼包丁を構えたはこべの姿。
〈助太刀〉によって駆けつけた彼女は、狙いの甘くなった矢を〈矢返し〉によって弾き返し、逆にダメージを与えた。
「アンタの相手はボクだらーが。忘れるんじゃないっちゃ!」
〈武士の挑発〉を重ねるはこべの咆哮に、エニグマ童子の戦闘思考は再び彼女を警戒対象として認識した。
通常、敵の攻撃を受けると敵愾心は揮発する。
これによって、敵愾心が高まり過ぎ、集中攻撃を受け過ぎることは防止されている。
だが、敵の攻撃をメインで受ける事になる戦士職にとって敵愾心の揮発は、無ければ困るが多すぎても役割を果たせなくなるという頭痛の種だ。
〈武闘家〉であればそもそも被弾することが少ないため(敵愾心が高まり過ぎて事故死する問題はあれど)あまり問題にならないし、〈守護戦士〉であれば〈アイアンバウンス〉など防御力を高めながら同時に挑発できる特技を使えば良い。
同じように〈武士〉の場合は〈木霊返し〉による反撃が敵愾心揮発を防ぐ主な手段だ。
しかし、〈木霊返し〉の射程は武器に依存する。
全体的に挑発特技の射程が短い〈武士〉にとって、エニグマ童子のような遠距離を維持してくる敵は、苦手な相手なのだ。
はこべはこの弱点を、攻撃によって高まりすぎたスズや五行の敵愾心を吸うことで対処していた。
回避力に劣るが移動力が上がる〈白虎の構え〉と防御力の上がる〈玄武の構え〉を使い分け、大技を使った直後の味方の元へ駆けつけて、その敵愾心を奪い取る。
これは六人で戦うことを想定された敵に四人で挑むことによる火力不足を補う手でもあった。
本来、エニグマ童子のレベルは一対一であれば経験値すら入らないほど楽勝の相手だが、適正人数の三分の二しかいないことで、手数が足りず攻めきれていない。
はこべの装備は鬼を倒すことに特化した武装をしているため、やはり本来ならば適正人数を割り込んでいても、ここまで苦戦はしない筈だった。
これが、ゲームであるのならば、だ。
これまで〈七草衆〉の戦いは、はこべが敵愾心を集めることで彼女に殺到する敵を撃破していく事を基本にしていた。
道中の戦いで基本を越えた応用戦術も編み出してはいたものの、基本は基本である。
ところが、今回の敵にはその基本が通用しなかった。
敵愾心を稼いだはこべが接敵すると、彼女から距離をとって弓を射る。
スズも得意とする「引き撃ち」と言われる戦い方だが、これによって攻撃の射程から逃げられてしまう五行やはこべは移動しながら攻撃しなくてはならず、攻撃前に使って攻撃力を上げる特技などを使っている余裕が失われていた。
隠密奇襲から、こちらも引き撃ちに方針を変更したスズも、自分が動き回りながら動き回る的に矢を当てるその難易度に閉口しており、〈インスタントフォーカス〉のサポート無しでは殆ど命中させられていない。
当然のように戦いは長時間に及び、エニグマ童子が肩で息をする頃には、はこべと仏のザは〈叢雲の太刀〉や〈イセリアルチャント〉など切り札と言える再使用規制時間の長い特技の大半を使い果たしていた。
「童子はんの顔色、赤に変わってきましたぇ」
「って事は、残りおおよそ三割って辺りっちゃ」
互いに大規模戦闘経験者であるスズとはこべは、長時間の戦闘でも集中力を切らさず、敵の変化を見逃さなかった。
その二人がパーティチャットで交わす遣り取りに、仏のザは方針を決める。
耳飾りをチリンと弾き、宣言した。
「ちょっと消耗しすぎましたね。一度、街道に下がります。皆さん準備を!」
「え?」
「オッケー。せやったら弓に攻撃を集中するよー」
「了解ですえぇ。〈パラライジングブロウ〉!」
唐突な方針変換に驚くのは五行ばかりで、はこべが即座にプランへ補足を入れ、スズは麻痺毒を仕込んだ矢でエニグマ童子の動きを止める。
「なんだか判らないけど判ったヨ。以土行為岩石、固!」
状況は判らないながらも悟った五行は〈砂仙女〉に〈サーヴァントコンビネーション〉を指示。
〈砂仙女〉は砂に変じ、身動きのできない〈悪鬼〉に纏わり付いたかと思うと、自らの全身を強固な岩へと変化させる。
約二〇秒間の一方的に殴り放題な時を作り上げた。
「今のうちヨ!」
自身も忍者装束をまとった少年〈飛剣孩子〉を喚び、苦無を雨霰と浴びせながら五行が音頭を取る。
仏のザの指先から〈ホーリーライト〉が放たれ、スズが連続で撃ち出す〈ラピッドショット〉がエニグマ童子の手にする鋼の弓を痛打し、〈火車の太刀〉を発動させたはこべが彼の周囲を舞うように幾度も斬りつけた。
パキィィィィン!
エニグマ童子の構えていた鋼の弓が、握の部分で真っ二つになる。
部位破壊。
MMORPGの敵モンスターには、本体に設定されたHPとは別に、部位に耐久値が設定され、その耐久値を削りきることで破壊できる場合がある。
メインで使う武器が破壊されることは珍しいが、それが設定されているモンスターの多くには共通した特徴がある。
それはメインの攻撃手段が使えなくなる事に付随した、行動パターンの変化だ。
「武器破壊を確認っちゃ。総員退避っ!」
「ぐわぁぁぁぁぁぉぉぉぉぉぉ!」
はこべの警告と同時に咆哮が轟く。
破壊された弓を手に、しばし茫然としていたエニグマ童子は、壊れた弓の握を左右の手に持って、短刀のように大きく振り回す。
元から逆だっていた黒髪は文字通り怒髪天を貫き、金色の瞳は爛々と輝いている。
有り体に言えば、狂乱していた。
はこべの狙いはここにあった。
引き撃ちをメイン戦術とした射手を相手にするのと比べ、弓を白兵武器に持ち替えた狂戦士は引き寄せる事だけを考えれば与し易い相手だ。
勿論、狂乱する事による変化はそれだけではない。
射程や攻撃範囲の縮小、防御力の低下、それと引き換えに移動速度や攻撃力は増加している。
例え格が低いとは言え、狂乱したボス級の攻撃を受け続けるのは、仏のザの支援を受けたはこべであっても骨の折れる仕事だ。
ましてや、彼女たちはエニグマ童子を討伐するために来たのではない。
旅の途中で通りがかっただけで、準備が万全とは言えない彼女たちには、この攻撃を長時間受け続ける余裕は無かった。
だからこそ〈悪鬼〉のHPが三割を切るまで待ったのだ。
「鬼さん此方、手の鳴る方へっ!」
「ウォォォォォォァッ!」
はこべの挑発に乗せられて狂乱したまま四人の娘を追いかけて境内を飛び出し、街道へと姿を見せたエニグマ童子を迎えたのは、半円を描くように〈ルディニアの廃神殿〉を取り囲む狼牙族。
地球世界におけるアイヌの民族衣装に似た和風の衣装を着て、手で複雑な印を作る屈強な男たちの中央でその指揮を取るのは、同じ様式の衣装に身を包んだ童女・マツネ。
彼女の耳には、仏のザが付けているのと同じ耳飾りが揺れている。
「マツネ様、手続きは完了しました。いつでも行けます」
「おつかれさま~。それじゃあ街道魔法陣丙種限定起動いっくよ~!」
童女の指示に従って男たちが一斉に印を組み替える。
街道が鎌首を擡げて〈悪鬼〉へと襲いかかった。