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充分な余裕を持って、野営の場所を決めることのできなかった〈七草集〉の四人だったが、なんとか〈召喚笛〉の効果が切れて騎乗していた〈ウマモドキ〉を送還する前に程よい地形を見つけることができた。
街道の右手には幅のある河川敷が広がり、その中央を申し訳程度に小川が流れている。
街道から小川までは5分程度の距離があるものの、護岸工事も堤防の補修もされていない土手を我が物顔に占拠する草を掻き分けて川に降りて水を汲むのは中々に疲れる仕事だ。
いっそ河川敷にテントを張って煮炊きの準備を始めれば水を運ぶ手間を省けると言う意見も出たのだが、それにははこべが猛反対をした。
「これだけ河川敷が広いってことは、今は水量が少なくても雨が降ったらこの辺り一体は水没するっちゃ。鉄砲水に押し流されるのは勘弁やわ」
彼女の実家は十数年前に起きた水害の被害を受けており、家屋や家財が泥に埋まってしまった経験を持っているだけに、水の危険について妥協はなく、他の三人もその反対意見を押し切るほど河川敷でのキャンプに拘りはなかった。
一方で、街道の左手には背の高いブナやナラの木が立ち並ぶ林が鬱蒼と繁っている。
これらの木々はかつて歩道があっただろう場所やガードレールの残骸も飲み込み、所々ひび割れて土を被ったアスファルトの街道にも進出しようと、その根を伸ばしている。
枝葉もまた陽光から街道を覆い隠す天蓋のように覆い被さっており、街道を旅する身としては炎天下の日差しを和らげてくれるという恩恵を感じざるを得ないのだが、その一方でモンスターや野盗などが潜むのにも適しているため、道中や野営における危険度が増すということでもあるのだ。
そんな中、まるでゴルフの練習場でもあったかのように四方をフェンスの残骸に囲まれて木々の侵略から辛うじて守り抜かれていた空き地が見つかったのだ。
太陽の沈みかける中、黒々とした陰鬱な林にぽっかりと開けた空き地は、ここで一晩を過ごすようにと四人を招いているかのように思え、この空き地を野営地にと四人の腹は決まった。
四人は相談して役割を決めると、野営の準備に取り掛かった。
小川まで水を汲みに降りたのは仏のザだった。
荷物の中に他に適当な容器が無かったため大きな寸胴鍋を頭上に載せて街道を渡り土手を降りていく彼女の長身はあっという間に見えなくなった。
しばらくして腰を押さえながら立ち上がる。
背の高い草の下にはかつて堤防として機能して居た頃の残滓である瓦礫が転がっており、サンダル履きの彼女が楽に歩ける道ではなかったのだ。
そうして何度も躓き、つんのめり、転びながらも仏のザは草のカーテンを掻き分けて河川敷に辿り着く。
そこには、ある種の幻想的な風景が広がっていた。
背後から残照がオレンジ色に空気を染める中、河川敷に転がる大小様々な丸石が複雑な陰影を描き、そこを貫くように蛇行する小川の流れも照り返しで輝いて見え、実際以上に長く伸びた長身の彼女の影(頭上に寸胴鍋を戴いたままだ)がその光景に異物感を添える。
そして、耳を圧倒する重低音の大音声。
「ゔもぉぉぉ♪」「ぶもぉぉぉ♪」「ゔんもぉぉぉぉぉ♪」
彼女が辿り着いた川岸は、頭頂高が2メートルはあろうかという〈猛牛蛙〉の産卵場と化していた。
仏のザは、にっこりと一つ笑顔を浮かべ、即座に踵を返した。
薪を拾いに林に入っていったのはスズだ。
彼女はドワーフの種族特技である〈熱視野〉によって、また〈見習い徒弟〉によって得た〈狩人〉の特技も併用しているため、夕暮れに沈む木立ちの中でもさほど不自由なく動ける。
とは言え、狩人としての知識を彼女が持っている訳ではなく、〈大地人〉の童女マツネから教わった山菜を見つけては採取し、地に落ちた小枝を拾っているうちに、木の幹の高い位置に枯れながらも落ちていない枝や、枝葉の上に落ちたままの枯れ枝を見つけた。
現実の鈴名の身体であれば手を伸ばしたとしてもとても届かない高さ、ドワーフのアバターに入っている今も身長は低いままなのだが、今の彼女には〈暗殺者〉としての身体能力と移動用の特技がある。
〈ガストステップ〉〈クリープシェイド〉〈トリックステップ〉に〈モビリティアタック〉。
〈暗殺者〉の移動用特技は〈盗剣士〉と比べて攻撃に重点を置いたものが多いが、枝から枝に飛び移り、小枝を振るって木々の梢や枝葉を打てばバラバラポロポロと枯れ枝が舞い落ちる。
落ちた枝を拾おうと着地したスズは、ふと気配に気づいて視線を上げる。
「あ、あはは。ごきげんよろしゅう」
そこには、不機嫌そうに打たれた枝を揺らす〈歩行樹〉の姿があった。
竈を組み上げて夕食の準備をするのは〈仙厨師〉である五行娘々の役割だ。
とはいえ、彼女も野外で調理した経験など殆ど無く、当然ながら竈の組み上げ方も良くわからない。
そこで彼女が取った手段は「知ってそうな相手に任せる」ことだった。
「以土行成人像。〈方術召喚:ジァオヤオ〉!」
五行が召喚したのは小人の姿をした土の精霊〈家妖精〉の亜種〈焦僥〉だった。
この小人たちは手先が器用で見た目に似合わぬ怪力の持ち主だ。
風に飛ばされたり鳥に連れ去られたりするほど身体が軽いため戦闘には不向きだが、様々な道具を作って主をサポートする能力に長けている。
竈作りを彼らに任せ、その間に夕食の下拵えをしていた五行が気がつくと、そこには土と石と草で作られた立派な竈が出来ていた。
その出来に満足した五行はにんまりと笑みを浮かべ、薪を拾っているスズが帰る前に種火を用意しようかと次の召喚を行った。
「以火行為炎風、〈戦技召還:ジンウーヤ〉!」
背に日輪を背負った〈金烏鴉〉が喚び出され、翼を広げて「クァァァ!」と一啼きするや、小人たちは食べられると思ったのか蜘蛛の巣を散らすように逃げ去ってしまう。
「哎哟、これはしまったネ」
苦笑いを浮かべるしか無い五行であった。
はこべはテントの設営を請け負った。
その理由の一つは、彼女が体力に余裕のある〈武士〉だからであり、自然への適応力が高い狼牙族だからであり、そしてガールスカウトへの参加経験があったからだ。
だが、彼女は悪戦苦闘することになる。
彼女にとって最大の誤算は、彼女たちの持ってきた四人用のテントが、彼女の設営した事があるタイプのものではなかったことだ。
「あーもう! ポール受けもフライポールのリングも無いし、ロープの結び目もわやになってるし、どうしたら良いっちゃー!」
空に白く姿を見せ始めた月に向かって吠えるはこべだったが、そもそもキャンプ用品のテントは、指導者の指導の元、練習すれば誰でも設営できるように作られていることが多く、中には素人が一人で組み立てられる仕組みになっているものもある。
しかし、彼女たちが持ってきたテントは、旅を生業とする者たちが日常的に使うことを想定して作られた品だ。
撥水性のビニールシートや軽量のポールを組み立てて作るテントを想像していたはこべは、竹の棒が4本と鉄のボルト、そして帆布と杭とロープの束を見てまず絶句し、それから月に吠えたのだった。
結局、水は五行の召喚した〈水の精霊〉によって用意された。
スズは大量の枯れ枝や山菜に加えて、〈歩行樹〉がドロップした丸太を大量に持ち帰った。
直前まで動いていた樹から得た戦利品ではあったが、不思議なことに生木ではなく充分に乾燥していた。
とても一人で運べる量ではなかったのだが、〈森渡り〉を種族特技として習得していたはこべが手伝いに来、持ち帰って割って薪材として活用できたのだ。
この水と薪材の追加により、食後に皆で風呂に入ろうという話になり、楽しみもできた所で夕食が振る舞われる。
この日の夕食のメニューは麻辣兔絲と韮菜鹿肝。
茹でた兎肉を細かく割いて叩いた山椒を効かせたタレをたっぷりかけた料理と、鹿肉とスズの採ってきた山菜をレバニラ風に炒めた料理、この二品をメインに、昼食の残りも加えた夕食は、仏のザが喚び出した〈バグズライト〉の灯りに照らされて、昼食と同様に終始賑やかだった。
この時、五行は逃げ散った小人たちの代わりに〈森の精霊〉を召喚して林の木々に潜ませることで、周囲の警戒を強化していた。
現時点で、彼女が同時に使用できる召喚魔法は概ね5つだ。
〈金烏鴉〉のように戦闘時などに呼び出して瞬間的に効果を発揮して送還される〈戦技召喚〉、〈水の精霊〉のように一度呼び出すと送還するまで行動を共にしてくれる〈従者召喚〉、〈森の精霊〉のように戦闘以外の状況で呼び出しサポートを得られる〈方術召喚〉、その他に灯りとして呼び出す〈マジックライト〉や〈儀式召喚〉といった特殊なものもある。
実は五行は旅に出る前にこの〈儀式召喚〉を行い〈白娘々〉を呼んでいる。
蛇少女の姿をした冷気を操る精霊獣はギルドハウスの倉庫の一つに紐付けられ、その効力で倉庫は文字通り冷蔵庫と化し、帰るまでの食材の品質保持に役立ってくれていることだろう。
しかし〈召喚術師〉が召喚を維持している間は、そのコストとしてMPの上限が低下するというリスクもある。
このキャンプの設営が始まってから短い時間に召喚特技を5回使い、3体の召喚精霊を維持し続けている彼女のMPは最大時と比べると3割近く下回っていた。
皆で入浴を楽しんだ(予告通り、胸のマッサージ大会は開催された)後、〈水の精霊〉を送還し屋根代わりにと〈樹老人〉の〈彭侯〉を喚んだ頃には、彼女はぐったりとして「先に休むネ」と、仏のザがロープと毛布で作った簡易個人テントに潜り込んでいったのだ。
はこべも少女らしい寝付きの良さを見せ、仏のザとスズの二人はどちらからともなく火の傍に座り込み、無言のまま時に薪を継ぎ足すなどするのだった。