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〈人食い鬼〉
身長三~五メートルほどの大柄な人型の怪物で、最も小さい巨人族とも言われ、一般に「鬼」と言われれば彼らを指す。
怪力の持ち主で、その四肢には太いバネのような筋肉が備わっているのだが、ぱっと見た感じ手足が細く感じてしまうのは、そのアンバランスに巨大な頭部のせいだろう。
一本から三本の角を額に生やした頭部には、ギョロリとした目や平たい鼻があり、人を丸呑みにできるような口から茶色く染まった乱杭歯が顔を覗かせる。
〈弧状列島ヤマト〉のほぼ全域に生息しているが、特に此処〈神聖皇国ウェストランデ〉の支配地域では数が多く、〈自由都市同盟イースタル〉における〈緑小鬼〉や〈ナインテイル自治領〉における〈醜豚鬼〉に似た立ち位置のモンスターだ。
もっとも、〈緑小鬼〉や〈醜豚鬼〉と比べれば個体としては強いものの、知能が弱く文化程度も低いため集団としての力では遥かに劣る、とされている。
「此処までは、どないにか凌げとるのやけど・・・・」
「確かにネ。けど、この数はちょっと厳しいヨ」
スズたちが戦っているのは、そんなモンスターだった。
〈エルダー・テイル〉において、エネミーの強さにはふたつの軸がある。
軸のひとつはレベルだ。
エネミーのもつレベルというのは、プレイヤーのレベルがそのエネミーと戦うのに適しているかどうかの指標である。
例えば、九〇レベルのスズたちであれば、八五から九五レベルのエネミーと戦うのが最適とされる。
この〈人食い鬼〉たちの平均三〇レベルというのは、倒しても経験値を得られないほど低い、ということになる。
もうひとつの軸はランクだ。
これは、何人のプレイヤーが協力してそのエネミーと戦うことが望ましいか、という指標である。
単独で戦うことを想定されたソロエネミー、二四~九六人に対応したレイドエネミー、そして二~六人で戦うことが最適なパーティランクのエネミーなどがある。
この〈人食い鬼〉たちのランクは、パーティ六。
適正レベルの〈冒険者〉六人のパーティで挑むのが最適とされるランク。
平均三〇レベルのパーティ六ランク〈人食い鬼〉が隊伍を組んで断続的に襲い掛かってくる。
それが、スズたちの置かれた状況だ。
「はこべさん、疲れ溜まってなかと?」
「大丈夫ちゃ。まだ温存しとってぇなぁ」
六〇というレベル差は大きく、ここまで殆ど被害と言える被害は出さずに来られた。
殆ど薄衣一枚というはこべがかすり傷を作る程度の攻撃を受けるのだが、それも〈仏のザ〉が施した〈反応起動回復呪文〉によって端から回復していく。
むしろ問題はMPにあった。
パーティ上限である六人に届かない四人での戦闘は、連携が取れていても、その連携を維持するために無理が生じる。
結果として、一体のエネミーを倒すためにも相応に特技を使う必要があり、そのコストとしてMPが消費される。
ノーコストで戦うこともできるだろうが、その場合はエネミーを倒すのに時間がかかり、逆に被害が増える可能性が高い。
特に、戦術の要とも言えるはこべは挑発特技を連発し高威力の攻撃を繰り出すことでエネミーの敵愾心を集め続けている。
MP上限補正の高い布製の防具を身に纏っているとは言え、戦士職である〈武士〉のMP総量は他職と比べると少ない方だ。
彼女のMPが尽きれば、エネミーの攻撃を制御できなくなり、戦局は更に厳しいものになるだろう。
〈エルダー・テイル〉では、HPと比べてMPの回復手段は限られている。
例外を除いて自動回復は戦闘をしていると行われないし、MP回復の水薬は高額な上に回復量も微々たるものだ。
その例外として、スズは連戦の早い段階で〈瞑想のノクターン〉を使っていた。
これは彼女のサブ職業〈見習い徒弟〉に登録された〈歌姫〉の能力で取得した〈吟遊詩人〉の〈援護歌〉で、効果中は徐々にではあるがMPの自動回復が発生する。
上限レベルが五〇で、実際には半分のレベルとして扱われる〈見習い徒弟〉の制限を受けて実質的に二五レベル相当の特技となった〈瞑想のノクターン〉によるMP回復もまた、実際には雀の涙ほどでしかない。
だが、焼け石に水をかけた程度の回復量でも、価値はあるのだ。
この四人の中で、この規模の継続戦闘に最も慣れているのはスズだった。
〈猟犬〉から〈茶会〉と、彼女は数多くの大規模戦闘を経験しており、〈旅団〉では中核メンバーの一人として大規模戦闘リーダーもこなしている。
〈剣聖〉ソウジロウ=セタを慕う乙女たちで構成された〈西風の旅団〉は、ギルドとしての活動限界を深夜零時と定めていた。
所属する乙女たちにとって夜更かしがお肌の大敵であること、というのが主な理由として挙げられる。
そんな時間制限のあるプレイスタイルを続けるうちに、彼女たちは短時間で効率よく戦闘をするため、短い休憩を挟んでの連続戦闘を常態化させていたのだった。
その体質は、〈旅団〉が結成される前、まだ〈茶会〉が解散していなかった頃に、既に形作られていた。
当時の茶会には九人の女性プレイヤーが参加しており、その過半数である五名がソウジロウに惹かれて行動を共にしていた。
〈神祇官〉のナズナ。
〈施療神官〉の沙姫。
〈召喚術師〉の詠。
〈妖術師〉のゆーこ。
そして〈吟遊詩人〉の菘。
この五名に〈武士〉であるソウジロウを加えて六人。
沙姫以外は所属するギルドのないソロプレイヤーであったため、〈茶会〉の活動がない時などはこの六人でパーティを組んで行動することが多く。
ソウジロウが斬り込んで敵を集め、その両脇では重装甲の沙姫が斧を振るい、紙装甲のナズナが小太刀を閃かせ、肩を並べてソウジを癒やし護る。
無数の〈動く骸骨〉を操る詠が物理攻撃を、矢継ぎ早に範囲攻撃魔法を放つゆーこが魔法火力を担当し、菘の呪歌と援護歌が全員を支援する、そんなパーティだった。
小学生の〈委員長ちゃん〉ゆーこと深夜零時にログアウトする〈硝子の魔女〉詠の存在、更には抜け駆け禁止の淑女協定、そこからこのメンバーでの活動時間を深夜零時にする習慣が生まれていたのだ。
当時の事を思い出し、その過程でナズナやソウジロウの事を思い出したスズは、不意に物悲しさと寂しさを覚える。
それは、今彼女がいる人間関係は鈴代が築いたものであり、鈴名はそこに間借りしているだけに過ぎないという気持ちがあるからだ。
豊富な大規模戦闘経験を持ち、隠密スタイルの弓〈暗殺者〉という状況を俯瞰しやすい立ち位置に在りながら、彼女が戦闘での指揮をはこべや五行娘々に任せきりなのは、そのしこりが原因なのだ。
スズが言い出し、〈七草衆〉を巻き込んだ遠征。
であるにも関わらず彼女にはどこか、この旅が他人事のように思えていた。
だからだろうか、〈人食い鬼〉の出現位置が徐々に街道の方へとずれていっていたことに、彼女は指摘されるまで気づかなかった。
「いかんけんね。こんままじゃったら、そんうち街道に被害の出てしまうわ」
そのことに仏のザが気づいたのは、四人が十七度目の〈人食い鬼〉小隊を片付けた後のことだった。
最初の方に倒された〈人食い鬼〉の亡骸は、既に虹色の泡が弾けるように消え去って、そこには戦利品や金貨が山と積まれているだけとなっている。
しかし、まだ消えていない巨鬼の死骸はまるでバリケードのように積み重なり、広場への侵入を阻んでいた。
如何に〈人食い鬼〉が愚かであろうとも、直進するよりも迂回した方が楽ならば迂回するのが当然であり、また、彼らの膂力を持ってすれば、林の中など道が無いに等しいのだ。
結果として、迂回した鬼たちは徐々に街道近くに進路を展開することになった。
「あきまへんぇ。お地蔵はんが壊されてしもたら、旅しはる人が往生することになってまいます」
スズの脳裏には〈大地人〉の童女マツネの笑顔が思い出されていた。
自分たちが引き寄せた〈人食い鬼〉によって街道が荒らされれば、そこを護る彼女たちの暮らしにどんな影響があるのだろうか。
「なるほど。それは避けたいネ。この戦場は放棄したいけど、はこべ、作戦を立案するヨロシ」
「了解っちゃ! スズちゃん先行して此奴らの来る方に。仏のザちゃんと五行ちゃんは撤収準備。麺麭の匂いも消しちゃってね!」
「我知道了ネ」
「承ったやけん」
「あんじょう、お任せやす」
こうして四人は野営地を離れ、林の奥深くへと鬼を狩りに向かったのだった。