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月光も届かない暗い林の中を白い影が疾走していた。
スクール水着に似た白いコスチューム、薄い桃色をしたセーラー服の上衣、ロングブーツも長手袋も薄桃色で、僅かに晒されている二の腕や太腿さえ闇の中にあっては白く映る。
小柄な体躯を躍動させ、生い茂る下生えを飛び越え、不意に視界に姿を現す太い枝を掻い潜り、時には飛び乗り足場にして宙へ跳ぶ。
一挙動毎に白い残像を残して木々の間を擦り抜けるその姿を、しかし林の中を行軍していた〈人食い鬼〉たちが見ることはなかった。
「スズちゃん。八時の方に〈人食い鬼〉四つ、そっちに向かってるちゃ!」
「はいな。ほしたら〈ラピッドショット〉ですぇ」
はこべからの念話を受けたスズは、それまで交戦していた〈大熊猫兎〉を、威力の大きい弩弓からの四連射で一気に仕留める。
カンガルーと見間違える巨体を白黒二色の毛皮で覆った凶暴な大兎はドウと地に倒れ伏す。
その死骸が消失するまでの時間で、こっちに向かう〈人食い鬼〉たちをこの場に釘付けにしてくれる。
そう見切りを付けて、その場を離れる。
もしも〈七草衆〉のメンバーが移動する姿を上空から俯瞰することができるのならば、それは紡錘形に見えただろう。
魁のスズ、殿軍のはこべと〈樹老人〉を両端に、仏のザと五行娘々、それに召喚された〈森の精霊〉が一塊になって挟まれる形だ。
スズは林の中を縦横無尽に駆け回っていた。
先陣を切り、通れない地形を見つけ、立ち塞がる敵を排除し、後続がスムーズに進行できるよう務めるのが先駆けの役割だ。
街道から離れた林の奥には〈人食い鬼〉の他にもモンスターが棲息しており、その中には〈冒険者〉を見れば襲い掛かってくる者も少なくない。
木々の陰から跳びかかってくる〈大熊猫兎〉に〈棘茨イタチ〉、〈歩行竹〉や〈吸血茨〉を射ち穿ちながら彼女は道を切り開く。
「なんや、モンスターの分布が変わって来てはるみたいやけど・・・・」
充分な距離を稼いだスズは踵を返す。
後続と離れすぎないように、そして、殿軍を務めるはこべを援護するために。
弱った敵にとどめを刺してその数を減らすのは〈暗殺者〉である彼女の得意分野なのだ。
「竹林のモンスターば流れてきちょる。こん辺りで竹林ち言うと、〈ササバ城塞〉やろうかね?」
「〈鬼王オオエ〉の拠点ネ? あの鬼女が関わってるならこの数も納得いくケド・・・・」
スズの呟きを受けて仏のザと五行はこの異常事態との関連について考える。
それは比較的安全な位置にいて思考リソースに余裕のある彼女たちの役割だ。
もちろんスズやはこべの支援を行う役目もあるのだが、そのためには足を止めて振り返る必要があり、〈人食い鬼〉に追い付かれずにそれを行うためにはまず充分な距離を稼がねばならない。
という訳で、五行の従える〈森の精霊〉が周囲の樹木に働きかけて走りやすい道を作り、仏のザが喚び出した光の精霊〈聖なる灯火〉によって足元を照らし、スズやはこべのように移動を補助するような特技を持ち合わせていない二人は、ひたすら足と頭を回転させていた。
「〈人食い鬼〉の大移動といい、何か起きてるのは間違いないヨ。もしかして防衛イベントのフラグでも踏んだネ?」
「こん辺りでそげんなイベントがあれば、はこべさんの知らんはずもなかやね。〈ノウアスフィアの開墾〉で追加されたのかもしれん」
防衛イベントとは、「防衛戦」、或いは単に「防衛」と呼ばれ、多くは専用のゾーンを使って行われる、HPを持つ防衛拠点を護りきることを目的とした、戦闘イベントの一種だ。
襲い来る敵は、侵略を目論む亜人間種族の軍団や雲霞の如く大量に発生した巨大昆虫の群れ、天災の如き強大な竜種と様々。
多くの場合、防衛拠点には大砲や弩砲などの通常〈冒険者〉には使えない設置型の兵器や、防御結界の発生や拠点の修理といったギミックがあり、回数制限や使用条件のあるそれらを駆使して、指定時間内に拠点を護りきれば〈冒険者〉の勝利となる。
「是。だとすれば問題は、何処が防衛拠点になるかアルネ。誰も使わないような街道に攻め入る価値は無いから、恐らくはその向こうの何処かを目指してるんだろうケド。残念ながら其れを確かめている余裕は無いヨ」
「そーね。〈人食い鬼〉たちん目的のわからんのは不気味じゃけんど、街道ば抜かせる訳にはいかんし。どのみち、終了時刻もウェーブん間隔もアナウンスの無かけんは防衛拠点の判っちも守りきれる保証はなかと」
現実となった防衛イベントの難しさはそこにあった。
大抵のイベントは、クエストを受注する際にその目的や達成条件、あるいは敗北条件がわかるようになっている。
また、開始時に運営からの告知やNPCの案内が入る場合も多い。
それらが得られない今、彼女らはこのイベントで何処を何時まで守れば良いのかも、何をすれば終わるのかも、まったくわからない。
だからこそ彼女たちは、護ることを放棄して元凶を潰すべく駆けているのだ。
「黒五体、追いついて来たで潰すっちゃ」
パーティチャットから聞こえる声に、二人は走って稼いだ距離を活かすべく振り向いて支援に専念する。
そこには、追いすがる〈人食い鬼〉を迎え撃つはこべの姿があった。
はこべは、まさに八面六臂の働きを見せていた。
隊列の最後尾に位置する彼女は、先頭のスズとは逆に自ら敵を求めて疾駆していた。
狼牙族の種族特徴によって得られた強靭な脚力や森渡りによって驚異的な速度で歩を進め、的確に〈人食い鬼〉を見つけ出しては〈飯綱斬り〉の斬撃を与えてゆく。
攻撃を受けた〈人食い鬼〉たちは猛り狂ってはこべを追いかけ、彼らが作る長蛇の列は周囲の鬼を巻き込んで更に膨れ上がる。
それはMMOプレイヤーの間で俗に「モンスタートレイン」と呼ばれる状態だった。
街道への被害を減らすためにはこべが取った手段、それはカイティングといわれる。。
はこべはモンスターたちの敵愾心が途切れぬよう、時折速度を緩めて〈飯綱斬り〉でダメージを与える。
〈人食い鬼〉は魔法を使わないが稀に飛び道具を使う個体がいるので、後衛に流れ弾が飛ぶ危険性を減らすため優先的に狙う。
飛び道具と言っても投石や投槍といった程度ではあるのだが、それでも〈人食い鬼〉の膂力にかかれば充分な凶器となるのだ。
今、先陣を切って辿り着いた五体の黒鬼もまた尖った石を木の棒に括り付けた原始的な投げ槍を手にしている。
〈人食い鬼〉にも個性があり、武器の扱いに長けた青鬼の他に、大柄で腕力と防御力に優れた愚鈍な赤鬼、そして〈人食い鬼〉としては小柄で狡猾な黒鬼がいる。
黒鬼は比較的足も速く、木々の密集する林の中で一番に追いついてくるのも当然と言えた。
その五体の前に角付きカチューシャと虎縞ビキニを身に着けた少女が降り立つ。肩から羽織っている狩衣に似た薄衣がふわりとたなびく。
彼女が羽織った〈醸造職人〉のスキルで作られた製作級布防具〈天狗舞〉には着用者の身体を軽く感じさせ移動や跳躍の距離にボーナスがかかる通常効果の他に、短時間の空中機動を可能にするアイテムスキルが備わっているのだ。
「〈旋風飯綱〉」
舞い降りたはこべが担いでいた大太刀〈本醸造・鬼殺し〉を一振り。刀の重量がもたらす遠心力に逆らわずそのまま一回転すれば、撫で斬りにされた五体の黒鬼は心身に強い衝撃を受け、立ち尽くす。
はこべの肌は薄紅色に染まり、蕩けたような表情の頬にも朱が差しており、視線も姿勢もゆらゆらと定まらない。
それは、一閃した残心のまま彼女が腰から外して口元に持っていった瓢箪の中身に理由がある。
〈神変鬼毒〉このポーションは飲んだ者に、鬼系エネミーに対する各種戦闘力と特技の効果範囲に補正のかかる代物であるのだが、〈醸造職人〉が作成可能な飲料アイテムでもある。
早い話、彼女は酔っ払いながら戦っていたのだ。
だが、その効果は劇的で、二度三度と剣が閃く度にタフな〈人食い鬼〉が崩れ落ち、〈察気〉や〈心眼〉など〈武士〉特有の探知範囲は拡大され、広範囲の〈人食い鬼〉が動く様がまるで使えなくなったミニマップのように脳裏に浮かんでくる。
再び地を蹴り宙に浮かぶはこべの足元が隆起し、現れた大量の木の根が鞭のように槍のように麻痺して動けない黒鬼たちを打ちのめし大地に繋ぎ止める。
はこべに追随していた五行の召喚従者〈樹老人〉による〈樹根の縛鎖〉だ。
こうなっては時間の問題で、黒鬼たちははこべの大太刀に切り刻まれ、降り注ぐ枝葉の矢に貫かれ、手傷を負った順に駆け戻ってきたスズの〈スウィーパー〉によってトドメを刺されていった。
「ちょい前の方に明かりの灯った建物がありますぇ。神社みたいやわぁ」
幾度目かの先行偵察に向かったスズの報告がもたらされたのは、単調な作業のようでいて緻密な計算を必要とする遭遇戦を何十回となく繰り返した後の事だった。
野営地の傍らを流れていた〈スタグナ川〉の支流、蛇行して流れていたその川上を超えた小山にその廃墟はある。
廃神社の使用者が、百鬼夜行の元凶であるにせよ、ただの旅人や隠遁者であるにせよ、大量の〈人食い鬼〉を引き連れて向う訳にはいかない。
「地を制し勝利を収めるネ。皆、ここで一掃するヨ!」
五行の号令により、ここまで牽引してきた〈人食い鬼〉の殲滅作戦が始まったのだった。